主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
自室に入ると、すでに数人のお世話係が控えていた。
アルヴィーノはその中から数名を選び、ルミを引き渡す。
「この子を綺麗にしてあげてください。服も……そうですね、白を基調にした可愛らしいものを。それとも男の子のような服がいいですか? 貴方、性別は男でしょう?」
その言葉に、ルミの胸が小さく跳ねた。
“可愛らしいもの”
自分に向けられた言葉とは思えなかった。
アルヴィーノはその微細な反応を見逃さない。
(……今、反応しましたね。感情の痕跡が残っている。ならばそこを刺激すれば、修復が早まる、か)
ルミの長い髪や中性的な顔立ちを見て“似合う”と思ったわけではない。
ただ、ルミが唯一反応した言葉が「可愛い」だったから、その方向に誘導するだけ。
アルヴィーノは優雅に微笑み、世話係へと視線を向ける。
「……可愛らしいものを選んで着せてください。この子には、その方が“合う”ようです」
その言葉に、世話係たちは一瞬だけ驚いたように目を見開く。
アルヴィーノが誰かに“可愛い”という評価を与えるなど、滅多にないことだからだ。
だが、すぐに理解する。
これは王子の気まぐれではなく、この子をどう扱うかという方針なのだと。
「かしこまりました、アルヴィーノ様」
世話係たちは深く頭を下げ、ルミをそっと囲むようにして連れていく。
アルヴィーノはその背中を見送りながら、静かに思考を巡らせていた。
(……感情の芽は残っている。ならば、育てればいい。“使える駒”になるように)
その瞳には、優しさではなく、冷静な計算だけが宿っていた。
◆
浴室に入った瞬間、ルミはわずかに瞬きをした。
湯気の立ちこめる空間が、肌に触れるだけで“温かい”と分かる。
(……あたたかい……?)
その感覚が何なのか、すぐには理解できない。
長い間、冷たい水をホースで浴びせられるだけだった身体には、この空気そのものが異質だった。
世話係の二人は、そっとルミの服を脱がせる。
露わになった身体を見た瞬間、二人とも息を呑んだ。
「……ひどい……」
「こんなに痩せて……」
声は小さく、震えていた。
アルヴィーノの前では決して漏らせない言葉。
だが、目の前の少年の状態を見て、どうしても抑えられなかった。
ルミはその視線の意味を理解できず、ただぼんやりと立っているだけだった。
「大丈夫ですよ。痛くしませんからね」
「ゆっくり、ゆっくり……」
二人は声を掛け合いながら、壊れ物に触れるようにルミを湯船へ導く。
湯に足を入れた瞬間、ルミの身体がびくりと跳ねた。
「……?」
「怖くないですよ。これは“温かい”っていうものです」
「冷たい水じゃありませんからね」
ルミは湯の中で固まったまま動かない。
だが、逃げようともしない。
ただ、湯の温かさに戸惑っているだけだった。
次に、髪に触れられた瞬間、二人は再び息を呑む。
「……髪もこんなに……」
「ほどけるかしら……痛くしないようにしないと」
泥と血で固まり、櫛が通らないほどもつれた長い髪。
触れるだけで、ぱき、と音がしそうだった。
「少しずつ……指でほぐしていきましょう。それでも解ききれないところは切るしかない、か……」
「この子、痛くても声を出さないのね……」
「そういう扱いをされてきたのでしょうね……」
その言葉に、ルミの肩がわずかに揺れた。
意味を理解したわけではない。
ただ、声の震えが肌に触れたのだ。
二人は目を合わせ、さらに優しく手を動かす。
「大丈夫ですよ、ルミ様」
「痛かったら……言えなくても、逃げようとしてくれていいんですよ」
ルミは何も言わない。
何も動かない。
ただ、湯の温かさと、人の手の優しさに戸惑い続けた。
使い物にならないと言われ、失敗作出来損ないと罵られ、
ゴミのように捨てられた自分が、どうしてこんなにも手厚く饗されるのか。
なんでこんなにも優しくしてくれるんだろうと、胸の奥がじんわりと熱くなる。
それが何という感情なのか、ルミにはまだ分からない。
ただ一つだけ分かるのは、この温かさは、今までの人生には存在しなかったものだということだけだった。
湯から上がると、ふわふわのタオルで身体を包まれ、
甘い香りのするバスローブを着せられたルミは、されるがままに鏡の前へ座らされた。
二人の世話係は、湯気の残る浴室を出る前に、もう一人の係へ声をかける。
「服をお願いします。アルヴィーノ様のご指示のものを」
「はい、すぐに」
