主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
一曲目のワルツが終わり、万雷の拍手の中をアルフレッドとエレオノーラが戻ってきた。
完璧に次期王妃としての自尊心を満たされたエレオノーラは、満足げに扇子を揺らしながら、再び他の高位貴族たちの社交の輪へと戻っていく。
それを見届け、ようやく一人になったアルフレッドが、ワイングラスを持ったまま動かない弟の隣へとそっと歩み寄った。
「見事な営業スマイルだったよ、アルヴィーノ。僕のためにそこまで我慢してくれて助かった」
「皮肉なら結構です、兄上。吐き気がするほど退屈な時間でした」
いつも通りの冷淡な声を返すアルヴィーノに、アルフレッドはふっと理知的な笑みを深める。
そして、アルヴィーノの紫の瞳が、先ほどから一瞬たりとも壁際の「小さな天使」から離れていないこと、そして周囲の女貴族たちがそんな彼に熱い視線を送っている状況を、全て正確に察した。
「ならば、退屈しのぎに君も一曲踊ったらどうだい?」
「お断りします。先ほども言ったはずです、私は病み上がりだと」
「建前はもういいさ。貴族の皆様も、英雄である君のダンスを心から望んでいるようだ。それに、あそこでずっと君だけを見つめて、一人で寂しそうにステップを踏んでいる『彼』を、そのままにしておくつもりかい?」
何気ない、けれど全てを見透かしたような兄の言葉に、アルヴィーノの眉がピクリと跳ねた。
遠くの従者席では、一人でワルツを踊っていたルミが、ちょうどステップに躓いて「おっとっと……」と少し恥ずかしそうに周囲を見回している。
その健気で、今にも寂しそうにこちらに駆け寄ってきそうな姿を見た瞬間、アルヴィーノの胸の奥の灯火が、疼くように熱を持った。
兄上には、完全に手の内を読まれている。だが——。
「兄上がそこまでおっしゃるなら、主賓としての義務を果たしてくるとしましょう。一曲だけ、ですが」
アルヴィーノはため息混じりにワイングラスを給仕のトレイへと置いた。
その瞬間、周囲で見守っていた女貴族たちの間に、期待の混じった息を呑む音が広がった。
ついに、あの氷の魔王がフロアへ動く。
「私の優しげな微笑みに応じてくださるのだわ」と確信した令嬢たちは、我先にとアルヴィーノの進行方向へと滑り込み、華やかなドレスの裾を揺らして彼を遮った。
「――アルヴィーノ殿下! もしよろしければ、私と一曲……」
「殿下、お体がよろしいのでしたら、ぜひ私と――」
香水の甘い香りを漂わせ、扇子の隙間から熱烈な視線を送る女貴族たち。
だが、アルヴィーノの歩みは微塵も緩まなかった。
彼は、目の前に立ちはだかる令嬢たちに視線を合わせることすらしない。
まるで、そこに誰も存在していないかのように、ただ前くだけを見つめて淡々と歩を進める。
ぶつかる直前で、冷徹なまでの威圧感に気圧された女貴族たちが、恐れをなして左右に避けていく。
一瞥すら与えられない徹底的な無視。
その絶対零度の拒絶に、令嬢たちは声を失い、呆然と立ち尽くすしかなかった。
きらびやかな大広間の中心を、まるでモーセの海割りのように、群がる貴族たちをスルーして通り抜ける。
アルヴィーノが進む先は、光の当たらない、静かな壁際の従者席――ただ一箇所だけだった。
自分へとまっすぐに近づいてくる大好きな人の姿に、ルミが水色の瞳を丸くした。
その目の前で、アルヴィーノは先ほどまでの冷酷さを完全に消し去り、優雅に、そして誰もが見惚れるほど完璧な所作で、ちいさなルミの前に片手を差し出した。
深い紫の髪が、大広間の光を受けて美しく揺れる。
「いちにさん、でしたね。……一人で踊るよりも、私と踊った方が、少しは上手く踊れると思いますが?」
優しく、けれど有無を言わせない極上の甘さを孕んだ声音。
周囲の貴族たちが、その「あまりにも不釣り合いなダンスの相手」に呆然と静まり返る中、アルヴィーノはただ一人、自分の天使だけをエスコートするために、世界で一番美しい微笑みを浮かべたのだった。
「あ……アルヴィーノ様?」
目の前に差し出された、大きくて逞しい手。
見上げれば、大広間のどんな光よりも美しく、自分だけを慈しむように見つめる紫の瞳がある。
