主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
【甘い檻の中での密事】
夜の帳(とばり)が完全に宮廷を包み込み、新王国の誕生を祝う喧騒が遠い幻のように消え去った頃。王弟殿下の私室、その重厚な扉の鍵が「カチャリ」と内側から閉じられた。
そこは世界で一番甘く、狭い、アルヴィーノとルミだけの閉ざされた聖域。
昼間、数百人もの貴族たちの冷徹な視線を受け流しながら、新王妃エルザのドレスの裾を毅然と持ち続けたルミは、部屋に入った途端に、張り詰めていた緊張の糸が切れてへなへなと床に崩れそうになった。
「よく頑張りましたね、私の可愛いお姫様」
背後から、低く、酷く熱を孕んだ声が鼓膜を揺らす。
倒れ込むよりも早く、アルヴィーノの長い腕がルミの細い身体をそっと抱きすくめていた。
漆黒の軍服はすでに脱ぎ捨てられ、白いシルクシャツ一枚になった彼の体温は、驚くほどに熱い。
「今すぐこの腕で拐(さら)ってしまいたいという狂おしいほどの独占欲を抑えるのが、どれほど苦痛だったか……。昼間の貴方は、誰よりも気高く、美しかった」
飢えた獣のようにルミの首筋に顔を埋め、その甘い体温を深く吸い込むアルヴィーノ。
ルミは顔を真っ赤に染めながらも、心地よい重みに身を委ね、その逞しい首に細い両腕を回した。
だが。
ルミを羽毛のように容易く抱き上げ、大きなベッドへと横たえた瞬間、アルヴィーノの動きがぴたりと止まった。
いつもなら、すべてを支配するような冷徹な微笑みを浮かべるはずの軍師が、いま、酷く困惑したようにその端正な顔を強張らせている。
「アルヴィーノ、様……?」
ルミが水色の瞳を瞬かせ、不安げに主(あるじ)を見上げた。
無理もない。アルヴィーノの切れ長の紫の瞳は、ルミを捉えたまま、見たこともないほど微かに、けれど確かに戦慄(わなな)いていたからだ。
全属性の攻撃系魔法に長け、禁術である極大魔法すら無詠唱で構築する天才、アルヴィーノ・レイストール。他人の命を駒としか思わず、戦場を冷酷に統治してきた男が、今、目の前にある「25cm小さな身体」を前にして、完全に立ち往生していた。
(……わからない)
胸の奥で、冷や汗が流れるような無力感が広がっていく。
アルヴィーノはこれまで、他人との深い関わりを一切断絶して生きてきた。
ましてや、地獄の底から拾い上げたこの美しい少年と、恋仲を通り越し、魂を分かち合う「夫婦」になるなど、かつての彼には想像すらできなかったことだ。
当然、男女の情愛はおろか、少年を相手にする「夜の営み」の作法など、彼の頭脳には1ミリの蓄積もなかった。
手首を少し強く掴めば、それだけで折れてしまいそうなほど、ルミは小さく、儚い。
衣服の隙間から覗く白い肌には、かつて研究所で刻まれた非道な実験の傷痕が、いまだ淡く残っている。
(この子を、私の身勝手な欲望で傷つけるわけにはいかない。髪の毛一筋ほどの痛みすら、与えることは許されない)
戦術の組み立てなら、万通りの手を一瞬で導き出せる。だが、この小さな愛しい存在を「傷つけずに愛する術」だけは、世界のどこの難解な魔導書にも記されていなかった。
実は、この初夜を迎えるにあたり、アルヴィーノは密かに常軌を逸した行動に出に出ていた。
軍事ギルドの最高機密が並ぶ本棚の奥に、異国の医学書や、秘匿された夜の書物をうず高く積み上げ、徹夜で読み漁ったのだ。
ページをめくる彼の眼差しは、他国を滅ぼす作戦を練る時よりも鋭く、そして切実だった。
しかし、文字の知識は、実践の恐怖を煽るだけでしかなかった。
焦燥の極みに達したアルヴィーノは、数日前、ついにプライドをすべて泥に投げ捨て、深夜の国王執務室へと足を運んでさえいた。
『……アルフレッド。お前に聞きたいことがある』
『何だい、夜更けに。国をもう一つ滅ぼす算段かな?』
