主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

狂愛の檻と、光の揺り籠㉞

それから数日。

「……はぁ。やっぱり、こうなるよね……」

新王の執務室には、朝からアルフレッドの重苦しい溜息が響いていた。
机の上に山高く積まれているのは、どれだけペンを走らせても一向に減る気配のない、膨大な数の被害報告書と補償請求書の数々。
外交戦でアイゼンハルト帝国を見事にねじ伏せ、リリィの永久放棄を勝ち取ったまでは完璧だった。
だが、問題はその裏で行われた、弟アルヴィーノによる「暴力」の爪痕である。

確かに、アルヴィーノと主砲ルミは、敵の先遣隊一千余名を文字通り塵へと還した。
生存者ゼロ、レイストールへの脅威を完璧に圧殺するという意味では、軍師としてこれ以上ない大戦果だ。

――しかし。一撃で軍の三分の一を消し去るほどのルミの闇魔法と、それを一切躊躇わずに敵ごとぶち抜いたアルヴィーノの魔法が、ただの渓谷の中だけで収まるはずがなかった。

「敵を巻き込むのはいいとして、どうして周辺の村々の林や街道まで、更地にして帰ってくるのかなぁ、あの弟は……」

報告書によれば、国境付近のいくつかの村では、「夜でもないのに突然世界が真っ黒になった」「凄まじい光の柱が立って山が一つ削れた」と、村民たちが大パニックに陥ったらしい。
幸いにも事前の避難誘導で住民の死傷者はゼロだったが、畑の消滅、街道の崩落、謎の魔力汚染による作物の立ち枯れなど、物的な被害は凄まじいものがあった。

「『巻き込まれたくなければ、各自死に物狂いで避けることです』って兵士たちに言っていたみたいだけど、村の土地は動けないってこと、あの天才軍師殿は分かっててやっているよね、絶対に」

結局、敵をいくら綺麗に消滅させようとも、その後に残された「領土の破壊」という物理的な被害の尻拭いは、すべて内政を司る王、つまりアルフレッドの元へと回ってくるのだ。

「もう……レオの夜泣きの相手をしたと思ったら、今度はアルヴィーノの派手な大掃除の後片付けかぁ。相変わらず、僕の周りの男の子たちは手がかかるなぁ」

ぶつぶつと文句を言いながらも、アルフレッドは手際よく村々への復興資金の拠出書や、村民への慰問金の書類にサインを執り行っていく。
文句は言うが、身内が犯した「過剰防衛」の尻拭いを完璧にこなして見せるのもまた、この光の王の恐るべき手腕だった。

「お疲れ様です、アルフレッド様」

そこへ、淹れたてのハーブティーを持って、正妃エルザが静かに歩み寄ってきた。
彼女は夫の隣に立つと、山積みの書類を一瞥し、呆れたような、しかしどこか楽しげな微笑を浮かべる。

「アルヴィーノ様も、ルミさんを連れて行ったせいで加減というものをどこかに忘れてこられたようですね」
「本当にね。ルミくんを甘やかす体力が残っているなら、この書類の半分くらい手伝ってほしいよ」

エルザの差し出したお茶で喉を潤し、アルフレッドはふにゃりと情けない笑みを浮かべる。
弟たちの放つ圧倒的な狂気と暴力を、表舞台で綺麗な「大義」と「法」のオブラートで包み込み、何事もなかったかのように処理していく。
これこそが、レイストール王国が「光の国」であり続けるための、新王アルフレッドにしかできない最も過酷な戦いなのだった。

「……あはは、もうペンを持つ右手の感覚がなくなってきたよ……」

アルフレッドが虚ろな目で書類の山に溺れかけていた、まさにその時。
ノックの音もそこそこに執務室の重厚な扉が開き、あまりにも対照的な「平穏」を纏った二人が姿を現した。

「失礼します、兄上。……お疲れ様です」

入ってきたのは、漆黒の軍服を完璧に着こなした軍師アルヴィーノ。
そしてその隣には数日前の凄惨な戦場が嘘だったかのように、いつものフリルがふんだんにあしらわれた、白く愛らしいロリータ服に身を包んだルミがいた。
水色の長い髪を揺らし、アルフレッドを見つけて「アルフレッド様、お仕事がんばって!」と無邪気に手を振っている。

あの過酷な主従関係から日常へと戻った二人を見て、アルフレッドがホッと息を吐こうとした瞬間。
アルヴィーノが、大して悪びれもせず一枚の書類をアルフレッドの机の上に差し出した。

「これより、二ヶ月の休暇をいただきます。承認のサインをお願いします」
「………………は?」

アルフレッドは思考が完全に停止した。
手にしたペンを握ったまま、差し出された紙と、弟の冷淡な顔を何度も往復させる。

「二ヶ月……? いま、二ヶ月って言ったのかい、アルヴィーノ?」
「ええ。二ヶ月です。ルミには今回、私の指示通りに道具として過酷な労働を強いてしまいましたからね。精神的・魔力的なアフターケアを含め、たっぷりと甘やかす時間が必要なのです。……何か問題でも?」
「問題大ありだよ!!!」