あまりの突然のことに、ルミは水色の瞳を丸くして硬直してしまった。
今宵、ルミが纏っているのは、アルヴィーノが馴染みの仕立て屋に命じ、彼の瞳と同じ淡い水色の生地で特注させたドレス。
上質なシルクが、小柄なルミの身体を静かに包み込んでいる彼にとてもよく似合っているものだった。
けれど、ルミは差し出された手を前にして、ちいさな手をきゅっと胸の前で握りしめ、困ったように眉を下げた。
「……だ、ダメです、アルヴィーノ様。俺、アルヴィーノ様とはこんなに身長も違うから、一緒に踊ったら絶対に不格好になっちゃいます……。それに、俺は従者なのに、こんな王宮の真ん中で殿下と踊ったら……アルヴィーノ様が、また変なことを言われちゃいます……っ」
25センチメートルほどの圧倒的な体格差。
そして何より、自分のせいで大好きなアルヴィーノの名誉が傷つくかもしれない。
周囲の冷ややかな視線を肌で感じているからこそ、ルミは健気にも、その誘いを断ろうとした。
しかし、アルヴィーノの微笑みは微塵も揺らがなかった。
周囲の身分違いを囁く雑音も、ルミが抱える不安も、彼にとっては最初から考慮に値しないものだった。
彼はルミの言葉を静かに受け止めると、躊躇うルミのちいさな手を、大きな掌でそっと、けれど拒絶を許さない確実な力強さで包み込んだ。
「そんなくだらない他人の口など、私がいくらでも閉じさせてみせます。……さあ、行きましょう。私は、貴方としか踊る気はありません」
静かで、しかし絶対的な独占欲を孕んだ声音のまま、アルヴィーノはルミを優しく促し、大広間の中心へと連れ出した。
突然、光の当たるフロアの真ん中へと導かれ、周囲の目が一斉に集中する。
緊張で身体を強張らせるルミは、響き渡る管弦楽のワルツに合わせて一生懸命に足を動かそうとした。
けれど、慣れないドレスに、踊ったこともないダンス。
ステップが上手く踏めず、危うくアルヴィーノの靴を踏みそうになってしまう。
「ひゃっ……! あ、あの、やっぱり無理です、アルヴィーノ様……っ!」
困惑するルミ。
その瞬間、アルヴィーノはルミの細い腰を大きな手で引き寄せ、自分たちの身体をぴったりと密着させた。
ルミのちいさな足が、アルヴィーノの完璧なエスコートによって、滑らかに床を滑り始める。
「――私にすべてを預けなさい、ルミ。貴方はただ、私の目だけを見て、音楽に身を任せていればいい」
耳元で囁かれた、低く、酷く甘い声音。
アルヴィーノは圧倒的な体格差を完璧な計算と技巧で補い、ルミのつたないステップを信じられないほど優雅に、そして力強く先導していった。
アルヴィーノが大きく一歩を踏み出すたび、ルミの纏う水色のドレスが、美しく円を描いて翻る。
その光景に、大広間を埋め尽くす貴族たちは完全に唖然とし、言葉を失っていた。
「……あのアルヴィーノ殿下が、あのような見事なエスコートを……」
「身分違いの従者となど……と言おうとしたが、何だ、あの美しさは……」
最初は「従者と踊るなど」と眉をひそめていた者たちも、目の前で繰り広げられる「圧倒的なお似合いさ」の前に、ただただ呆然と目を奪われるしかなかった。
深い紫の髪の王子と、その胸に抱かれ、陽だまりのような水色の光を放つ少年。
二人のステップが一糸乱れぬ奇跡のような軌跡を描くたび、広間全体が、息を呑むほどの静寂に包まれていく。
フロアの壁際では、アルフレッドが手にしたワイングラスを傾けながら、本当に嬉しそうに、微笑ましくその光景を眺めていた。
その一方で、アルフレッドの隣に立つエレオノーラは、怒りと嫉妬でその美しい顔を「すっごい悔しい」という歪んだ形に引きつらせていた。
公の場で完璧な微笑みを貼り付けながらも、その黄緑色の瞳には、アルヴィーノに高価な特注のドレスを与えられ、誰よりも美しく踊るルミへの、激しい激情が燻っている。
「……えへへ、アルヴィーノ様、すごいです……! 俺、ちゃんと踊れてます……っ!」
アルヴィーノの確固たるリードに守られ、いつの間にか不安を忘れたルミが、水色の瞳をキラキラと輝かせて満面の笑みを浮かべる。
「ええ。世界中の誰よりも、今の貴方が一番美しいですよ、ルミ」
