主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

狂愛の檻と、光の揺り籠㊵

それから、さらに幾度か季節が巡り――。

二人の我が儘な主従が日常に戻り、レイストール王国が本当の意味で揺るぎない平穏を取り戻した、ある日のこと。

王宮の大舞踏会室は、これまでにないほどの眩い光と、華やかな歓声に包まれていた。

本日開かれるのは、第一王子レオの伴侶として、リリィを正式に国へと迎えるためのお披露目の舞踏会。
かつてアイゼンハルト帝国の歪な檻に囚われていた少女が、名実ともにレイストール王国の光となる特別な夜だった。
ファンファーレが鳴り響き、重厚な扉が開く。

「――第一王子、レオ・レイストール殿下。ならびに、リリィ様、ご入場です!」

現れた主賓の姿に、集まった貴族たちから一斉に感嘆の息が漏れた。
そこに立つレオは、かつてのあどけなさを完全に削ぎ落とし、見違えるほど凛々しい青年へと成長していた。
父アルフレッドと同じ、純白を基調とした高貴な王子の礼服を身に纏い、その新緑の瞳には未来の王としての確かな威厳が宿っている。
そして、そのレオがそっと手を取る隣の少女――リリィ。

彼女が纏っているのは、レオがあの夜から何日も、何ヶ月もカタログを擦り切れるほど見つめ、悩み、彼女のためだけに仕立てさせた最高の一着だった。
雪のように白く、触れれば溶けてしまいそうなほど繊細で美しいドレス。
白銀の髪には、彼女の紅い瞳と同じ輝きを放つ、見事な一粒のルビーの髪飾りが添えられている。
レオの努力の結晶であるその姿は、まるで絵画から抜け出してきた妖精のようだった。
しかし。

「……ひゃっ」

扉の向こうに広がる、きらびやかなシャンデリアの光。
そして、自分たちを一斉に見つめる、数え切れないほどの大人たちの視線と拍手の嵐。
これほどまでに人間で埋め尽くされた環境など、リリィにとっては人生で初めての経験だった。
圧倒的な人の熱気に、リリィは瞬時に顔を真っ赤にし、レオの手をぎゅっと握り締めたまま、トトトッと彼の広い背中の後ろへと隠れてしまったのだ。
ドレスの裾を少しだけ震わせ、レオの純白の服を小さな手で掴みながら、彼の肩越しにおずおずと会場を見つめるリリィ。
そのあまりにも健気で愛らしい様子に、会場の貴族たちからは、威圧するような視線ではなく、まるで壊れ物を労るような、温かく微笑ましい眼差しが向けられるのだった。

「……大丈夫ですよ、リリィ。私の後ろに、ずっといて構いませんからね」

背中に感じる愛おしい震えを優しく受け止めながら、レオは握った彼女の手を、包み込むようにさらに強く握り直した。
リリィの視線に合わせるように少しだけ顔を振り返り、新緑の瞳を柔らかに細めて微笑みかける。

「誰も貴方を傷つけたりしません。私がずっと、貴方の前に立っていますから」
「レ、レオ様……。はい……っ」

レオのその温かい声と、背中をしっかりと守ってくれる大きな存在感に、リリィは深く安堵したように小さく頷いた。
レオはリリィの歩幅に合わせ、彼女を優しく導くように、一歩、また一歩と、用意された上座の席へとゆっくり歩みを進めていく。
貴族たちの温かな拍手が、二人を祝福するように包み込んでいた。
壇上の席へ近づくと、そこには見知ったいつもの顔ぶれが揃って二人を待っていた。