『エルザと……その、初めての夜、お前はどのようにして彼女の「痛み」を逃がした』
いつもの皮肉を言う余裕もなく、呪詛のように低い声で問い詰める弟。
驚愕のあまりペンを落としたアルフレッドだったが、弟の紫の瞳が「本気の狂気と切実さ」に満ちているのを見て、すべてを察し、静かに微笑んだ。
『……あのね、アルヴィーノ。力で組み伏せる戦場とは違うんだ。大事なのは、教科書通りの正解じゃない。相手の声を聴くこと。それだけだよ』
嫌悪していたはずの兄の、けれど「本物の伴侶」を得た男の言葉が、いまベッドの上でリフレループのように脳内に響く。
「ルミ、私は……」
アルヴィーノの大きな手が、シーツに広がるルミの水色の長い髪に触れた。
その指先が、目に見えて震えている。
神をも恐れぬ魔王が、愛する者の肌に触れることすら、怖れて立ちすくんでいるのだ。
その迷いと、自分を大切にしようとするが故の「怯え」を、ルミの野生の直感が見逃すはずはなかった。
ルミは、ベッドの上で小さく身体を起こすと、自分の細い左手を、アルヴィーノの大きな掌へとそっと重ねた。
その瞬間、昼間は周囲の目を欺くために安物の銀細工に見せかけていた二人の薬指の指輪が、魔法の軛(くびき)を解かれ、暗闇の中で深海のような清らかな青を放った。
互いの魂が共鳴するように、強く、優しく明滅する『星涙石』の灯火。
「王子様、こわがらないで」
ルミは、透き通るような水色の瞳で、アルヴィーノの瞳を真っ直ぐに見つめた。
そこには、恐怖も、戸惑いも一切ない。ただ、濁りのない100%の信頼と愛だけが満ちていた。
「俺ね、痛くても、王子様が触ってくれるなら、全部うれしいよ?……でもね、王子様がそんなに苦しそうな顔をするなら、俺、お勉強したことなんて、しなくてもいい」
ルミはふにゃりと、世界で一番あざとく、そして慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「ただこうやって、ぎゅって抱っこして。俺の心臓の音がトクトク不公平なくらい速いのを聞いて。……それでね、お名前を呼んでくれるだけでも、俺は世界一しあわせなんだよ?」
その言葉が、アルヴィーノの耳から脳へ、そして硬く凍りついていた理性の芯へと染み渡っていく。
ハッと息を呑み、アルヴィーノは自嘲気味に、けれどこの上なく愛おしそうに眉を下げた。
(ああ、私はどうかしていた……)
冷徹なる軍師としたことが、形ばかりの「正解」に囚われ、本質を見失っていた。
自分たちは、すでに互いの命をかけ合い、世界を敵に回し、血と泥の地獄を乗り越えてここに辿り着いたのだ。
今更、書物に書かれた肉体の繋がりだけで、これ以上の絆が証明できるはずもない。
「……敵いませんね。本当に、貴方は私を簡単に狂わせる」
アルヴィーノは、今度は震えることなく、愛おしさに身を任せてルミを強く、強くその腕の中に抱きすくめた。
ルミの細い身体が、アルヴィーノの大きな胸の中にすっぽりと収まる。
トクトクと速いお互いの心臓の音が、薄いシルク越しにぴったりと重なり合い、心地よいリズムを刻み始める。
体の繋がりが、全てではない。
ただ互いの体温を感じ、生きて隣にいることを確かめ合う。それだけで、この冷酷な世界に作られた「甘い檻」は、何物にも侵せない絶対の聖域となるのだ。
「ルミ。私の愛しい、たった一つの光」
暗闇の中、星涙石の青い光に照らされながら、アルヴィーノはルミの薬指の付け根に、狂おしいほどの熱を込めて深い愛の証(くちづけ)を刻んだ。
「今夜はもう、貴方を一歩もこの腕から出しませんよ。朝が来るまで、何度でも貴方の名前を呼び、私の愛を囁き続けましょう」
「うん……アルヴィーノ様、だいすき」
顔を真っ赤に染めたルミが、今度はその逞しい首に、遠慮なくぎゅっと細い腕を絡ませる。
誰の目にも触れない、世界で一番幸せな「終わらないハッピーエンド」の夜。
