主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
あの凄惨な夜、そして奇跡の目覚めから数週間。
驚異的な回復力と、アルヴィーノによる常軌を逸した魔力管理のおかげで、ルミは医療室のベッドを離れ、元の「側近」としての位置に戻っていた。
表向きは、いつも通りの主従。
王宮の廊下を、美しく冷徹な第二王子アルヴィーノが歩き、その一歩後ろを、水色の髪の少年ルミが静かに付き従う。
――だが、周囲の対応は、以前とは明らかに違っていた。
「……あ、ルミ様。そちらの書類、私が執務室までお運びいたします」
「え? あ、ありがとう……?」
廊下を歩けば、すれ違う将兵やメイドたちが、ルミを見るなり大慌てで一礼し、「ルミ様」と呼び、腫れ物に触るかのような敬意を向けてくる。
あの地獄の医療室で、第二王子が本物の狂気で全員を脅迫し、何週間も生き霊のようになっていた姿を、城の人間は見てしまったのだ。
その噂は静かに王宮内に広がり、今やルミは周囲から「第二王子の絶対不可侵の逆鱗」として恐れ敬われていた。
当のルミだけが行き交う人達を見て不思議そうにしている。
そして何より、周囲を困惑させているのはアルヴィーノの「距離感」だった。
ルミの前では、常に完璧で優雅な微笑みを崩さないアルヴィーノだが、ルミがほんの少しでも足元をふらつかせれば、誰よりも早くその華奢な腰を支え、「大丈夫ですか、ルミ。まだ病み上がりなのですから無理をしてはいけませんよ」と、至近距離で静かに告げる。
軍議の最中でさえ、ルミが小さく咳払いを一つしただけで、アルヴィーノは冷徹なポーカーフェイスを保ったまま「本日の会議はここまでとします」と作戦地図を閉じ、ルミを私室へ連れ帰ってしまうのだ。
二人が真実の形で結ばれたことなど、アルフレッドと一部の医官しか知らない。
だからこそ、周囲は「冷徹な軍師」のあまりの変貌ぶりに、ただただ静かに息を呑むしかなかった。
◆
そんなある日の午後。
アルヴィーノが父王との謁見でどうしても席を外さねばならなくなった時間、ルミは王宮の中庭にある東屋で、ぽつんと一人、お留守番をしていた。
テーブルの上には、アルヴィーノが「私が戻るまでの繋ぎです」と用意していった、ルミの顔ほどもある特大の最高級パフェと、数種類ものふかふかのクッション。
ルミはスプーンを握ったまま、水色の瞳を小さく曇らせていた。
「わがまま……って、なんだろう」
脳裏に、数日前の王子様の優しい言葉がリフレインする。
『貴方が望むなら、どんなわがままも私がすべて叶えましょう』
王子様はそう言ってくれた。けれど、暗い地下研究所で「感情はいらない」と育てられたルミには、「自分の欲望のために相手に無理を言う(=わがまま)」という概念が、どうしても分からなかった。
お仕事を頑張る以外に、王子様に何を言えばいいのだろう。
本人に直接聞けば、呆れられてしまうかもしれない。
「……そうだ。アルフレッド様に、ききにいこう」
パァッと顔を輝かせたルミは、残りのパフェを静かに口に詰め込むと、トコトコと第一王子の執務室へと向かった。
◆
「失礼します……。アルフレッド様、お部屋にいますか?」
コンコン、と控えめに叩かれた扉を開けたアルフレッドは、そこにいた水色の少年を見るなり、いつもの聖者のような笑顔を浮かべた。
「やあ、ルミくん。どうしたんだい? アルヴィーノは今、父上との謁見のはずだけど……おや、口元に生クリームがついているよ」
「あ……っ」
アルフレッドがハンカチで優しくルミの口元を拭ってあげると、ルミはもじもじと指先を弄びながら、意を決して見上げて言った。
「あのね、アルフレッド様。……お伺いしたいことがあって。……『わがまま』って、どうやって言うんですか?」
「え?」
アルフレッドは、一瞬だけパチクリと目を丸くした。
だが、少年の純粋すぎる水色の瞳と、その質問の意図を察した瞬間、ふっと目元を優しく和ませる。
「そうだね……。ルミくんにとって、わがままっていうのはね、自分が『こうしたいな』『これが欲しいな』って思ったことを、そのまま相手に伝えることだよ。例えば……そうだね、もっと一緒にいたい、とか、手をつないでほしい、とかね」
「おててを、つなぐ……。それなら、お仕事の邪魔に、ならない……?」
「ふふ、邪魔になるどころか、相手がアルヴィーノなら、きっと喜んでくれると思うよ」
アルフレッドはルミの頭を優しく撫でながら、微笑んだ。
ずっと感情を殺して生きてきた少年が、一生懸命に「わがまま」を学ぼうとしている。
その健気な姿が、たまらなく愛おしく、微笑ましかった。
(あの子は、ルミくんの最初のおねだりを、ちゃんと優しく叶えてあげられるかな)
