主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
どれほどの時間が経ったのだろうか。
視界を遮っていた黒い影の糸が、引き剥がされるようにして弾け飛んだ。
そこは、冷たい石壁に囲まれたガルディニア王国の地下奥深くにある、宰相バルトロメウスの秘密の謁見室だった。
床に乱暴に投げ出されたルミは、すぐに起き上がろうとしたが、全身を奇妙な倦怠感が襲う。
(……っ、声が……出ない……!)
助けを呼ぼうと開いた唇からは、掠れた息の音さえ漏れなかった。敵の呪詛か、それともこの部屋自体に声を奪う魔法が仕掛けられているのか。
ルミが必死に喉を押さえて震えていると、上頭から、ねっとりとした耳障りな笑い声が降ってきた。
「ふむ……。これがあの“慈悲なき軍師”アルヴィーノの、ねぇ?」
豪奢な椅子に深く腰掛けたバルトロメウスが、値踏みするようにルミを上から下まで見つめている。
その目は、人間を人間とも思っていない、ただの「便利な道具」を見る目そのものだった。
「ただの薄汚いガキではないか。我が国の精鋭を一人、一瞬とはいえ手こずらせたというからどんな化け物かと思えば……。そんなもののために、あの冷酷な魔王が国をも揺るがす暴挙に出たとはな。人間の弱点というのは、本当に滑稽で理解しがたい」
バルトロメウスはルミの喉が動いているのを見て、下俗に口元を歪めた。
「無駄だ。その部屋は声を出すこともできなければ、外部への魔力の残滓を伝えることもできん。お前がいくら心の中で最愛の王子様を叫ぼうが、あの男には微塵も届かぬよ。……おい、そいつを魔力封じの地下牢へぶち込んでおけ。調停の席で、あの男がどんな顔で我が国に膝を折るか、今から楽しみで仕方ががないわ」
バルトロメウスが短く指を鳴らすと、ルミをここまで連れてきた「紫の髪の男」――アルヴィーノの姿をした隠密が、再びルミの細い腕を掴み、さらに深い地下へと引きずっていった。
重々しい鉄格子が閉まり、カチリと鍵がかけられる。
壁に埋め込まれた魔導灯の微かな光だけが頼りの、冷たくて暗い地下牢。
ルミは壁際に追いつめられ、目の前に立つ「大好きな人の姿」を見上げるしかなかった。
偽物のアルヴィーノは、深い紫の髪を揺らしながら、ゆっくりとルミの前に膝をつく。
そして、あの愛おしい本物の王子様とまったく同じ顔、まったく同じ声で、冷酷に、けれど酷く甘い声音で囁きかけた。
「ルミ。可哀想に、こんなところに閉じ込められて。……私が、もっと『可愛がって』あげましょうか?」
その大きな手が、怯えるルミの細い首筋に触れ、そのまま乱暴に衣服の襟元を掴んで引き裂こうと迫ってくる。
(違う……! この人は王子様じゃない……っ! 王子様は、こんなことしない……っ!)
頭では、100%偽物だとわかっている。本物のアルヴィーノは、自分に触れる時、まるで壊れやすい宝物に触れるように、いつでも優しくて、慎重だったから。
だけど――どれだけ否定しようとしても、網膜に焼き付くのは、世界で一番大好きな「紫の髪」と「端正な顔立ち」。その大好きな姿から、自分を蹂躙しようとする明確な悪意と暴力が向けられているという事実が、ルミの心を、精神を、容赦なくガリガリと削っていく。
(いやだ……! こっちに来ないで……っ! 王子様……アルヴィーノ様……っ!!)