しばらくして、その係が両腕いっぱいに服を抱えて戻ってきた。
白を基調とした、柔らかい布地の服が二着。
どちらもレースやフリルがあしらわれ、まるでお菓子のように可愛らしい。
「……どちらが似合うかしら」
「この子の髪色なら……こっちの方が映えるかも」
二人はルミの横でひそひそと相談しながら、服を胸元に当てては角度を変え、まるで宝物を扱うように慎重に選んでいく。
ルミはその様子をただ見ているだけだった。
選ばれる、という行為が自分に向けられていることがまだ理解できない。
「ルミ様、こちらの服にしましょう。とても可愛らしいですよ」
選ばれたのは、雪のように白く、銀糸が織り込まれた柔らかな服。
袖や裾にふんだんにレースが使われ、光に当たるとふわりと輝く。
世話係たちは丁寧に、まるで壊れ物に触れるようにルミへ服を着せていく。
「痛くありませんか」
「きつくないですか」
ルミは何も言わない。
ただ、されるがまま。
水色の髪が丁寧に梳かれ、甘い香りのクリームで整えられ、さらりと肩に落ちる。
「……できました。ルミ様、こちらへ」
手を引かれ、姿見の前に立つ。
鏡に映る自分を見た瞬間、ルミは思わず胸元をぎゅっと握った。
そこにいたのは、今までの“汚れた実験体”ではなかった。
白い肌に映える、雪のような服。
生クリームのように柔らかいレース。
光を受けて淡く輝く水色の髪。
「とても似合っていますよ、ルミ様」
世話係の声は優しく、その優しさが胸に刺さる。
恐る恐る世話係の顔を鏡越しで見ると優しく微笑んでいた。
ルミはすぐに視線を鏡に映る自分に戻し、改めて今の姿を確認する。
綺麗すぎて、触れるのが怖い。
自分には似合わない。
汚してしまいそうで、息が詰まりそうだった。
それでも、鏡の中の自分から目をそらせなかった。
◆
「アルヴィーノ様、お待たせいたしました」
そう一声かけルミを着飾ってくれた世話係の一人が部屋の扉を開き、共に入室する。
アルヴィーノは机から視線を上げ、ゆっくりとルミを見た。
その瞳には、揺らぎはない。
ただ、観察者のそれだけが静かに光っていた。
(……思ったより、変わりましたね)
白いフリルの服に包まれた小さな身体。
湯上がりで少し赤くなった頬。
先ほどまで死んでいたはずの瞳に、かすかな色が宿っている。
アルヴィーノはそれを“可愛い”とは思わない。
ただこの子はかなり扱いやすい。
そう判断しただけだった。
彼は立ち上がり、ルミの前に歩み寄る。
ルミはびくりと肩を震わせ、視線を泳がせた。
先ほどアルヴィーノに言われた“可愛らしいもの”という言葉が頭の中で反芻しており胸の奥がざわざわして、落ち着かない様子で。
そんな彼に歩み寄り様子を少し見てから、かけるべき言葉はこれかと先ほどと同じ笑みを口元に浮かべる。
「とても可愛いですよ、ルミ。愛らしい貴方に似合ってますね」
「……!」
その声音は、柔らかく、甘く、完璧に計算された温度を持っていた。
アルヴィーノの瞳は、相変わらず冷静だった。
そこに情はなく、彼の反応を“確認している”だけ。
だがルミには、その冷たさは見えない。
ただ、胸の奥が熱くて、苦しくて、知らない感情が暴れ出しそうで。
(王子様が……俺を、可愛いって……)
その一言が、ルミの世界を塗り替えていく。
アルヴィーノはそんなルミの変化を、まるで実験結果を眺めるように静かに見つめていた。
(可愛いと言われただけで、ここまで揺れる。なるほど……)
少し触れてみたらどうだろうか。
アルヴィーノは静かにルミの肩に触れ、軽く位置を直すように押した。
それだけでルミはびくりと震え、目を伏せてしまう。
(なるほど……触れられるだけで反応する。褒めれば従順になる。命じれば迷わず従いそうですね……)
アルヴィーノの思考は冷静だった。
情は一切ない。
ただ、ルミという存在が
“どう動かせるか”
“どこまで変わるか”
それだけを淡々と計算している。
今まで感情が死んでいた分、こちらに傾かせれば容易に育てやすい。
こちらが言う言葉をそのまま受け入れる都合のいい駒になりえる。
アルヴィーノはその反応を見て、静かに結論を出した。
(しばらくは“褒める”方向で育てましょう。この子は褒められることで形を変える。ならば、望む形に仕上げるのは容易い)
そして、柔らかい声で告げる。
「ええ。ルミは可愛いですよ。……とても、ね」
その言葉にルミの胸がまた熱くなる。
また王子様が自分のことを可愛いって言ってくれた。
心がぽかぽかして、ぎゅーっとなる感覚を感じ、ルミは胸元でぎゅっと自分の手を握る。