何事にも完璧を求め、他者への甘え方を知らない不器用な弟を思い、少しだけ心配と期待を抱きながら、アルフレッドはルミを優しく見送った。
驚異的な回復力と、アルヴィーノによる常軌を逸した魔力管理のおかげで、ルミは医療室のベッドを離れ、元の「側近」としての位置に戻っていた。
表向きは、いつも通りの主従。
王宮の廊下を、美しく冷徹な第二王子アルヴィーノが歩き、その一歩後ろを、水色の髪の少年ルミが静かに付き従う。
――だが、周囲の対応は、以前とは明らかに違っていた。
「……あ、ルミ様。そちらの書類、私が執務室までお運びいたします」
「え? あ、ありがとう……?」
廊下を歩けば、すれ違う将兵やメイドたちが、ルミを見るなり大慌てで一礼し、「ルミ様」と呼び、腫れ物に触るかのような敬意を向けてくる。
あの地獄の医療室で、第二王子が本物の狂気で全員を脅迫し、何週間も生き霊のようになっていた姿を、城の人間は見てしまったのだ。
その噂は静かに王宮内に広がり、今やルミは周囲から「第二王子の絶対不可侵の逆鱗」として恐れ敬われていた。
当のルミだけが行き交う人達を見て不思議そうにしている。
そして何より、周囲を困惑させているのはアルヴィーノの「距離感」だった。
ルミの前では、常に完璧で優雅な微笑みを崩さないアルヴィーノだが、ルミがほんの少しでも足元をふらつかせれば、誰よりも早くその華奢な腰を支え、「大丈夫ですか、ルミ。まだ病み上がりなのですから無理をしてはいけませんよ」と、至近距離で静かに告げる。
軍議の最中でさえ、ルミが小さく咳払いを一つしただけで、アルヴィーノは冷徹なポーカーフェイスを保ったまま「本日の会議はここまでとします」と作戦地図を閉じ、ルミを私室へ連れ帰ってしまうのだ。
二人が真実の形で結ばれたことなど、アルフレッドと一部の医官しか知らない。
だからこそ、周囲は「冷徹な軍師」のあまりの変貌ぶりに、ただただ静かに息を呑むしかなかった。
◆
そんなある日の午後。
アルヴィーノが父王との謁見でどうしても席を外さねばならなくなった時間、ルミは王宮の中庭にある東屋で、ぽつんと一人、お留守番をしていた。
テーブルの上には、アルヴィーノが「私が戻るまでの繋ぎです」と用意していった、ルミの顔ほどもある特大の最高級パフェと、数種類ものふかふかのクッション。
ルミはスプーンを握ったまま、水色の瞳を小さく曇らせていた。
「わがまま……って、なんだろう」
脳裏に、数日前の王子様の優しい言葉がリフレインする。
『貴方が望むなら、どんなわがままも私がすべて叶えましょう』
王子様はそう言ってくれた。けれど、暗い地下研究所で「感情はいらない」と育てられたルミには、「自分の欲望のために相手に無理を言う(=わがまま)」という概念が、どうしても分からなかった。
お仕事を頑張る以外に、王子様に何を言えばいいのだろう。
本人に直接聞けば、呆れられてしまうかもしれない。
「……そうだ。アルフレッド様に、ききにいこう」
パァッと顔を輝かせたルミは、残りのパフェを静かに口に詰め込むと、トコトコと第一王子の執務室へと向かった。
◆
「失礼します……。アルフレッド様、お部屋にいますか?」
コンコン、と控えめに叩かれた扉を開けたアルフレッドは、そこにいた水色の少年を見るなり、いつもの聖者のような笑顔を浮かべた。
「やあ、ルミくん。どうしたんだい? アルヴィーノは今、父上との謁見のはずだけど……おや、口元に生クリームがついているよ」
「あ……っ」
アルフレッドがハンカチで優しくルミの口元を拭ってあげると、ルミはもじもじと指先を弄びながら、意を決して見上げて言った。
「あのね、アルフレッド様。……お伺いしたいことがあって。……『わがまま』って、どうやって言うんですか?」
「え?」
アルフレッドは、一瞬だけパチクリと目を丸くした。
だが、少年の純粋すぎる水色の瞳と、その質問の意図を察した瞬間、ふっと目元を優しく和ませる。
「そうだね……。ルミくんにとって、わがままっていうのはね、自分が『こうしたいな』『これが欲しいな』って思ったことを、そのまま相手に伝えることだよ。例えば……そうだね、もっと一緒にいたい、とか、手をつないでほしい、とかね」
「おててを、つなぐ……。それなら、お仕事の邪魔に、ならない……?」
「ふふ、邪魔になるどころか、相手がアルヴィーノなら、きっと喜んでくれると思うよ」
アルフレッドはルミの頭を優しく撫でながら、微笑んだ。
ずっと感情を殺して生きてきた少年が、一生懸命に「わがまま」を学ぼうとしている。
その健気な姿が、たまらなく愛おしく、微笑ましかった。
(あの子は、ルミくんの最初のおねだりを、ちゃんと優しく叶えてあげられるかな)
何事にも完璧を求め、他者への甘え方を知らない不器用な弟を思い、少しだけ心配と期待を抱きながら、アルフレッドはルミを優しく見送った。
