主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
重厚なマホガニーの扉が閉まると、謁見室を支配していた張り詰めた空気は、どこか気の置けない「兄弟」のそれへと、静かに、けれど確かに融けていった。
アルフレッドは机の上に散らばる他国からの要求書をまとめ、引き出しへと収める。
そして、包帯の巻かれた右腕をそっとさすりながら、玉座から立ち上がった。
「それじゃあ、行こうか、アルヴィーノ。他国の特使どもは、今頃こちらの出方を伺って、迎賓館で戦々恐々としているはずだ。……馬車の中で、少し話がしたい」
「は。お供いたします、陛下」
王宮の裏口に用意された漆黒の馬車へと乗り込む。
車輪が石畳を叩く規則正しい音が、防音魔法の施された車内に、くぐもった残響となって響き始めた。
流れる窓外の景色を見つめながら、アルフレッドは、ふっと息を吐き出してシートに背を預けた。
王としての重圧から僅かに解放された彼の青い瞳が、対面に座る、軍帽を膝に置いた弟へと向けられる。
「……アルヴィーノ。さっきはからかうような言い方をして悪かったね。でもさ、君が倒れたって聞いた時、僕は本当に焦ったんだ。同時に……君がそこまで自分を追い詰めていたことに、気づけなかった自分を恥じた」
「……滅相もありません。私の自己管理の甘さゆえです」
「そうやってすぐに自分を責めるところ、本当に君の悪い癖だよ」
アルフレッドは苦笑し、それから少しだけ真剣な、兄としての眼差しになった。
「僕が聞きたいのは、君の体調のことだけじゃないんだ。……ルミくんのことだよ。昨日の彼の必死な様子を見て、僕はね、二人の間にどれほど強い結びつきがあるかを、嫌というほど思い知らされたんだ。君にとって、彼はもう、ただの従者じゃないんだろう?」
その言葉に、アルヴィーノの紫の瞳が微かに揺れた。
いつもなら、軍師としての冷徹な論理で煙に巻くところだ。
しかし、対面にいるのは、自らの右腕の肉を焼いてまで王となる覚悟を決めた兄だ。
嘘や欺瞞は通用しないし、何より、ルミへの想いに嘘をつくことなど、今のアルヴィーノには出来なかった。
「……ええ。私の魂は、すでにあの少年に捧げられています。あの子が私の盾となり、私がその槍となる。私にとってルミは、この命を賭して守るべき、唯一の伴侶です」
アルヴィーノの声音は静かだったが、そこには岩をも穿つような絶対の響きがあった。
「だけど」と、アルフレッドは窓の外へ視線を移す。
「現実の法は、残酷だ。僕たちがヴァレンティ家をすり潰して手に入れたこの新体制でも、身分の壁は厳然として存在する。君は第二王子であり、この国の軍師だ。公的に、ルミくんを『正式な婚約者』として王宮に認めさせることは、今の法では不可能に近い。二人は深く結ばれているけれど、世間から見れば、どこまでいっても『主と従者』のままだ」
「分かっています」
アルヴィーノは軍帽の縁をきゅっと握りしめた。その指先に、かすかな悔恨の色が滲む。
「公的な栄誉も、華やかな婚礼も、あの子に与えてやることはできない。私の隣を堂々と歩かせることすら、今の歪んだ社会ではあの子を危険に晒すことになる。……だから、今のままでいいのです。主と従者、その歪な関係性の檻の中に、あの子を隠しておきたい。それが、あの子を守る唯一の方法ですから」
それは、魔王と呼ばれる男の、あまりにも不器用で、痛切な独占欲と愛情の吐露だった。
アルフレッドは、弟のその押し殺した横顔をじっと見つめていた。
かつて優しさだけを免罪符にしていた自分なら、「そんなの悲しすぎる」と言っていただろう。
だが、今の自分は、法と権力を司る「国王」だ。
「……アルヴィーノ。君がそうやって、従者という影の中に彼を囲い、守ろうとする意思は尊重するよ。でもね」
