主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
深い紫の魔力が部屋に満ちる中、ゆっくりと、その深い紫の瞳が開かれた。
「……ぁ、」
まだ焦点の合わない視界の先、最初に映ったのは、今にも泣きそうな顔で自分を見つめる、水色の瞳だった。
白く擦り切れそうなほどにやつれ、それでも必死に自分を覗き込んでいる、世界で一番愛しい少年。
「……ルミ……?」
掠れた声で、その名を呼んだ。
次の瞬間、ルミの瞳から大粒の涙が、堰を切ったように溢れ出した。
「う、あ……っ、王子様、アルヴィーノ様……っ!!」
張り詰めていた糸が完全に切れたルミは、アルヴィーノの胸に飛び込むようにしてしがみつき、子供のように声を上げて大泣きした。
何度も、何度も、その愛しい名前を呼びながら、まだ力の入らないアルヴィーノの手をぎゅっと握りしめる。
アルヴィーノは、自分の胸を満たす温もりと、ルミが耐え抜いてくれた痛みの余韻を感じながら、愛おしそうにその小さな背中に手を回した。
「……アルヴィーノ殿下、概ね命の危機は脱しました」
横で見守っていた老魔道士が、深く息を吐いて頭を下げた。
「ルミ殿が命がけで御身の回路に魔力を注ぎ続け、再起動させたのです。まだ魔力値は不安定ですので予断は許しませんが、魂の消滅の危機は去りました。……殿下、二度とこのような無茶はなさらぬよう。……では、私はアルフレッド殿下をお呼びしてまいります」
魔道士は静かに一礼すると、二人の時間を邪魔しないよう、速やかに部屋を後にした。
◇
部屋に残された二人の間に、静かで温かい時間が流れる。
ルミはアルヴィーノの胸に顔を埋めたまま、しゃくり上げ続けていた。
「ルミ……可哀想に、目が真っ赤です。私のために、どれほどの無理をしたのですか」
「ううん……、無理じゃない、もん……。王子様が、俺のために、血を吐きながらがんばってくれたのに……俺が、なにもしないなんて、いやだったの……っ」
ごしごしと乱暴に涙を拭うルミの頬を、アルヴィーノは愛おしげに長い指先で撫でた。
「貴方に何かあれば、私は本当に世界を滅ぼしてしまいます。それほどまでに私は貴方を大切に思っているのですよ。もうこんな無茶、しないでくださいね」
「アルヴィーノ様もだよ!! ばか!! ばかぁあ!」
「そうですね……。すみません。貴方に救われたこの命、これからは、もっと大切に扱いましょう」
「うん……っ。約束、だからね……?」
その甘く切ない約束を交わした数分後。
バァン! と、部屋の扉が荒々しく押し開けられた。
そこに立っていたのは、数日間の不眠不休の激務により、見たこともないほどにやつれ、凄まじい隈を刻んだ第一王子アルフレッドだった。
手にはまだ、サインを走らせていた万年筆が握られている。
アルフレッドはベッドの上のアルヴィーノを一睨みすると、大股で歩み寄ってきた。その全身から放たれる怒気は、普段の理知的な彼からは想像もつかないほどに凄まじい。
「兄上。……そんなに怒った顔をしないでください。戦後処理が忙しいのは分かりますが、私はルミを連れて一足先に帰っただけ――」
「――いい加減にしろ、アルヴィーノッ!!」
乾いた、重い衝撃音が室内に響き渡った。
アルフレッドの拳が、アルヴィーノの頬を、容赦なく、真っ直ぐに殴り飛ばしていた。
ベッドから落ちるアルヴィーノ。
殴ったアルフレッドの拳は、怒りと、そして疲労のせいで激しく震えている。
「あ、アルヴィーノ様……っ!?」
ルミは息を呑み、あわあわと手を彷徨わせた。
