主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
「どきなさい、兄上。二度は言いません。その手を離さなければ、貴方ごと消し去る」
「断る……ッ! 誰がどくか、この馬鹿者が!」
アルフレッドは歯を食いしばり、常人なら魔力圧だけで消し飛ばされる距離で、狂気に染まった弟の両肩を必死に掴み続けた。
後ろでは、ルミがただ床にへたり込み、胸元に集めた水色の残骸を小さな手で愛おしそうに、けれど哀しくなぞり続けている。
その水色の瞳は焦点を結ばず、ただドレスをボロボロにされた絶望だけで頭がいっぱいになり、現実に心を閉ざしてしまっていた。
何も届かない。
誰も介入できない。
だからこそ、アルフレッドは叫び続けるしかなかった。
ここで自分が退けば、明日滅びるのはエレオノーラの故郷だけでなく、この大国そのものだ。
「君がその女を、ヴァレンティ家を憎むのは当然だ! 僕だって、自分の愚かさと、あの女の卑劣さに吐き気がしている! だが、ここで君が再び国を滅ぼせば、世界は君を本当の災厄と見なす! そうなれば、君の隣にいるあの彼は、どうやって生きていけばいいんだ!!」
「ルミの安全なら、私の手で――」
「守れない!! 君が世界を敵に回して、ただ一人で彼を檻に閉じ込める気か!? ルミくんが望んでいるのは、君が血の海に立つ姿じゃない! 自分のせいで君がまた『魔王』に戻ってしまうことだって望んでない! わかるだろう!?」
その言葉が、アルヴィーノの紫の瞳を僅かに揺らした。
「すべては、僕の犯した罪だ。僕がエレオノーラをこの部屋に招き入れ、ルミくんの心を殺した。……だから、その女への報いは、次期国王である僕の手で、法と権力を以て徹底的に与える。ヴァレンティ家には明日の婚礼を以て、文字通り地獄を見せてやる。だから……っ、僕に、兄としての責任を、王としての裁きを、果たさせてくれ……!」
アルフレッドの青い瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
それは悔恨と自らの甘さへの決別、そして弟とルミへの命を賭した誓いの涙だった。
アルフレッドの悲痛な全否定と、命がけの直訴。
アルヴィーノの足元で蠢いていた黒い魔力が、一瞬、激しく揺らいだ――。
「言葉だけなら、何とでも言えるんですよ……兄上」
アルヴィーノの紫の瞳は、微塵も温度を上げない。
足元から這い出る黒い魔力は、すでにアルフレッドの衣服の裾を焦がし、部屋の調度品を粉々に砕き始めていた。
どれほど悲痛な覚悟を語られようとも、今の魔王にとってルミを傷つけた悪意を今すぐその手で消し去ること以上の優先事項など存在しなかった。
「……ならば、これでどうだ」
アルフレッドは、アルヴィーノの胸ぐらを掴んでいた左手を離すと、躊躇なく自らの右腕へとすべての魔力を集中させた。
その瞬間。
ジ、ジュウゥゥッ、と、肉が内側から烈火で焼かれる凄惨な音が、密室に響き渡った。
「――っ、く、ああぁぁぁぁっ!!」
アルフレッドの口から、凄まじい絶叫が漏れる。
衣服の右袖が黒く焼け焦げ、その下の肌に刻まれていた金色の「王族の紋章」が、彼自身の魔力によって激しく焼き潰され、どす黒い火傷へと変貌していく。
肉の焦げる悍ましい臭いが室内に立ち込め、激痛にアルフレッドの顔は白土を塗ったように青ざめ、全身から滝のような汗が噴き出した。
それでもアルフレッドはアルヴィーノの肩を掴む左手だけは、絶対に離さなかった。
血の滲む瞳で、真っ直ぐにアルヴィーノを睨みつける。
「この腕の紋章は……明日から発動する、王宮全域の防衛結界の『鍵』だ……っ。僕はそれを、あの女の嘘に騙され、君の部屋という聖域を侵犯するために使わせてしまった……!」
激痛で声を震わせ、歯の根をガタガタと鳴らしながらも、アルフレッドの口から紡がれる言葉は、次第に「次期国王」としての冷徹な響きを帯びていった。
「アルヴィーノ……君なら、法を司る軍師の君なら、これが何を意味するか分かるはずだ。婚礼前夜という最も警戒すべき時期に、軍の最高指揮官の私室へ、欺瞞を以て侵入した。これは……一従者への私刑などではない。『国家最高軍事機密への侵犯、および軍事中枢へのテロ行為』だ……!」
