主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

ルミが城へ戻る少し前――

アルヴィーノは執務室で静かに書類へ目を通していた。
窓の外は穏やかで、風が木々を揺らす音だけが響いている。
経過は順調、そろそろ敵陣も崩壊かと呟いた次の瞬間。
空気が、わずかに震えた。
ほんの一瞬、遠くの地で巨大な魔力が弾けるような、重く沈む波が城の方角へ伝わってきた。
アルヴィーノはペンを止め、ゆっくりと目を閉じる。

「……ああ。やはり、そう来ましたか」

驚きも焦りもない。
まるで、予定していた手順のひとつが実行されたかのような口調。
机の上のチェス盤に視線を落とす。盤上の“敵国”を示す駒は、すでに追い詰められた位置に置かれていた。

「精神系の術式……あの国が最後に残した“切り札”でしたね。暴走すれば、罠ごと吹き飛ぶ。……本当に扱いやすい子です」

まるで、ルミの精神崩壊すら“勝利の一手”として織り込んでいたかのようにそう呟き一息ついたその時。
執務室の扉が勢いよく開き、伝達係が青ざめた顔で駆け込んできた。

「で、殿下……! ルミ様が……暴走を……! 味方の部隊が……ほとんど……!」
「敵の術式にかかったのでしょう?」
「は、はい……! 精神系の罠かと……!」
「ふむ。予想より早かったですね」

その声には焦りも怒りもない。
まるで、壊れた駒の報告を聞くかのような冷静さ。

「敵国の罠は?」
「……暴走の余波で、すべて破壊されました。拠点も……壊滅状態です」
「そうですか。ならば、障害はすべて取り除かれたということですね。ところでルミは?」

その言葉は、“計画は順調だ”と言わんばかりの落ち着きだった。
伝達係は震えながら続ける。

「ルミ様は……生きています。ですが、精神的に……」
「問題ありません。あの子は戻ってくるでしょう。なにせ私に縋るしかありませんから」

アルヴィーノは静かに微笑む。
しかしその微笑みは、氷のように冷たかった。
伝達係からの報告を聞き終えたあと、アルヴィーノは静かにペンを取り地図に描かれた敵陣にバツ印を付けると置きご苦労様でしたと告げる。
その声は穏やかで、怒りの気配は一切ない。
これで自分の役目は果たしたと言わんばかりに伝達係は安堵の息を漏らし、深く頭を下げて部屋を出ようとした。

「ただし」

扉に手をかけた瞬間、背後から冷たい声が落ちた。

「今回の件は、外部に漏れては困ります。あなたには、しばらく“静かな場所”で待機してもらいましょう」
「……し、静かな……場所……?」

振り返ると、アルヴィーノは優雅に微笑んでいた。
だがその目は、氷のように冷たい。

「安心してください。命までは取りません。ただ、余計なことを口にしないよう、少し“口を閉じて”いてもらうだけです」

影から黒衣の護衛が二人、無言で現れる。
伝達係の顔が青ざめる。

「で、殿下……! 私は、私はただ――!」
「ええ、分かっています。あなたはよく働きました。だからこそ、ここで死なせるのは惜しい。かといってこのままのうのうと帰すのも憚られる。なら、ほんの少し、静かに過ごせる場所に行ってもらうだけですよ。本当にお疲れ様でした。では」

アルヴィーノは優雅に微笑んだ。
護衛が伝達係の腕を掴み、静かに連れ去っていく。
扉が閉まる。
アルヴィーノは一度も振り返らず、ただ淡々と書類に視線を戻した。

「さて……ルミが戻る頃ですね」

その声には、“すべて計画通り”という確信しかなかった。
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