アルヴィーノは、殴られた頬を押さえながら、紫の瞳に純粋な困惑を浮かべて兄を見上げた。
そこに反抗の意思はない。
ただ本気で、なぜ兄がここまで激昂しているのか、その理由が分からなかったのだ。
「……何をするのです、兄上。私が禁忌の蘇生魔法を使ったからですか? ですが、私は己の魔力だけでそれを成した。貴方に何か迷惑をかけましたか? 国が四つ消えた件なら、貴方が完璧に処理をして――」
「僕が怒っているのは、そんなことじゃない……!!」
アルフレッドは、喉を掻き切るような声で怒鳴りつけた。万年筆が床に転がり、落ちる。
「君が! 自分の命を、魂の存在すら投げ出すような無茶をしたから怒っているんだ! 己の魔力だけで蘇生魔法など使えば、魂が汚染され、最悪の場合は消滅すると、あの夜確かに言ったはずだ!!」
アルフレッドはアルヴィーノの胸ぐらを掴み、そのやつれた顔を至近距離まで近づけた。
その瞳には、怒りと同時に、実の弟を失いかけた恐怖と、深い情が滲んでいる。
「他国が滅びようが、書類が山積みになろうが、そんなものはどうでもいい! 僕は……僕は、僕のたった一人の弟に、目の前で死なれるのが一番嫌だと言っているんだ、この馬鹿者が……ッ!!」
「……あ、」
アルヴィーノの思考が、一瞬だけ停止した。
冷酷な政治家としてではなく、一人の「兄」として、自分の命を本気で心配し、怒ってくれている。
そのあまりにも不器用で真っ直ぐな家族の情に触れ、魔王は言葉を失くして呆然とするしかなかった。
「アルフレッド様……! アルヴィーノ様を、いじめないで……っ、おねがい……っ!」
我に返ったルミが、泣きながら二人の間に割り込み、小さな両手を広げてアルヴィーノを庇った。
まだガタガタと震える身体で、必死にアルフレッドを見上げるルミ。
そのルミの健気な姿を見て、アルフレッドはハッと我に返ったように息を吐き、ゆっくりと弟の胸ぐらから手を離した。
「……すまない、ルミくん。取り乱した。……君に、これ以上の心労をかけるつもりはなかったんだ」
アルフレッドは乱暴に前髪をかき上げると、天を仰いで、この数日間で一番深い、重い溜め息を吐き出した。
「……アルヴィーノ。君を救ったのは、君が命をかけて守ろうとした、ルミくんだ。君の犯した禁忌の代償を、この小さな少年が命を削って支払ってくれた。その事実を、一生忘れないことだよ」
「……ええ。分かっています」
アルヴィーノは、ルミの細い腰を後ろからそっと抱き寄せ、兄を見据えた。
その紫の瞳からは、先ほどまでの冷たい無機質さが消え、少しだけ兄に対する素直な温度が宿っていた。
「……兄上。……無茶をして、申し訳ございませんでした。それと……あとの処理、よろしくお願いします」
「ああ……。言われなくとも、完璧に片付けてある。……僕はもう行く。まだ、山のような書類が残っているからね」
アルフレッドはやつれた顔にいつもの理知的な苦笑を浮かべると、床の万年筆を拾い上げ、今度こそ静かに部屋を後にした。
去り際、二人の繋がれた手が離れないのを見て、少しだけ安心したように。
「……アルヴィーノ様、いたい? だいじょうぶ……?」
ルミが心配そうに、殴られたアルヴィーノの頬に小さな手をあてる。
アルヴィーノはその手をそっと包み込み、酷く優しく微笑んだ。
「貴方が傍にいてくれれば、どこも痛くありませんよ。……ルミ、私のために、がんばってくれてありがとう。……おいで、今度こそ、ゆっくり眠りましょう」
カーテンの隙間から、静かな夜の月光が差し込む。
