主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
魔王の夜、天使の朝 〜最愛のために世界を壊す王族たちと、毛布を掛ける愛しき人〜②
王宮の最深部で二人の王子が終わりなき書類の地獄に身を投じているころ、アルヴィーノの私室には、それとは対照的な、しかしどこか寂しさを孕んだ静寂が満ちていた。
水色の腰まである長い髪を揺らし、ルミは豪奢な天蓋付きのベッドの縁に小さく腰掛けていた。白を基調としたお気に入りのロリータ系の服が、小柄な身体を包んでいる。
いつもなら、この時間には漆黒の軍服を纏った最愛の主が、その長い腕で自分を壊れ物のように抱きしめ、激しいほどの愛を囁いてくれているはずだった。
コンコン、と控えめなノックの音がして、老侍女のマルタが静かに室内に姿を現した。
彼女は研究所から救われて以来、ルミの世話を任されている、王宮内でも数少ない信頼できる理解者の一人だった。
「ルミ様、お茶をお持ちいたしましたよ」
「……ありがとう、マルタ」
ルミは透き通るような水色の瞳を向け、小さな笑みを浮かべた
。だが、その表情には隠しきれない寂寥感が滲んでいる。
マルタはすべてを察したように、温かい紅茶のカップを差し出しながら、穏やかな声で語りかけた。
「アルヴィーノ様は、しばらくこちらへは戻られないかと存じます。新王陛下と二人きりで、重大な執務に当たられておりますので」
「……そっか。やっぱり、お仕事、大変なんだよね」
ルミはカップを両手で包み込み、立ち上る湯気を見つめながら、こくりと頷いた。
「うん。……だって、俺たち、いっぱい遊んじゃったからね。南方のルセリアってところで、二ヶ月も……。その前も、アルヴィーノ、アルフレッド様の代わりに王様やって、悪い貴族の人たちをたくさんお片付けしちゃったって言ってたし」
ルミは自らの胸元に手を当てた。
そこには今、アルヴィーノから贈られた大切な指輪が、主従の誓いという仮面の内側で、確かな熱を持って輝いている。
自分が政治の疲れで寝込んだとき、アルヴィーノが激怒して貴族たちを永久追放したことも、ルミは知っていた。
そして、その後に二人で出かけた南方のバカンスが、最高に甘くて幸せだった分、その裏でどれほどの歪みが生じていたかも、何となく理解していたのだ。
自分が愛されている証拠。
けれど、その代償を今、アルヴィーノが一人で支払っている。
「俺のために、アルヴィーノは頑張ってくれてるんだ。……俺が会いたがって泣いたりしたら、アルヴィーノ、お仕事放り出して戻ってきちゃうかもしれない。それは、だめだよね。アルフレッド様も困っちゃうし」
健気に自分を律しようとするルミの言葉に、マルタは目を細め、優しく首を振った。
「左様でございますね。アルヴィーノ様は、ルミ様のためならば国の一大好機すら投げ打ちかねないお方。ルミ様がこうして健やかにお待ちのことが、あのお方にとって何よりの救いとなりますよ」
「うん!……だからね、マルタ。俺、ただ待ってるだけじゃなくて、アルヴィーノが帰ってきたときに『頑張ったね』って言えるように、いろいろ準備したいな。もっとかっこいいお出迎えがしたい!」
寂しさを吹き飛ばすように、ルミの瞳に強い光が戻った。喜怒哀楽の分かりやすい彼らしく、一度前を向くと行動は早かった。
「では、何から始めましょうか?」
マルタの問いかけに、ルミは少し考えてから、自らの白い袖を実に意気揚々と捲り上げた。
「まずは、お料理! アルヴィーノはいつも俺が作ったものを美味しいって食べてくれるけど、もっとお仕事の疲れが吹き飛ぶような、甘くて美味しいお菓子を作れるようになりたいな。マルタ、教えてくれる?」
