主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
重厚な意匠が施された謁見室の扉が閉まり、完全に二人きりの空間になる。
アルヴィーノは一分の隙もない完璧な軍礼を捧げたが、玉座の主に声をかけられた瞬間、その肩の力をわずかに抜いた。
「――アルフレッド陛下。体調を崩し、職務を離れましたこと、深くお詫び申し上げます。本日より職務に復帰いたします」
その声には、昨夜まで肉体を苛んでいた過労の熱など、微塵も残っていなかった。
常に完璧であり、主の刃でなければならないという、呪いにも似た矜持が彼の背筋を冷たく支えている。
玉座の机上に山と積まれた外交文書から、アルフレッドがゆっくりと顔を上げた。
新王の右腕には、あの絶望の夜に自らの魔力で王族の紋章を焼き潰した際の、痛々しい包帯が今なお巻かれているもののほとんど癒えているようで。
その青い瞳に宿る光は、かつての迷える羊のそれではない。国を背負う覚悟を決めた、峻厳な統治者の眼差しだった。
しかし、完全に二人きりとなった室内の静寂の中で、アルフレッドは手元の羽ペンを置くと、ふっとその端正な眉を和らげた。
「ああ、おかえり、アルヴィーノ。顔色は悪くないみたいだね。……いや、『我が国の最高機密に属する特級の防衛任務』は、無事に完遂されたと見るべきなのかな?」
声音に含まれたのは、宮廷の毒を抜き去った、かつてのような兄の温度だった。
「兄上。その件につきましては、私の管理不足であり――」
「あはは、いいよ。事情は全て察してるし。……というか、察せざるを得なかったしね」
アルフレッドは苦笑を漏らし、昨日、一人の少年の烈火のごとき怒声と共に、容赦なく接続を絶たれた、あの白銀の受話器へと視線を向けた。
「昨日さ、この国の最高権力者である僕の言葉を遮って、信じられないような勢いでガチャン、って通信を叩き切った勇敢な看護師さんがいたんだ。我が国の憲兵団が一国を挙げて捜索しても、あれほど恐ろしい敵には滅多に出会えないと思うよ」
「……ルミは今朝になって事の重大さに気づいたらしく、『不敬罪でギロチンにかけられるかもしれない』と部屋の隅でブルブルと震えておりましたよ」
アルヴィーノが淡々と、けれどその紫の瞳の奥に僅かな愛おしさを滲ませて告げると、アルフレッドは一瞬だけ呆気にとられたように目を見張り、それから、ふっ……と、声を殺して愉しげに笑った。
「ギロチン? 僕を何だと思ってるんだい、ルミくんは。……でも、面白いよね。ヴァレンティ家があれほど恐れて、隣国の特使たちが名前を聞いただけで震え上がるあの『魔王』がさ、あんなちっぽけな少年の『ベッドへGO!』って一言で、大人しく寝台へ押し込められてたなんて」
アルフレッドは椅子の背にもたれかかり、天井の壮麗なフレスコ画を見上げた。
その横顔には、王としての孤独と、弟への不器用な労りが奇妙に同居している。
「優しさだけでは誰も救えない。それは僕が身を以て知った真実だ。だから僕は、王としての冷徹な仮面を被ることに決めた。……でもね、アルヴィーノ。君が被り続けている冷徹な仮面を、無理やりにでも引きはがして、ただの『人間』として休ませてくれる人がいる。それってさ、この閉ざされた宮廷において、奇跡に近いことだと思うんだよ」
沈黙が、静かに二人の間に降り積もる。
かつては互いに相容れぬ正義を抱えていた兄弟が、今、それぞれの守るべきもののために同じ地平に立っていた。
「だから、僕はルミくんの不敬を責めるつもりなんて毛頭ないよ。むしろ、僕の無茶振りから君を救ってくれたことに感謝してるくらいだ。……まあ、今日からまた『鉄の軍師』として、僕の影で泥を被ってもらわなきゃいけないんだけどね?」
「ええ。元よりその覚悟です、国王陛下。……貴方の正義の刃として、私は如何なる泥をも払い除けましょう」
「頼りにしてるよ、アルヴィーノ。……じゃあ、さっそく昨日の続きをはじめようか」
アルフレッドは再び冷徹な王の貌 へと戻り、手元の書類を鋭く指し示した。
「隣国の特使どもは、君が不在の隙を突いて関税の引き下げを迫ってきたんだけど……私が少々『脅し』をかけておいたんだ。君という死神が、明日目覚めたらどうなるか分からないよ、ってね。今日、君のその元気な顔を見れば、彼らは二度と不条理な要求はしてこないはずだよ」
「素晴らしい手際です、陛下。では、彼らの心を完全にへし折るための、追加の関税補正案を提出いたします。息の根を止めるのは、私の役目ですので」
アルヴィーノの紫の瞳に、冷酷で怜悧な軍師の光が完全に宿る。