アルフレッドは身を乗り出し、弟の肩に、包帯の巻かれていない左手をそっと置いた。
「君が彼の槍となり、彼を影で守るなら……僕は、その影を誰も暴けないような『絶対の闇』にしてあげることならできる」
「陛下……?」
「国王の権限で、君の私室の一画を、国家最高機密の『聖域』として完全隔離する。憲兵団だろうが、不平分子の貴族だろうが、僕の許可なくあの一画に踏み込むことは一生許さない。それに、二人が望むなら……僕の立ち会いのもと、誰も知らない大聖堂の奥で、三人だけの『秘密の挙式』を執り行ったっていい。国法には残せなくても、僕という王が、二人の魂の結びつきをこの国の絶対の真実として承認する」
アルフレッドは、悪戯が成功した子供のように、フッと不敵に笑った。
「君が泥を被って僕を支えてくれるんだ。これくらいのご褒美、王の職権乱用でいくらでも通してみせるよ。君の言う通り、表向きは『主と従者』のままでいい。でも、その檻を、世界で一番安全で幸福な場所にすることなら、僕にだって手伝える。……どうだい?」
アルヴィーノは目を見開いた。
冷徹な政治の世界で、これほどまでに私情を挟んだ、けれど最高に温かい提案をされるとは思っていなかったのだ。
「……兄上」
公務の場では決して呼ばない、かつての呼び名が、アルヴィーノの唇から零れ落ちる。
「本当に、お節介な国王陛下だ。……ですが、感謝いたします。貴方がその言葉をくれるだけで、私は、あの子をこの手に抱き続ける自信が持てる」
「あはは、君にそう言ってもらえると、僕も腕を焼いた甲斐があったっていうものさ」
アルフレッドはフランクに笑い、シートに深く座り直した。
馬車の速度が落ち、外から迎賓館の兵士たちの喧騒が聞こえ始める。
他国の特使たちが待つ、冷酷な外交の戦場がすぐそこに迫っていた。
二人は互いに顔を見合わせ、同時に、冷徹な「王族の仮面」を被り直す。
しかし、その胸の奥には、ルミという小さな光を守るための、誰にも破れない強固な結託が、新王と軍師の間で確かに結ばれていた。
アルフレッドは机の上に散らばる他国からの要求書をまとめ、引き出しへと収める。
そして、包帯の巻かれた右腕をそっとさすりながら、玉座から立ち上がった。
「それじゃあ、行こうか、アルヴィーノ。他国の特使どもは、今頃こちらの出方を伺って、迎賓館で戦々恐々としているはずだ。……馬車の中で、少し話がしたい」
「は。お供いたします、陛下」
王宮の裏口に用意された漆黒の馬車へと乗り込む。
車輪が石畳を叩く規則正しい音が、防音魔法の施された車内に、くぐもった残響となって響き始めた。
流れる窓外の景色を見つめながら、アルフレッドは、ふっと息を吐き出してシートに背を預けた。
王としての重圧から僅かに解放された彼の青い瞳が、対面に座る、軍帽を膝に置いた弟へと向けられる。
「……アルヴィーノ。さっきはからかうような言い方をして悪かったね。でもさ、君が倒れたって聞いた時、僕は本当に焦ったんだ。同時に……君がそこまで自分を追い詰めていたことに、気づけなかった自分を恥じた」
「……滅相もありません。私の自己管理の甘さゆえです」
「そうやってすぐに自分を責めるところ、本当に君の悪い癖だよ」
アルフレッドは苦笑し、それから少しだけ真剣な、兄としての眼差しになった。
「僕が聞きたいのは、君の体調のことだけじゃないんだ。……ルミくんのことだよ。昨日の彼の必死な様子を見て、僕はね、二人の間にどれほど強い結びつきがあるかを、嫌というほど思い知らされたんだ。君にとって、彼はもう、ただの従者じゃないんだろう?」
その言葉に、アルヴィーノの紫の瞳が微かに揺れた。
いつもなら、軍師としての冷徹な論理で煙に巻くところだ。
しかし、対面にいるのは、自らの右腕の肉を焼いてまで王となる覚悟を決めた兄だ。
