主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
狂愛の檻と、光の揺り籠㉚
渓谷の底は、一瞬にして夜よりも深い静寂に包まれた。
アイゼンハルト帝国の先遣隊は、国境沿いの岩陰に突如として現れた漆黒の軍勢に、完全に足を止めていた。
整然と並ぶレイストールの精鋭たち。
その中央で風に翻る漆黒の外套と、冷酷極まりない深い紫色の瞳。
「一体……何だ、あれは。レイストールの軍か? いや、これではまるで――」
先遣隊の隊長が、その圧倒的な威圧感に恐怖し、息を詰まらせる。
現れたのは兵の形をした死神の群れ。
戦場を統治する軍師アルヴィーノ率いる、文字通りの『魔王軍』だった。
敵が目を凝らし、その異様な光景に動揺した、まさにその刹那。
「ルミ。第一段階(フェーズ・ワン)です。……放ちなさい」
アルヴィーノの冷徹な敬語の号令が、戦場に響いた。
「――はい」
感情を完全に殺し尽くした従者の声が応じる。
紺色の従者服を纏ったルミは、アルヴィーノから手渡された、不釣り合いなほど巨大で美しい黄金の杖を両手で固く握り締めた。
かつてのように魔力の制御に戸惑う様子はない。
今の彼は、主の命令を寸分違わず遂行するためだけの、無機質な道具だった。
黄金の杖の先端に、この世の光を全て吸い尽くすような、禍々しい漆黒の球体が形成される。
ルミがその水色の瞳を冷たく見開いた瞬間、凝縮された闇魔法が、津波となって渓谷を駆け抜けた。
ド、と重低音が響き、視界の全てが黒く塗り潰される。
悲鳴を上げる時間すら与えられなかった。
闇に呑まれたアイゼンハルトの先遣隊、その実に三分の一の軍勢が、何が起きたのかを理解することすらできぬまま、文字通り地上から消滅した。
鎧の擦れる音も、肉の焼ける匂いすら残らない。
ただ、そこに人間が存在していたという事実ごと、虚無へと還されたのだ。
「な……っ、なんだ、今の魔法は……!? 化け物か!!」
残された先遣隊の間に、未曾有の恐慌が走る。
一撃で軍の三分の一を消し去るなど、人間に許された業ではない。
目の前にいるのは、ただの軍師ではない。
周辺各国が恐れ、噂に聞いた本物の「魔王」とその眷属なのだと、彼らは魂の底から理解した。
だが、ここで退けば本国に退路は無い。
退却すら許されぬ極限の焦燥に駆られた先遣隊は、正気を失ったように武器を打ち振るった。
「怯むな! 距離を詰めろ! 囲んで殺せぇぇぇ!!」
無謀極まりない突撃。
怒号を張り上げ、狂ったように刃を突き立てて押し寄せる有象無象の群れ。
その決死の突撃を、アルヴィーノはただ退屈そうに、チェスの盤面を見るような冷淡な目で見つめていた。
その長い指先が、ほぼ無詠唱で放たれる次の禁忌の魔法へと、静かに動こうとしていた。
「愚かな。自ら私の戦列に飛び込んでくるとは、手間が省けました」
魔王の冷徹な呟きが、突撃する敵の怒号を容易く掻き消していく。
背後に控える闇の道具と共に、すべてを塵へと還す無慈悲な蹂躙が、本格的にその幕を開けようとしていた。
「総員、突撃を迎え撃ちなさい。……巻き込まれたくなければ、各自死に物狂いで避けることです」
アルヴィーノの冷徹な号令と共に、漆黒の外套が戦風に翻る。
殺到するアイゼンハルトの先遣隊に対し、レイストール軍は一糸乱れぬ動きで迎撃の陣を敷いた。
だが、その戦列の最前線で放たれた「主砲」の威力に、味方であるはずのレイストールの騎士たちさえもが背筋を凍らせることとなる。
