主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
そしてどれだけの月日が経っただろうか。
夜明け前の薄暗い医療室で、アルヴィーノはルミの手を握ったまま、静かに目を閉じていた。
眠っているのではない。
ただ、限界の身体を無理やり支えているだけその時だった。
「……ん……」
かすかな、本当にかすかな声。
アルヴィーノの肩が跳ねた。
「……ルミ……?」
耳を疑った。
幻聴かもしれない。
疲れすぎて、ついに頭がおかしくなったのかもしれない。
だが――
「……う……ん……」
今度は、はっきりと聞こえた。
アルヴィーノは椅子を倒す勢いで立ち上がり、ルミの顔を覗き込んだ。
「ルミ……っ!?ルミ……!!」
その声は、これまでの人生で一度も出したことのないほど必死だった。
ルミのまつげが震え、ゆっくりと瞳が開かれる。
透き通った水色の瞳が、ぼんやりとアルヴィーノを映した。
ルミは混乱した。
自分が無茶をして、王子様の大事な「駒」を傷つけてしまったから怒られるのだと思った。
怯えて目を伏せようとするルミ。
だがルミの手を握るアルヴィーノの両手は、ガタガタと激しく震えていた。
その震えは、怒りではない。
恐怖だった。
「……二度と、私の許可なく死にかけないでください」
アルヴィーノの声は、低く、掠れていた。
「貴方が壊れたら、私がどれだけ……ッ!私が……っ、私は……ッ!」
途中で言葉に詰まり、アルヴィーノはルミの胸に額を押し当てるようにして、ガタガタと震え続けた。
その姿は、完璧な王子でも、冷徹な軍師でもなかった。
ただのルミを失うのが怖くてたまらない男だった。
「おーじ、さま……ごめ、んなさ、い……。おれ……おにんぎょーに……ちゃんと……」
「……」
「おーじさま……?」
やっと目を覚ましてくれた。
安堵したアルヴィーノは今まで張りつめていた糸がプツンと切れてしまったように崩れ落ちるようにその場に倒れてしまった。
瞬間、医療室から聞こえた大きな音になんだなんだと医官たちが飛び込んでくる。
その後ろには弟を心配した兄の姿もあり、床に倒れているアルヴィーノの姿とベッドで目を覚ましているものの様々な機械に繋がれ動けないルミを見るなり医官たちを押しのけ前に出てきた。
「おーじさまが……」
「うん。大丈夫だよ。アルヴィーノは少し疲れちゃったみたいだから休ませてくるね。君はここにいてくれるかい?」
「ん……」
「いい子だね。……君たち、二手に分かれてくれ。一班は少年の状態確認を、二班は隣の医務室までアルヴィーノの治療にきてくれ。彼は私が運ぶ」
「承知いたしました。アルフレッド殿下」
床に倒れて微動だにしないアルヴィーノを抱え上げアルフレッドは数人の医官を連れてルミのいる医療室を後にした。
「……おーじ、さま……」
アルフレッドに抱えられ、ぐったりと力なく揺れながら部屋を出ていくアルヴィーノの後ろ姿を、ルミはただ、水色の瞳を大きく見開いて見つめることしかできなかった。
すぐにでもベッドから起き上がって追いかけたかった。
けれど、自分の意志に反して、指先ひとつまともに動かない。
「少年、動いては駄目だ! まだ魔力炉の回路が安定していない、危険だ!」
アルフレッドの指示通り、残った一班の医官たちが一斉にルミのベッドを取り囲む。
彼らの手によって、ルミの細い身体に容赦なく魔力測定の触針や、状態を確認するための冷たい器具が当てられていく。
ピピッ、ピピピピ……と、室内に不穏な駆動音が鳴り響く。
「……っ、ぁ……」
ルミの喉から、かすかな悲鳴が漏れた。
身体が痛いわけではなかった。
研究所で改造されたルミの肉体は、痛覚すら麻痺しかけている。
怖いのは、自分の身体が『道具』としてまともに機能していないという事実だった。
「ひどいな……改造された術式回路が過負荷で焼き切れる寸前だ。よくこれで意識が戻ったものだ」
「おい、胸の心音モニターの数値が跳ね上がっているぞ! 少年、息を吸いなさい、落ち着くんだ!」
医官たちの焦った声が飛び交う。
視界を覆う白い衣服、耳元で鳴り続ける機械の音、そして何より、さっきまで自分を壊れ物のように握りしめてくれていたアルヴィーノのあの熱い手の温もりが、もうどこにもない。