魔王はただ一人、腕の中にいる最愛の天使のためだけに、どこまでも深い、誇らしげな微笑みを捧げ続けるのだった。
完璧に次期王妃としての自尊心を満たされたエレオノーラは、満足げに扇子を揺らしながら、再び他の高位貴族たちの社交の輪へと戻っていく。
それを見届け、ようやく一人になったアルフレッドが、ワイングラスを持ったまま動かない弟の隣へとそっと歩み寄った。
「見事な営業スマイルだったよ、アルヴィーノ。僕のためにそこまで我慢してくれて助かった」
「皮肉なら結構です、兄上。吐き気がするほど退屈な時間でした」
いつも通りの冷淡な声を返すアルヴィーノに、アルフレッドはふっと理知的な笑みを深める。
そして、アルヴィーノの紫の瞳が、先ほどから一瞬たりとも壁際の「小さな天使」から離れていないこと、そして周囲の女貴族たちがそんな彼に熱い視線を送っている状況を、全て正確に察した。
「ならば、退屈しのぎに君も一曲踊ったらどうだい?」
「お断りします。先ほども言ったはずです、私は病み上がりだと」
「建前はもういいさ。貴族の皆様も、英雄である君のダンスを心から望んでいるようだ。それに、あそこでずっと君だけを見つめて、一人で寂しそうにステップを踏んでいる『彼』を、そのままにしておくつもりかい?」
何気ない、けれど全てを見透かしたような兄の言葉に、アルヴィーノの眉がピクリと跳ねた。
遠くの従者席では、一人でワルツを踊っていたルミが、ちょうどステップに躓いて「おっとっと……」と少し恥ずかしそうに周囲を見回している。
その健気で、今にも寂しそうにこちらに駆け寄ってきそうな姿を見た瞬間、アルヴィーノの胸の奥の灯火が、疼くように熱を持った。
兄上には、完全に手の内を読まれている。だが——。
「兄上がそこまでおっしゃるなら、主賓としての義務を果たしてくるとしましょう。一曲だけ、ですが」
アルヴィーノはため息混じりにワイングラスを給仕のトレイへと置いた。
その瞬間、周囲で見守っていた女貴族たちの間に、期待の混じった息を呑む音が広がった。
ついに、あの氷の魔王がフロアへ動く。
「私の優しげな微笑みに応じてくださるのだわ」と確信した令嬢たちは、我先にとアルヴィーノの進行方向へと滑り込み、華やかなドレスの裾を揺らして彼を遮った。
「――アルヴィーノ殿下! もしよろしければ、私と一曲……」
「殿下、お体がよろしいのでしたら、ぜひ私と――」
香水の甘い香りを漂わせ、扇子の隙間から熱烈な視線を送る女貴族たち。
だが、アルヴィーノの歩みは微塵も緩まなかった。
彼は、目の前に立ちはだかる令嬢たちに視線を合わせることすらしない。
まるで、そこに誰も存在していないかのように、ただ前くだけを見つめて淡々と歩を進める。
ぶつかる直前で、冷徹なまでの威圧感に気圧された女貴族たちが、恐れをなして左右に避けていく。
一瞥すら与えられない徹底的な無視。
その絶対零度の拒絶に、令嬢たちは声を失い、呆然と立ち尽くすしかなかった。
きらびやかな大広間の中心を、まるでモーセの海割りのように、群がる貴族たちをスルーして通り抜ける。
アルヴィーノが進む先は、光の当たらない、静かな壁際の従者席――ただ一箇所だけだった。
自分へとまっすぐに近づいてくる大好きな人の姿に、ルミが水色の瞳を丸くした。
その目の前で、アルヴィーノは先ほどまでの冷酷さを完全に消し去り、優雅に、そして誰もが見惚れるほど完璧な所作で、ちいさなルミの前に片手を差し出した。
深い紫の髪が、大広間の光を受けて美しく揺れる。
「いちにさん、でしたね。……一人で踊るよりも、私と踊った方が、少しは上手く踊れると思いますが?」
優しく、けれど有無を言わせない極上の甘さを孕んだ声音。
周囲の貴族たちが、その「あまりにも不釣り合いなダンスの相手」に呆然と静まり返る中、アルヴィーノはただ一人、自分の天使だけをエスコートするために、世界で一番美しい微笑みを浮かべたのだった。
「あ……アルヴィーノ様?」
目の前に差し出された、大きくて逞しい手。
見上げれば、大広間のどんな光よりも美しく、自分だけを慈しむように見つめる紫の瞳がある。
あまりの突然のことに、ルミは水色の瞳を丸くして硬直してしまった。
