主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
前夜の静寂が嘘のようにレイストール王国の朝は、地響きのような大歓声と共に明けた。
五月の爽やかな風が、新緑の匂いを乗せて王都の目抜き通りを駆け抜けていく。
雲一つない天青色の空には、新王アルフレッドの誕生と、彼の新たな伴侶となるエルザ・ローゼンタール公爵令嬢の婚約を祝う、金糸の刺繍が施された巨大なバナーが何百枚と翻っていた。
王宮の正門前には、一目新王の姿を拝もうと、国中から集まった大勢の平民たちがひしめき合い、その熱気は文字通り街全体を揺るがしている。
かつてヴァレンティ家の恐怖政治に怯え、息を潜めていた国民たちにとって、この日は単なる王族の慶事ではなく、国が本当の意味で「新しく生まれ変わる」という、救いそのものの儀式だった。
大聖堂の控え室。
昨日までの「準備期間」のバタバタとした空気から一転し、そこには厳粛な、そしてどこか誇らしい空気が満ちていた。
「――完璧ですよ。これ以上ないほど、我が国の威信を示すにふさわしい姿です」
姿見の前に立つアルフレッドの背後から、いつもの「漆黒の軍服」に身を包んだアルヴィーノが、鋭い紫の瞳を細めて声をかけた。
今日のアルフレッドが纏うのは、新王の正装。
深海のような濃紺のベルベットの王衣に、王家の象徴である純金の肩飾りが鈍い光を放っている。
そして、その頭上には、ヴァレンティの血で汚された過去をすべて洗い流し、新しく鍛え直された「不屈の王冠」が厳かに戴かれていた。
昨夜、ルミの前で「純白」に染まっていた男は、今日、再び冷徹な「魔王の軍師」の仮面を完璧に貼り付け、腰の軍刀の柄に手を置いている。
だが、その左手の薬指に嵌められた『星涙石』の指輪は、手袋の厚い生地の下で、確かにアルヴィーノの肌に、昨夜の甘い誓いの熱を伝え続けていた。
「ありがとう、アルヴィーノ。……君が外周の警備を完璧にこなしてくれているから、僕は安心してこの重い王冠を被っていられる」
アルフレッドはふっと笑い、右手をそっと胸に当てた。
昨日、エルザに温めてもらったその右手には、もう一切の震えはなかった。
その時、控え室の重厚な扉が静かに開き、今日の「主役」の一人が姿を現した。
「――アルフレッド様。お待たせいたしました」
その声に、室内のすべての視線が釘付けになる。
現れたエルザ・ローゼンタールの姿は、まさに北国の凍てつく大地から奇跡のように咲き誇った「白百合の女王」そのものだった。
純白のウェディングドレスを思わせる、最高級のシルクとサテンで仕立てられた婚礼衣装。
その裾には、ローゼンタール家の象徴である白百合の刺繍が、何万粒もの極小の真珠によって立体的に描き出されている。
編み込まれたプラチナブロンドの髪には、王妃の証となるエメラルドのティアラが月光のような気高さを放ち、彼女の澄んだエメラルドグリーンの瞳を、よりいっそう深く輝かせていた。
華美でギラギラとした、かつてのエレオノーラのような下品さは一切ない。
そこにあるのは、圧倒的な気品と、王の隣で孤独を分かち合うと決めた女性の、ちゃんとした「覚悟」の美しさだった。
「エルザ……。本当に、美しいよ」
アルフレッドが、息を呑みながら彼女の元へ歩み寄り、その手を取る。
「ありがとうございます、陛下。……ですが、この衣装がこれほど映えるのは、素晴らしい『案内人』が、私の手元を支えてくれたからですわ」
エルザが優しく微笑み、自身の背後を振り返る。
そこには、今日の公式な儀式のために、仕立ての良い「王宮従事者」の天青色の礼服をビシッと着こなした、ルミの姿があった。