「ルミ、次(セカンド)です。前方の密集地帯を薙ぎ払いなさい」
「――はい」
感情を殺した無機質な声と共に、ルミは黄金の杖を真横へと一閃した。
刹那、爆発的な闇の奔流が、扇状に戦場を狂い裂く。
それは文字通り、敵味方の区別すら曖昧にするほど無慈悲で圧倒的な質量だった。
昏い闇の刃は、突撃してきた敵兵の肉体を消滅させながら、すぐ側で剣を振るっていたレイストールの騎士たちの掠り傷をも黒く侵食していく。
『巻き込まれたくなければ、私の視界から失せろ』とでも言わんばかりの、あまりにも冷酷な殲滅の光景。
味方の兵士たちは、敵の攻撃ではなく、背後から放たれる身内の絶対的な「力」に巻き込まれぬよう、死に物狂いで泥を這い、位置を変えるしかなかった。
「化け物……! 貴様ら、全員化け物だッ!!」
狂気的なまでの蹂躙を前に、先遣隊の兵士たちは顔を恐怖に引き歪め、絶望の叫びを上げながら死に物狂いで襲いかかってくる。
目の前で起きているのは戦争ではない。
神罰か、さもなくば本物の魔王による一方的な間引きだ。
凄惨な破壊が繰り広げられる戦場。
その蹂躙が、あと少しで完了しようとするとき。
潰えかけた敵陣の最奥、狂乱する兵たちに囲まれた先遣隊のボスの姿が、アルヴィーノの深い紫色の瞳に映った。
「チェックメイト、ですね」
アルヴィーノは冷ややかに呟くと、漆黒の軍服の袖から、自身の得物である「銀の杖」を滑らせるように掲げた。
ほぼ無詠唱で練り上げられるのは、全ての攻撃魔法に長けた彼が放つ、必滅の極大魔法。
だが、その凶悪な術理の射線、ボスの手前には――今まさに敵を薙ぎ払ったばかりの、ルミの後ろ姿があった。
術を放てば、遮る位置にいるルミごと敵のボスを消し去ることになる。
しかし、アルヴィーノの切れ長の瞳に、躊躇いの色は一切なかった。
冷酷非情な軍師は、一切の容赦なく、銀の杖の先端から光の劫火を撃ち放った。
「――ッ!」
轟音と共に、全てを焼き尽くす一閃が戦場を横切る。
だが、その線上にいたルミは、驚くことも、振り返ることもなかった。
主が自分ごと敵を撃ち抜くことを、始めから完全に理解していたかのように。
ルミは極大魔法が自身の背中に接触するまさにその刹那、一切の無駄のない体捌きで真横へと身体を傾け、その致命的な光条を紙一重で躱してみせたのだ。
激しい爆風に水色の長い髪を派手に躍らせながら、ルミはそのまま空中で大きく旋回する。
紺色の従者服を翻し、重力に逆らうような滑らかな動きで、極大魔法がボスの肉体を塵へと還す轟音を背に浴びながら、アルヴィーノの足元へと舞い戻った。
ト、と静かに地面に降り立ち、アルヴィーノの前に跪くルミ。
その黄金の杖を握る両手は微かに震えていたが、見上げる水色の瞳は、やはり完全に感情が殺されたままだった。
「……標的の消滅を確認。命令の完遂を報告いたします、アルヴィーノ様」
かつて研究所で心を壊されていたルミを、圧倒的な優しい言葉で溺れさせ、自分に依存させたアルヴィーノ。
周囲を傷つけ、泥沼の中で互いだけを信じたからこそ、ルミは主の「殺意」すら完璧に信頼し、躱し、再びその腕の中へと帰ってくる。
「よく避けました、ルミ。完璧な動きです」
アルヴィーノは銀の杖を収めると、膝を突くルミの冷え切った頬に、周囲の兵たちには見せぬ微かな愛おしさを込めて指先を触れさせた。
その唇に冷徹な勝利の笑みを浮かべる。
敵のボスが塵となり、完全に崩壊した戦場。