法と秩序を何よりも重んじる王子だからこそ、彼はエレオノーラの犯した罪の本質を、国家の法へと正確に結びつけた。
「明日、あの女が大聖堂の祭壇に上がったその瞬間……、僕は神と万民の前で、エレオノーラ・ヴァレンティを『軍事反逆罪』の現行犯として、この手で捕縛する。婚姻は破棄、ヴァレンティ家は全財産没収の上、一族全員を永久追放、あるいは極刑に処す」
アルフレッドは、自らの右腕の激痛を、そのままエレオノーラへの容赦のないギロチンへと変えてみせた。
「国法の下に、僕の手で、あの雌狐を公式に、最も残酷な方法で引きずり下ろしてやる。だから、今ここで君が手を汚して……また『魔王』に逆戻りするな、アルヴィーノ……っ!」
右腕から血を流し、息を切らしながらも退路を断った兄の姿。
そして、その背後で、焦点を失った水色の瞳のまま、引き裂かれたドレスをただ愛おしそうに抱きしめ続けているルミの姿。
「…………」
アルヴィーノの足元で猛り狂っていた黒い魔力の炎が、一瞬、激しく揺らぎそして、静かに、霧が晴れるように霧散していった。
兄が自らの肉体を損なってまで示した、冷徹なまでの「法による処刑」の誓い。
それが本当の事実に変わった今、アルヴィーノが今すぐここで暴力を振るう理由は、紙一重のところで消失したのだ。
「……分かりました、兄上」
アルヴィーノは冷たく腕を振り払い、アルフレッドの手から離れた。
その紫の瞳には、怒りを超えた、底知れない冷酷な光が宿っていた。
「明日の大聖堂。貴方の『裁き』が万が一にでも揺らいだその時は、今度こそ、私がこの国ごとあの女を消し去ります。……ルミ、戻りましょう」
アルヴィーノは振り返ると、床に座り込んだままのルミの元へ歩み寄り、その小さな身体をドレスの残骸ごと優しく、しっかりと横抱きに抱え上げた。
ルミはアルヴィーノの胸に顔を埋めたまま、ただ小さく身体を震わせている。
壊れた扉の向こう、静まり返った回廊へと歩き出すアルヴィーノの背中を、右腕を抑えて蹲るアルフレッドが、悲壮な決意の瞳で見送っていた。
婚礼前夜。
優しかったアルフレッドの善性は死に、冷酷な支配者としての覚醒が、大聖堂の惨劇の幕を静かに開けようとしていた。
「断る……ッ! 誰がどくか、この馬鹿者が!」
アルフレッドは歯を食いしばり、常人なら魔力圧だけで消し飛ばされる距離で、狂気に染まった弟の両肩を必死に掴み続けた。
後ろでは、ルミがただ床にへたり込み、胸元に集めた水色の残骸を小さな手で愛おしそうに、けれど哀しくなぞり続けている。
その水色の瞳は焦点を結ばず、ただドレスをボロボロにされた絶望だけで頭がいっぱいになり、現実に心を閉ざしてしまっていた。
何も届かない。
誰も介入できない。
だからこそ、アルフレッドは叫び続けるしかなかった。
ここで自分が退けば、明日滅びるのはエレオノーラの故郷だけでなく、この大国そのものだ。
「君がその女を、ヴァレンティ家を憎むのは当然だ! 僕だって、自分の愚かさと、あの女の卑劣さに吐き気がしている! だが、ここで君が再び国を滅ぼせば、世界は君を本当の災厄と見なす! そうなれば、君の隣にいるあの彼は、どうやって生きていけばいいんだ!!」
「ルミの安全なら、私の手で――」
「守れない!! 君が世界を敵に回して、ただ一人で彼を檻に閉じ込める気か!? ルミくんが望んでいるのは、君が血の海に立つ姿じゃない! 自分のせいで君がまた『魔王』に戻ってしまうことだって望んでない! わかるだろう!?」
その言葉が、アルヴィーノの紫の瞳を僅かに揺らした。
「すべては、僕の犯した罪だ。僕がエレオノーラをこの部屋に招き入れ、ルミくんの心を殺した。……だから、その女への報いは、次期国王である僕の手で、法と権力を以て徹底的に与える。ヴァレンティ家には明日の婚礼を以て、文字通り地獄を見せてやる。だから……っ、僕に、兄としての責任を、王としての裁きを、果たさせてくれ……!」
アルフレッドの青い瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
それは悔恨と自らの甘さへの決別、そして弟とルミへの命を賭した誓いの涙だった。
アルフレッドの悲痛な全否定と、命がけの直訴。
