主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
静まり返った第二王子の私室。
幾重にも張られた強固な結界は、外からの物理的な破壊や、通常の魔力侵入を完全に遮断しているはずだった。
だが――床に落ちる月影が、不自然にぐにゃりと歪んだ。
パチ、と小さな音がして、部屋の隅の暗がりに、見知らぬ黒装束の男が一人、音もなく姿を現した。
ガルディニアが誇る、影を渡る禁術の使い手だ。
ベッドの中でアルヴィーノの枕を抱きしめていたルミは、その気配にハッと目を見開いた。
「……だぁれ……?」
ルミはベッドから起き上がり、黄金の杖をぎゅっと握りしめて警戒の目を向ける。
男は一言も発さず、ねっとりとした殺気のない――けれど冷酷な捕縛の意志を孕んだ瞳で、ルミへ向かって音もなく歩を進めてきた。
その手が、ルミを捕らえようと不気味に伸びる。
(王子様がお留守番って言ってた……! 知らない人を部屋に入れちゃダメって……!)
かつての研究所での恐怖が脳裏をよぎる。
けれど、今のルミはただ怯えて泣くだけの子供ではなかった。
大好きなアルヴィーノに全肯定され、自分の力を信じてもいいと言われたのだ。
ルミは恐怖をねじ伏せるように、黄金の杖を真っ直ぐに男へと突き出した。
「こっちに来ないで……っ! 深淵の鎖よ……アビス・シャックル!!」
ルミの強い意志に応え、床から激しい闇の影が噴き出し、鋭い鎖となって男の四肢へ襲いかかる。
並の魔導士なら一瞬で魔力を吸い尽くされ、声帯まで縛られる一撃。
男はルミの予想以上の魔力量に目を見開いたが、すぐさま懐から奇妙な魔道具を取り出し、自身の身体に突き立てた。
男の肉体が、どろりと不気味な光に包まれる。
鎖がその身体を締め上げる直前、光の中から現れた「それ」を見て、ルミの心臓が凍りついた。
「……え?」
影の鎖が、標的の手前でピタリと動きを止める。
光が晴れたそこに立っていたのは――流麗な紫の髪に、冷徹ながらもどこか見覚えのある端正な顔立ち。
それは、今最も会いたくて、世界で一番大好きな、アルヴィーノの姿だった。
「ルミ。私にそんな危険な魔法を向けるのですか?」
男の口から出たのは、本物と寸分違わぬ、あの低くて甘いアルヴィーノの声。
もちろん、それが敵の罠であり、変身能力による偽物だということは頭ではわかっている。
だが、ルミの心が、瞳が、その「大好きな姿」を攻撃することを完全に拒絶してしまった。
「う、嘘だ……王子様は、お仕事に行ってるもん……! 違う、違くて……!」
叫びながらも、ルミの腕は激しく震え、突き出していた黄金の杖がガタガタと揺れる。
もし、この魔法を放って、万が一にでも本物の王子様だったら?
あの優しい人を、自分の闇で傷つけてしまったら――?
「さあ、杖を収めなさい。お迎えに来ましたよ」
偽物のアルヴィーノが、優しく微笑みながら手を伸ばしてくる。
その一瞬の躊躇、ルミの心に生まれた巨大な隙を、敵は見逃さなかった。
「あ……っ!」
ルミが魔法を完全に解いてしまった瞬間、偽物のアルヴィーノの身体から無数の細い影の糸が伸び、ルミの身体を雁字搦 めに縛り上げた。
黄金の杖が手からこぼれ落ち、絨毯の上を虚しく転がる。
「んむ……っ! 放して……っ!」
声を上げようとするが、口元まで影の布で覆われ、細い悲鳴さえも遮断されてしまう。
男は変身を解くことなく、アルヴィーノの姿のまま、ルミの華奢な身体を乱暴に抱え上げた。
大好きな人の姿をした怪物が、自分をどこか遠くへ連れ去ろうとしている。
その絶望と恐怖に、ルミの水色の瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。
(王子様……アルヴィーノ様……っ! たすけて……!)
