主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
第一王子アルフレッドの執務室は、戦場さながらの怒号と焦燥感に包まれていた。
「アルフレッド殿下! 周辺諸国からの定期魔導通信、すべて『応答なし』です!」
「ガルディニア跡地の直轄地化に関する書類、国王陛下の御璽 をいただきました! 早く宰相府へ!」
山積みにされた書類、行き交う文官や従者たち。
四つの国家が一夜にして消滅したという、前代未聞の事態の隠蔽と戦後処理。
そのすべてが、アルフレッドの双肩にのしかかっていた。
連日の徹夜のせいで、彼の端正な顔には濃い影が落ちている。
そんな狂乱の部屋の扉が、遠慮がちに、けれど必死に押し開けられた。
「……あの、……アルフ、レッド……さま……っ」
現れたルミの、涙でぐちゃぐちゃになった顔を見て、アルフレッドは目を見開いた。
部屋のあまりの物々しさと、大人たちの放つ張り詰めた空気に気圧され、ルミは一歩後ろへ退さりそうになる。
助けを求めたいのに、自分のせいでみんなが大変なことになっているのだと察して、言葉が喉に詰まってしまう。
「ごめんなさい……ごめんなさい、忙しいのに……っ。でも、でも、たすけて……っ」
ルミは黄金の杖を強く抱きしめ、謝罪と「助けて」を何度も何度も繰り返した。
恐怖と罪悪感でパニックになり、状況をうまく説明することができない。
「王子様が、起きないの……っ。もうずうっと、冷たくて、動かなくて……! 俺、どうしたらいいか、わかんなくて……っ、うあ、ぁ……ッ」
ついに堪えきれず、子供のようにその場にしゃがみ込んで泣きじゃくるルミ。
その姿を見た瞬間、アルフレッドは手にしていた万年筆を机に置いた。
「――全員、一度手を止めなさい」
アルフレッドの低く威厳のある声が、部屋の喧騒をピタリと止める。
「この場は副官が統括しろ。私はこれより、第二王子の私室へ向かう。……それと、宮廷魔導士の中でも特に『魔術回路』の構造に最高に詳しい者を一人、大至急アルヴィーノの部屋へ回せ!」
「は、殿下!? しかし、まだ処理が……っ」
「黙れ。我が国の最大の戦力が機能不全を起こしているのだぞ。これ以上の優先事項があるか」
文官たちの制止を冷徹に一蹴すると、アルフレッドはルミの元へ歩み寄り、その小さな肩を優しく抱き起こした。
「すまない、ルミくん。寂しい思いをさせたね。一緒に行こう」
◇
第二王子の私室に、アルフレッド、そして息を切らせて駆けつけた老齢の宮廷魔導士が到着した。
ベッドに横たわるアルヴィーノの腕に、魔導士がいくつかの魔力測定の触手を這わせる。
呪文が唱えられ、淡い光がアルヴィーノの身体を包み込むが――その光は、驚くほどにか細く、今にも消えそうだった。
「……これは、酷い……」
魔導士が、信じられないものを見るかのように声を震わせた。
「肉体や精神の損傷ではありません。……魔力回路が、文字通り『完全に空っぽ』です。通常の魔力枯渇であれば、大気中の魔力を吸い上げて自然回復するものですが、アルヴィーノ殿下はあまりに規格外の術を短時間に使いすぎた。回路自体が焼き切れんばかりに干からびており、自力で魔力を生成する機能を完全に停止させています。このままでは、遠からず……魂そのものが消滅しかねません」
「そんな……っ!」
ルミの顔から、血の気が一瞬で引いていく。
魂の消滅。
それは、大好きな人がこの世界から永遠にいなくなってしまうことを意味していた。
「治療法は、ないのか」
アルフレッドが厳しい声で問い詰める。
「方法が、ないわけではありません……。外部から、殿下の巨大な回路に適合する純度の高い魔力を、直接『流し込み続ける』しかありません。しかし、殿下の魔術回路はあまりに強大で昏い。並の魔導士では、魔力を注いだ瞬間に逆に殿下の回路に全ての魔力を吸い尽くされ、干からびて死に至るでしょう。それに、数日間にわたって一定のペースで魔力を制御し、流し込み続けるための『制御装置』の役割を果たす媒介者が必要になります。それは、想像を絶する苦痛と魔力の消費を伴う、命がけの術です……」
魔導士の言葉に、部屋は重苦しい沈黙に包まれた。
誰も、あの魔王の回路を維持するための生贄にはなれない。
アルフレッド自身も高い魔力を持つが、国を動かす今の彼が倒れるわけにはいかなかった。
その静寂を破ったのは、小さな、けれど確かな足音だった。
「――俺が、やる」
ルミが、一歩前に踏み出した。
その水色の瞳は、まだ涙で濡れていた。
けれど、ルミは自分の袖で、ごしごしと乱暴にその涙を拭った。赤くなった目元には、かつての怯える子供の面影はどこにもない。
明確な、強い『決意』の光が宿っていた。
「俺の魔力は、王子様が『綺麗だね、信じていいんだよ』って言ってくれた、闇の魔力だから。王子様の昏い回路にも、きっと馴染む。……王子様は、俺のために命をかけて怒ってくれたの。だから今度は、俺が王子様を助ける番。……だから、その装置を、俺につけて!」
黄金の杖を床にコツンと突き立て、ルミは真っ直ぐにアルフレッドと魔導士を見据えた。