「あ……。アルフレッド様、エルザ様、本当におめでとうございます……っ」
ルミは緊張で顔を少し上気させながらも、両手でしっかりと、エルザの長く美しいドレスのトレーンを抱えていた。
今日のルミの役割は、公的な「国王妃の側近従者」。
身分を超えてエルザに信頼されたルミは、歴史の表舞台で、彼女の最も近くでその歩みを支える大役を任されていたのだ。
ルミのその立派な姿を見た瞬間、アルヴィーノの紫の瞳に、ほんの一瞬だけ、世界を溶かすような極上の笑みが浮かんだ。
(……ああ、私のルミが、なんと誇らしく、愛らしい姿か。あのように立派に大役を果たして……)
軍師殿下の頭の中が秒で愛しい婚約者で染まったのを察知し、アルフレッドは苦笑して首を振った。
「コホン。……さあ、いこうか、みんな。僕たちの新しい国の、始まりだ」
正午の鐘が王都に鳴り響くと同時に、大聖堂の巨大な扉が左右へと堂々に開かれた。
パイプオルガンの重厚で、地響きのような祝福の旋律が大聖堂の広い空間を満たしていく。
天井のステンドグラスから降り注ぐ七色の光の中を、アルフレッドとエルザが、ゆっくりと、確かな一歩を刻みながらバージンロードを進んでいく。
その背後、エルザの純白の裾を、寸分の乱れもなく恭しく持ち上げて歩くルミ。
参列した国内外の数百人の高位貴族たちは、かつてヴァレンティ家が「ただの身分不相応な小僧」として見下していた少年が、今や新王妃の最も信頼する側近として、堂々とその歩みを支えている姿を目にして、静かに息を呑んだ。
もう、ルミを侮るような不敬な視線を向ける者は、この宮廷には一人も存在しなかった。
そして、大聖堂の壁際、最前列の警備位置には、微動だにせず立つアルヴィーノの姿があった。
彼の放つ圧倒的な魔力と威圧感は、参列する貴族たちへの無言の圧力となり、堂内を完璧な静謐で満たしている。
だが、その鋭い視線は、バージンロードを一生懸命に歩くルミの足元を、片時も離さず見守っていた。
祭壇の前へと辿り着き、アルフレッドとエルザが向き合う。
大司教が神聖な祝詞を読み上げ、二人が生涯の愛を誓う指輪を交換したその瞬間――大聖堂の外から、地鳴りのような国民の歓声が、ステンドグラスを震わせて響いてきた。
「――ここに、我が王国の新たなる王妃、エルザ・ローゼンタールを宣言する!」
アルフレッドがエルザの手を高く掲げ、大聖堂の参列者たちに向けて力強く告げた。
その瞬間、ドッと湧き上がる拍手と歓声。
貴族たちも、兵士たちも、誰もが新しい時代の到来を確信し、満面の笑みで二人に惜しみない賞賛を送り続けた。
祭壇のすぐ脇で、ドレスの裾を綺麗に整え終えたルミは、胸がいっぱいになり、水色の瞳から大粒の涙をポロポロと零していた。
(よかった……本当に、よかった……! アルフレッド様も、エルザ様も、あんなにキラキラしてて……)
涙で視界が滲む中、ルミがふと壁際に視線をやると、そこには、誰よりも激しい拍手をルミに向けて送っているアルヴィーノの姿があった。
アルヴィーノの唇が、周囲に聞こえないような微かな動きで、ルミにだけ伝わる言葉を紡ぐ。
『――よく頑張りましたね、私の可愛いお姫様』
その言葉の意味を理解した瞬間、ルミは涙を浮かべたまま、顔をリンゴのように真っ赤にして、けれど世界で一番嬉しそうに、コクンと小さく頷いた。
公的に世界を導く、アルフレッドとエルザの眩いばかりの光の婚礼。
そして、その光の影で、誰にも知られずに薬指を固く結び合った、アルヴィーノとルミの秘密の絆。