心の中でどれだけ叫んでも、その声が遠い異国にいる彼に届くことはない。
男が再び床の月影へと沈み込むと、二人の姿は掻き消えるように部屋から消失した。
主を失ったベッドの上には、ルミがずっと抱きしめていたアルヴィーノの枕だけが、ぽつんと冷たく残されていた。
幾重にも張られた強固な結界は、外からの物理的な破壊や、通常の魔力侵入を完全に遮断しているはずだった。
だが――床に落ちる月影が、不自然にぐにゃりと歪んだ。
パチ、と小さな音がして、部屋の隅の暗がりに、見知らぬ黒装束の男が一人、音もなく姿を現した。
ガルディニアが誇る、影を渡る禁術の使い手だ。
ベッドの中でアルヴィーノの枕を抱きしめていたルミは、その気配にハッと目を見開いた。
「……だぁれ……?」
ルミはベッドから起き上がり、黄金の杖をぎゅっと握りしめて警戒の目を向ける。
男は一言も発さず、ねっとりとした殺気のない――けれど冷酷な捕縛の意志を孕んだ瞳で、ルミへ向かって音もなく歩を進めてきた。
その手が、ルミを捕らえようと不気味に伸びる。
(王子様がお留守番って言ってた……! 知らない人を部屋に入れちゃダメって……!)
かつての研究所での恐怖が脳裏をよぎる。
けれど、今のルミはただ怯えて泣くだけの子供ではなかった。
大好きなアルヴィーノに全肯定され、自分の力を信じてもいいと言われたのだ。
ルミは恐怖をねじ伏せるように、黄金の杖を真っ直ぐに男へと突き出した。
「こっちに来ないで……っ! 深淵の鎖よ……アビス・シャックル!!」
ルミの強い意志に応え、床から激しい闇の影が噴き出し、鋭い鎖となって男の四肢へ襲いかかる。
並の魔導士なら一瞬で魔力を吸い尽くされ、声帯まで縛られる一撃。
男はルミの予想以上の魔力量に目を見開いたが、すぐさま懐から奇妙な魔道具を取り出し、自身の身体に突き立てた。
男の肉体が、どろりと不気味な光に包まれる。
鎖がその身体を締め上げる直前、光の中から現れた「それ」を見て、ルミの心臓が凍りついた。
「……え?」
影の鎖が、標的の手前でピタリと動きを止める。
光が晴れたそこに立っていたのは――流麗な紫の髪に、冷徹ながらもどこか見覚えのある端正な顔立ち。
それは、今最も会いたくて、世界で一番大好きな、アルヴィーノの姿だった。
「ルミ。私にそんな危険な魔法を向けるのですか?」
男の口から出たのは、本物と寸分違わぬ、あの低くて甘いアルヴィーノの声。
もちろん、それが敵の罠であり、変身能力による偽物だということは頭ではわかっている。
だが、ルミの心が、瞳が、その「大好きな姿」を攻撃することを完全に拒絶してしまった。
「う、嘘だ……王子様は、お仕事に行ってるもん……! 違う、違くて……!」
叫びながらも、ルミの腕は激しく震え、突き出していた黄金の杖がガタガタと揺れる。
もし、この魔法を放って、万が一にでも本物の王子様だったら?
あの優しい人を、自分の闇で傷つけてしまったら――?
「さあ、杖を収めなさい。お迎えに来ましたよ」
偽物のアルヴィーノが、優しく微笑みながら手を伸ばしてくる。
その一瞬の躊躇、ルミの心に生まれた巨大な隙を、敵は見逃さなかった。
「あ……っ!」
ルミが魔法を完全に解いてしまった瞬間、偽物のアルヴィーノの身体から無数の細い影の糸が伸び、ルミの身体を
黄金の杖が手からこぼれ落ち、絨毯の上を虚しく転がる。
「んむ……っ! 放して……っ!」
声を上げようとするが、口元まで影の布で覆われ、細い悲鳴さえも遮断されてしまう。
男は変身を解くことなく、アルヴィーノの姿のまま、ルミの華奢な身体を乱暴に抱え上げた。
大好きな人の姿をした怪物が、自分をどこか遠くへ連れ去ろうとしている。
その絶望と恐怖に、ルミの水色の瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。
(王子様……アルヴィーノ様……っ! たすけて……!)
心の中でどれだけ叫んでも、その声が遠い異国にいる彼に届くことはない。
男が再び床の月影へと沈み込むと、二人の姿は掻き消えるように部屋から消失した。
主を失ったベッドの上には、ルミがずっと抱きしめていたアルヴィーノの枕だけが、ぽつんと冷たく残されていた。
