主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

華やかな音楽が止み、煌びやかだった大広間は、波が引くように静けさを取り戻しつつあった。
主賓であるアルフレッドとアルヴィーノは、並んで最後の貴族たちを見送るという、退屈極まりない戦後処理の仕上げに追われていた。

「それではアルフレッド様、お先に失礼いたしますわ」

他の貴族たちが去った後、エレオノーラが傲慢な、けれど完璧な次期王妃の微笑みを湛えてアルフレッドの前に立った。
彼女は扇子で口元を隠しながら、隣に立つアルヴィーノへ、そして彼が私室へ帰した「あの子供」へ向けて、酷く遠回しな棘を投げかける。

「今宵の舞踏会は本当に素晴らしゅうございました。……ただ、格式ある場には、それに相応しい『本物の宝石』だけが並ぶべきですわね。ガラス玉がどれほど着飾ろうとも、本物の輝きには決して届きませんもの。……それでは、ごきげんよう」

ルミを「ガラス玉」と見下すその言葉に、アルヴィーノの紫の瞳が一瞬だけ凍りついたが、彼は一瞥すら与えなかった。
アルフレッドが「気をつけて帰るんだよ、エレオノーラ」と穏やかに彼女を送り出し、その派手なドレスの裾が大広間の扉の向こうへと消えていく。

「……やっと、終わりましたか」

誰もいなくなった大広間で、アルヴィーノは大きく、深く息を吐き出した。
貼り付けていた冷徹な社交の仮面を剥ぎ取り、ネクタイを少しだけ緩める。
兄への借りという義務を果たした今、彼の心は、既にこの場所にはなかった。

「助かったよ、アルヴィーノ。ゆっくり休むといい」

アルフレッドの労いの言葉を背に、アルヴィーノは一刻も早くその場を離れるように、長い脚を動かして己の私室へと歩を早めた。



その頃、静まり返ったアルヴィーノの私室。
大広間の喧騒が嘘のように静かな部屋には、窓から冷たい、けれどどこか温かい月明かりが真っ直ぐに差し込んでいた。
ルミは、アルヴィーノに与えられた水色のドレスを纏ったまま、ベッドの端にちょこんと腰掛けていた。
ドクン、ドクン、と、ちいさな胸の奥が、さっきからずっとうるさいくらいに脈打っている。
大広間の真ん中で、アルヴィーノの大きな掌に包まれた時の、あの吸い付くような熱。
「私にすべてを預けなさい」と耳元で囁かれた、低く甘い声音。
世界中の誰よりも美しいと言ってくれた、あのどこまでも深い紫の瞳――。
思い出せば思い出すほど、顔がカッと熱くなり、胸のときめきが収まらない。
ルミは堪らなくなってベッドからぴょんと床へ降りると、月明かりが青白く照らす絨毯の上へ、そっと踏み出した。
頭の中に残っている、あの華やかな管弦楽のリズム。
アルヴィーノが自分を導いてくれた、あの完璧なエスコートの軌跡をなぞるように、ルミは一人、静かに足を動かし始める。

「いち、に、さん……いち、に、さん……」

大広間で踊っていた時よりも、ずっとゆっくりと。
ルミが小さく身体を揺らし、クルクルと回るたび、上質な水色のシルクが月光を浴びて、まるで夜の海のように美しく静かに翻った。
自分のちいさな手を宙に伸ばし、そこにまだ、大好きなあの人の大きな手が重なっているような錯覚を抱きながら。

「……えへへ、アルヴィーノ様……」

胸いっぱいの愛おしさに、ルミが淡い水色の瞳を細めて、無自覚に蕩けるような笑みを浮かべた、その時だった。
カチャリ、と静かに部屋の扉が開く。

「――やはり、まだ起きていましたね。私の天使」

低く、酷く穏やかな、聞き慣れた声が部屋に響いた。
扉の前に立っていたのは、上着を脱ぎ、溢れるような魔力と愛執を隠そうともしない、アルヴィーノその人だった。
窓辺の月明かりの中で、自分を想いながら健気に、そして息を呑むほど美しく踊っていたルミの姿。
それを見た瞬間、魔王の紫の瞳に、夜の暗闇よりも深い、圧倒的な独占欲の炎がゆらりと灯ったのだった。