「おーじ、さま……、おれ……、まだ、うごけ、ます……。たたか、え、ます……から……ッ、だから……っ」
浅い呼吸を繰り返しながら、ルミは必死に虚空へ向かって、見えない主に向けた弁明を口にする。
涙が水色の瞳からとめどなく溢れて、耳元へと流れ落ちていく。
動かない身体。
繋がれた無数の管。
医官たちが「これでは薬の投与量を増やさねば」「鎮静をかけろ!」と慌ただしく動く中で、ルミはただ自分の無力さと目の前で崩れ落ちた主の姿への恐怖にガタガタと精神を震わせるしかなかった。
「王子、様……っ、ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
繋がれた機械の警告音がけたたましく鳴り響き、水色の瞳から大粒の涙を溢れさせながら、ルミはガタガタと震え続ける。
今にも無理やり身体を動かしてベッドから這い出ようとするルミを医官たちが必死に止めに入った。
「少年、落ち着きなさい! 今動けば本当に回路が破裂する!」
「駄目だ、こちらの言うことが耳に入っていない。完全にパニックを起こしているぞ、早く鎮静の魔導薬を――」
医官たちが慌てて薬の準備に走ろうとした、その時。
医療室の扉が静かに開き、アルヴィーノを隣の医務室へ運び終えた、アルフレッドが入ってきた。
部屋の中の異常な緊迫感と、ベッドの上で泣き叫びそうなほど震えているルミの姿を見るなり、アルフレッドはすぐに全てを察した。
「下がっていなさい。私がいこう」
アルフレッドは医官たちを下がらせると、ルミのベッドサイドに静かに腰掛けた。
そして、無数の管が繋がれたルミの小さな手を、自身の大きくて温かい両手で、包み込むようにそっと握りしめた。
視界を覆う白衣の大人たちの中に、見知った姿を見つけて、ルミの呼吸がわずかに止まる。
「大丈夫。怖がらなくていいんだよ、ルミくん」
アルフレッドは安心させるように微笑み、もう片方の手で汗と涙で張り付いたルミの水色の髪を優しくゆっくりとなだめるように撫で始めた。
「王子様、が……俺が、壊れたから……おこって……倒れて……っ、おれ、おにんぎょーだか、らっ、おれっ……」
「ううん、違うよ。アルヴィーノはね、君に怒ったんじゃないんだ」
アルフレッドの声は、まるで幼子を寝かしつける子守唄のように穏やかで、温かかった。
「あの子はね、君が目を覚まさないのが、世界で一番怖かったんだよ。君を失ってしまうかもしれない恐怖と戦いながら、一歩もこの部屋から動かずに、ずうっと君の手を握っていたんだよ。だから、君が目覚めたのを見てやっと安心したんだ。安心して、張り詰めていた糸が切れちゃっただけさ。君のせいなんかじゃない」
「あんしん……? おーじさまが……?」
ルミの涙で濡れた瞳が、驚いたように小さく揺れる。
『道具』である自分が壊れたのに、主が怒るのではなく安心した?
自分のために、あんなにガタガタ震えていた?
ルミの小さな脳みそでは、まだその意味を完全には処理しきれなかったけれど、アルフレッドの大きな手から伝わる温もりと、嘘偽りのない優しい声が、ルミの爆発しそうだった精神をじわじわと、心地よく溶かしていった。
「そうだよ。だから、君がそんなに泣いて自分を責めていたら、せっかく安心したアルヴィーノが、また悲しんで起きてきてしまう」
アルフレッドは、ルミの目元に溜まった涙を、指先でそっと拭ってあげた。
「今は、何も考えなくていい。君も、アルヴィーノも、よく頑張った。だから……まずはゆっくり、眠りなさい。目が覚めたら、またあの子が君の隣にいるからね」
「ん……」
アルフレッドの手から、微かに放たれる安眠の治癒魔術。
張り詰め、焼き切れそうになっていたルミの精神回路が、その圧倒的な優しさに包まれて、ふっと急激に弛緩していく。
重たくなる、水色のまぶた。
「おーじ、さま……」と、もう一度だけ、今度は怯えではなく縋るような小さな呟きを漏らし、ルミはゆっくりと、その瞳を閉じた。
瞬間、さっきまで狂ったように鳴り響いていた機械の警告音が穏やかで静かな心音へと変わっていく。
「いい子だね。ゆっくりおやすみ、ルミくん」