魔王とその忠実なる闇の道具の手によって、リリィを脅かそうとした羽虫どもの軍勢は、生存者を一人も残さず、この世界から完全に抹消された。
渓谷の底は、一瞬にして夜よりも深い静寂に包まれた。
アイゼンハルト帝国の先遣隊は、国境沿いの岩陰に突如として現れた漆黒の軍勢に、完全に足を止めていた。
整然と並ぶレイストールの精鋭たち。
その中央で風に翻る漆黒の外套と、冷酷極まりない深い紫色の瞳。
「一体……何だ、あれは。レイストールの軍か? いや、これではまるで――」
先遣隊の隊長が、その圧倒的な威圧感に恐怖し、息を詰まらせる。
現れたのは兵の形をした死神の群れ。
戦場を統治する軍師アルヴィーノ率いる、文字通りの『魔王軍』だった。
敵が目を凝らし、その異様な光景に動揺した、まさにその刹那。
「ルミ。第一段階(フェーズ・ワン)です。……放ちなさい」
アルヴィーノの冷徹な敬語の号令が、戦場に響いた。
「――はい」
感情を完全に殺し尽くした従者の声が応じる。
紺色の従者服を纏ったルミは、アルヴィーノから手渡された、不釣り合いなほど巨大で美しい黄金の杖を両手で固く握り締めた。
かつてのように魔力の制御に戸惑う様子はない。
今の彼は、主の命令を寸分違わず遂行するためだけの、無機質な道具だった。
黄金の杖の先端に、この世の光を全て吸い尽くすような、禍々しい漆黒の球体が形成される。
ルミがその水色の瞳を冷たく見開いた瞬間、凝縮された闇魔法が、津波となって渓谷を駆け抜けた。
ド、と重低音が響き、視界の全てが黒く塗り潰される。
悲鳴を上げる時間すら与えられなかった。
闇に呑まれたアイゼンハルトの先遣隊、その実に三分の一の軍勢が、何が起きたのかを理解することすらできぬまま、文字通り地上から消滅した。
鎧の擦れる音も、肉の焼ける匂いすら残らない。
ただ、そこに人間が存在していたという事実ごと、虚無へと還されたのだ。
「な……っ、なんだ、今の魔法は……!? 化け物か!!」
残された先遣隊の間に、未曾有の恐慌が走る。
一撃で軍の三分の一を消し去るなど、人間に許された業ではない。
目の前にいるのは、ただの軍師ではない。
周辺各国が恐れ、噂に聞いた本物の「魔王」とその眷属なのだと、彼らは魂の底から理解した。
だが、ここで退けば本国に退路は無い。
退却すら許されぬ極限の焦燥に駆られた先遣隊は、正気を失ったように武器を打ち振るった。
「怯むな! 距離を詰めろ! 囲んで殺せぇぇぇ!!」
無謀極まりない突撃。
怒号を張り上げ、狂ったように刃を突き立てて押し寄せる有象無象の群れ。
その決死の突撃を、アルヴィーノはただ退屈そうに、チェスの盤面を見るような冷淡な目で見つめていた。
その長い指先が、ほぼ無詠唱で放たれる次の禁忌の魔法へと、静かに動こうとしていた。
「愚かな。自ら私の戦列に飛び込んでくるとは、手間が省けました」
魔王の冷徹な呟きが、突撃する敵の怒号を容易く掻き消していく。
背後に控える闇の道具と共に、すべてを塵へと還す無慈悲な蹂躙が、本格的にその幕を開けようとしていた。
「総員、突撃を迎え撃ちなさい。……巻き込まれたくなければ、各自死に物狂いで避けることです」
アルヴィーノの冷徹な号令と共に、漆黒の外套が戦風に翻る。
殺到するアイゼンハルトの先遣隊に対し、レイストール軍は一糸乱れぬ動きで迎撃の陣を敷いた。
だが、その戦列の最前線で放たれた「主砲」の威力に、味方であるはずのレイストールの騎士たちさえもが背筋を凍らせることとなる。
「ルミ、次(セカンド)です。前方の密集地帯を薙ぎ払いなさい」
「――はい」