「よく頑張ったね、二人とも。とっても素敵だよ」

いつもと変わらない、慈愛に満ちた優しい笑顔で二人を迎える父アルフレッドと、隣で誇らしげに目を細める母エルザ。
そして、そのさらに一段隣には、今日という特別な日に相応しい、正装に身を包んだ二人アルヴィーノとルミの姿があった。
驚いたことに、いつも漆黒の軍服を頑なに崩さないあのアルヴィーノが、今日は特別に、目も眩むような「白銀の軍服」を完璧に着こなしていた。
その隣には、あの日、アルヴィーノがすべてを賭けて檻から連れ出した時と同じ、鮮やかな天青色のドレスを身に纏ったルミ。
ルミはアルヴィーノの隣にそっと寄り添い、二人の繋がれた左手の薬指には、世界にただ二つしか存在しない、青く神秘的な『星涙石』の指輪が、シャンデリアの光を浴びて美しく煌めいていた。
その、あまりにも美しく完成された二人の姿が、レオの視界に映る。
かつて、まだ自らの運命に抗う術を持たなかった幼き日のレオは、その天青色の彼の姿に、切ないほどの憧れと愛しさを抱いていた。
彼女を救いたいと願い、その存在に心を囚われていたはずだった。
けれど。

(……ああ。本当に、お似合いの伴侶だ)

いま、ルミのその容姿を見つめても、レオの胸に去来したのは、純粋な祝福と敬意だけだった。
昔のように、彼を「愛しい」と思う感情は、その胸のどこを探しても、もう一欠片すら残っていなかったのだ。
なぜなら。

「レオ様……?」

おずおずと、自分の服の袖を引く小さな手。
振り返れば、そこには世界中のどんな宝石よりも美しく、自分のために仕立てられた純白のドレスを纏って、自分だけを頼るように見つめてくる白銀の少女がいる。
私が泥に塗れ、傷だらけになりながら、その全てを賭けて守り抜くと誓った、私だけの特別な人。

(私の『愛しい人』は、もう、私のすぐ隣にいるのですから)

レオは胸の中でそう確信しながら、リリィに向かって、これまでで一番優しく、気高き王子としての心からの微笑みを返した。
二人の未来を祝福する舞踏会の音楽が、華やかに、そしてどこまでも優しく響き渡っていた。
オーケストラが奏でる華やかな旋律が、大舞踏会室の隅々にまで行き渡り、美しいワルツの幕開けを告げた。

フロアの中央では、すでに二組の夫婦が息をのむほど優雅なステップを踏み出している。
父アルフレッドは母エルザの腰を優しく支え、長年連れ添った夫婦ならではの息の合った、どこか温かみのあるダンスを披露していた。
王と王妃の仲睦まじい姿に、周囲の貴族たちからも感嘆の笑みがこぼれる。

そしてそのすぐ近くでは、白銀の軍服を纏ったアルヴィーノと、天青色のドレスを翻すルミが踊っていた。
普段の奔放さを微塵も感じさせないアルヴィーノの無駄のない洗練された身のこなしと、それに合わせて軽やかにステップを踏むルミ。
ルミの動くたびに、左薬指の星涙石が青い火花を散らすようにきらめき、まるで一幅の絵画のような完成された美しさで人々を魅了していた。

「わあ……」

レオの後ろからその光景をじっと見つめていたリリィの、紅い瞳が大きく見開かれる。
シャンデリアの光を浴びて、まるで魔法のように美しく舞い踊る大人たちの姿に、彼女は完全に心を奪われていた。

「きれい、です……。レオ様、とっても……きれいです……」

リリィは、レオの服を掴んでいた手に無意識に力を込めながら、ぽつりと小さく呟いた。
その声には、純粋な憧れと、どこか遠い世界のものを見るような畏敬の念が混じっている。
その、ただ純粋に感動しているリリィの横顔を見た瞬間――レオの胸の奥で、熱い衝動が跳ね上がった。

(これほど美しい貴方を、ただここで縮こまらせておくなど、私には耐えられない)

自分がどれほどの想いを込めて、このドレスを選んだか。
この数ヶ月、彼女の隣に立つに相応しい男になるために、どれほどの血と汗を流してきたか。
叔父上たちへの対抗心だけではない。
今の自分なら、この世界で誰よりも、彼女を輝かせることができるという絶対的な確信が、レオの胸にはあった。
この愛おしい少女を、自分を信じて手を握ってくれたリリィを、世界中の誰よりも美しく、この会場の全ての人間に見せつけてやりたくて、堪らなくなったのだ。
レオは繋いだままだったリリィの手を、そっと、けれど引き込まれるような強さで引き寄せた。