嘘や欺瞞は通用しないし、何より、ルミへの想いに嘘をつくことなど、今のアルヴィーノには出来なかった。
「……ええ。私の魂は、すでにあの少年に捧げられています。あの子が私の盾となり、私がその槍となる。私にとってルミは、この命を賭して守るべき、唯一の伴侶です」
アルヴィーノの声音は静かだったが、そこには岩をも穿つような絶対の響きがあった。
「だけど」と、アルフレッドは窓の外へ視線を移す。
「現実の法は、残酷だ。僕たちがヴァレンティ家をすり潰して手に入れたこの新体制でも、身分の壁は厳然として存在する。君は第二王子であり、この国の軍師だ。公的に、ルミくんを『正式な婚約者』として王宮に認めさせることは、今の法では不可能に近い。二人は深く結ばれているけれど、世間から見れば、どこまでいっても『主と従者』のままだ」
「分かっています」
アルヴィーノは軍帽の縁をきゅっと握りしめた。その指先に、かすかな悔恨の色が滲む。
「公的な栄誉も、華やかな婚礼も、あの子に与えてやることはできない。私の隣を堂々と歩かせることすら、今の歪んだ社会ではあの子を危険に晒すことになる。……だから、今のままでいいのです。主と従者、その歪な関係性の檻の中に、あの子を隠しておきたい。それが、あの子を守る唯一の方法ですから」
それは、魔王と呼ばれる男の、あまりにも不器用で、痛切な独占欲と愛情の吐露だった。
アルフレッドは、弟のその押し殺した横顔をじっと見つめていた。
かつて優しさだけを免罪符にしていた自分なら、「そんなの悲しすぎる」と言っていただろう。
だが、今の自分は、法と権力を司る「国王」だ。
「……アルヴィーノ。君がそうやって、従者という影の中に彼を囲い、守ろうとする意思は尊重するよ。でもね」
アルフレッドは身を乗り出し、弟の肩に、包帯の巻かれていない左手をそっと置いた。
「君が彼の槍となり、彼を影で守るなら……僕は、その影を誰も暴けないような『絶対の闇』にしてあげることならできる」
「陛下……?」
「国王の権限で、君の私室の一画を、国家最高機密の『聖域』として完全隔離する。憲兵団だろうが、不平分子の貴族だろうが、僕の許可なくあの一画に踏み込むことは一生許さない。それに、二人が望むなら……僕の立ち会いのもと、誰も知らない大聖堂の奥で、三人だけの『秘密の挙式』を執り行ったっていい。国法には残せなくても、僕という王が、二人の魂の結びつきをこの国の絶対の真実として承認する」
アルフレッドは、悪戯が成功した子供のように、フッと不敵に笑った。
「君が泥を被って僕を支えてくれるんだ。これくらいのご褒美、王の職権乱用でいくらでも通してみせるよ。君の言う通り、表向きは『主と従者』のままでいい。でも、その檻を、世界で一番安全で幸福な場所にすることなら、僕にだって手伝える。……どうだい?」
アルヴィーノは目を見開いた。
冷徹な政治の世界で、これほどまでに私情を挟んだ、けれど最高に温かい提案をされるとは思っていなかったのだ。
「……兄上」
公務の場では決して呼ばない、かつての呼び名が、アルヴィーノの唇から零れ落ちる。
「本当に、お節介な国王陛下だ。……ですが、感謝いたします。貴方がその言葉をくれるだけで、私は、あの子をこの手に抱き続ける自信が持てる」
「あはは、君にそう言ってもらえると、僕も腕を焼いた甲斐があったっていうものさ」
アルフレッドはフランクに笑い、シートに深く座り直した。
馬車の速度が落ち、外から迎賓館の兵士たちの喧騒が聞こえ始める。
他国の特使たちが待つ、冷酷な外交の戦場がすぐそこに迫っていた。
二人は互いに顔を見合わせ、同時に、冷徹な「王族の仮面」を被り直す。
しかし、その胸の奥には、ルミという小さな光を守るための、誰にも破れない強固な結託が、新王と軍師の間で確かに結ばれていた。