二人は、重ね合わせた唇から伝わる温もりだけで、永遠の誓いを静かに、深く、確かめ合うのだった。
夜の帳(とばり)が完全に宮廷を包み込み、新王国の誕生を祝う喧騒が遠い幻のように消え去った頃。王弟殿下の私室、その重厚な扉の鍵が「カチャリ」と内側から閉じられた。
そこは世界で一番甘く、狭い、アルヴィーノとルミだけの閉ざされた聖域。
昼間、数百人もの貴族たちの冷徹な視線を受け流しながら、新王妃エルザのドレスの裾を毅然と持ち続けたルミは、部屋に入った途端に、張り詰めていた緊張の糸が切れてへなへなと床に崩れそうになった。
「よく頑張りましたね、私の可愛いお姫様」
背後から、低く、酷く熱を孕んだ声が鼓膜を揺らす。
倒れ込むよりも早く、アルヴィーノの長い腕がルミの細い身体をそっと抱きすくめていた。
漆黒の軍服はすでに脱ぎ捨てられ、白いシルクシャツ一枚になった彼の体温は、驚くほどに熱い。
「今すぐこの腕で拐(さら)ってしまいたいという狂おしいほどの独占欲を抑えるのが、どれほど苦痛だったか……。昼間の貴方は、誰よりも気高く、美しかった」
飢えた獣のようにルミの首筋に顔を埋め、その甘い体温を深く吸い込むアルヴィーノ。
ルミは顔を真っ赤に染めながらも、心地よい重みに身を委ね、その逞しい首に細い両腕を回した。
だが。
ルミを羽毛のように容易く抱き上げ、大きなベッドへと横たえた瞬間、アルヴィーノの動きがぴたりと止まった。
いつもなら、すべてを支配するような冷徹な微笑みを浮かべるはずの軍師が、いま、酷く困惑したようにその端正な顔を強張らせている。
「アルヴィーノ、様……?」
ルミが水色の瞳を瞬かせ、不安げに主(あるじ)を見上げた。
無理もない。アルヴィーノの切れ長の紫の瞳は、ルミを捉えたまま、見たこともないほど微かに、けれど確かに戦慄(わなな)いていたからだ。
全属性の攻撃系魔法に長け、禁術である極大魔法すら無詠唱で構築する天才、アルヴィーノ・レイストール。他人の命を駒としか思わず、戦場を冷酷に統治してきた男が、今、目の前にある「25cm小さな身体」を前にして、完全に立ち往生していた。
(……わからない)
胸の奥で、冷や汗が流れるような無力感が広がっていく。
アルヴィーノはこれまで、他人との深い関わりを一切断絶して生きてきた。
ましてや、地獄の底から拾い上げたこの美しい少年と、恋仲を通り越し、魂を分かち合う「夫婦」になるなど、かつての彼には想像すらできなかったことだ。
当然、男女の情愛はおろか、少年を相手にする「夜の営み」の作法など、彼の頭脳には1ミリの蓄積もなかった。
手首を少し強く掴めば、それだけで折れてしまいそうなほど、ルミは小さく、儚い。
衣服の隙間から覗く白い肌には、かつて研究所で刻まれた非道な実験の傷痕が、いまだ淡く残っている。
(この子を、私の身勝手な欲望で傷つけるわけにはいかない。髪の毛一筋ほどの痛みすら、与えることは許されない)
戦術の組み立てなら、万通りの手を一瞬で導き出せる。だが、この小さな愛しい存在を「傷つけずに愛する術」だけは、世界のどこの難解な魔導書にも記されていなかった。
実は、この初夜を迎えるにあたり、アルヴィーノは密かに常軌を逸した行動に出に出ていた。
軍事ギルドの最高機密が並ぶ本棚の奥に、異国の医学書や、秘匿された夜の書物をうず高く積み上げ、徹夜で読み漁ったのだ。
ページをめくる彼の眼差しは、他国を滅ぼす作戦を練る時よりも鋭く、そして切実だった。
しかし、文字の知識は、実践の恐怖を煽るだけでしかなかった。
焦燥の極みに達したアルヴィーノは、数日前、ついにプライドをすべて泥に投げ捨て、深夜の国王執務室へと足を運んでさえいた。
『……アルフレッド。お前に聞きたいことがある』
『何だい、夜更けに。国をもう一つ滅ぼす算段かな?』
『エルザと……その、初めての夜、お前はどのようにして彼女の「痛み」を逃がした』