激動の五日間が終わり、部屋には今度こそ、誰も傷つかない、本当の、穏やかで甘い日常の夜が訪れるのだった。
「……ぁ、」
まだ焦点の合わない視界の先、最初に映ったのは、今にも泣きそうな顔で自分を見つめる、水色の瞳だった。
白く擦り切れそうなほどにやつれ、それでも必死に自分を覗き込んでいる、世界で一番愛しい少年。
「……ルミ……?」
掠れた声で、その名を呼んだ。
次の瞬間、ルミの瞳から大粒の涙が、堰を切ったように溢れ出した。
「う、あ……っ、王子様、アルヴィーノ様……っ!!」
張り詰めていた糸が完全に切れたルミは、アルヴィーノの胸に飛び込むようにしてしがみつき、子供のように声を上げて大泣きした。
何度も、何度も、その愛しい名前を呼びながら、まだ力の入らないアルヴィーノの手をぎゅっと握りしめる。
アルヴィーノは、自分の胸を満たす温もりと、ルミが耐え抜いてくれた痛みの余韻を感じながら、愛おしそうにその小さな背中に手を回した。
「……アルヴィーノ殿下、概ね命の危機は脱しました」
横で見守っていた老魔道士が、深く息を吐いて頭を下げた。
「ルミ殿が命がけで御身の回路に魔力を注ぎ続け、再起動させたのです。まだ魔力値は不安定ですので予断は許しませんが、魂の消滅の危機は去りました。……殿下、二度とこのような無茶はなさらぬよう。……では、私はアルフレッド殿下をお呼びしてまいります」
魔道士は静かに一礼すると、二人の時間を邪魔しないよう、速やかに部屋を後にした。
◇
部屋に残された二人の間に、静かで温かい時間が流れる。
ルミはアルヴィーノの胸に顔を埋めたまま、しゃくり上げ続けていた。
「ルミ……可哀想に、目が真っ赤です。私のために、どれほどの無理をしたのですか」
「ううん……、無理じゃない、もん……。王子様が、俺のために、血を吐きながらがんばってくれたのに……俺が、なにもしないなんて、いやだったの……っ」
ごしごしと乱暴に涙を拭うルミの頬を、アルヴィーノは愛おしげに長い指先で撫でた。
「貴方に何かあれば、私は本当に世界を滅ぼしてしまいます。それほどまでに私は貴方を大切に思っているのですよ。もうこんな無茶、しないでくださいね」
「アルヴィーノ様もだよ!! ばか!! ばかぁあ!」
「そうですね……。すみません。貴方に救われたこの命、これからは、もっと大切に扱いましょう」
「うん……っ。約束、だからね……?」
その甘く切ない約束を交わした数分後。
バァン! と、部屋の扉が荒々しく押し開けられた。
そこに立っていたのは、数日間の不眠不休の激務により、見たこともないほどにやつれ、凄まじい隈を刻んだ第一王子アルフレッドだった。
手にはまだ、サインを走らせていた万年筆が握られている。
アルフレッドはベッドの上のアルヴィーノを一睨みすると、大股で歩み寄ってきた。その全身から放たれる怒気は、普段の理知的な彼からは想像もつかないほどに凄まじい。
「兄上。……そんなに怒った顔をしないでください。戦後処理が忙しいのは分かりますが、私はルミを連れて一足先に帰っただけ――」
「――いい加減にしろ、アルヴィーノッ!!」
乾いた、重い衝撃音が室内に響き渡った。
アルフレッドの拳が、アルヴィーノの頬を、容赦なく、真っ直ぐに殴り飛ばしていた。
ベッドから落ちるアルヴィーノ。
殴ったアルフレッドの拳は、怒りと、そして疲労のせいで激しく震えている。
「あ、アルヴィーノ様……っ!?」
ルミは息を呑み、あわあわと手を彷徨わせた。
アルヴィーノは、殴られた頬を押さえながら、紫の瞳に純粋な困惑を浮かべて兄を見上げた。
