主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

またある日。
午後の柔らかな陽光が差し込む第二王子の執務室。
窓辺のカーテンが風に揺れ、紙の匂いとインクの香りが静かに漂っていた。
アルヴィーノは机に向かい、几帳面な筆致で書類に目を通している。
その膝の上には、ルミがちょこんと座っていた。
ルミは、アルヴィーノの胸元に背中を預けながら、机の上に積まれた書類を小さな手で一枚ずつ整えていく。
これも彼のわがままだった。
いつも一人で頑張っているアルヴィーノを手伝いたいというわがまま。
最初こそ大丈夫だと断っていたものの手伝いたいの!手伝うの!と小さくて柔らかい頬を膨らませて怒るものだからそれならと現在に至る。

「ルミ、次の書類を取っていただけますか?」
「うんと……これ……?」
「ええ、それです。ありがとう」

ルミが渡すたびに、アルヴィーノはその頭を優しく撫でた。
彼は撫でられるたびに、嬉しそうに肩をすくめ、えへへっと小さく笑い、それを見たアルヴィーノも癒されているように優しく微笑み返す。
ルミは真剣な顔で書類を揃え、時折アルヴィーノの横顔を見上げては、「王子様、すごい……」と小さく呟く。
アルヴィーノはその度に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
そんな穏やかな時間の中、ルミがぽつりと呟いた。

「……あまいケーキ……たべたいな……」

その声は、本当に小さくて、けれど確かに“わがまま”だった。
アルヴィーノの手が止まる。

(……ケーキ? ルミが、甘いものを……? これはわがままととっていいのでしょうか)

胸の奥がふっと温かくなる。

「ルミ。ケーキが食べたいのですね?」
「……うん……。あ、でもお仕事中だからダメ、だよね……?」

その小さな頷きが、控えめなわがままがアルヴィーノの心を一瞬で溶かした。
それならば叶えるしかない。
アルヴィーノは執務机の横に控えていた従者を呼ぶ。

「至急、厨房へ伝えてください。“ルミが甘いケーキを食べたい”と。最高級の素材を使い、彼の口に合うものを複数種類、早急に準備するように。手抜かりは極刑に処します」
「かしこまりました、殿下!」

従者は一瞬だけ目を見開き、すぐに深く頭を下げると足早に厨房へと向かった。



​王宮の厨房は、午後のティータイムに向けての穏やかな準備が整っていた。
シェフたちは鼻歌交じりに果実を切り分け、オーブンからは焼き菓子の甘い香りが漂っている。
まさに平和そのものだった。
​その空気が、執務室付きの従者の登場によって一変した。

​「……っ、全員、手を止めろ!!」

​従者の切羽詰まった声に、シェフたちがきょとんとして振り返る。

​「なんだい、そんなに慌てて。何かあったのかね?」

​陽気な菓子職人がヘラを片手に尋ねるが、従者は震える手で厨房の壁に張り出された指示書を突きつけた。

​「殿下のご命令だ……! 今すぐ、至急、ルミ様のために『極上の甘いケーキ』を作れと!最高級の素材を使い、彼の口に合うものを複数種類、早急に準備するように!とのこと!」

​厨房に、一瞬の沈黙が落ちる。
次の瞬間、平和ボケしていたシェフたちの顔から血の気が引いた。

​「は……? 殿下が、我々のケーキを……? あの、ルミ様のために……?」
​「そうだ! 殿下いわく『ルミが満足しなければ、厨房の存続はない』そうだ……!! 早くしろ! 最高級のものを出せ! バターは一番新しいやつだ! 卵の鮮度をもう一度確認してこい!」

怒号が飛び交う。
さっきまで鼻歌を歌っていたシェフたちは、まるで戦場に放り込まれた兵士のような形相で動き出した。

​「焼き加減だ! 0.1秒の誤差も許されんぞ!」
「砂糖の配分は! ルミ様がお気に召す『あまくて、ふわふわ』な状態に合わせろ!」
「ダメだ、クリームの泡立てが足りない! やり直しだ!」

​厨房は、ケーキの甘い香りではなく、極限の緊張感と焦燥の匂いで満たされた。
誰もが、背後に「慈悲なき軍師」の冷たい視線を感じているような錯覚に陥り、震える手で極上の逸品を作り上げようと必死に足掻く。
​数分前までの優雅なティータイム準備はどこへやら。
厨房は今や、第二王子の絶対的権力に振り回される、この城で最も過酷な場所へと変貌していた。