今宵、ルミが纏っているのは、アルヴィーノが馴染みの仕立て屋に命じ、彼の瞳と同じ淡い水色の生地で特注させたドレス。
上質なシルクが、小柄なルミの身体を静かに包み込んでいる彼にとてもよく似合っているものだった。
けれど、ルミは差し出された手を前にして、ちいさな手をきゅっと胸の前で握りしめ、困ったように眉を下げた。
「……だ、ダメです、アルヴィーノ様。俺、アルヴィーノ様とはこんなに身長も違うから、一緒に踊ったら絶対に不格好になっちゃいます……。それに、俺は従者なのに、こんな王宮の真ん中で殿下と踊ったら……アルヴィーノ様が、また変なことを言われちゃいます……っ」
25センチメートルほどの圧倒的な体格差。
そして何より、自分のせいで大好きなアルヴィーノの名誉が傷つくかもしれない。
周囲の冷ややかな視線を肌で感じているからこそ、ルミは健気にも、その誘いを断ろうとした。
しかし、アルヴィーノの微笑みは微塵も揺らがなかった。
周囲の身分違いを囁く雑音も、ルミが抱える不安も、彼にとっては最初から考慮に値しないものだった。
彼はルミの言葉を静かに受け止めると、躊躇うルミのちいさな手を、大きな掌でそっと、けれど拒絶を許さない確実な力強さで包み込んだ。
「そんなくだらない他人の口など、私がいくらでも閉じさせてみせます。……さあ、行きましょう。私は、貴方としか踊る気はありません」
静かで、しかし絶対的な独占欲を孕んだ声音のまま、アルヴィーノはルミを優しく促し、大広間の中心へと連れ出した。
突然、光の当たるフロアの真ん中へと導かれ、周囲の目が一斉に集中する。
緊張で身体を強張らせるルミは、響き渡る管弦楽のワルツに合わせて一生懸命に足を動かそうとした。
けれど、慣れないドレスに、踊ったこともないダンス。
ステップが上手く踏めず、危うくアルヴィーノの靴を踏みそうになってしまう。
「ひゃっ……! あ、あの、やっぱり無理です、アルヴィーノ様……っ!」
困惑するルミ。
その瞬間、アルヴィーノはルミの細い腰を大きな手で引き寄せ、自分たちの身体をぴったりと密着させた。
ルミのちいさな足が、アルヴィーノの完璧なエスコートによって、滑らかに床を滑り始める。
「――私にすべてを預けなさい、ルミ。貴方はただ、私の目だけを見て、音楽に身を任せていればいい」
耳元で囁かれた、低く、酷く甘い声音。
アルヴィーノは圧倒的な体格差を完璧な計算と技巧で補い、ルミのつたないステップを信じられないほど優雅に、そして力強く先導していった。
アルヴィーノが大きく一歩を踏み出すたび、ルミの纏う水色のドレスが、美しく円を描いて翻る。
その光景に、大広間を埋め尽くす貴族たちは完全に唖然とし、言葉を失っていた。
「……あのアルヴィーノ殿下が、あのような見事なエスコートを……」
「身分違いの従者となど……と言おうとしたが、何だ、あの美しさは……」
最初は「従者と踊るなど」と眉をひそめていた者たちも、目の前で繰り広げられる「圧倒的なお似合いさ」の前に、ただただ呆然と目を奪われるしかなかった。
深い紫の髪の王子と、その胸に抱かれ、陽だまりのような水色の光を放つ少年。
二人のステップが一糸乱れぬ奇跡のような軌跡を描くたび、広間全体が、息を呑むほどの静寂に包まれていく。
フロアの壁際では、アルフレッドが手にしたワイングラスを傾けながら、本当に嬉しそうに、微笑ましくその光景を眺めていた。
その一方で、アルフレッドの隣に立つエレオノーラは、怒りと嫉妬でその美しい顔を「すっごい悔しい」という歪んだ形に引きつらせていた。
公の場で完璧な微笑みを貼り付けながらも、その黄緑色の瞳には、アルヴィーノに高価な特注のドレスを与えられ、誰よりも美しく踊るルミへの、激しい激情が燻っている。
「……えへへ、アルヴィーノ様、すごいです……! 俺、ちゃんと踊れてます……っ!」
アルヴィーノの確固たるリードに守られ、いつの間にか不安を忘れたルミが、水色の瞳をキラキラと輝かせて満面の笑みを浮かべる。
「ええ。世界中の誰よりも、今の貴方が一番美しいですよ、ルミ」
魔王はただ一人、腕の中にいる最愛の天使のためだけに、どこまでも深い、誇らしげな微笑みを捧げ続けるのだった。