二組の王族が、それぞれの形で最愛の伴侶を得た王国は、今、血塗られた過去を完全に乗り越え、祝福に満ちた新時代へと、力強く、どこまでも美しく突き進んでいくのだった。
五月の爽やかな風が、新緑の匂いを乗せて王都の目抜き通りを駆け抜けていく。
雲一つない天青色の空には、新王アルフレッドの誕生と、彼の新たな伴侶となるエルザ・ローゼンタール公爵令嬢の婚約を祝う、金糸の刺繍が施された巨大なバナーが何百枚と翻っていた。
王宮の正門前には、一目新王の姿を拝もうと、国中から集まった大勢の平民たちがひしめき合い、その熱気は文字通り街全体を揺るがしている。
かつてヴァレンティ家の恐怖政治に怯え、息を潜めていた国民たちにとって、この日は単なる王族の慶事ではなく、国が本当の意味で「新しく生まれ変わる」という、救いそのものの儀式だった。
大聖堂の控え室。
昨日までの「準備期間」のバタバタとした空気から一転し、そこには厳粛な、そしてどこか誇らしい空気が満ちていた。
「――完璧ですよ。これ以上ないほど、我が国の威信を示すにふさわしい姿です」
姿見の前に立つアルフレッドの背後から、いつもの「漆黒の軍服」に身を包んだアルヴィーノが、鋭い紫の瞳を細めて声をかけた。
今日のアルフレッドが纏うのは、新王の正装。
深海のような濃紺のベルベットの王衣に、王家の象徴である純金の肩飾りが鈍い光を放っている。
そして、その頭上には、ヴァレンティの血で汚された過去をすべて洗い流し、新しく鍛え直された「不屈の王冠」が厳かに戴かれていた。
昨夜、ルミの前で「純白」に染まっていた男は、今日、再び冷徹な「魔王の軍師」の仮面を完璧に貼り付け、腰の軍刀の柄に手を置いている。
だが、その左手の薬指に嵌められた『星涙石』の指輪は、手袋の厚い生地の下で、確かにアルヴィーノの肌に、昨夜の甘い誓いの熱を伝え続けていた。
「ありがとう、アルヴィーノ。……君が外周の警備を完璧にこなしてくれているから、僕は安心してこの重い王冠を被っていられる」
アルフレッドはふっと笑い、右手をそっと胸に当てた。
昨日、エルザに温めてもらったその右手には、もう一切の震えはなかった。
その時、控え室の重厚な扉が静かに開き、今日の「主役」の一人が姿を現した。
「――アルフレッド様。お待たせいたしました」
その声に、室内のすべての視線が釘付けになる。
現れたエルザ・ローゼンタールの姿は、まさに北国の凍てつく大地から奇跡のように咲き誇った「白百合の女王」そのものだった。
純白のウェディングドレスを思わせる、最高級のシルクとサテンで仕立てられた婚礼衣装。
その裾には、ローゼンタール家の象徴である白百合の刺繍が、何万粒もの極小の真珠によって立体的に描き出されている。
編み込まれたプラチナブロンドの髪には、王妃の証となるエメラルドのティアラが月光のような気高さを放ち、彼女の澄んだエメラルドグリーンの瞳を、よりいっそう深く輝かせていた。
華美でギラギラとした、かつてのエレオノーラのような下品さは一切ない。
そこにあるのは、圧倒的な気品と、王の隣で孤独を分かち合うと決めた女性の、ちゃんとした「覚悟」の美しさだった。
「エルザ……。本当に、美しいよ」
アルフレッドが、息を呑みながら彼女の元へ歩み寄り、その手を取る。
「ありがとうございます、陛下。……ですが、この衣装がこれほど映えるのは、素晴らしい『案内人』が、私の手元を支えてくれたからですわ」
エルザが優しく微笑み、自身の背後を振り返る。
そこには、今日の公式な儀式のために、仕立ての良い「王宮従事者」の天青色の礼服をビシッと着こなした、ルミの姿があった。
「あ……。アルフレッド様、エルザ様、本当におめでとうございます……っ」
