主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

カチ、と。
アルヴィーノの頭の中で、何か小さな歯車が止まる音がした。

「……アル、ヴィーノ……?」

隣にいたアルフレッドが、本能的な恐怖に歯をガタガタと鳴らしながら、掠れた声で弟の名を呼ぶ。
だが、その声は届かない。
今のアルヴィーノの耳に届くのは、数日間の暗闇の中で、声の出ない喉を震わせ、泣きながら自分を呼び続けていたルミの、魂の悲鳴だけだった。
アルヴィーノの紫の瞳が、ゆっくりと偽物のアルヴィーノ、そしてバルトロメウスへと向けられる。
そこには怒りも、憎しみも、何もなかった。
ただ、世界そのものを「不要なゴミ」と見なした、完全なる虚無。

「……あ」

ルミの首筋に刃を当てていた偽物のアルヴィーノが、短い声を漏らした。
次の瞬間、偽物の男の「両腕」が、何の前触れもなく、根本からボトリと床に落ちた。
切り口からは血さえ流れない。
極限の重力によって、肉体そのものが細胞レベルで押し潰され、剪断せんだんされたのだ。

「が、あ、あ、あああああああッ!?!? 声、が、出な……っ!?」

両腕を失った偽物が床に転がり、声の出ない喉を掻きむしってのたうち回る。
ルミの身体が床に倒れ込むより早く、アルヴィーノは音もなくその場から掻き消え、次の瞬間には、床に落ちる直前のルミの小さな身体を、両腕でそっと、この世で最も壊れやすいガラス細工を扱うように優しく抱きとめていた。

「よく頑張りましたね、ルミ。……もう、大丈夫ですよ」

アルヴィーノの声は、恐ろしいほどに穏やかだった。
いつもと変わらない、ルミだけに向けられる極上の低音。
ルミを左腕でしっかりと抱きすくめ、その光を失った瞳に何度も口づけを落としながら、アルヴィーノはただ静かに、空いた右手をガルディニアの王や貴族たちへと向けた。
呪文の詠唱など、もはや必要ない。
彼の意志そのものが、世界の法則を書き換える絶対の呪詛だった。

ただ、手中に出現させた銀の杖を天に掲げ術名を唱えるだけ。

――地属性極大魔法『ガイア・グラビティ・フォール』

「ひっ、あ、あああああ!!」

ガルディニアの王が、貴族たちが、悲鳴を上げる暇さえなく床に叩きつけられた。
謁見の間だけでなく、ガルディニア王城全体、そして王都全域の「重力」が数千倍へと跳ね上がる。
強固な石造りの建造物が、城壁が、大地に吸い込まれるようにして一瞬でペシャンコに圧壊し、粉々の塵へと変わっていく。
だが、これだけでは、アルヴィーノの胸に燻る狂気は1ミリも収まらない。
抱きしめているルミの衣服の裂け目、その肌に刻まれた痛々しい痕を見るたびに、彼の脳細胞は怒りで焼き切れそうになっていた。

(我が顔を模した怪物に、この細い肌を触らせた。我が声を模した獣に、この心を蹂躙させた。……その罪を、この程度の破壊で贖えると思うな)

アルヴィーノはルミの頭を優しく胸に抱え込み、その視線を、崩壊していく王都のさらに先へと向けた。

――水・氷属性極大魔法『コキュートス・プリズン』

圧壊したガルディニアの国土全土に、絶対零度の冷気が吹き荒れる。
逃げ惑う数百万の兵も、民も、流れる川も、すべてが一瞬にして永久に溶けない漆黒の氷壁へと閉ざされ、生命の鼓動を完全に停止させた。

――風・雷属性極大魔法『ジュピター・ライトニング・テンペスト』

凍りついた世界の上空を、夜を黄金に染め上げるほどの巨大な雷雲が覆い尽くす。
天を割る神罰の雷霆が数万発同時に降り注ぎ、漆黒の氷も、圧壊した建物の残骸も、すべてを原子レベルで粉砕し、跡形もなく消し飛ばしていく。

「……っ、アルヴィーノ! もうやめろ、もうガルディニアは滅んだ! これ以上は……っ!」

アルフレッドが、アルヴィーノから放たれる圧倒的な神の如き魔圧に圧潰されそうになりながら、血を吐くような声で叫ぶ。
今のアルヴィーノの魔力量は、一国の宮廷魔導士全員が束になっても1パーセントにも満たない。
アルフレッドには、弟の暴走を止める術など、ただの一つも存在しなかった。
ただ、世界の終わりを特等席で見せつけられている観客に過ぎない。
アルヴィーノは兄の制止など完全に無視し、さらにその意識を「外」へと広げた。

(ガルディニアと利害を共にし、この陰謀を黙認していた周辺各国。……お前たちも同罪だ。ルミのいない世界に、存在する価値などない)

――火・光属性極大魔法『プロメテウス・アナイアレイション』

ガルディニアの国境を越え、同盟を組んでいた周辺の三つの国家。
その全土の空に、突如として「太陽」が降臨した。
それは温かな光ではない。すべてを均一に、完全に無へと還す断罪の業火。
周辺各国の王都、領地、山々、きらびやかな街並み。
それらすべてが、悲鳴を上げる時間すら与えられず、一瞬にして光の中に溶け、真っ白な灰へと変わっていった。
数分前まで、肥沃な大地と栄華を誇っていたガルディニア王国、そして周辺の同盟国。
そのすべてが、地図の上から完全に消失した。
後に残されたのは、悲鳴も、風の音さえもない、ただ地平線まで真っ平らに続く、静まり返った「真っ白な更地」だけだった。

「……あ、あぁ……」

アルフレッドは、あまりの規格外の終末を前に、膝から崩れ落ちて言葉を失っていた。
国が、いくつもの歴史が、弟のたった一言の無詠唱魔法で、本当に、文字通り消えてしまった。
激しい破壊の嵐が止み、完全な静寂が訪れた更地。
その中心で、アルヴィーノはルミを大切に抱きかかえたまま、冷たい視線を足元へと落とした。
そこには、極大魔法の直撃をあえて「外され」、生かされた二人の男が転がっていた。
五体満足でありながら恐怖で完全に精神が崩壊し、泡を吹いてガタガタと震える宰相バルトロメウス。
そして、両腕を失い、自身の血の海の中で虫のように這いつくばっている、偽物のアルヴィーノ。
アルヴィーノはルミの耳を優しく自分の胸に押し当て、その凄惨な光景を見せないように隠しながら、二人の罪人を見下ろして、酷く甘く、昏い微笑みを浮かべた。

「安心しなさい。貴方たちは、まだ死ぬことすら許されません。……さあ、ルミが味わった地獄の、数万倍の時間を始めましょうか」

国を滅ぼした魔王の、本当の「お仕置き」が、静まり返った更地の上で幕を開けようとしていた。
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