主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

狂愛の檻と、光の揺り籠㊴


それから、更に数日後のこと。

「……リリィに、似合うもの……」

夜も更けた王宮の一室で、レオは机の上に広げられた何冊もの見本帳を前に、深く、深く頭を悩ませていた。
リリィを未来の伴侶にすると、心に決めた。その決意に些かの揺らぎもない。
アイゼンハルト帝国の歪な檻を壊し、レイストール王国に彼女の居場所を完璧に築き上げた。
けれど、いざ「一人の女性に贈るもの」を考える段階になって、若き魔王の雛は、人生最大とも言える壁にぶち当たっていたのだ。

ドレスは、どのような仕立てが良いだろうか。
彼女の持つ儚げで、けれど芯のある美しさを引き立てるには、やはり純白か。
それとも、私の瞳と同じ新緑の色を混ぜるべきか。
そして、指輪(エンゲージリング)だ。
彼女の白銀の髪に映えるのは、どのような輝きを持つ宝石だろう。
大粒のダイヤモンドでは、彼女の繊細な美しさを殺してしまうかもしれない。では、彼女の瞳と同じ、燃えるような紅玉(ルビー)か、あるいは――。

「ふう……」

いくら机の上でデザイン画を睨みつけても、答えは出ない。レオはそっとペンを置き、椅子の背もたれに体を預けて息を吐いた。

ふと視線を向ければ、部屋の奥にある大きなふかふかのベッド。
そこには、純白の寝具に包まれて、小さな呼吸を刻んでいるリリィの姿があった。

かつては怯えたように身体を丸めて眠っていた彼女が、今はすっかり安心しきった様子で、幸せそうに頬を緩めて眠っている。
かつて彼女を縛っていた冷たい鎖はもうどこにもない。
この部屋の暖かさと、レオが与えた自由が、彼女を優しく包み込んでいた。

レオは静かに椅子から立ち上がり、足音を立てないようにベッドの傍らへと歩み寄った。

ベッドの端に腰掛け、月光に照らされるリリィの寝顔をじっと見つめる。
サラサラと枕に広がる白銀の髪。規則正しく上下する小さな胸。

「リリィ……。貴方は、どんなドレスを纏いたいですか? どんな指輪を、その指に嵌めたいですか?」

届かないと知りながら、レオはそっと囁いた。
眠る彼女の、遮るもののない純粋な美しさを前にすると、見本帳にあったどんな豪奢な宝石も、どんなに名だたる職人が仕立てた最高級のドレスも、すべてが色褪せて見えてしまう。

(私だけの力で、貴方に最高の輝きを贈りたい。けれど、今の私にはまだ、貴方に相応しい『正解』が分からない……)

それは、己の無力さに泣いたあの日とは違う、ひどく甘くて、ひどくもどかしい焦燥感だった。
愛する人を世界で一番幸せにするための、贅沢な模索。

レオは愛おしげに目を細め、リリィの頬に触れないよう、そっとその髪を一房指先で弄んだ。

「待っていてくださいね、リリィ。必ず、貴方に世界一似合うものを見つけてみせますから」

幸せそうに眠る最愛の少女を見つめながら、若き王子は、今日もまた幸福な迷宮の中で、彼女のための「正解」を探して思考を巡らせ続けるのだった。

ドレスの見本帳、宝石の原石図鑑、指輪の意匠が描かれたカタログ――。
それらの本は、いつしかレオの机の特等席に、常に開かれた状態で置かれるようになっていた。

リリィを世界で一番幸せにするための「最高の贈り物」を見つけたい。
けれど、今の自分にはそれを洗練させるだけの知識も、説得力も、大人としての深みも足りない。

その日からのレオの猛追は、王宮の誰もが目を見張るほどのものだった。

「父上、こちらの外交書簡、私が翻訳と要約を担当してもよろしいでしょうか」
「叔父上、先日の防衛線の敷き方ですが……私の案では、この拠点の維持が甘いでしょうか。どうか、ご教授ください」

朝は早くから座学に没頭し、大陸の歴史、法学、帝王学を貪るように学んだ。
昼になれば、アルフレッドの執務室へと足を運び、山のような書類仕事を進んで手伝って実務を身体に叩き込む。
そして夕刻、今度はアルヴィーノの冷徹な監修の元、兵棋演習の盤面を前にして「敵を確実に圧殺する」ための血も凍るような戦略の立案を叩き込まれ、それが終われば息つく暇もなく、木剣を握って泥塗れになるまで剣術の鍛錬に励んだ。

すべては、リリィを名実ともに守り抜ける、完璧な王になるため。
その一心で、少年は己の心身を凄まじい速度で研ぎ澄ませていった。

そんな、レオが全力で駆け抜ける嵐のような日々の中で。

当のリリィは、レオの部屋で静かな時間を過ごしていた。
窓から差し込む暖かな光の中、ふかふかのソファに腰掛け、彼女はレオが机に残していった、何冊ものカタログをそっと指先でめくっていた。

