主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

深夜、王宮を昼間から夕刻にかけて揺るがし続けていた祝祭の喧騒は、分厚い大理石の石壁の向こうへと完全に遠ざかり、深い静寂の海へと沈んでいた。
窓外には、新王国の誕生を祝福するかのような満天の星空がどこまでも静かに広がっており、冷たい月光が、主を失ったテラスを白銀色に濡らしている。
カチャリ、と静かに、けれど明確な境界線を引くようにドアの鍵が閉まる音が、室内に心地よい終わりの合図を告げた。
その瞬間、部屋を包む空気は、張り詰めた宮廷のそれから、世界で一番甘く、狭い、二人だけのものへと変貌を遂げる。

「――おわったぁ……」

部屋の奥へと入った瞬間、ルミは今日一日、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れたように、その場にへなへなと崩れ落ちそうになった。
仕立の良い天青色のカッチリとした礼服は、新王妃の側近としての威厳を保つために一分の隙もなく着こなされていたが、今のルミにはあまりにも重すぎた。
細い指先で襟元を少しだけ緩め、熱を帯びた水色の瞳を潤ませてアルヴィーノを見上げる。
昼間、何百人もの高位貴族たちの冷徹な視線や好奇の目に晒されながら、新王妃エルザの長く美しいドレスの裾を寸分の乱れもなく持ち続けていたのだ。
その小さな身体が背負っていた疲労と精神的な重圧は、計り知れない。
そんな、今にも折れてしまいそうな愛しい少年の身体を、背後から滑り込んできた長い両腕が、そっと、けれど決して逃がさないという強い意志を込めて、優しく抱きすくめた。
衣服の重なる擦れ合う音が、静まり返った室内に微かに響く。
今朝まで纏っていた、あの眩いばかりの純白の礼服の上着は、すでに寝室の椅子へと投げ捨てられている。
薄手の、肌が微かに透けるような白いシルクのシャツ一枚になったアルヴィーノの胸板は、驚くほど熱く、そして確かだった。

「わ、わっ……アルヴィーノ様? 急に抱きついたら、びっくりするよ……!」
「本当によく頑張りましたね、ルミ。……昼間の貴方は、大聖堂の誰よりも気高く、そして美しかった。壁際で貴方のその一挙一動を見つめながら、込み上げる誇らしさと……それから、周囲の不躾な視線から貴方を隠し、今すぐこの腕で拐ってしまいたいという狂おしいほどの独占欲を抑えるのが、どれほど苦痛だったか」

アルヴィーノはルミの細い首筋に顔を埋め、ふわりと髪から香る白百合の残香と、ルミ自身の甘く瑞々しい体温を、飢えた獣のように深く、深く吸い込んだ。
いつもなら他国との交渉や軍務の場で、氷のように冷徹な響きを帯びる彼の声音が、今は蜂蜜よりも甘く、熱く、とろけるような情愛を孕んで、ルミの耳朶を震わせる。

「あはは……。俺も、ずっとアルヴィーノ様のこと見てたよ? どんなに怖い顔をして周りを警戒していても、俺と目が合った瞬間だけ、すっごく優しい目になるんだもん。……『早く帰ろう』って、心が言っているのが、俺には全部分かっちゃった」

ルミは首筋にくすぐったい吐息を吹きかけられて身を竦めながらも、その心地よさに身を委ねるように、アルヴィーノの広い胸へと完全に小さな身体を預けた。
アルヴィーノはルミを羽毛のように容易く腕の中に抱き上げると、長い足取りでゆっくりと歩み、部屋の奥に佇む、深いベルベットのソファへと二人で深く腰掛けた。
ルミの身体を自身の膝の上に抱き乗せたまま、その細い左手を、手袋を外した大きな素手でそっと包み込む。

「ルミ、貴方の左手を見せてください」
「ん……? はい、どうぞ」

言われるがままにルミが差し出した、白くしなやかな左手。
昼間の祝祭の最中は、周囲の貴族たちの目を欺くために「ありふれた安物の銀細工」へと姿を変えていたその薬指の指輪が、アルヴィーノの指先が触れた瞬間、カチリと魔法の軛が解けるように、本来の神聖な姿を現した。
窓から差し込む月光をその身に集めたかのように、内側から深海のような昏く、そしてどこまでも清らかな青を放つ『星涙石(せいるいせき)』。
そして、アルヴィーノの大きな左手の薬指にも、全く同じ、深く美しい一対の青い輝きが宿っていた。
暗闇の中で、二つの青い光が互いに共鳴するように、微かに、けれど強く明滅している。

「……綺麗。昨日、あんなに真っ暗な大聖堂で二人だけで誓い合ったのに……俺、なんだかまだ夢を見ているみたいで、胸がふわふわするの」

ルミが自分の薬指に嵌まる青い輝きを、愛おしそうに、そしてどこか信じられないといった様子で見つめていると、アルヴィーノはその小さな手をそっと引き寄せた。
そして、指輪の嵌まった薬指の付け根、血管が微かに透けるその白い肌へ、そっと、狂おしいほどの熱を込めて、深い愛の証を刻むように唇を寄せた。

「夢ではありませんよ、私の唯一。貴方は私の伴侶であり、私は貴方のものだ。神の前で、そして兄たちの前で、それは絶対の真実となった。……明日になれば、私たちは再び、表舞台では冷徹な『王弟殿下・軍師』と、それに仕える『健気な従者』という仮面を被らねばなりません。ですが――」

アルヴィーノは一度言葉を区切ると、ルミの手を握ったまま、顔を近づけた。
長めの前髪の隙間から覗く紫の瞳が、至近距離でルミの水色の瞳を真っ直ぐに射抜く。
そこにあるのは、世界中の誰にも、実の兄にさえも見せたことのない、ルミのためだけに用意された、最高に甘く、狂おしいほどに溺れた笑みだった。

「この部屋の鍵を閉め、二人きりになった瞬間、私たちは世界で一番自由で、お互いの存在だけを貪り合う恋人同士、いいえ、夫婦です。主と従者という檻……それは、私たちが世界から隠れ、誰にも邪魔されずに愛し合うために、私たちが自ら選んだ最高の聖域なのですから」

アルヴィーノの大きな手が、ルミの細い腰をぐっと引き寄せ、二人の胸が隙間なくぴったりと合わさる。
衣服が擦れるたび、懐かしいお茶の匂いと、お互いの心臓の、トクトクと速くなる鼓動の音が重なり合って室内に響いた。

「ねえ、ルミ。今夜はもう、貴方を一歩もこの腕から、ベッドから出しませんよ? 昼間、たくさん頑張った可愛いお嫁さんは、今夜はずーっと私の腕の中で休んでもらいますからね」
「えへへ……うんっ……」

ルミは顔を耳の裏まで真っ赤に染め、恥ずかしさに消え入りそうな声を出しながらも、拒むことなど微塵もせず、アルヴィーノの逞しい首にその細い両腕をそっと回した。
昨夜、誰もいない大聖堂で交わした、四人だけの秘密の誓い。
今日、新王たちが掴み取った、この国の輝かしい未来。
それらすべての祝福が、今、この閉ざされた空間の中で、二人だけの熱となって溶け合っていく。
血と硝煙に塗られた王宮の片隅、誰の目にも触れない、主と従者の甘い檻の中。
純白の魔王と天青の少年は、もう二度と、何があっても離れないことを確かめ合うように、世界で一番幸せな、終わらないハッピーエンドの口づけを、静かに、そして深く交わすのだった。



【Fin】
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