主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
王宮の重厚な石造りの回廊には、数日前までの凍てつくような沈黙が嘘のように、活気に満ちた喧騒が響き渡っていた。
かつてはヴァレンティ家の傲慢な影に怯え、足音を忍ばせていた使用人たちが、今は色鮮やかな天青色のバナーを掲げ、あるいは銀の食器を磨き上げる小気味よい音を奏でている。新王アルフレッドの婚約という「希望」が、死んでいた王宮に再び確かな拍動を刻み始めていた。
その喧騒の中心、大聖堂へと続く大広間で、ルミは文字通り「天青の疾風」となって駆け回っていた。
「わ、わっ、そっちの白百合の鉢植え、もう少し右だよ! アルフレッド様の瞳から見える角度が一番綺麗になるようにって、エルザ様が言ってたもん!」
ルミは水色の髪を揺らし、袖を捲り上げた腕に抱えきれないほどの白百合の花束を抱えていた。
その鼻先には、いつの間にか白い花粉がちょんとついていて、忙しなく動くたびに甘い香りが周囲に振り撒かれる。
本来、王族の婚約の儀の準備は、女官長や典礼官が厳格に仕切るものだ。
しかし、今回のエルザの希望により、ルミは「北方の白百合」の右腕として、現場の指揮を任されていた。
エルザは広場の中央に立ち、手元の大きな図面と、次々と運び込まれる装飾品を鋭い、けれど温かい眼差しで確認している。
「ルミさん、素晴らしいわ。貴方が配置してくれたあそこの青いリボン、光の反射でまるで泉のように見えます。……さあ、次は大聖堂の祭壇に供える『星の雫』の刺繍が入ったクロスを。あれは、貴方の手で広げてほしいのです」
「はいっ、エルザ様! 俺、すぐに取ってくるね!」
ルミは弾むような足取りで、エルザの元へと駆け寄る。
その瞳には、かつての怯えや卑屈さは微塵もなく、ただ「大切な人たちのために何かをしたい」という純粋な献身が、星のように輝いていた。
エルザは、そんなルミの額に滲んだ汗を自らのハンカチで優しく拭ってやった。
「ふふ、あまり無理をしないで。貴方が倒れてしまったら、アルヴィーノ殿下は世界を滅ぼしてしまいかねませんから」
「あはは……。でも、俺、すっごく楽しいんだ。このお城が、こんなに明るくて温かくなるなんて、思ってなかったから」
その二人の微笑ましい姿を、二階の回廊の影からじっと見つめている男がいた。
アルヴィーノだ。
彼は軍服の腕を組み、いつもの冷徹な仮面を貼り付けて、王宮全体の警備計画を記した羊皮紙を手にしていた。
周囲の衛兵たちは、軍師殿下の放つ凄まじい「殺気(警戒心)」に震え上がっていたが、当のアルヴィーノの視線は、下で白百合に囲まれて笑う水色の少年だけに固定されていた。
(……ルミの鼻に花粉がついている。今すぐ行って拭ってやりたい。だが、あの子は今、自分の足でこの国の新しい歴史を刻もうとしている)
アルヴィーノは自身の独占欲を強引に抑え込み、手元の警備図面に「不自然なほど緻密な」修正を加えた。
それは、もし万が一にもルミの足元が滑った時、即座に近衛兵がクッションとなって飛び込めるような、もはや警備の域を超えた過保護な配置図であった。
「――アルヴィーノ、顔が怖いよ。そんな顔で見ていたら、準備をしている連中が怯えて百合を枯らしてしまう」
背後から、フランクな、けれど王としての重みを増した声が響く。アルフレッドだ。
彼は執務の合間を縫って、弟の様子を見に来たのだ。
「陛下。……見ての通りです。貴方の婚約者が、私の唯一をこき使っています。これ以上の重労働は、我が国の安全保障に関わりますが」
「あはは、エルザに言っておくよ。……でも、見てごらん。二人とも、本当に楽しそうだ。この王宮に、本当の意味で『血ではない光』が戻ってきたんだ。それは、君とルミくんが僕を支えてくれたからこそ見られる景色だよ」
アルフレッドは包帯の巻かれた右手をそっと欄干に置き、眼下の光景を見つめた。
大聖堂の扉が開かれ、数千本の白百合が運び込まれていく。
その白と、新王国の色である天青色が混ざり合い、美しく、重厚なハーモニーを奏でている。
「アルヴィーノ。明日の夜、この光を全部落とした大聖堂で、四人だけで誓い合おう。……君が彼に贈る指輪、僕も楽しみにしているよ」
「……余計なお世話です、兄上」
アルヴィーノは不機嫌そうに顔を背けたが、その耳たぶは微かに赤く染まっていた。
軍師の冷徹な計算、王の不屈の覚悟、そして二人の「伴侶」が捧げる献身的な愛。