そこには、レオが悩んだ形跡がこれでもかと残されていた。

(このドレスのページに……折り目が、ついています……。こっちの、紅い宝石のところには……鉛筆で、ちいさなバツ印が……)

あるページのドレスには細かなメモが書き込まれ、ある指輪のページは、何度も何度も見返されたように紙が少し波打っている。

まだ幼い自分たちの、遠い未来の約束。
それを、レオがどれほど真剣に、どれほど大切に想い、悩み、模索してくれているのかが、その紙面から痛いほどに伝わってきた。

毎日、泥塗れになり、頭を抱え、それでも自分の前では誇り高い王子として笑ってくれる、愛しい私の魔王様。

「レオ様……」

リリィは、レオの手書きの文字が残るページを、愛おしげにそっと胸に抱きしめた。
じわりと、胸の奥から温かいものが溢れてくる。

(わたしのために……たくさん、悩んで、お勉強して……選んで、くれているのですね……)

言葉は辿々しくても、胸に宿る幸福感は、世界中のどの宝石よりも眩しく輝いていた。
まだ見ぬ純白のドレスも、いつかその薬指に嵌められるはずの指輪も。
レオがこうして自分のために悩んでくれている時間そのものが、今のリリィにとって、何よりの、最高の贈り物だった。

「わたし……とっても、しあわせ、です……っ」

静かな部屋で、リリィは誰に聞かせるでもなく、ぽつりと嬉し涙を浮かべて微笑んだ。
外からは、夕方の鍛錬に励むレオの、鋭くも逞しい掛け声が微かに響いてくる。
その声を心地よく聞きながら、少女は未来の誓いが形になる日を、心から楽しみに待っているのだった。

「――はぁっ、たあぁッ!!」

夕闇が迫る訓練場に、若く鋭い掛け声と、木刀が風を切る風切り音が幾重にも響き渡る。
泥に塗れ、汗を飛び散らせながらも、レオの瞳は寸分の狂いもなく目の前の仮想敵(標的)を捉え、がむしゃらに、けれど確実に鋭さを増した一撃を叩き込んでいた。

その凄まじい執念と努力の背中を、少し離れた回廊から見守る二人の大人の姿があった。

「……あはは。本当に、見違えるような成長ぶりだね。でも、父親としては、もう少しゆっくり大人になってくれてもいいのになぁ、なんて思っちゃうよ」

アルフレッドは手すりに身を預け、愛息の奮闘に目を細めながら、どこか寂しげで、けれど誇らしげな苦笑を漏らした。
ほんの少し前まで、自分の胸の中で子供のように泣きじゃくっていた我が子が、今や寝る間も惜しんで王としての、男としての力を蓄えようとしている。
頼もしい反面、そのあまりの急成長ぶりに、親心が少しだけ追いつかないようだった。

その隣で、腕を組みながら冷徹な瞳をレオに向けていたアルヴィーノが、ふっと薄く唇の端を上げた。

「早く『愛する人を完璧に守れる大人』になりたいという気持ちが、全身から溢れて見え見えですね。あの焦燥の動機が、すべて部屋で待つ少女のためだというのですから、我が甥ながら実に分かりやすい」
「本当にね。リリィくんのために最高に格好いい王子様でありたいんだろうなぁ。カタログを屋根裏部屋のように積み上げて悩んでいたよ」
「フン、不器用なことです。ドレスや指輪など、最上級の職人を力ずくで調達して作らせれば済むものを、わざわざ自分で学び、悩むなど。……まあ、その無駄な足掻きこそが、あの子の『光』なのでしょうが」

吐き捨てるようなアルヴィーノの言葉には、しかし、かつてのような冷酷さはなかった。
むしろ、泥塗れになりながら自身の過酷な戦略講義や剣術の指導に必死についてくるレオの根性を、軍師として、そして叔父として、確かに認めつつあるような響きが含まれている。

「……っ、ふぅーっ、……はぁ!」

二人の視線の先で、レオは大きく息を吐き出し、乱れた呼吸を整えながら再び木刀を構え直した。
手のひらのマメは潰れ、全身の筋肉は悲鳴を上げているはずだ。
それでも、新緑の瞳に宿る炎は消えるどころか、夜が近づくにつれてますますその輝きを増していく。

すべては、あの日交わした誓いのため。
部屋で自分の帰りを待つ、世界で一番愛おしい少女に、最高の未来をプレゼントするため。

夕日に照らされた少年の背中は、ほんの数日前よりも、ずっと大きく、頼もしく見えていた。
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