​「……まだか! 殿下をお待たせすれば、我々の首が飛ぶぞ!!」

​その悲痛な叫びが、忙しなく響き渡っていた。



その頃、執務室では。
ルミが机の上に頬を乗せ、フォークを握ったままそわそわしていた。

「ケーキ、まだかなぁ……。タルトもあるかな? 俺、ここに拾われてきたときに食べたタルトが一番好きなんだ! あれも来る?」
「ええ。きっともうすぐ届きますよ。ルミのために、皆が全力で準備していますから」

アルヴィーノは微笑みながら、ルミの髪を優しく撫でる。

「やった! たのしみだね! あ、そうだ。さっき言ってた“きょっけー”ってなぁに?」
「ちゃんと作れなかったら始末しますよーってことですよ」
「そっか!」

ルミは嬉しそうに足をぱたぱたさせ、今か今かとその時を待ちわびていいた。
そしてノックの音。

「殿下、ケーキをお持ちしました!」

扉が開くと、ワゴンに乗り切らないほどのケーキの山が現れた。
ルミの瞳が、宝石のように輝き、どれから食べようか悩んでいるようで。

「ルミ。好きなものからどうぞ」
「うん……! あ! 俺の好きなタルトあった!」

そういって手に取ったのはブルーベリーがふんだんに使われたタルトで。
ルミはそれをもって執務室の一角にある応接用の席にぴょんと座り一口食べる。

「ん~! おいしい……! やっぱり俺、これが一番好き!」
「そうなんですね。てっきり私はショートケーキのような甘いケーキが好きなのかと思っていました」
「あ、えっとね、ショートケーキも好きだよ? ふわふわのスポンジにあまあまの生クリームがおいしいし、イチゴもおいしい。でもやっぱりこれが一番好きなんだ……!」
「理由を聞いてもいいですか?」

ルミは“あまいケーキが食べたい”といった。
けれどそんな彼が選んだのは甘酸っぱいブルーベリータルト。
生クリームより甘さが控えめなカスタードクリームが使われたもの。
どうしてそれが好きなのかが気になりアルヴィーノは彼の隣に腰掛けると優しく問いかけた。
ルミはその問いに頬を赤らめ、えっとねえっとねと口籠る。

「あのね……これね……王子様と同じだから……」
「私と?」
「王子様と、同じ色……だから……だから……」

好きなの……と尻すぼみに答えるルミに彼はあー……と納得したように顔をそらし頭を抱える。
その隣で顔を真っ赤にしたままタルトを黙々と食べるルミ。
まだ真実の愛で繋がったばかりの二人には“好き”という言葉自体が持つ破壊力に精神が追いついていないようで。
カチカチと時計の針が刻む音、窓から吹き込む風に揺らされるカーテンのこすれる音、机にある書き途中の資料がペラペラとめくられていく音。
束の間の静寂。
黙ったままのアルヴィーノにルミは自分の手にあるタルトを見てから一口で食べられるサイズでフォークに取ると王子様……とか細い声で声をかけた。
鈴のなるような声にハッとし顔を上げるとそこには、小さなフォークにタルトを乗せ、こちらに差し出している彼の顔があって。

「王子様……、これ……」
「ルミ……」

ふるふると震える小さな手で彼にと用意した小さなフォークを自分に向けているルミにアルヴィーノの心臓が跳ねた。
高鳴る気持ちを必死に自制し平常心を顔に貼り付け彼はその小さな手からタルトをもらう。

「おいし……? 王子様……」
「……はい。おいしいです。ルミが食べさせてくれたから、なおさら」
「そっか、そっか……えへへ……」

ルミは嬉しそうに笑い残ったタルトを食べ終わると次は~と足早にケーキワゴンまでかけていきショートケーキを持ってくるとまた隣に座り食べ始めた。
アルヴィーノはその横顔を見つめながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

「ルミ。あなたが喜んでくれるなら、厨房の一つや二つ、いくらでも動かしますよ。いつでも食べたいものを言いなさい」
「ん……」

咳払いを一つし呼吸を整えいつもの笑みを浮かべそう伝えるとルミは小さく頷きそれからは黙ってケーキを食べていた。
そうして周りから見ても甘ったるいほど激甘な時間は、午後の陽光の中でゆっくりと溶けていった。
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