主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

数日後の午後、王宮の喧騒から完全に遮断されたアルヴィーノの別室には、微かな布擦れの音だけが響いていた。
窓から差し込む斜陽が、空気中に舞う僅かな塵を金色に染め上げている。その光の中に招かれていたのは、先代の時代から王室御用達として針を握り続けてきた、初老の仕立職人・ジャンであった。
彼は宮廷の凄惨な政争を何度も黙過してきた、この上なく口の堅い男だった。

「――なるほど。第二王子殿下直々の極秘の特命と伺い、いかなる軍務の衣裳かと身構えて参りましたが……まさか、こちらの愛らしい少年のためのドレスであったとは」

ジャンは鼻頭にのせた老眼鏡を指先で押し上げ、皺の刻まれた手で銀のメジャーを滑らせた。
ルミの小さな肩、細い腰のライン、そしてまだ幼さの残る背中へと、職人の手付きは淀みなく流れていく。
ルミは、生まれて初めて経験する上流階級の「採寸」という儀式に完全に緊張しきっており、小動物のように背筋をピンと伸ばしたまま、赤くなった耳たぶを小さく震わせていた。
ソファに深く腰掛けたアルヴィーノは、膝の上に広げた軍務の書類に目を落としていた。
だが、その紫の瞳は文字を追ってなどいない。
長めの前髪の隙間から、ジャンの一挙一動を、そしてメジャーが触れるたびに擽ったそうに身を竦めるルミの姿を、底なしの愛おしさを湛えてじっと見つめていた。

「ジャン。言っておくが、これは公にするものではない。私の独断であり、私の私費によるものだ。あの子の肌に最も映える、あのクローデルの極上のシルクを使った天青色のドレスを仕立ててほしい。……帳簿上の名目は、『私の特別な夜会のための、身元を隠した伴侶の衣裳』として処理しておけ」

静かだが、有無を言わせぬ王族の威厳を含んだ命令。
ジャンは、殿下が手元の書類を一枚もめくっていないことに気づいていたが、それを指摘するほど無粋な男ではなかった。
長年、冷徹な仮面を貼り付けて生きてきた魔王が、目の前の少年の前でだけ、どれほど無防備な「ただの男」の顔をしているか。
職人は胸中で深く得心し、恭しく頭を下げた。

「お任せを、アルヴィーノ殿下。このジャン、職人のプライドに懸けて、世界で一番美しい『天青の王女』を仕立て上げてみせましょう。この方の瞳の色に負けぬ、最高の仕上がりにいたします」
「お、王女じゃないもん……」

ルミは顔を真っ赤に染め、蚊の鳴くような声で抗議したが、その小さな反抗は、ジャンの満足げな笑い声にかき消されていった。
ジャンが静かに部屋を退出した後、夕暮れの帳(とばり)が下り始めた室内へ、一通の親展状が届けられた。
上質な羊皮紙の封を閉じる蝋に押されているのは、新王アルフレッドの個人紋章。
公務の書類とは違う、兄から弟への個人的な手紙だった。

ルミが「ちょっとお茶淹れ直してくるね」と、赤くなった顔を隠すようにしてキッチンへパタパタと去っていくのを見送ってから、アルヴィーノは静かにその封を指先で引き裂いた。
暖炉の炎の爆ぜる音が、静まり返った室内に小さく爆ぜる。

『親愛なるアルヴィーノへ。
君が愛しい従者のために、水色の絹地を他国から大量に買い付けているという噂が、早くも一部の商人の間で囁かれているよ。もちろん、僕の職権で「王室の儀礼用」として処理し、噂の出処を完全に塞いでおいたから安心してほしい。相変わらず、彼のことになると君は少し視野が狭くなるね。

さて、今日は君に、僕個人の前向きな報告をしたくてペンを執った。
ヴァレンティ家の粛清以降、空位となっていた僕の「婚約者」の座だけど……ようやく、僕の隣を任せられる素晴らしい女性と巡り会えたんだ。

北方の名門、ローゼンタール公爵家の令嬢、エルザだ。
彼女は華美な宮廷闘争や権力の誇示を嫌い、長く領地の救貧院や孤児院の運営を裏で支えてきた、本当に優しくて、精神の自立したちゃんとした女性だよ。
大聖堂の夜、僕が王の呪いを背負い、血と泥に塗まみれて執務室へと戻ってきた時――彼女は僕の包帯を巻いた右腕を見て、理由を問い詰めることも、哀れむこともしなかった。ただ、冷え切った僕の身体を案じて、温かいスープを差し出してくれたんだ。

ルミくんが君の冷徹な仮面を剥ぎ取ってくれたように、エルザは僕の孤独な王冠の重さを、隣で一緒に半分背負ってくれると言ってくれた。彼女といる時だけ、僕は「王」ではなく、ただの不器用なアルフレッドに戻れる気がする。

近々、君とルミくんにも紹介したい。僕たち二人の「王」が、それぞれ生涯の最高の伴侶を得て、この国を新しく生まれ変わらせるんだ。その日を楽しみにしているよ。

――君の兄、アルフレッドより』

手紙を読み終えたアルヴィーノは、背もたれに深く身体を預け、ふっと満足そうに唇の端を上げた。
かつて優しさだけを武器に混迷していた兄が、自らの孤独を分かち合える「本当の理解者」を得た。
エルザという、泥の中に咲く白百合のような女性の存在は、新王の張り詰めた心を今度こそ救ってくれるに違いない。

「アルヴィーノ様、お茶が入ったよ! ……あれ、お手紙?」

陶器の擦れ合う心地よい音と共に、トレイを両手で抱えたルミが、不思議そうに首を傾げながら戻ってきた。
夕陽を浴びた水色の髪が、さらさらと輝いている。
アルヴィーノは手紙を静かに引き出しの奥へと収めると、立ち上がってルミの元へと歩み寄り、その小さな身体を包み込むようにして背後からそっと抱きすくめた。

「わ、わっ……アルヴィーノ様? 急にどうしたの?」
「いえ。……兄上から、とても喜ばしい報せが届きましてね。近いうちに、私たちに新しい『お義姉様』ができるかもしれません」
「えっ……! アルフレッド様、お嫁さんができるの? ……よかったぁ……っ」

ルミは驚き、それから自分のことのように嬉しそうに水色の瞳を細めた。
大聖堂の夜、アルフレッドがどれほどの覚悟でその右腕を焼いたか、ルミもまた、あの部屋で見ていたからだ。
ルミのその無垢な笑顔を髪越しに見つめながら、アルヴィーノは上着の内ポケットにある「星涙石」の指輪の重みを、再び確かめていた。
アルフレッドが歩む、祝福に満ちた公的な婚礼の道。
そして、自分たちがこの部屋の奥で交わす、誰にも知られない、けれど世界で一番強固な秘密の誓い。
二人の王族がそれぞれの愛を見つけ、血に塗られたはずの王宮の中に、確かな幸福の足音が静かに、けれど確実に近づいていた。
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