その反応を見て、アルヴィーノは満足げに目を細めた。
その瞳は、氷のように冷たかった。
アルヴィーノはその中から数名を選び、ルミを引き渡す。
「この子を綺麗にしてあげてください。服も……そうですね、白を基調にした可愛らしいものを。それとも男の子のような服がいいですか? 貴方、性別は男でしょう?」
その言葉に、ルミの胸が小さく跳ねた。
“可愛らしいもの”
自分に向けられた言葉とは思えなかった。
アルヴィーノはその微細な反応を見逃さない。
(……今、反応しましたね。感情の痕跡が残っている。ならばそこを刺激すれば、修復が早まる、か)
ルミの長い髪や中性的な顔立ちを見て“似合う”と思ったわけではない。
ただ、ルミが唯一反応した言葉が「可愛い」だったから、その方向に誘導するだけ。
アルヴィーノは優雅に微笑み、世話係へと視線を向ける。
「……可愛らしいものを選んで着せてください。この子には、その方が“合う”ようです」
その言葉に、世話係たちは一瞬だけ驚いたように目を見開く。
アルヴィーノが誰かに“可愛い”という評価を与えるなど、滅多にないことだからだ。
だが、すぐに理解する。
これは王子の気まぐれではなく、この子をどう扱うかという方針なのだと。
「かしこまりました、アルヴィーノ様」
世話係たちは深く頭を下げ、ルミをそっと囲むようにして連れていく。
アルヴィーノはその背中を見送りながら、静かに思考を巡らせていた。
(……感情の芽は残っている。ならば、育てればいい。“使える駒”になるように)
その瞳には、優しさではなく、冷静な計算だけが宿っていた。
◆
浴室に入った瞬間、ルミはわずかに瞬きをした。
湯気の立ちこめる空間が、肌に触れるだけで“温かい”と分かる。
(……あたたかい……?)
その感覚が何なのか、すぐには理解できない。
長い間、冷たい水をホースで浴びせられるだけだった身体には、この空気そのものが異質だった。
世話係の二人は、そっとルミの服を脱がせる。
露わになった身体を見た瞬間、二人とも息を呑んだ。
「……ひどい……」
「こんなに痩せて……」
声は小さく、震えていた。
アルヴィーノの前では決して漏らせない言葉。
だが、目の前の少年の状態を見て、どうしても抑えられなかった。
ルミはその視線の意味を理解できず、ただぼんやりと立っているだけだった。
「大丈夫ですよ。痛くしませんからね」
「ゆっくり、ゆっくり……」
二人は声を掛け合いながら、壊れ物に触れるようにルミを湯船へ導く。
湯に足を入れた瞬間、ルミの身体がびくりと跳ねた。
「……?」
「怖くないですよ。これは“温かい”っていうものです」
「冷たい水じゃありませんからね」
ルミは湯の中で固まったまま動かない。
だが、逃げようともしない。
ただ、湯の温かさに戸惑っているだけだった。
次に、髪に触れられた瞬間、二人は再び息を呑む。
「……髪もこんなに……」
「ほどけるかしら……痛くしないようにしないと」
泥と血で固まり、櫛が通らないほどもつれた長い髪。
触れるだけで、ぱき、と音がしそうだった。
「少しずつ……指でほぐしていきましょう。それでも解ききれないところは切るしかない、か……」
「この子、痛くても声を出さないのね……」
「そういう扱いをされてきたのでしょうね……」
その言葉に、ルミの肩がわずかに揺れた。
意味を理解したわけではない。
ただ、声の震えが肌に触れたのだ。
二人は目を合わせ、さらに優しく手を動かす。
「大丈夫ですよ、ルミ様」
「痛かったら……言えなくても、逃げようとしてくれていいんですよ」
ルミは何も言わない。
何も動かない。
ただ、湯の温かさと、人の手の優しさに戸惑い続けた。
使い物にならないと言われ、失敗作出来損ないと罵られ、
ゴミのように捨てられた自分が、どうしてこんなにも手厚く饗されるのか。
なんでこんなにも優しくしてくれるんだろうと、胸の奥がじんわりと熱くなる。
それが何という感情なのか、ルミにはまだ分からない。
ただ一つだけ分かるのは、この温かさは、今までの人生には存在しなかったものだということだけだった。
湯から上がると、ふわふわのタオルで身体を包まれ、
甘い香りのするバスローブを着せられたルミは、されるがままに鏡の前へ座らされた。
二人の世話係は、湯気の残る浴室を出る前に、もう一人の係へ声をかける。
「服をお願いします。アルヴィーノ様のご指示のものを」
「はい、すぐに」
しばらくして、その係が両腕いっぱいに服を抱えて戻ってきた。
白を基調とした、柔らかい布地の服が二着。
