主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

地獄のような地下室から連れ出されたルミは、アルヴィーノの腕に抱えられたまま馬車に乗せられ、整備されていない道を進む。
馬車へ乗せられたルミは、柔らかな座席に触れても、何の反応も示さなかった。
驚きも、戸惑いも、恐怖すらも浮かばない。
ただ、そこに置かれた物のように、微動だにしない。
馬車が動き出すと、身体が揺れに合わせてわずかに傾く。
だが、支えようとする素振りもない。
倒れそうになれば倒れるだけ。
痛みが走っても、顔色ひとつ変わらない。
アルヴィーノはその様子を横目で観察していた。

(……反応が薄い。いや、“ない”と言った方が正しいですね)

彼の視線は冷静で、淡々としている。
まるで、壊れた兵器の状態を確認する技師のように。

「聞こえていますか」

アルヴィーノが声をかけても、ルミは瞬きすらしない。
呼吸だけが、かすかに上下している。
返事がないことに、アルヴィーノは何の感情も抱かない。
むしろ――

(……扱いやすい)

そう判断するだけだった。

「すぐに手当てをさせます。動く必要はありません」

その声は優しい形をしているが、そこに“慰め”の意図は一切ない。
ただ、壊れ物を運ぶ時の注意喚起と同じ温度。
ルミは膝を抱えることすらしない。
腕はだらりと落ち、視線は一点を見つめたまま動かない。
馬車の揺れに合わせて身体が揺れるたび、その姿はまるで糸の切れた操り人形のようだった。

(……精神の損耗が激しい。だが、修復は可能。素材としては悪くない)

アルヴィーノの瞳には、哀れみも慈悲もない。
ただ、価値を測る冷徹な光だけが宿っていた。
馬車は揺れ続ける。
ルミの世界は、音もなく反転したまま、何の色も、何の感情も持たないままだった。

しばらく馬車に揺られているとやがて、巨大な白い城へと辿り着いた。
その光景は、ルミにとって現実とは思えなかった。
高い塔、磨かれた石畳。
甘い花の香りが漂う庭園。
どれも、泥と血の匂いしかしない世界で生きてきたルミには、理解の外にある“異世界”だった。
アルヴィーノに連れられ、ルミは馬車から降ろされる。
足が地面に触れた瞬間、わずかにふらついたが、倒れはしなかった。
倒れたところで、立ち上がる気力もなかっただろう。
城の門をくぐると、眩しいほどの光がルミの視界に広がった。
赤い絨毯。
磨き上げられた大理石の床。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、宝石のように光を散らしている。

周囲のものが視界に入るたびルミの大きな水色の瞳が大きく見開かれる。
“驚き”なのか“恐れ”なのか、ルミ自身には分からないようだがアルヴィーノはそんな彼の変化を横目で捉える。

(……刺激には反応する。完全に壊れているわけではない)

彼の歩みは優雅で、ゆっくりとしたものだった。
ルミがついて来られるように……いや、ついて来られないなら抱えて運べばいいだけだが、“歩かせる”という行為そのものが、ルミの状態を測る材料になる。

「転ばないように、こちらを向いて歩きなさい」

声は柔らかい。
だが、命令の形をしている。
ルミは言われた方向へ顔を向けるが、足取りはぎこちない。
歩くという行為を忘れてしまった人形のように、一歩一歩が不安定だった。
廊下を進むたび、侍女や兵士たちが道を開ける。
アルヴィーノに対しては深い恐怖を、ルミに対しては奇妙な視線を向ける。
だがルミは、それを“視線”として認識できない。
ただ、何かが自分に向けられている気配だけが、ぼんやりと肌に触れる。
アルヴィーノは歩きながら、時折ルミの歩幅に合わせて速度を調整した。
優しさではない。
壊れた駒を無駄に傷つけないための、計算された歩調。

「もう少しです。疲れたなら言いなさい」

もちろん、ルミが言えるはずもない。
アルヴィーノもそれを理解した上で言っている。

(……言葉の理解はある。反応はない。修復には時間がかかりそうですね)

彼の瞳には、淡々とした期待だけが宿っていた。
やがて、長い廊下の突き当たりにある扉の前に辿り着く。
アルヴィーノの私室――
ルミにとって、初めて“安全”と呼べる場所になるはずの部屋。

「着きましたよ、ルミ」

その声は、優しい形をしていた。
だが、その奥にあるのはただ一つ。

――この駒を、使えるように整える。

その静かな意志だけだった。
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