いつもの皮肉を言う余裕もなく、呪詛のように低い声で問い詰める弟。
驚愕のあまりペンを落としたアルフレッドだったが、弟の紫の瞳が「本気の狂気と切実さ」に満ちているのを見て、すべてを察し、静かに微笑んだ。
『……あのね、アルヴィーノ。力で組み伏せる戦場とは違うんだ。大事なのは、教科書通りの正解じゃない。相手の声を聴くこと。それだけだよ』
嫌悪していたはずの兄の、けれど「本物の伴侶」を得た男の言葉が、いまベッドの上でリフレループのように脳内に響く。
「ルミ、私は……」
アルヴィーノの大きな手が、シーツに広がるルミの水色の長い髪に触れた。
その指先が、目に見えて震えている。
神をも恐れぬ魔王が、愛する者の肌に触れることすら、怖れて立ちすくんでいるのだ。
その迷いと、自分を大切にしようとするが故の「怯え」を、ルミの野生の直感が見逃すはずはなかった。
ルミは、ベッドの上で小さく身体を起こすと、自分の細い左手を、アルヴィーノの大きな掌へとそっと重ねた。
その瞬間、昼間は周囲の目を欺くために安物の銀細工に見せかけていた二人の薬指の指輪が、魔法の軛(くびき)を解かれ、暗闇の中で深海のような清らかな青を放った。
互いの魂が共鳴するように、強く、優しく明滅する『星涙石』の灯火。
「王子様、こわがらないで」
ルミは、透き通るような水色の瞳で、アルヴィーノの瞳を真っ直ぐに見つめた。
そこには、恐怖も、戸惑いも一切ない。ただ、濁りのない100%の信頼と愛だけが満ちていた。
「俺ね、痛くても、王子様が触ってくれるなら、全部うれしいよ?……でもね、王子様がそんなに苦しそうな顔をするなら、俺、お勉強したことなんて、しなくてもいい」
ルミはふにゃりと、世界で一番あざとく、そして慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「ただこうやって、ぎゅって抱っこして。俺の心臓の音がトクトク不公平なくらい速いのを聞いて。……それでね、お名前を呼んでくれるだけでも、俺は世界一しあわせなんだよ?」
その言葉が、アルヴィーノの耳から脳へ、そして硬く凍りついていた理性の芯へと染み渡っていく。
ハッと息を呑み、アルヴィーノは自嘲気味に、けれどこの上なく愛おしそうに眉を下げた。
(ああ、私はどうかしていた……)
冷徹なる軍師としたことが、形ばかりの「正解」に囚われ、本質を見失っていた。
自分たちは、すでに互いの命をかけ合い、世界を敵に回し、血と泥の地獄を乗り越えてここに辿り着いたのだ。
今更、書物に書かれた肉体の繋がりだけで、これ以上の絆が証明できるはずもない。
「……敵いませんね。本当に、貴方は私を簡単に狂わせる」
アルヴィーノは、今度は震えることなく、愛おしさに身を任せてルミを強く、強くその腕の中に抱きすくめた。
ルミの細い身体が、アルヴィーノの大きな胸の中にすっぽりと収まる。
トクトクと速いお互いの心臓の音が、薄いシルク越しにぴったりと重なり合い、心地よいリズムを刻み始める。
体の繋がりが、全てではない。
ただ互いの体温を感じ、生きて隣にいることを確かめ合う。それだけで、この冷酷な世界に作られた「甘い檻」は、何物にも侵せない絶対の聖域となるのだ。
「ルミ。私の愛しい、たった一つの光」
暗闇の中、星涙石の青い光に照らされながら、アルヴィーノはルミの薬指の付け根に、狂おしいほどの熱を込めて深い愛の証(くちづけ)を刻んだ。
「今夜はもう、貴方を一歩もこの腕から出しませんよ。朝が来るまで、何度でも貴方の名前を呼び、私の愛を囁き続けましょう」
「うん……アルヴィーノ様、だいすき」
顔を真っ赤に染めたルミが、今度はその逞しい首に、遠慮なくぎゅっと細い腕を絡ませる。
誰の目にも触れない、世界で一番幸せな「終わらないハッピーエンド」の夜。
二人は、重ね合わせた唇から伝わる温もりだけで、永遠の誓いを静かに、深く、確かめ合うのだった。