ルミは緊張で顔を少し上気させながらも、両手でしっかりと、エルザの長く美しいドレスのトレーンを抱えていた。
今日のルミの役割は、公的な「国王妃の側近従者」。
身分を超えてエルザに信頼されたルミは、歴史の表舞台で、彼女の最も近くでその歩みを支える大役を任されていたのだ。
ルミのその立派な姿を見た瞬間、アルヴィーノの紫の瞳に、ほんの一瞬だけ、世界を溶かすような極上の笑みが浮かんだ。
(……ああ、私のルミが、なんと誇らしく、愛らしい姿か。あのように立派に大役を果たして……)
軍師殿下の頭の中が秒で愛しい婚約者で染まったのを察知し、アルフレッドは苦笑して首を振った。
「コホン。……さあ、いこうか、みんな。僕たちの新しい国の、始まりだ」
正午の鐘が王都に鳴り響くと同時に、大聖堂の巨大な扉が左右へと堂々に開かれた。
パイプオルガンの重厚で、地響きのような祝福の旋律が大聖堂の広い空間を満たしていく。
天井のステンドグラスから降り注ぐ七色の光の中を、アルフレッドとエルザが、ゆっくりと、確かな一歩を刻みながらバージンロードを進んでいく。
その背後、エルザの純白の裾を、寸分の乱れもなく恭しく持ち上げて歩くルミ。
参列した国内外の数百人の高位貴族たちは、かつてヴァレンティ家が「ただの身分不相応な小僧」として見下していた少年が、今や新王妃の最も信頼する側近として、堂々とその歩みを支えている姿を目にして、静かに息を呑んだ。
もう、ルミを侮るような不敬な視線を向ける者は、この宮廷には一人も存在しなかった。
そして、大聖堂の壁際、最前列の警備位置には、微動だにせず立つアルヴィーノの姿があった。
彼の放つ圧倒的な魔力と威圧感は、参列する貴族たちへの無言の圧力となり、堂内を完璧な静謐で満たしている。
だが、その鋭い視線は、バージンロードを一生懸命に歩くルミの足元を、片時も離さず見守っていた。
祭壇の前へと辿り着き、アルフレッドとエルザが向き合う。
大司教が神聖な祝詞を読み上げ、二人が生涯の愛を誓う指輪を交換したその瞬間――大聖堂の外から、地鳴りのような国民の歓声が、ステンドグラスを震わせて響いてきた。
「――ここに、我が王国の新たなる王妃、エルザ・ローゼンタールを宣言する!」
アルフレッドがエルザの手を高く掲げ、大聖堂の参列者たちに向けて力強く告げた。
その瞬間、ドッと湧き上がる拍手と歓声。
貴族たちも、兵士たちも、誰もが新しい時代の到来を確信し、満面の笑みで二人に惜しみない賞賛を送り続けた。
祭壇のすぐ脇で、ドレスの裾を綺麗に整え終えたルミは、胸がいっぱいになり、水色の瞳から大粒の涙をポロポロと零していた。
(よかった……本当に、よかった……! アルフレッド様も、エルザ様も、あんなにキラキラしてて……)
涙で視界が滲む中、ルミがふと壁際に視線をやると、そこには、誰よりも激しい拍手をルミに向けて送っているアルヴィーノの姿があった。
アルヴィーノの唇が、周囲に聞こえないような微かな動きで、ルミにだけ伝わる言葉を紡ぐ。
『――よく頑張りましたね、私の可愛いお姫様』
その言葉の意味を理解した瞬間、ルミは涙を浮かべたまま、顔をリンゴのように真っ赤にして、けれど世界で一番嬉しそうに、コクンと小さく頷いた。
公的に世界を導く、アルフレッドとエルザの眩いばかりの光の婚礼。
そして、その光の影で、誰にも知られずに薬指を固く結び合った、アルヴィーノとルミの秘密の絆。
二組の王族が、それぞれの形で最愛の伴侶を得た王国は、今、血塗られた過去を完全に乗り越え、祝福に満ちた新時代へと、力強く、どこまでも美しく突き進んでいくのだった。