それらすべてが編み込まれ、停滞していた婚約の儀の準備は、今、最高潮の盛り上がりを見せて完成へと向かっていた。
かつてはヴァレンティ家の傲慢な影に怯え、足音を忍ばせていた使用人たちが、今は色鮮やかな天青色のバナーを掲げ、あるいは銀の食器を磨き上げる小気味よい音を奏でている。新王アルフレッドの婚約という「希望」が、死んでいた王宮に再び確かな拍動を刻み始めていた。
その喧騒の中心、大聖堂へと続く大広間で、ルミは文字通り「天青の疾風」となって駆け回っていた。
「わ、わっ、そっちの白百合の鉢植え、もう少し右だよ! アルフレッド様の瞳から見える角度が一番綺麗になるようにって、エルザ様が言ってたもん!」
ルミは水色の髪を揺らし、袖を捲り上げた腕に抱えきれないほどの白百合の花束を抱えていた。
その鼻先には、いつの間にか白い花粉がちょんとついていて、忙しなく動くたびに甘い香りが周囲に振り撒かれる。
本来、王族の婚約の儀の準備は、女官長や典礼官が厳格に仕切るものだ。
しかし、今回のエルザの希望により、ルミは「北方の白百合」の右腕として、現場の指揮を任されていた。
エルザは広場の中央に立ち、手元の大きな図面と、次々と運び込まれる装飾品を鋭い、けれど温かい眼差しで確認している。
「ルミさん、素晴らしいわ。貴方が配置してくれたあそこの青いリボン、光の反射でまるで泉のように見えます。……さあ、次は大聖堂の祭壇に供える『星の雫』の刺繍が入ったクロスを。あれは、貴方の手で広げてほしいのです」
「はいっ、エルザ様! 俺、すぐに取ってくるね!」
ルミは弾むような足取りで、エルザの元へと駆け寄る。
その瞳には、かつての怯えや卑屈さは微塵もなく、ただ「大切な人たちのために何かをしたい」という純粋な献身が、星のように輝いていた。
エルザは、そんなルミの額に滲んだ汗を自らのハンカチで優しく拭ってやった。
「ふふ、あまり無理をしないで。貴方が倒れてしまったら、アルヴィーノ殿下は世界を滅ぼしてしまいかねませんから」
「あはは……。でも、俺、すっごく楽しいんだ。このお城が、こんなに明るくて温かくなるなんて、思ってなかったから」
その二人の微笑ましい姿を、二階の回廊の影からじっと見つめている男がいた。
アルヴィーノだ。
彼は軍服の腕を組み、いつもの冷徹な仮面を貼り付けて、王宮全体の警備計画を記した羊皮紙を手にしていた。
周囲の衛兵たちは、軍師殿下の放つ凄まじい「殺気(警戒心)」に震え上がっていたが、当のアルヴィーノの視線は、下で白百合に囲まれて笑う水色の少年だけに固定されていた。
(……ルミの鼻に花粉がついている。今すぐ行って拭ってやりたい。だが、あの子は今、自分の足でこの国の新しい歴史を刻もうとしている)
アルヴィーノは自身の独占欲を強引に抑え込み、手元の警備図面に「不自然なほど緻密な」修正を加えた。
それは、もし万が一にもルミの足元が滑った時、即座に近衛兵がクッションとなって飛び込めるような、もはや警備の域を超えた過保護な配置図であった。
「――アルヴィーノ、顔が怖いよ。そんな顔で見ていたら、準備をしている連中が怯えて百合を枯らしてしまう」
背後から、フランクな、けれど王としての重みを増した声が響く。アルフレッドだ。
彼は執務の合間を縫って、弟の様子を見に来たのだ。
「陛下。……見ての通りです。貴方の婚約者が、私の唯一をこき使っています。これ以上の重労働は、我が国の安全保障に関わりますが」
「あはは、エルザに言っておくよ。……でも、見てごらん。二人とも、本当に楽しそうだ。この王宮に、本当の意味で『血ではない光』が戻ってきたんだ。それは、君とルミくんが僕を支えてくれたからこそ見られる景色だよ」
アルフレッドは包帯の巻かれた右手をそっと欄干に置き、眼下の光景を見つめた。
大聖堂の扉が開かれ、数千本の白百合が運び込まれていく。
その白と、新王国の色である天青色が混ざり合い、美しく、重厚なハーモニーを奏でている。
「アルヴィーノ。明日の夜、この光を全部落とした大聖堂で、四人だけで誓い合おう。……君が彼に贈る指輪、僕も楽しみにしているよ」
「……余計なお世話です、兄上」
アルヴィーノは不機嫌そうに顔を背けたが、その耳たぶは微かに赤く染まっていた。
軍師の冷徹な計算、王の不屈の覚悟、そして二人の「伴侶」が捧げる献身的な愛。
それらすべてが編み込まれ、停滞していた婚約の儀の準備は、今、最高潮の盛り上がりを見せて完成へと向かっていた。