ルミが完全に深い眠りについたのを見届け、アルフレッドは愛おしそうに微笑むと、隣の部屋で眠る不器用な弟のことを思い、小さく息を吐くのだった。
夜明け前の薄暗い医療室で、アルヴィーノはルミの手を握ったまま、静かに目を閉じていた。
眠っているのではない。
ただ、限界の身体を無理やり支えているだけその時だった。
「……ん……」
かすかな、本当にかすかな声。
アルヴィーノの肩が跳ねた。
「……ルミ……?」
耳を疑った。
幻聴かもしれない。
疲れすぎて、ついに頭がおかしくなったのかもしれない。
だが――
「……う……ん……」
今度は、はっきりと聞こえた。
アルヴィーノは椅子を倒す勢いで立ち上がり、ルミの顔を覗き込んだ。
「ルミ……っ!?ルミ……!!」
その声は、これまでの人生で一度も出したことのないほど必死だった。
ルミのまつげが震え、ゆっくりと瞳が開かれる。
透き通った水色の瞳が、ぼんやりとアルヴィーノを映した。
ルミは混乱した。
自分が無茶をして、王子様の大事な「駒」を傷つけてしまったから怒られるのだと思った。
怯えて目を伏せようとするルミ。
だがルミの手を握るアルヴィーノの両手は、ガタガタと激しく震えていた。
その震えは、怒りではない。
恐怖だった。
「……二度と、私の許可なく死にかけないでください」
アルヴィーノの声は、低く、掠れていた。
「貴方が壊れたら、私がどれだけ……ッ!私が……っ、私は……ッ!」
途中で言葉に詰まり、アルヴィーノはルミの胸に額を押し当てるようにして、ガタガタと震え続けた。
その姿は、完璧な王子でも、冷徹な軍師でもなかった。
ただのルミを失うのが怖くてたまらない男だった。
「おーじ、さま……ごめ、んなさ、い……。おれ……おにんぎょーに……ちゃんと……」
「……」
「おーじさま……?」
やっと目を覚ましてくれた。
安堵したアルヴィーノは今まで張りつめていた糸がプツンと切れてしまったように崩れ落ちるようにその場に倒れてしまった。
瞬間、医療室から聞こえた大きな音になんだなんだと医官たちが飛び込んでくる。
その後ろには弟を心配した兄の姿もあり、床に倒れているアルヴィーノの姿とベッドで目を覚ましているものの様々な機械に繋がれ動けないルミを見るなり医官たちを押しのけ前に出てきた。
「おーじさまが……」
「うん。大丈夫だよ。アルヴィーノは少し疲れちゃったみたいだから休ませてくるね。君はここにいてくれるかい?」
「ん……」
「いい子だね。……君たち、二手に分かれてくれ。一班は少年の状態確認を、二班は隣の医務室までアルヴィーノの治療にきてくれ。彼は私が運ぶ」
「承知いたしました。アルフレッド殿下」
床に倒れて微動だにしないアルヴィーノを抱え上げアルフレッドは数人の医官を連れてルミのいる医療室を後にした。
「……おーじ、さま……」
アルフレッドに抱えられ、ぐったりと力なく揺れながら部屋を出ていくアルヴィーノの後ろ姿を、ルミはただ、水色の瞳を大きく見開いて見つめることしかできなかった。
すぐにでもベッドから起き上がって追いかけたかった。
けれど、自分の意志に反して、指先ひとつまともに動かない。
「少年、動いては駄目だ! まだ魔力炉の回路が安定していない、危険だ!」
アルフレッドの指示通り、残った一班の医官たちが一斉にルミのベッドを取り囲む。
彼らの手によって、ルミの細い身体に容赦なく魔力測定の触針や、状態を確認するための冷たい器具が当てられていく。
ピピッ、ピピピピ……と、室内に不穏な駆動音が鳴り響く。
「……っ、ぁ……」
ルミの喉から、かすかな悲鳴が漏れた。
身体が痛いわけではなかった。
研究所で改造されたルミの肉体は、痛覚すら麻痺しかけている。
怖いのは、自分の身体が『道具』としてまともに機能していないという事実だった。
「ひどいな……改造された術式回路が過負荷で焼き切れる寸前だ。よくこれで意識が戻ったものだ」
「おい、胸の心音モニターの数値が跳ね上がっているぞ! 少年、息を吸いなさい、落ち着くんだ!」
医官たちの焦った声が飛び交う。
視界を覆う白い衣服、耳元で鳴り続ける機械の音、そして何より、さっきまで自分を壊れ物のように握りしめてくれていたアルヴィーノのあの熱い手の温もりが、もうどこにもない。
