記憶の檻に世界で一番甘い初恋を-7日ごとに貴方に恋する-

それからのレイストール邸、そして最高経営責任者室では、奇妙で、けれど酷く平和な「裏ルート」が確立されることとなった。

アルフレッドは、弟が少しでも根を詰めすぎていると察すると、自分で直接言うのをあっさりと諦めるようになった。
代わりに、ソファでまどろむルミの元へそっと歩み寄り、「ルミくん、ちょっとアルヴィーノに『ハーブティーを一緒に飲もう』って言ってきてくれないかい?」と、悪戯っぽく耳打ちするのだ。

ルミもまた、アルフレッドからアルヴィーノの過去の無茶や、今抱えている仕事の膨大さを聞かされるたびに、胸を痛めていた。

(アルヴィーノさん、また倒れちゃうくらい頑張りすぎたら大変だもん……。俺、ちゃんとおねがいしなきゃ)

自分を地獄から救い出し、この無菌室のような安全な世界を与えてくれた大切な主人。
彼に無理をしてほしくないという純粋な想いから、ルミはアルフレッドに頼まれるたび、一生懸命にその役目を果たそうとした。

ある時は、キーボードを叩くアルヴィーノの背中にそっと近づき、上着の裾を引っ張って「……ちょっとだけ、お外の空気吸いに行こ?」と上目遣いで袖を引く。
またある時は、深夜の書斎に温かいミルクを持って入り、「これ飲んだら、いっしょにベッドにいこ……?」と、ぎゅっと手を握りしめておねがいする。

「……分かりました。今すぐ片付けます」

アルヴィーノは、それが兄の差し金だとは微塵も気づいていなかった。

冷徹な彼の脳内において、ルミの発言はすべて「ルミ自身の、自分に対する甘えと欲求」として変換されていた。
かつて誰の言葉も聞き入れず、効率の鬼として生きてきた男が、少年が潤んだ瞳で自分を見つめ、小さな声で言葉を紡ぐだけで、すべての思考回路を狂わされてしまう。

ルミに願われれば、たとえそれが何千億の案件の最中であっても、アルヴィーノにとっては世界で最も優先すべき「絶対事項」へと早変わりした。

デスクの電源を落とし、嬉しそうに胸をなでおろすルミをそっと抱き上げるたび、アルヴィーノは深い満足感に浸っていた。
自分の与えた安寧の中で、少年がこうして自分を求め、我が儘を言ってくれる。
その事実こそが、アルヴィーノの独占欲を極限まで満たしていた。

遠くでそれを見届けるアルフレッドは、「いやあ、ルミくんは我が社の最高のリラクゼーションアドバイザーだね」と、心の中で大爆笑しながら弟のコントロールを楽しんでいる。

何も知らず、ただ「大好きな主人のため」に一生懸命おねがいを繰り返すルミと、彼に乞われるたびに全ての冷徹さを投げ打って相好を崩すアルヴィーノ。
そんな歪で温かな日常が、二人の世界をより深く、強固に結びつけていくのだった。
それは、いつものように穏やかな陽光が差し込む、静かな午後のことだった。

ルミは、アルフレッドから「アルヴィーノを休ませる裏技」を教わってからも、ただおねがいをするだけでなく「自分にできることで、少しでもアルヴィーノさんの負担を減らしたい」と健気に考えていた。
そこで彼が目をつけたのが、デスクの脇に溜まっていく、処理済みの不要な書類の山だった。

アルヴィーノが扱うのはどれも最高機密に属するものばかりだ。
だからこそ、廃棄する書類はすべて内容が見えないよう完全に裏返しにされ、デスクのすぐ傍にある大型のシュレッダーにかけるのが鉄則となっていた。

(これくらいなら、俺にもできる。アルヴィーノさんがお仕事に集中できるように、綺麗にしておかなくちゃ)

ルミは仕立ててもらったばかりの、体にぴったりと馴染む上質な秘書用のスーツに身を包み、たかたかとシュレッダーの前へと歩み寄った。

「シュルルルル……」と、機械が紙を細切れにする小気味よい音が、静かな空間に響く。
裏返された紙を一枚ずつ、内容を一切見ないように注意しながら、丁寧にスリットへと滑り込ませていく。
アルヴィーノを助けられているという小さな充実感が、ルミの胸を満たしていた。

しかし、その時だった。

手元から滑り落ちた一枚の書類が、ひらひらと宙を舞い、シュレッダーの足元の床へと落ちた。
運悪く、その紙は表を向いて着地してしまった。

「あ……」

拾おうとして、ルミは無意識にその紙面に視線を落とした。

見てはいけない。そう思った瞬間には、すでに遅かった。ルミの脳に宿る『絶対記憶(カメラアイ)』は、本人の意志とは無関係に、網膜に飛び込んできた一瞬の光景を、文字の一言一句、図表の細部に至るまで、鮮明に、かつ強制的に脳の奥深くへと焼き付けてしまった。

そこに並んでいたのは、見覚えのあるロゴ。そして――

ルミの呼吸が、ぴたりと止まった。

かつて自分を道具のように扱い、罵声を浴びせ、限界まで搾取し続けた、あの「悪徳企業」の名前。
そしてその横に冷徹なフォントで並ぶ、【買収計画書】【資産凍結】【完全駆逐】という、恐ろしい文字列の羅列。

それは、アルヴィーノがルミに隠れて裏で進めていた、あの地獄のような会社を完膚なきまでに叩き潰すための、冷酷で容赦のない『復讐のシナリオ』の断片だった。

ドクン、と心臓が跳ね上がる。
忘れていたはずの、あの部屋の冷たさや恐怖が、絶対記憶のトリガーによって一気に脳内にフラッシュバックしていく。
ルミは書類を持ったまま、青ざめた顔でその場に凍りついてしまった。
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