「お安い御用です。厨房の料理長に掛け合って、特上の果物と蜂蜜を用意させましょう」
それからの日々、ルミは寂しさに押し潰されることなく、ひたむきに時間を費やした。
慣れない手つきで小麦粉を捏ね、何度もオーブンを覗き込んでは、少し焦げてしまった焼き菓子に悔しそうに頬を膨らませる。
だが、回数を重ねるごとに、部屋には香ばしく甘い香りが漂うようになっていった。
さらに、ルミはそれだけでは飽き足らず、机に向かって文字を書き連ねる練習も始めた。
「魔力の使い方はまだよく分からないけど……言葉なら、アルヴィーノにいっぱい届けられるもんね。帰ってきたら、この手紙を渡すんだ」
非人道的な研究所にいたころは、心を殺し、ただ人形のように耐えるだけだった。
文字を学ぶことすら許されなかった自分が、今、最愛の人のためにペンを握っている。
一文字一文字、拙くはあるが、アルヴィーノへの「好き」という感情をオブラートに包むことなく、素直な言葉で羊皮紙に綴っていく。
そして夜になれば、以前自分からアルヴィーノに贈った、あの水色のマフラーの編み目を思い出しながら、今度は色違いの、深い紫色の毛糸を丁寧に編み進めた。
「アルヴィーノ、今もお部屋に閉じこもって、アルフレッド様と喧嘩しながら頑張ってるのかな……」
窓の外、遠くに見える本宮の執務室の明かりを見つめながら、ルミは小さな手で針を動かす。
寂しくて、恋しくて、今すぐにでもその胸に飛び込みたい。
けれど、次に会うときは、もっと成長した姿で、最高の笑顔で「おかえりなさい」を言うのだと心に決めていた。
幽閉にも等しい地獄の執務室で苛立ちを募らせる魔王は、まだ知らない。
己を繋ぎ止める愛しい子が、その孤独な時間の中で、自分を迎えるための温かな光を、一歩ずつ、健気に育んでいるということを。
王宮の最深部で二人の王子が終わりなき書類の地獄に身を投じているころ、アルヴィーノの私室には、それとは対照的な、しかしどこか寂しさを孕んだ静寂が満ちていた。
水色の腰まである長い髪を揺らし、ルミは豪奢な天蓋付きのベッドの縁に小さく腰掛けていた。白を基調としたお気に入りのロリータ系の服が、小柄な身体を包んでいる。
いつもなら、この時間には漆黒の軍服を纏った最愛の主が、その長い腕で自分を壊れ物のように抱きしめ、激しいほどの愛を囁いてくれているはずだった。
コンコン、と控えめなノックの音がして、老侍女のマルタが静かに室内に姿を現した。
彼女は研究所から救われて以来、ルミの世話を任されている、王宮内でも数少ない信頼できる理解者の一人だった。
「ルミ様、お茶をお持ちいたしましたよ」
「……ありがとう、マルタ」
ルミは透き通るような水色の瞳を向け、小さな笑みを浮かべた
。だが、その表情には隠しきれない寂寥感が滲んでいる。
マルタはすべてを察したように、温かい紅茶のカップを差し出しながら、穏やかな声で語りかけた。
「アルヴィーノ様は、しばらくこちらへは戻られないかと存じます。新王陛下と二人きりで、重大な執務に当たられておりますので」
「……そっか。やっぱり、お仕事、大変なんだよね」
ルミはカップを両手で包み込み、立ち上る湯気を見つめながら、こくりと頷いた。
「うん。……だって、俺たち、いっぱい遊んじゃったからね。南方のルセリアってところで、二ヶ月も……。その前も、アルヴィーノ、アルフレッド様の代わりに王様やって、悪い貴族の人たちをたくさんお片付けしちゃったって言ってたし」
ルミは自らの胸元に手を当てた。
