主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

あの、吐き気がするほどに眩しい金色の光。
泣き叫びながら自分を睨みつける、兄のあの忌々しい正義の瞳。
耳の奥にこびりついて離れない、慇懃無礼いんぎんぶれいに突き放した自分の冷え切った言葉の残響。

​――私は、間違ってなどいない。
――間違ってなど、いないのに。

​どれだけ叫ぼうとしても声は出ず、泥のような暗闇の深淵へ、どこまでも、どこまでも落ちていく。

誰も自分を見ない。
誰も自分を認めない。

世界すべてが彼を否定し、冷たい視線で窒息させようと締め付けてくる。

​「――っ、!!」

​短い悲鳴と共に、弾かれたように身体が跳ね起きた。
​寝台のシーツを強引に掴み、狂ったように呼吸を繰り返す。
全身が嫌な汗でぐっしょりと濡れていた。
視界が激しく明滅し、自分が今どこにいるのかさえ分からない。
まだ耳の奥で、兄の「なぜ傷つけるんだ!」という糾弾の声が鳴り響いている。
冷徹な軍師の仮面など完全に剥がれ落ち、ただ過去の亡霊に怯えるだけの無様な姿が、暗がりの寝室に晒されていた。
​胸をかきむしり、激しい動悸に耐えかねて頭を抱え込もうとした、その時。

​「……王子様?」

​すぐ傍から、鈴の音を転がしたような、聞き慣れた穏やかな声が鼓膜を震わせた。
​ハッとして視線を向ければ、月明かりが差し込むベッドの脇。
いつの間にかそこにちょこんと腰掛けたルミが、心配そうにこちらを覗き込んでいた。

​「大丈夫……? 怖い夢……?」

​その瞳に宿っているのは、かつて王宮の者たちが見せた失望でも、両親が向けた哀れみでも、兄がぶつけてきた独りよがりの正義でもない。
ただ純粋に、まっすぐに自分だけを案じ、慈しむ、どこまでも優しく深い光だった。

​「……ル、ミ……」

​掠れた声で、その名前を呼ぶ。
まだ悪夢の残滓が脳裏にへばりつき、自分の境界線が曖昧なままだった。
だが、ルミがそっと伸ばしてきた華奢な手が、汗に濡れた自分の手に重なった瞬間、生き返るような確かな熱が皮膚を通じて伝わってきた。

​「怖い夢……俺も、よく見るから……。地下室の夢……。王子様も怖い夢、見たの……? 大丈夫……?」

ルミは不安そうな顔をしながらもじっとアルヴィーノを見つめている。
瞬間、あんなに激しかった動悸が、嘘のようにゆっくりと凪いでいくのが分かった。
兄の説教も、周囲の冷たい視線も、ルミのこの小さな両手の温かさだけで、すべてが霧のように霧散していく。

​「……いえ、何でもありません。ただの、くだらない夢です」

​深く息を吐き出しながら、アルヴィーノはいつもの冷徹で完璧なトーンを取り戻していく。
だが、なぜかその温もりを手放すことだけはできず、握られた手を拒絶することなく、ただじっと呼吸を繰り返す。
大丈夫、問題ない。
このまま計画通りに事が進めばこの悪夢もじきに見なくなる。
そう自分に言い聞かせて。

「大丈夫……?」
「ええ、大丈夫ですよ、ルミ。ですから自分の部屋に戻りなさい」
「ん……」

小さく頷きルミは椅子から立ち上がると服をぽんぽんと叩き整えてから、おやすみなさいと告げアルヴィーノの部屋を後にする。
彼はその背を見送り、ふぅと一息つくと再度深い眠りの淵へと落ちていった。


そして数日が何事もなく過ぎていった。
ルミの様子を見て特段問題ないことを確信したアルヴィーノの計算は、ある意味で正しかった。
だがアルヴィーノの予想を超えていたのは、“お人形”となったはずのルミが、むしろ以前よりも豊かな感情を取り戻していたことだった。
失敗と精神崩壊の夜を越えたルミは、アルヴィーノへの「好き」を隠さなくなった。
とはいえ、「こうしてほしい」「ぎゅっとして」などのわがままは言えない。
ただ、嬉しさが漏れ出してしまう。
愛情が溢れてしまう。
それを止められない。
そんな感じだった。
戦場へ向かう前、ルミはいつもアルヴィーノの袖をそっと摘まんで、小さく笑う。

「……王子様、行ってくるね! ちゃんと、いい子にしてくるから……その……あのね……」

その声は震えていて、まるで「褒めてほしい」と言いたいのに言えない子どものようだった。
アルヴィーノは微笑み、その頭を軽く撫でる。

「ええ。期待していますよ、ルミ」

その一言で、ルミの頬は一瞬で赤く染まり、胸の奥がぎゅっと熱くなる。

「……うんっ! 俺、頑張るね!」

それだけ言って、ルミは嬉しさを隠しきれないまま戦場へ飛び出していった。
ルミの戦闘力は、もはや異常だった。
鍛錬をあれから欠かさず続けているとは言え、拾ってきたころとは比べ物にならないほど、彼の魔力値は跳ね上がり、そしてその精度は研ぎ澄まされていた。
そのうえでアルヴィーノが「あそこを潰しなさい」と指差せば、ルミはどんなに不利な戦場だろうと、無邪気な笑顔で敵陣へ飛び込み、すべてを灰燼に帰す。
敵兵の悲鳴も、返り血も、ルミにとっては“王子様に褒めてもらうための障害物”でしかない。

「王子様……見ててね……! 俺、ちゃんとできるから……!」

その声は、戦場の轟音の中でも不気味なほど澄んでいた。
いつの時からか、ルミの背には一対の黒く小さな翼が生えており、蹂躙する戦場もさらに拡大する一方。
やがては兵を引き連れなくても彼は単独で敵地に飛び立ち、そして滅ぼしてくるように。
時には降伏を願いでた敵国の兵すらその闇に飲み込んでしまうほど、その力は無慈悲に育っていた。
そんな彼につけられた異名は「白き死神」。
たくさんのフリルやレースがあしらわれた白い服を身に纏い、黒い翼を羽ばたかせ無尽蔵に、そして無慈悲にその命を刈り取り、闇に沈めていく様子から敵国の命からがら逃げ伸びた兵士が付けた異名だった。
そんなことなど露知らず、当の本人は返り血で真っ赤に染まった服のまま城に戻ると、いつも決まってこう言う。

「王子様……っ、俺……ちゃんと……できたよ……!」

“褒めてほしい”
“見てほしい”
“認めてほしい”

その全部が詰まった、震える声。
アルヴィーノは満足げにその頭を撫でる。

「ええ。よくやりましたね、ルミ。偉いですよ」

ルミはその言葉だけで、全身が震えるほど幸せそうに笑った。
アルヴィーノは、ルミの“過剰な愛情”が自分の計画にとってどれほど都合がいいかを理解していた。
命令すれば必ず従う。
危険でも迷わない。
自分のためなら死ぬことすら厭わない。
そして、決して自分の欲を言わない従順さ。
これほど完璧な駒は存在しない。

(このまま、もっと深く依存させていけば……。私の計画は、誰にも止められない。もちろん、あの兄上にさえも……)

アルヴィーノは、ルミの頬に付いた血を指で拭いながら、静かに微笑んだ。
その微笑みは、慈愛に満ちているようでいて、底の底では冷たい計算が脈打っていた。
すべては順調。
計画は完璧だと思っていた。
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