「リリィ」
「ふえっ……? レオ、様……?」

驚いて見上げてくるリリィの前に、レオは右手を差し出し、王子としての、そして一人の男としての至高の微笑みを浮かべた。

「私達も、行きましょうか。……大丈夫、私のリードに身を任せてくだされば、何も怖くはありません」
「あ、あの……わたし、上手に……できるか、わからない、です……っ」
「貴方はただ、私だけを見ていてくだされば良いのです。さあ」

レオは優しく、けれど有無を言わせぬ頼もしさで彼女の小さな手を包み込み、ゆっくりと、きらびやかなダンスフロアの輪の中へと歩みを進めた。
初めての大舞台に緊張で身体を強張らせるリリィを、レオの大きな手が、包み込むような温かさでしっかりと支える。
新緑の瞳と紅い瞳が至近距離で重なり合い、二人の新しいワルツが、今、光の渦の中で静かに回り始めようとしていた。
光り輝くシャンデリアの真下、大人たちが優雅にステップを踏むダンスフロアの中心へと、レオはリリィを優しく導き入れた。

「――っ」

周囲の視線が一斉に集まるのを感じて、リリィの小さな身体が一瞬だけ強張る。
けれど、腰に添えられたレオの手の温もりと、真っ直ぐに自分だけを見つめてくれる新緑の瞳が、彼女の恐怖を瞬時に溶かしていった。
レオのリードは、この数ヶ月の猛特訓の成果を証明するように、驚くほど滑らかで頼もしかった。
リリィの小さな歩幅に完璧に合わせ、まるで壊れ物を扱うかのように優しく、けれど決して揺るがない強さで彼女を支える。
リリィもまた、レオの胸元に視線を預け、教わった通りのステップをたどたどしくも懸命に踏み出した。
白銀の髪がふわふわと宙を舞い、雪のように白いドレスの裾が、夜空に広がる雲のように美しく広がる。
レオの純白の礼服とリリィのドレスが重なり合い、二人が円を描くたびに、会場からはため息のような歓声が沸き起こった。
その様子を、フロアの少し外側から見守る四人の姿があった。

「ふふ、あんなに格好良くリードできるようになって……。本当に、立派になったね、レオは」

アルフレッドがエルザの腰を抱いたままステップを緩め、愛おしそうに目を細めて笑う。
エルザもまた、夫の胸に寄り添いながら、嬉しそうに何度も頷いていた。

「ええ、本当に。リリィさんも、まるで本物のレイストールの妖精のようですわ。あの子たちの未来は、きっと光に満ちていますね」

少し離れた場所では、アルヴィーノがルミの手を引いたまま、ふっといつもの意地悪い、けれどどこか満足げな笑みを浮かべていた。

「フン、あれほど大口を叩いただけのことはありますね。私の過酷な訓練に耐え抜いたのです、あのくらいは当然ですが……まあ、及第点といったところでしょうか」
「もう、アルヴィーノ様ったら素直じゃないんだから! レオもリリィちゃんも、すっごく、すっごく綺麗だよ!」

ルミがアルヴィーノの胸を軽く小突きながら、水色の瞳をキラキラと輝かせて二人へ拍手を送る。
アルヴィーノはそのルミの頭を愛おしげに撫で、彼女の左薬指で輝く星涙石に、自身の指輪をそっと重ね合わせた。

「ああ、本当に良かった……」

誰からともなく、そんな安堵の言葉が漏れる。
国の命運を賭けた外交戦、激しい戦い、そして己の無力さに涙した夜――それら全ての苦難を乗り越えた先に、今、この最高の瞬間があった。

かつて孤独な檻の中にいた少女は、今、自分を世界で一番に愛してくれる王子の腕の中で、世界一幸せそうに頬を染めて笑っている。

ワルツの美しい旋律が、どこまでも優しく響き渡る。
会場にいる誰もが、そして四人の大人たちが、心から同じ願いを胸に抱いていた。

どうか、この新しく始まった穏やかで、温かくて、どこまでも愛おしい幸せな時間が、あの子たちの未来へ向かって、いつまでも、いつまでも、永遠に続いていきますように、と。
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