主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

「――ルミ。もう、それ以上喋らなくていい」

アルヴィーノは地を這うような声を絞り出すと、冷たい石床の上に膝を突き、ボロボロになったルミの小さな身体を優しく抱きすくめた。

「アル、ヴィーノ様……っ、う、ぅあ……ごめんなさい……守れ、なかった、の……っ」

ルミは腕の中にあってもなお、激しい拒絶に遭ったかのようにガタガタと震え、原型を留めない水色のシルクを必死に胸に抱きしめたまま、壊れた人形のように謝罪を繰り返している。
頬の腫れ、衣服に付着した泥、そして何より、精神をズタズタに切り裂かれたこの子の涙が、アルヴィーノの胸の奥を激しい焔で焼き焦がしていた。
かつての自分なら、この怒りのままに周囲の魔力を暴走させ、王宮ごとすべてを吹き飛ばしていただろう。
だが、今のアルヴィーノは違う。
この強大な魔力は、ルミを壊すためではなく、守り、癒すためにある。

「大丈夫です、ルミ。私は怒っていません。貴方は何も悪くない……。だから、もう自分を責めないでください」

アルヴィーノがそっと手を翳すと、彼の紫の瞳と同じ、深く静かな輝きを放つ魔力がルミの身体を包み込んだ。
かつては破壊の力でしかなかったその奔流が、今は至高の密度を持った「治癒魔法」へと形を変え、ルミの傷を優しく包み込んでいく。
頬の赤黒い腫れが引き、打撲による衣服の奥の激痛が、嘘のように引いていく。
肉体の傷は、一瞬で消えた。
だが、ルミの手は依然として、引き裂かれたドレスの残骸を痛々しいほど強く握りしめたままだ。

「ドレスは……また、いくらでも新しく仕立てさせます。あの夜のものよりも、もっと、ずっと美しいものを。私が貴方のために何度でも用意します。だから……もう泣かないでください、ルミ」

アルヴィーノの不器用ながらも必死の慰めに、ルミはしゃくり上げながら、ようやく小さく頷いた。
身体の傷は癒え、呼吸も落ち着いた。
だが、このままこの部屋で静かに眠らせることなど、今のアルヴィーノの魂が許さなかった。
この理不尽な悪意を、そしてそれを招き入れた「愚行」を、絶対にそのままにしてはおけない。

「ルミ、私と一緒に来なさい」

アルヴィーノはルミの手を引き、ドレスの残骸を抱えた彼を伴って、漆黒の廊下へと歩き出した。
その背中から立ち上る魔力圧は、すれ違う護衛の騎士たちが恐怖でその場に跪き、呼吸を忘れるほどに冷酷で、圧倒的なものだった。

最上階のアルフレッドの私室。
明日の婚礼を控え、すでに寝支度を終えようとしていたアルフレッドの部屋の前へと辿り着く。
アルヴィーノは立ち止まることも、ノックをすることもしなかった。
耳をつんざくような凄まじい衝撃音とともに、芸術的な装飾が施された重厚な扉が、アルヴィーノの容赦のない一蹴りによって内側へと派手に蹴破られた。
蝶番が引きちぎられ、扉が床に転がる。

「な、何事だ……!?」

寝台の傍らで寛いでいたアルフレッドが、あまりの爆音に驚愕して跳び起きた。
突風のごとく乱入してきた侵入者へと視線を向けたアルフレッドは、その人物の顔を見て、さらに目を見開いた。

「アルヴィーノ……? 一体、何をして――」
「アルフレッド!!!!」

王宮の静寂を完璧に切り裂く、地響きのような怒号が、アルヴィーノの口から放たれた。
いつもなら、どんなに怒りを感じていても「兄上」と呼び、冷徹な敬語を崩さない弟が、髪を振り乱し、眼の奥に絶対零度の狂気を宿らせて、実の兄を呼び捨てにして激昂している。

「ア……ルヴィーノ……? どうしたんだ、そんなに怒って……それに、ルミくんも……」

アルフレッドは呆然とした。
激しく肩を上下させ、見たこともない形相で自分を睨みつける弟の横には、目を真っ赤に腫らし、ボロボロに引き裂かれた水色の布切れを抱きしめて、今にも泣き出しそうなルミが立っている。
アルフレッドには、この目の前の凄惨な、そして緊迫した状況が、何一つ理解できなかった。

「分からない、とでも言いたげな顔ですね。兄上、貴方は今日、私の留守中に何をお考えになり、私の部屋の結界を解いたのですか」
「何って……エレオノーラが、先の舞踏会のことを気にしていて、ルミくんにドレスを贈って仲良くなりたいと言うから……二人が手を取り合ってくれたら嬉しいと思って、僕の紋章で部屋へ案内したんだ。それが何か――」
「その結果が、これだ!!!!」

アルヴィーノはルミが抱きしめていたドレスの残骸を引ったくるように掴むと、アルフレッドの足元へ叩きつけた。
床に散らばる、見るも無惨にハサミで切り刻まれた水色のシルク。
スパンコールの破片。

「貴方のその反吐が出るほどに薄っぺらく無垢な『善意』が、あの雌狐の悪意を踏み込ませる最悪の鍵となった! ルミは部屋で約束を守っていた! にもかかわらず、貴方が招き入れたあの女によって殴られ、蹴られ、私の贈ったドレスを目の前でボロ雑巾のように切り裂かれた!!」
「そんな……まさか、エレオノーラが、そんなことを……っ!?」

アルフレッドは絶句した。
突きつけられたドレスの残骸と、ルミの涙。
自分が「みんなが幸せになるため」と信じて行った行為が、実際には大切な弟の聖域を踏みにじり、か弱い子供を暴力の底に突き落とす引き金になっていた。
その残酷な現実に、アルフレッドは言葉を失ってガタガタと震えるしかなかった。

「言い訳は不要です。……あの女の増長、そしてヴァレンティ家という存在そのものが、我が国の害悪だ」

アルヴィーノが静かに踵を返す。
その周囲に、かつて4つの大国を跡形もなく消し去った、あの災厄の黒い魔力が、陽炎のように立ち上り始めた。

「これより、エレオノーラの生家、およびヴァレンティ家の領地を、その血筋ごとすべてこの大陸から消滅させに行きます。明日の婚礼など、最初からなかったものと思いなさい」
「ま、待て! 待ってくれ、アルヴィーノ!!」

本気だ。
この弟は、今度こそ本当に、身内の人間ごと国を一つ滅ぼすつもりだ。
青ざめたアルフレッドは必死の形相で、部屋を出ようとするアルヴィーノの前に回り込み、その両肩を掴んで止めようとした。

「僕が悪かった! 僕の不徳だ、僕をいくら責めても構わない! だから、どうか早まるな……! 今そんなことをすれば、また君が『魔王』として世界から恐れられ、何よりルミくんを再び戦火に巻き込むことになるんだぞ!!」
「どきなさい、兄上。これ以上ルミの前にあの雌狐を生かしておくだけで、私の正気が保てない――」

狂気を孕んだ紫の瞳と、必死に弟を組み止めようとする青い瞳が、婚礼前夜の壊れた部屋の中で、激しく火花を散らした。
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