どちらもレースやフリルがあしらわれ、まるでお菓子のように可愛らしい。
「……どちらが似合うかしら」
「この子の髪色なら……こっちの方が映えるかも」
二人はルミの横でひそひそと相談しながら、服を胸元に当てては角度を変え、まるで宝物を扱うように慎重に選んでいく。
ルミはその様子をただ見ているだけだった。
選ばれる、という行為が自分に向けられていることがまだ理解できない。
「ルミ様、こちらの服にしましょう。とても可愛らしいですよ」
選ばれたのは、雪のように白く、銀糸が織り込まれた柔らかな服。
袖や裾にふんだんにレースが使われ、光に当たるとふわりと輝く。
世話係たちは丁寧に、まるで壊れ物に触れるようにルミへ服を着せていく。
「痛くありませんか」
「きつくないですか」
ルミは何も言わない。
ただ、されるがまま。
水色の髪が丁寧に梳かれ、甘い香りのクリームで整えられ、さらりと肩に落ちる。
「……できました。ルミ様、こちらへ」
手を引かれ、姿見の前に立つ。
鏡に映る自分を見た瞬間、ルミは思わず胸元をぎゅっと握った。
そこにいたのは、今までの“汚れた実験体”ではなかった。
白い肌に映える、雪のような服。
生クリームのように柔らかいレース。
光を受けて淡く輝く水色の髪。
「とても似合っていますよ、ルミ様」
世話係の声は優しく、その優しさが胸に刺さる。
恐る恐る世話係の顔を鏡越しで見ると優しく微笑んでいた。
ルミはすぐに視線を鏡に映る自分に戻し、改めて今の姿を確認する。
綺麗すぎて、触れるのが怖い。
自分には似合わない。
汚してしまいそうで、息が詰まりそうだった。
それでも、鏡の中の自分から目をそらせなかった。
◆
「アルヴィーノ様、お待たせいたしました」
そう一声かけルミを着飾ってくれた世話係の一人が部屋の扉を開き、共に入室する。
アルヴィーノは机から視線を上げ、ゆっくりとルミを見た。
その瞳には、揺らぎはない。
ただ、観察者のそれだけが静かに光っていた。
(……思ったより、変わりましたね)
白いフリルの服に包まれた小さな身体。
湯上がりで少し赤くなった頬。
先ほどまで死んでいたはずの瞳に、かすかな色が宿っている。
アルヴィーノはそれを“可愛い”とは思わない。
ただこの子はかなり扱いやすい。
そう判断しただけだった。
彼は立ち上がり、ルミの前に歩み寄る。
ルミはびくりと肩を震わせ、視線を泳がせた。
先ほどアルヴィーノに言われた“可愛らしいもの”という言葉が頭の中で反芻しており胸の奥がざわざわして、落ち着かない様子で。
そんな彼に歩み寄り様子を少し見てから、かけるべき言葉はこれかと先ほどと同じ笑みを口元に浮かべる。
「とても可愛いですよ、ルミ。愛らしい貴方に似合ってますね」
「……!」
その声音は、柔らかく、甘く、完璧に計算された温度を持っていた。
アルヴィーノの瞳は、相変わらず冷静だった。
そこに情はなく、彼の反応を“確認している”だけ。
だがルミには、その冷たさは見えない。
ただ、胸の奥が熱くて、苦しくて、知らない感情が暴れ出しそうで。
(王子様が……俺を、可愛いって……)
その一言が、ルミの世界を塗り替えていく。
アルヴィーノはそんなルミの変化を、まるで実験結果を眺めるように静かに見つめていた。
(可愛いと言われただけで、ここまで揺れる。なるほど……)
少し触れてみたらどうだろうか。
アルヴィーノは静かにルミの肩に触れ、軽く位置を直すように押した。
それだけでルミはびくりと震え、目を伏せてしまう。
(なるほど……触れられるだけで反応する。褒めれば従順になる。命じれば迷わず従いそうですね……)
アルヴィーノの思考は冷静だった。
情は一切ない。
ただ、ルミという存在が
“どう動かせるか”
“どこまで変わるか”
それだけを淡々と計算している。
今まで感情が死んでいた分、こちらに傾かせれば容易に育てやすい。
こちらが言う言葉をそのまま受け入れる都合のいい駒になりえる。
アルヴィーノはその反応を見て、静かに結論を出した。
(しばらくは“褒める”方向で育てましょう。この子は褒められることで形を変える。ならば、望む形に仕上げるのは容易い)
そして、柔らかい声で告げる。
「ええ。ルミは可愛いですよ。……とても、ね」
その言葉にルミの胸がまた熱くなる。
また王子様が自分のことを可愛いって言ってくれた。
心がぽかぽかして、ぎゅーっとなる感覚を感じ、ルミは胸元でぎゅっと自分の手を握る。
その反応を見て、アルヴィーノは満足げに目を細めた。
その瞳は、氷のように冷たかった。