「おーじ、さま……、おれ……、まだ、うごけ、ます……。たたか、え、ます……から……ッ、だから……っ」
浅い呼吸を繰り返しながら、ルミは必死に虚空へ向かって、見えない主に向けた弁明を口にする。
涙が水色の瞳からとめどなく溢れて、耳元へと流れ落ちていく。
動かない身体。
繋がれた無数の管。
医官たちが「これでは薬の投与量を増やさねば」「鎮静をかけろ!」と慌ただしく動く中で、ルミはただ自分の無力さと目の前で崩れ落ちた主の姿への恐怖にガタガタと精神を震わせるしかなかった。
「王子、様……っ、ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
繋がれた機械の警告音がけたたましく鳴り響き、水色の瞳から大粒の涙を溢れさせながら、ルミはガタガタと震え続ける。
今にも無理やり身体を動かしてベッドから這い出ようとするルミを医官たちが必死に止めに入った。
「少年、落ち着きなさい! 今動けば本当に回路が破裂する!」
「駄目だ、こちらの言うことが耳に入っていない。完全にパニックを起こしているぞ、早く鎮静の魔導薬を――」
医官たちが慌てて薬の準備に走ろうとした、その時。
医療室の扉が静かに開き、アルヴィーノを隣の医務室へ運び終えた、アルフレッドが入ってきた。
部屋の中の異常な緊迫感と、ベッドの上で泣き叫びそうなほど震えているルミの姿を見るなり、アルフレッドはすぐに全てを察した。
「下がっていなさい。私がいこう」
アルフレッドは医官たちを下がらせると、ルミのベッドサイドに静かに腰掛けた。
そして、無数の管が繋がれたルミの小さな手を、自身の大きくて温かい両手で、包み込むようにそっと握りしめた。
視界を覆う白衣の大人たちの中に、見知った姿を見つけて、ルミの呼吸がわずかに止まる。
「大丈夫。怖がらなくていいんだよ、ルミくん」
アルフレッドは安心させるように微笑み、もう片方の手で汗と涙で張り付いたルミの水色の髪を優しくゆっくりとなだめるように撫で始めた。
「王子様、が……俺が、壊れたから……おこって……倒れて……っ、おれ、おにんぎょーだか、らっ、おれっ……」
「ううん、違うよ。アルヴィーノはね、君に怒ったんじゃないんだ」
アルフレッドの声は、まるで幼子を寝かしつける子守唄のように穏やかで、温かかった。
「あの子はね、君が目を覚まさないのが、世界で一番怖かったんだよ。君を失ってしまうかもしれない恐怖と戦いながら、一歩もこの部屋から動かずに、ずうっと君の手を握っていたんだよ。だから、君が目覚めたのを見てやっと安心したんだ。安心して、張り詰めていた糸が切れちゃっただけさ。君のせいなんかじゃない」
「あんしん……? おーじさまが……?」
ルミの涙で濡れた瞳が、驚いたように小さく揺れる。
『道具』である自分が壊れたのに、主が怒るのではなく安心した?
自分のために、あんなにガタガタ震えていた?
ルミの小さな脳みそでは、まだその意味を完全には処理しきれなかったけれど、アルフレッドの大きな手から伝わる温もりと、嘘偽りのない優しい声が、ルミの爆発しそうだった精神をじわじわと、心地よく溶かしていった。
「そうだよ。だから、君がそんなに泣いて自分を責めていたら、せっかく安心したアルヴィーノが、また悲しんで起きてきてしまう」
アルフレッドは、ルミの目元に溜まった涙を、指先でそっと拭ってあげた。
「今は、何も考えなくていい。君も、アルヴィーノも、よく頑張った。だから……まずはゆっくり、眠りなさい。目が覚めたら、またあの子が君の隣にいるからね」
「ん……」
アルフレッドの手から、微かに放たれる安眠の治癒魔術。
張り詰め、焼き切れそうになっていたルミの精神回路が、その圧倒的な優しさに包まれて、ふっと急激に弛緩していく。
重たくなる、水色のまぶた。
「おーじ、さま……」と、もう一度だけ、今度は怯えではなく縋るような小さな呟きを漏らし、ルミはゆっくりと、その瞳を閉じた。
瞬間、さっきまで狂ったように鳴り響いていた機械の警告音が穏やかで静かな心音へと変わっていく。
「いい子だね。ゆっくりおやすみ、ルミくん」
ルミが完全に深い眠りについたのを見届け、アルフレッドは愛おしそうに微笑むと、隣の部屋で眠る不器用な弟のことを思い、小さく息を吐くのだった。