ルミが命懸けで守り抜いた一日の休息は、こうして、固き絆で結ばれた兄弟の糧となり、王国の未来を紡ぐ冷徹な政治の表舞台へと再び還元されていくのだった。
アルヴィーノは一分の隙もない完璧な軍礼を捧げたが、玉座の主に声をかけられた瞬間、その肩の力をわずかに抜いた。
「――アルフレッド陛下。体調を崩し、職務を離れましたこと、深くお詫び申し上げます。本日より職務に復帰いたします」
その声には、昨夜まで肉体を苛んでいた過労の熱など、微塵も残っていなかった。
常に完璧であり、主の刃でなければならないという、呪いにも似た矜持が彼の背筋を冷たく支えている。
玉座の机上に山と積まれた外交文書から、アルフレッドがゆっくりと顔を上げた。
新王の右腕には、あの絶望の夜に自らの魔力で王族の紋章を焼き潰した際の、痛々しい包帯が今なお巻かれているもののほとんど癒えているようで。
その青い瞳に宿る光は、かつての迷える羊のそれではない。国を背負う覚悟を決めた、峻厳な統治者の眼差しだった。
しかし、完全に二人きりとなった室内の静寂の中で、アルフレッドは手元の羽ペンを置くと、ふっとその端正な眉を和らげた。
「ああ、おかえり、アルヴィーノ。顔色は悪くないみたいだね。……いや、『我が国の最高機密に属する特級の防衛任務』は、無事に完遂されたと見るべきなのかな?」
声音に含まれたのは、宮廷の毒を抜き去った、かつてのような兄の温度だった。
「兄上。その件につきましては、私の管理不足であり――」
「あはは、いいよ。事情は全て察してるし。……というか、察せざるを得なかったしね」
アルフレッドは苦笑を漏らし、昨日、一人の少年の烈火のごとき怒声と共に、容赦なく接続を絶たれた、あの白銀の受話器へと視線を向けた。
「昨日さ、この国の最高権力者である僕の言葉を遮って、信じられないような勢いでガチャン、って通信を叩き切った勇敢な看護師さんがいたんだ。我が国の憲兵団が一国を挙げて捜索しても、あれほど恐ろしい敵には滅多に出会えないと思うよ」
「……ルミは今朝になって事の重大さに気づいたらしく、『不敬罪でギロチンにかけられるかもしれない』と部屋の隅でブルブルと震えておりましたよ」
アルヴィーノが淡々と、けれどその紫の瞳の奥に僅かな愛おしさを滲ませて告げると、アルフレッドは一瞬だけ呆気にとられたように目を見張り、それから、ふっ……と、声を殺して愉しげに笑った。
「ギロチン? 僕を何だと思ってるんだい、ルミくんは。……でも、面白いよね。ヴァレンティ家があれほど恐れて、隣国の特使たちが名前を聞いただけで震え上がるあの『魔王』がさ、あんなちっぽけな少年の『ベッドへGO!』って一言で、大人しく寝台へ押し込められてたなんて」
アルフレッドは椅子の背にもたれかかり、天井の壮麗なフレスコ画を見上げた。
その横顔には、王としての孤独と、弟への不器用な労りが奇妙に同居している。
「優しさだけでは誰も救えない。それは僕が身を以て知った真実だ。だから僕は、王としての冷徹な仮面を被ることに決めた。……でもね、アルヴィーノ。君が被り続けている冷徹な仮面を、無理やりにでも引きはがして、ただの『人間』として休ませてくれる人がいる。それってさ、この閉ざされた宮廷において、奇跡に近いことだと思うんだよ」
沈黙が、静かに二人の間に降り積もる。
かつては互いに相容れぬ正義を抱えていた兄弟が、今、それぞれの守るべきもののために同じ地平に立っていた。
「だから、僕はルミくんの不敬を責めるつもりなんて毛頭ないよ。むしろ、僕の無茶振りから君を救ってくれたことに感謝してるくらいだ。……まあ、今日からまた『鉄の軍師』として、僕の影で泥を被ってもらわなきゃいけないんだけどね?」
「ええ。元よりその覚悟です、国王陛下。……貴方の正義の刃として、私は如何なる泥をも払い除けましょう」
「頼りにしてるよ、アルヴィーノ。……じゃあ、さっそく昨日の続きをはじめようか」
アルフレッドは再び冷徹な王の
「隣国の特使どもは、君が不在の隙を突いて関税の引き下げを迫ってきたんだけど……私が少々『脅し』をかけておいたんだ。君という死神が、明日目覚めたらどうなるか分からないよ、ってね。今日、君のその元気な顔を見れば、彼らは二度と不条理な要求はしてこないはずだよ」
「素晴らしい手際です、陛下。では、彼らの心を完全にへし折るための、追加の関税補正案を提出いたします。息の根を止めるのは、私の役目ですので」
アルヴィーノの紫の瞳に、冷酷で怜悧な軍師の光が完全に宿る。
ルミが命懸けで守り抜いた一日の休息は、こうして、固き絆で結ばれた兄弟の糧となり、王国の未来を紡ぐ冷徹な政治の表舞台へと再び還元されていくのだった。