アルヴィーノの足元で蠢いていた黒い魔力が、一瞬、激しく揺らいだ――。
「言葉だけなら、何とでも言えるんですよ……兄上」
アルヴィーノの紫の瞳は、微塵も温度を上げない。
足元から這い出る黒い魔力は、すでにアルフレッドの衣服の裾を焦がし、部屋の調度品を粉々に砕き始めていた。
どれほど悲痛な覚悟を語られようとも、今の魔王にとってルミを傷つけた悪意を今すぐその手で消し去ること以上の優先事項など存在しなかった。
「……ならば、これでどうだ」
アルフレッドは、アルヴィーノの胸ぐらを掴んでいた左手を離すと、躊躇なく自らの右腕へとすべての魔力を集中させた。
その瞬間。
ジ、ジュウゥゥッ、と、肉が内側から烈火で焼かれる凄惨な音が、密室に響き渡った。
「――っ、く、ああぁぁぁぁっ!!」
アルフレッドの口から、凄まじい絶叫が漏れる。
衣服の右袖が黒く焼け焦げ、その下の肌に刻まれていた金色の「王族の紋章」が、彼自身の魔力によって激しく焼き潰され、どす黒い火傷へと変貌していく。
肉の焦げる悍ましい臭いが室内に立ち込め、激痛にアルフレッドの顔は白土を塗ったように青ざめ、全身から滝のような汗が噴き出した。
それでもアルフレッドはアルヴィーノの肩を掴む左手だけは、絶対に離さなかった。
血の滲む瞳で、真っ直ぐにアルヴィーノを睨みつける。
「この腕の紋章は……明日から発動する、王宮全域の防衛結界の『鍵』だ……っ。僕はそれを、あの女の嘘に騙され、君の部屋という聖域を侵犯するために使わせてしまった……!」
激痛で声を震わせ、歯の根をガタガタと鳴らしながらも、アルフレッドの口から紡がれる言葉は、次第に「次期国王」としての冷徹な響きを帯びていった。
「アルヴィーノ……君なら、法を司る軍師の君なら、これが何を意味するか分かるはずだ。婚礼前夜という最も警戒すべき時期に、軍の最高指揮官の私室へ、欺瞞を以て侵入した。これは……一従者への私刑などではない。『国家最高軍事機密への侵犯、および軍事中枢へのテロ行為』だ……!」
法と秩序を何よりも重んじる王子だからこそ、彼はエレオノーラの犯した罪の本質を、国家の法へと正確に結びつけた。
「明日、あの女が大聖堂の祭壇に上がったその瞬間……、僕は神と万民の前で、エレオノーラ・ヴァレンティを『軍事反逆罪』の現行犯として、この手で捕縛する。婚姻は破棄、ヴァレンティ家は全財産没収の上、一族全員を永久追放、あるいは極刑に処す」
アルフレッドは、自らの右腕の激痛を、そのままエレオノーラへの容赦のないギロチンへと変えてみせた。
「国法の下に、僕の手で、あの雌狐を公式に、最も残酷な方法で引きずり下ろしてやる。だから、今ここで君が手を汚して……また『魔王』に逆戻りするな、アルヴィーノ……っ!」
右腕から血を流し、息を切らしながらも退路を断った兄の姿。
そして、その背後で、焦点を失った水色の瞳のまま、引き裂かれたドレスをただ愛おしそうに抱きしめ続けているルミの姿。
「…………」
アルヴィーノの足元で猛り狂っていた黒い魔力の炎が、一瞬、激しく揺らぎそして、静かに、霧が晴れるように霧散していった。
兄が自らの肉体を損なってまで示した、冷徹なまでの「法による処刑」の誓い。
それが本当の事実に変わった今、アルヴィーノが今すぐここで暴力を振るう理由は、紙一重のところで消失したのだ。
「……分かりました、兄上」
アルヴィーノは冷たく腕を振り払い、アルフレッドの手から離れた。
その紫の瞳には、怒りを超えた、底知れない冷酷な光が宿っていた。
「明日の大聖堂。貴方の『裁き』が万が一にでも揺らいだその時は、今度こそ、私がこの国ごとあの女を消し去ります。……ルミ、戻りましょう」
アルヴィーノは振り返ると、床に座り込んだままのルミの元へ歩み寄り、その小さな身体をドレスの残骸ごと優しく、しっかりと横抱きに抱え上げた。
ルミはアルヴィーノの胸に顔を埋めたまま、ただ小さく身体を震わせている。
壊れた扉の向こう、静まり返った回廊へと歩き出すアルヴィーノの背中を、右腕を抑えて蹲るアルフレッドが、悲壮な決意の瞳で見送っていた。
婚礼前夜。
優しかったアルフレッドの善性は死に、冷酷な支配者としての覚醒が、大聖堂の惨劇の幕を静かに開けようとしていた。