感情を殺した無機質な声と共に、ルミは黄金の杖を真横へと一閃した。
刹那、爆発的な闇の奔流が、扇状に戦場を狂い裂く。
それは文字通り、敵味方の区別すら曖昧にするほど無慈悲で圧倒的な質量だった。
昏い闇の刃は、突撃してきた敵兵の肉体を消滅させながら、すぐ側で剣を振るっていたレイストールの騎士たちの掠り傷をも黒く侵食していく。
『巻き込まれたくなければ、私の視界から失せろ』とでも言わんばかりの、あまりにも冷酷な殲滅の光景。
味方の兵士たちは、敵の攻撃ではなく、背後から放たれる身内の絶対的な「力」に巻き込まれぬよう、死に物狂いで泥を這い、位置を変えるしかなかった。
「化け物……! 貴様ら、全員化け物だッ!!」
狂気的なまでの蹂躙を前に、先遣隊の兵士たちは顔を恐怖に引き歪め、絶望の叫びを上げながら死に物狂いで襲いかかってくる。
目の前で起きているのは戦争ではない。
神罰か、さもなくば本物の魔王による一方的な間引きだ。
凄惨な破壊が繰り広げられる戦場。
その蹂躙が、あと少しで完了しようとするとき。
潰えかけた敵陣の最奥、狂乱する兵たちに囲まれた先遣隊のボスの姿が、アルヴィーノの深い紫色の瞳に映った。
「チェックメイト、ですね」
アルヴィーノは冷ややかに呟くと、漆黒の軍服の袖から、自身の得物である「銀の杖」を滑らせるように掲げた。
ほぼ無詠唱で練り上げられるのは、全ての攻撃魔法に長けた彼が放つ、必滅の極大魔法。
だが、その凶悪な術理の射線、ボスの手前には――今まさに敵を薙ぎ払ったばかりの、ルミの後ろ姿があった。
術を放てば、遮る位置にいるルミごと敵のボスを消し去ることになる。
しかし、アルヴィーノの切れ長の瞳に、躊躇いの色は一切なかった。
冷酷非情な軍師は、一切の容赦なく、銀の杖の先端から光の劫火を撃ち放った。
「――ッ!」
轟音と共に、全てを焼き尽くす一閃が戦場を横切る。
だが、その線上にいたルミは、驚くことも、振り返ることもなかった。
主が自分ごと敵を撃ち抜くことを、始めから完全に理解していたかのように。
ルミは極大魔法が自身の背中に接触するまさにその刹那、一切の無駄のない体捌きで真横へと身体を傾け、その致命的な光条を紙一重で躱してみせたのだ。
激しい爆風に水色の長い髪を派手に躍らせながら、ルミはそのまま空中で大きく旋回する。
紺色の従者服を翻し、重力に逆らうような滑らかな動きで、極大魔法がボスの肉体を塵へと還す轟音を背に浴びながら、アルヴィーノの足元へと舞い戻った。
ト、と静かに地面に降り立ち、アルヴィーノの前に跪くルミ。
その黄金の杖を握る両手は微かに震えていたが、見上げる水色の瞳は、やはり完全に感情が殺されたままだった。
「……標的の消滅を確認。命令の完遂を報告いたします、アルヴィーノ様」
かつて研究所で心を壊されていたルミを、圧倒的な優しい言葉で溺れさせ、自分に依存させたアルヴィーノ。
周囲を傷つけ、泥沼の中で互いだけを信じたからこそ、ルミは主の「殺意」すら完璧に信頼し、躱し、再びその腕の中へと帰ってくる。
「よく避けました、ルミ。完璧な動きです」
アルヴィーノは銀の杖を収めると、膝を突くルミの冷え切った頬に、周囲の兵たちには見せぬ微かな愛おしさを込めて指先を触れさせた。
その唇に冷徹な勝利の笑みを浮かべる。
敵のボスが塵となり、完全に崩壊した戦場。
魔王とその忠実なる闇の道具の手によって、リリィを脅かそうとした羽虫どもの軍勢は、生存者を一人も残さず、この世界から完全に抹消された。