声にならない悲鳴が、冷たい地下牢の壁に虚しく跳ね返る。
ルミは涙で視界を滲ませながら、ただぎゅっと目を瞑り、大好きな人の姿をした怪物の手が伸びてくる恐怖に、小さく身体を縮めて耐えることしかできなかった。
視界を遮っていた黒い影の糸が、引き剥がされるようにして弾け飛んだ。
そこは、冷たい石壁に囲まれたガルディニア王国の地下奥深くにある、宰相バルトロメウスの秘密の謁見室だった。
床に乱暴に投げ出されたルミは、すぐに起き上がろうとしたが、全身を奇妙な倦怠感が襲う。
(……っ、声が……出ない……!)
助けを呼ぼうと開いた唇からは、掠れた息の音さえ漏れなかった。敵の呪詛か、それともこの部屋自体に声を奪う魔法が仕掛けられているのか。
ルミが必死に喉を押さえて震えていると、上頭から、ねっとりとした耳障りな笑い声が降ってきた。
「ふむ……。これがあの“慈悲なき軍師”アルヴィーノの、ねぇ?」
豪奢な椅子に深く腰掛けたバルトロメウスが、値踏みするようにルミを上から下まで見つめている。
その目は、人間を人間とも思っていない、ただの「便利な道具」を見る目そのものだった。
「ただの薄汚いガキではないか。我が国の精鋭を一人、一瞬とはいえ手こずらせたというからどんな化け物かと思えば……。そんなもののために、あの冷酷な魔王が国をも揺るがす暴挙に出たとはな。人間の弱点というのは、本当に滑稽で理解しがたい」
バルトロメウスはルミの喉が動いているのを見て、下俗に口元を歪めた。
「無駄だ。その部屋は声を出すこともできなければ、外部への魔力の残滓を伝えることもできん。お前がいくら心の中で最愛の王子様を叫ぼうが、あの男には微塵も届かぬよ。……おい、そいつを魔力封じの地下牢へぶち込んでおけ。調停の席で、あの男がどんな顔で我が国に膝を折るか、今から楽しみで仕方ががないわ」
バルトロメウスが短く指を鳴らすと、ルミをここまで連れてきた「紫の髪の男」――アルヴィーノの姿をした隠密が、再びルミの細い腕を掴み、さらに深い地下へと引きずっていった。
重々しい鉄格子が閉まり、カチリと鍵がかけられる。
壁に埋め込まれた魔導灯の微かな光だけが頼りの、冷たくて暗い地下牢。
ルミは壁際に追いつめられ、目の前に立つ「大好きな人の姿」を見上げるしかなかった。
偽物のアルヴィーノは、深い紫の髪を揺らしながら、ゆっくりとルミの前に膝をつく。
そして、あの愛おしい本物の王子様とまったく同じ顔、まったく同じ声で、冷酷に、けれど酷く甘い声音で囁きかけた。
「ルミ。可哀想に、こんなところに閉じ込められて。……私が、もっと『可愛がって』あげましょうか?」
その大きな手が、怯えるルミの細い首筋に触れ、そのまま乱暴に衣服の襟元を掴んで引き裂こうと迫ってくる。
(違う……! この人は王子様じゃない……っ! 王子様は、こんなことしない……っ!)
頭では、100%偽物だとわかっている。本物のアルヴィーノは、自分に触れる時、まるで壊れやすい宝物に触れるように、いつでも優しくて、慎重だったから。
だけど――どれだけ否定しようとしても、網膜に焼き付くのは、世界で一番大好きな「紫の髪」と「端正な顔立ち」。その大好きな姿から、自分を蹂躙しようとする明確な悪意と暴力が向けられているという事実が、ルミの心を、精神を、容赦なくガリガリと削っていく。
(いやだ……! こっちに来ないで……っ! 王子様……アルヴィーノ様……っ!!)
声にならない悲鳴が、冷たい地下牢の壁に虚しく跳ね返る。
ルミは涙で視界を滲ませながら、ただぎゅっと目を瞑り、大好きな人の姿をした怪物の手が伸びてくる恐怖に、小さく身体を縮めて耐えることしかできなかった。