大好きな人を救うためなら、どんな苦痛も恐れない。
その小さな背中には、一人の男を命がけで愛する者の、気高い覚悟が満ちていた。
「アルフレッド殿下! 周辺諸国からの定期魔導通信、すべて『応答なし』です!」
「ガルディニア跡地の直轄地化に関する書類、国王陛下の
山積みにされた書類、行き交う文官や従者たち。
四つの国家が一夜にして消滅したという、前代未聞の事態の隠蔽と戦後処理。
そのすべてが、アルフレッドの双肩にのしかかっていた。
連日の徹夜のせいで、彼の端正な顔には濃い影が落ちている。
そんな狂乱の部屋の扉が、遠慮がちに、けれど必死に押し開けられた。
「……あの、……アルフ、レッド……さま……っ」
現れたルミの、涙でぐちゃぐちゃになった顔を見て、アルフレッドは目を見開いた。
部屋のあまりの物々しさと、大人たちの放つ張り詰めた空気に気圧され、ルミは一歩後ろへ退さりそうになる。
助けを求めたいのに、自分のせいでみんなが大変なことになっているのだと察して、言葉が喉に詰まってしまう。
「ごめんなさい……ごめんなさい、忙しいのに……っ。でも、でも、たすけて……っ」
ルミは黄金の杖を強く抱きしめ、謝罪と「助けて」を何度も何度も繰り返した。
恐怖と罪悪感でパニックになり、状況をうまく説明することができない。
「王子様が、起きないの……っ。もうずうっと、冷たくて、動かなくて……! 俺、どうしたらいいか、わかんなくて……っ、うあ、ぁ……ッ」
ついに堪えきれず、子供のようにその場にしゃがみ込んで泣きじゃくるルミ。
その姿を見た瞬間、アルフレッドは手にしていた万年筆を机に置いた。
「――全員、一度手を止めなさい」
アルフレッドの低く威厳のある声が、部屋の喧騒をピタリと止める。
「この場は副官が統括しろ。私はこれより、第二王子の私室へ向かう。……それと、宮廷魔導士の中でも特に『魔術回路』の構造に最高に詳しい者を一人、大至急アルヴィーノの部屋へ回せ!」
「は、殿下!? しかし、まだ処理が……っ」
「黙れ。我が国の最大の戦力が機能不全を起こしているのだぞ。これ以上の優先事項があるか」
文官たちの制止を冷徹に一蹴すると、アルフレッドはルミの元へ歩み寄り、その小さな肩を優しく抱き起こした。
「すまない、ルミくん。寂しい思いをさせたね。一緒に行こう」
◇
第二王子の私室に、アルフレッド、そして息を切らせて駆けつけた老齢の宮廷魔導士が到着した。
ベッドに横たわるアルヴィーノの腕に、魔導士がいくつかの魔力測定の触手を這わせる。
呪文が唱えられ、淡い光がアルヴィーノの身体を包み込むが――その光は、驚くほどにか細く、今にも消えそうだった。
「……これは、酷い……」
魔導士が、信じられないものを見るかのように声を震わせた。
「肉体や精神の損傷ではありません。……魔力回路が、文字通り『完全に空っぽ』です。通常の魔力枯渇であれば、大気中の魔力を吸い上げて自然回復するものですが、アルヴィーノ殿下はあまりに規格外の術を短時間に使いすぎた。回路自体が焼き切れんばかりに干からびており、自力で魔力を生成する機能を完全に停止させています。このままでは、遠からず……魂そのものが消滅しかねません」
「そんな……っ!」
ルミの顔から、血の気が一瞬で引いていく。
魂の消滅。
それは、大好きな人がこの世界から永遠にいなくなってしまうことを意味していた。
「治療法は、ないのか」
アルフレッドが厳しい声で問い詰める。
「方法が、ないわけではありません……。外部から、殿下の巨大な回路に適合する純度の高い魔力を、直接『流し込み続ける』しかありません。しかし、殿下の魔術回路はあまりに強大で昏い。並の魔導士では、魔力を注いだ瞬間に逆に殿下の回路に全ての魔力を吸い尽くされ、干からびて死に至るでしょう。それに、数日間にわたって一定のペースで魔力を制御し、流し込み続けるための『制御装置』の役割を果たす媒介者が必要になります。それは、想像を絶する苦痛と魔力の消費を伴う、命がけの術です……」
魔導士の言葉に、部屋は重苦しい沈黙に包まれた。
誰も、あの魔王の回路を維持するための生贄にはなれない。
アルフレッド自身も高い魔力を持つが、国を動かす今の彼が倒れるわけにはいかなかった。
その静寂を破ったのは、小さな、けれど確かな足音だった。
「――俺が、やる」
ルミが、一歩前に踏み出した。
その水色の瞳は、まだ涙で濡れていた。
けれど、ルミは自分の袖で、ごしごしと乱暴にその涙を拭った。赤くなった目元には、かつての怯える子供の面影はどこにもない。
明確な、強い『決意』の光が宿っていた。
「俺の魔力は、王子様が『綺麗だね、信じていいんだよ』って言ってくれた、闇の魔力だから。王子様の昏い回路にも、きっと馴染む。……王子様は、俺のために命をかけて怒ってくれたの。だから今度は、俺が王子様を助ける番。……だから、その装置を、俺につけて!」
黄金の杖を床にコツンと突き立て、ルミは真っ直ぐにアルフレッドと魔導士を見据えた。
大好きな人を救うためなら、どんな苦痛も恐れない。
その小さな背中には、一人の男を命がけで愛する者の、気高い覚悟が満ちていた。