そこに反抗の意思はない。
ただ本気で、なぜ兄がここまで激昂しているのか、その理由が分からなかったのだ。
「……何をするのです、兄上。私が禁忌の蘇生魔法を使ったからですか? ですが、私は己の魔力だけでそれを成した。貴方に何か迷惑をかけましたか? 国が四つ消えた件なら、貴方が完璧に処理をして――」
「僕が怒っているのは、そんなことじゃない……!!」
アルフレッドは、喉を掻き切るような声で怒鳴りつけた。万年筆が床に転がり、落ちる。
「君が! 自分の命を、魂の存在すら投げ出すような無茶をしたから怒っているんだ! 己の魔力だけで蘇生魔法など使えば、魂が汚染され、最悪の場合は消滅すると、あの夜確かに言ったはずだ!!」
アルフレッドはアルヴィーノの胸ぐらを掴み、そのやつれた顔を至近距離まで近づけた。
その瞳には、怒りと同時に、実の弟を失いかけた恐怖と、深い情が滲んでいる。
「他国が滅びようが、書類が山積みになろうが、そんなものはどうでもいい! 僕は……僕は、僕のたった一人の弟に、目の前で死なれるのが一番嫌だと言っているんだ、この馬鹿者が……ッ!!」
「……あ、」
アルヴィーノの思考が、一瞬だけ停止した。
冷酷な政治家としてではなく、一人の「兄」として、自分の命を本気で心配し、怒ってくれている。
そのあまりにも不器用で真っ直ぐな家族の情に触れ、魔王は言葉を失くして呆然とするしかなかった。
「アルフレッド様……! アルヴィーノ様を、いじめないで……っ、おねがい……っ!」
我に返ったルミが、泣きながら二人の間に割り込み、小さな両手を広げてアルヴィーノを庇った。
まだガタガタと震える身体で、必死にアルフレッドを見上げるルミ。
そのルミの健気な姿を見て、アルフレッドはハッと我に返ったように息を吐き、ゆっくりと弟の胸ぐらから手を離した。
「……すまない、ルミくん。取り乱した。……君に、これ以上の心労をかけるつもりはなかったんだ」
アルフレッドは乱暴に前髪をかき上げると、天を仰いで、この数日間で一番深い、重い溜め息を吐き出した。
「……アルヴィーノ。君を救ったのは、君が命をかけて守ろうとした、ルミくんだ。君の犯した禁忌の代償を、この小さな少年が命を削って支払ってくれた。その事実を、一生忘れないことだよ」
「……ええ。分かっています」
アルヴィーノは、ルミの細い腰を後ろからそっと抱き寄せ、兄を見据えた。
その紫の瞳からは、先ほどまでの冷たい無機質さが消え、少しだけ兄に対する素直な温度が宿っていた。
「……兄上。……無茶をして、申し訳ございませんでした。それと……あとの処理、よろしくお願いします」
「ああ……。言われなくとも、完璧に片付けてある。……僕はもう行く。まだ、山のような書類が残っているからね」
アルフレッドはやつれた顔にいつもの理知的な苦笑を浮かべると、床の万年筆を拾い上げ、今度こそ静かに部屋を後にした。
去り際、二人の繋がれた手が離れないのを見て、少しだけ安心したように。
「……アルヴィーノ様、いたい? だいじょうぶ……?」
ルミが心配そうに、殴られたアルヴィーノの頬に小さな手をあてる。
アルヴィーノはその手をそっと包み込み、酷く優しく微笑んだ。
「貴方が傍にいてくれれば、どこも痛くありませんよ。……ルミ、私のために、がんばってくれてありがとう。……おいで、今度こそ、ゆっくり眠りましょう」
カーテンの隙間から、静かな夜の月光が差し込む。
激動の五日間が終わり、部屋には今度こそ、誰も傷つかない、本当の、穏やかで甘い日常の夜が訪れるのだった。