アルフレッドは立ち上がり、机の上の凄まじい書類の山を両手で激しく叩いた。

「君、この山が見えないのかい!? 君たちが国境沿いの村々を更地にしてくれたおかげで、僕がどれだけの数の被害報告書と補償請求書を処理していると思っているんだ! これ、全部君たちの尻拭いなんだよ!?」

王としての威厳などどこへやら、アルフレッドは悲痛な叫びを上げて弟を問い詰める。
だが、希代の天才軍師は、眉一つ動かさずに飄々と言い放った。

「それは私の対応範囲外です。軍師としての私の任務は敵の完全消滅であり、その後の内政および復興処理は王である貴方の領分。契約書にない労働を私に求めないでいただきたい」
「屁理屈を言うなーーーッ!!」

「それに」と、アルヴィーノはルミの細い肩を引き寄せ、深い紫色の瞳を少しだけ和らげた。

「これからルミを連れて、東方にある有名な温泉街へ静養旅行に行く予定を立てていましてね。宿の予約もありますので、あまり時間を取らせないでいただきたい」
「うん! 俺、温泉とっても楽しみなんだ!」

何も知らないルミが、きらきらとした水色の瞳で追従する。

「無理に決まってるだろ!! 却下だ却下! せめてこの書類の山の半分を片付けてから行きなさい!」

怒鳴るアルフレッドに対し、アルヴィーノは全く譲る気配を見せない。
それどころか、呆れたようにため息をつき、机の上のペンを拾い上げてアルフレッドの手に無理やり握らせた。

「無意味な抵抗はやめて、さっさと承認のサインをしてください、兄上。こちらの出発が遅れます。……それとも、次回の有事の際、私が前線を突っぱねて引き籠もってもよろしいのですか?」
「うっ……、それは……!」

最大の脅迫を平然と突きつけられ、アルフレッドはぐうの音も出ない。
横で見ていた正妃エルザが、気の毒そうに、しかし半ば諦めたような笑顔でお茶を口に運んでいる。

「早く。サインを」

冷酷に急かしてくる弟と、温泉を楽しみにおねだりするような目で見てくるルミ。
終わらない書類の山を前に、光の王アルフレッドは、己のあまりの理不尽な境遇に、再び涙目でペンを走らせるしか選択肢が残されていなかった。

「――よし、確かに。兄上の迅速な処理に感謝いたします」

アルフレッドが涙目で書き殴った承認済みの書類を手に取り、アルヴィーノはその薄い唇に、実にご満悦な笑みを浮かべた。
先ほどまでの冷徹な軍師の面影はどこへやら、その深い紫色の瞳には、これから始まる最愛の伴侶との甘い休暇への期待が隠しきれずに滲み出ている。

「それではルミ、行きましょうか。長旅になりますから、馬車の中での防寒対策もしっかりしておきましたよ」
「わぁ、本当!? アルヴィーノ、ありがとう!」

アルヴィーノが優しく促すと、白いロリータ服の裾を軽やかに揺らしながら、ルミがその後に続いた。
だが、ルミは部屋を出るまさにその間際、ピタッと足を止めると、机に突っ伏しそうになっているアルフレッドへと振り返った。そして、ひまわりが咲いたような弾けんばかりの笑顔で、元気いっぱいに声をかける。

「アルフレッド様、お仕事頑張ってね! 温泉街の美味しいお饅頭、お土産に買ってくるから楽しみにしててねー!」

パタパタと無邪気に手を振り、ルミは今度こそアルヴィーノの腕に嬉しそうに抱きつきながら、執務室を去っていった。
遠ざかる二人の幸せそうな足音を聞きながら、アルフレッドは机の上にぽつんと残された。

「……お饅頭、か。うん、楽しみに待っているよ……。二ヶ月後だけどね……」

ガクリと肩を落とし、新王は本日何度目になるか分からない、深いため息を吐き出した。
あまりにも理不尽で、あまりにも自由奔放な弟。
けれど、ルミがああしてまた心からの笑顔を取り戻し、アルヴィーノもそれを見て穏やかでいられるのなら、王として、そして兄としては、この苦労も決して無駄ではないのだと自分を納得させるしかない。

「さて……エルザ。僕の領分のお仕事、片付けちゃおうか」
「ふふ、お供いたします、アルフレッド様。今夜は特別な夜食をご用意させますね」

隣で優しく微笑む正妃の存在に救われながら、アルフレッドは再びペンを握り直した。
カサ、カサ、と静かな執務室に、書類をめくる音とペンの走る音だけが規則正しく響き始める。
弟たちが力ずくで守り、息子が必死に檻を築いたこの平和な日常を、裏から支えるための地道な戦い。
光の王アルフレッドは、押し寄せる書類の山に向かって、再び毅然と立ち向かっていくのだった。
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