主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

水面下の張り詰めた攻防が一段落すると、大広間に流れる管弦楽の旋律は、より一層華やかなワルツへと変わった。
祝勝晩餐会はそのまま舞踏会へと移行し、会場の中心では多くの貴族たちが、色とりどりのドレスの裾を翻して優雅に踊り始める。
大広間に響くワルツの旋律が、より一層の高まりを見せる。
アルヴィーノの「遠回しな極上の侮辱」に顔を真っ赤に染め、激情を抑えきれずにいたエレオノーラだったが、彼女の腕を引くアルフレッドの力は、驚くほど穏やかで、かつ拒絶を許さないほどに確実なものだった。

「エレオノーラ。夜はまだ始まったばかりだ。君のような美しい婚約者が、いつまでもここで立ち話をしているのは、この広間にとっても損失だと思わないかい?」

アルフレッドの声はどこまでも優雅で、完璧な王子の響きを保っていた。
彼は、エレオノーラの自尊心を巧みにくすぐりながら、爆発寸前の彼女をアルヴィーノから引き剥がそうとしていたのだ。
それは彼女を宥めるための言葉であると同時に、弟にこれ以上の不快な毒を浴びせないための、兄なりの「事後処理」でもあった。

「……まぁ、アルフレッド様。貴方がそこまでおっしゃるなら、受けて差し上げますわ」

エレオノーラはふん、と鼻を鳴らすと、勝利を確信したような笑みを浮かべた。
自分こそがこの国の未来の王妃であり、今この瞬間、この完璧な王子を独占しているのは自分なのだ――その優越感が、彼女の歪んだ自尊心を甘美に満たしていく。
エレオノーラはアルヴィーノにこれ見よがしな視線を向けると、わざとらしく彼のすぐ目の前を通り過ぎるようにして、アルフレッドにエスコートされながら舞踏会の中心へと向かった。
そうしてその中心まで歩を進め二人は音楽に合わせステップを踏む。
公の場としての仮面を完璧に被り直した二人は、一糸乱れぬステップで美しく舞い、周囲の貴族たちから感嘆の溜め息を誘っている。

「……よくやりますね、兄上も」

そんな煌びやかな中心地から離れた壁際。
アルヴィーノは手元に用意された最高級の赤ワインを静かに傾けながら、冷淡な一言を溢した。
あれほど内面が歪みきった雌狐を相手に、完璧な王子の笑みを浮かべてステップを踏み続ける兄への、それは彼なりの呆れと、ある種の敬意だった。
やはり自分には、あのような生温い社交など反吐が出る。

そうして不機嫌そうにワインを口に含んだアルヴィーノだったが、ふと、その紫の瞳が遠くの従者席へと向けられた。

その瞬間、彼の端正な輪郭が、目に見えてふわりと融けた。

大人の難しい話も、張り詰めた空気も、なーんにも分かっていないルミは、遠くの主賓席で華やかに踊るアルフレッドたちの姿を、目をキラキラと輝かせて眺めていた。

(わあ……みんな、ひらひらしてすっごく綺麗だなぁ……)

お腹いっぱい美味しいお菓子を食べ終えたルミは、だんだんと自分も身体を動かしたくなってきた。
そっと椅子からぴょん、と床へ降りると、大広間に響く心地よい音楽に合わせて、ちいさな身体を揺らし始める。

「いちにさん、いちにさん……」

もちろん、正式なステップなど習ったことはない。
けれど、楽しそうに踊る貴族たちを見真似で、短い足を一生懸命に動かし、一人でその場でクルクルと回ってみる。
お気に入りの物語の本に出てくる騎士とお姫様のように、あるいは、大好きなアルヴィーノといつかこうして踊れたらいいな、なんて淡い憧れを抱きながら。

「いちにさん、あ、ちょっとちがうかな……? えへへ、いちにさん……」

華やかな夜会の片隅、陽だまりのような純粋さで、一人だけのちいさなワルツを一生懸命に踊るルミ。
その姿は、この酷く飾り立てられた大広間の中で、唯一無二の純真な輝きを放っていた。

(……ああ。私の天使は、どうしてあんなにも可愛いのでしょうね)

ワイングラスを見つめたまま、アルヴィーノの唇からは、無自覚にそんな極上に甘い感嘆が漏れていた。
その視線の先には、一生懸命にステップを踏んでクルクルと回っているルミの姿がある。
ルミが楽しそうに笑うたび、アルヴィーノの胸の奥で、ルミが命がけで繋いでくれた水色の灯火が、愛おしそうにトクトクと脈打った。
あまりの愛らしさに、アルヴィーノは貴族たちの前であることも忘れ、その冷徹なはずの顔に、誰も見たことがないほど優しく、どこまでも深い慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
しかし、周囲の女貴族たちには、その視線の先がまさか「壁際のちいさな従者」だとは夢にも思わない。
氷の魔王と恐れられるアルヴィーノが、ワインを片手に、突然あんなにも切なく、とろけるような優しい笑みを浮かべたのだ。
周囲で見守っていた令嬢たちは、一瞬で心を撃ち抜かれ、扇子で顔を隠しながらひそひそと色めき立った。

「……まぁ! ご覧になって、アルヴィーノ殿下のあの優しげなお顔……!」
「なんて美しい微笑みかしら。お体を気遣って先ほどはダンスをお断りになりましたけれど……もしかして、本当は誰かとお踊りになりたいのではなくて?」
「あんなに優しい笑みを向けられるお相手が羨ましいわ……。ねえ、やっぱり、もう一度お声がけをしたら、今度は踊ってくださらないかしら……?」

張り詰めた夜会の中で、勘違いから生まれる熱い視線の嵐。
けれど、アルヴィーノの瞳には、そんな必死な女貴族たちの姿など一ミリも映っていない。
彼の世界には今、遠くの片隅で「いちにさん」と無邪気に踊る、愛しいルミの姿だけが、世界で一番鮮明に輝いていた。
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