そこには今、アルヴィーノから贈られた大切な指輪が、主従の誓いという仮面の内側で、確かな熱を持って輝いている。
自分が政治の疲れで寝込んだとき、アルヴィーノが激怒して貴族たちを永久追放したことも、ルミは知っていた。
そして、その後に二人で出かけた南方のバカンスが、最高に甘くて幸せだった分、その裏でどれほどの歪みが生じていたかも、何となく理解していたのだ。
自分が愛されている証拠。
けれど、その代償を今、アルヴィーノが一人で支払っている。
「俺のために、アルヴィーノは頑張ってくれてるんだ。……俺が会いたがって泣いたりしたら、アルヴィーノ、お仕事放り出して戻ってきちゃうかもしれない。それは、だめだよね。アルフレッド様も困っちゃうし」
健気に自分を律しようとするルミの言葉に、マルタは目を細め、優しく首を振った。
「左様でございますね。アルヴィーノ様は、ルミ様のためならば国の一大好機すら投げ打ちかねないお方。ルミ様がこうして健やかにお待ちのことが、あのお方にとって何よりの救いとなりますよ」
「うん!……だからね、マルタ。俺、ただ待ってるだけじゃなくて、アルヴィーノが帰ってきたときに『頑張ったね』って言えるように、いろいろ準備したいな。もっとかっこいいお出迎えがしたい!」
寂しさを吹き飛ばすように、ルミの瞳に強い光が戻った。喜怒哀楽の分かりやすい彼らしく、一度前を向くと行動は早かった。
「では、何から始めましょうか?」
マルタの問いかけに、ルミは少し考えてから、自らの白い袖を実に意気揚々と捲り上げた。
「まずは、お料理! アルヴィーノはいつも俺が作ったものを美味しいって食べてくれるけど、もっとお仕事の疲れが吹き飛ぶような、甘くて美味しいお菓子を作れるようになりたいな。マルタ、教えてくれる?」
「お安い御用です。厨房の料理長に掛け合って、特上の果物と蜂蜜を用意させましょう」
それからの日々、ルミは寂しさに押し潰されることなく、ひたむきに時間を費やした。
慣れない手つきで小麦粉を捏ね、何度もオーブンを覗き込んでは、少し焦げてしまった焼き菓子に悔しそうに頬を膨らませる。
だが、回数を重ねるごとに、部屋には香ばしく甘い香りが漂うようになっていった。
さらに、ルミはそれだけでは飽き足らず、机に向かって文字を書き連ねる練習も始めた。
「魔力の使い方はまだよく分からないけど……言葉なら、アルヴィーノにいっぱい届けられるもんね。帰ってきたら、この手紙を渡すんだ」
非人道的な研究所にいたころは、心を殺し、ただ人形のように耐えるだけだった。
文字を学ぶことすら許されなかった自分が、今、最愛の人のためにペンを握っている。
一文字一文字、拙くはあるが、アルヴィーノへの「好き」という感情をオブラートに包むことなく、素直な言葉で羊皮紙に綴っていく。
そして夜になれば、以前自分からアルヴィーノに贈った、あの水色のマフラーの編み目を思い出しながら、今度は色違いの、深い紫色の毛糸を丁寧に編み進めた。
「アルヴィーノ、今もお部屋に閉じこもって、アルフレッド様と喧嘩しながら頑張ってるのかな……」
窓の外、遠くに見える本宮の執務室の明かりを見つめながら、ルミは小さな手で針を動かす。
寂しくて、恋しくて、今すぐにでもその胸に飛び込みたい。
けれど、次に会うときは、もっと成長した姿で、最高の笑顔で「おかえりなさい」を言うのだと心に決めていた。
幽閉にも等しい地獄の執務室で苛立ちを募らせる魔王は、まだ知らない。
己を繋ぎ止める愛しい子が、その孤独な時間の中で、自分を迎えるための温かな光を、一歩ずつ、健気に育んでいるということを。