「あ……っ、アルヴィーノ様……!」

見られていたことに気づいたルミは、弾かれたように動きを止め、淡い水色の瞳を大きく見開いた。
自分が纏うのは、大好きな人が特注してくれた最高級のドレスだ。
それを勝手に揺らし、一人で拙いステップを踏んでいた恥ずかしさで、ルミの顔は瞬時に耳の根元まで真っ赤に染まっていく。

「ご、ごめんなさい……! 俺、勝手にお部屋でクルクルしちゃって……やっぱり、不格好、だったよね……っ」

大広間での体格差を思い出し、ルミはドレスの裾をちいさな手でぎゅっと握りしめて俯いた。
そんな健気な天使の前に、アルヴィーノは足音もなく、静かに歩み寄る。
上着を脱ぎ捨てた彼の輪郭は、月光を浴びてどこか幻想的に揺れていた。アルヴィーノは俯くルミの前に、まるで誓いを立てる騎士のように、ごく自然に片膝を突いて目線を合わせた。
そして、ルミの強張ったちいさな手を、宝物を扱うかのように優しく両手で包み込む。

「何を言うのです。不格好などと、誰が言ったのですか」

低く、けれど確固たる熱を孕んだ声が、ルミの耳を震わせる。

「今宵の大広間にいたどの貴族も、どれほど着飾った高位の令嬢も、貴方の足元にも及ばない。私にとっては、あの場にあったどんな本物の宝石よりも、この月明かりの中で私を想って踊ってくれていた貴方の姿が、世界で一番美しかった」

それは、先ほどエレオノーラが吐き捨てた「ガラス玉」という悪意を、微塵も残さず消し去るほどの、絶対的な全肯定だった。

「アルヴィーノ様……」

ルミの瞳に、じわりとあたたかい涙が浮かぶ。
アルヴィーノは立ち上がると、ルミの細い腰にそっと手を回し、もう片方の手でルミのちいさな掌を優しく握り直した。

「もう一度、今度は誰の目もないこの場所で、音の無いワルツを。……私と踊ってくれませんか、ルミ」
「……うん、アルヴィーノ様!」

大広間での「義務」でもなく、周囲の身分違いを囁く雑音もない、二人だけの本当の時間が始まる。
静まり返った私室。
管弦楽の演奏はなく、ただ二人の衣擦れの音と、窓の外から聞こえる夜風の音だけが優しく響いていた。
25センチメートルほどの愛らしい身長差を埋めるように、アルヴィーノはルミを優しく抱きしめるようにして、月光の絨毯の上を滑らかにリードしていく。
ルミはもう、自分の足元を見る必要はなかった。
ただ、まっすぐに自分を見つめてくれる、深く美しい紫の瞳だけをじっと見つめ、その大きな掌の温もりにすべてを委ねる。
一歩、また一歩とステップを重ねるたび、水色のシルクが夜の海のように静かに揺らめき、二人の影が月明かりの中に一つに溶けていった。

やがて静かにステップが止まると、緊張が解けたルミは、心地よい疲労感に包まれながら、アルヴィーノの広い胸にコテン、と頭を預けた。

「……はぁ、アルヴィーノ様の胸、すっごくあったかいや……」
「貴方が生きて、ここにいてくれるからですよ」

アルヴィーノはルミの小さな身体を愛おしそうに抱き上げると、静かにベッドへと横たえた。
あの地獄のような5日間。
魔力が枯渇し、意識を失う暗闇の中で、自分を繋ぎ止めてくれたのは、紛れもなくルミの水色の灯火だった。
こうして再び腕の中に抱きしめ、二人の時間を刻めることへの、言葉にならないほどの深い感謝と幸福感が、魔王の胸を満たしていく。

「おやすみなさい、私の愛しい天使」

アルヴィーノがルミの額にそっと、深い愛執を込めた口づけを落とす。

「えへへ……おやすみなさい、アルヴィーノ様……」

大好きな人の匂いと温もりに包まれ、ルミは水色の瞳をトロンと細め、幸せそうな笑みを浮かべたまま、深い眠りへと落ちていく。
その健やかな寝顔を見つめながら、アルヴィーノは、この愛しい光を絶対に誰にも渡さないと、静かな夜の静寂の中で改めて誓うのだった。
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