主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
狂愛の檻と、光の揺り籠㉙
重厚な扉が開かれ、アルフレッドは各国の使節が行き交う中央会談場へと足を踏み入れた。
白を基調とした新王の正装は一点の汚れもなく、その佇まいはどこまでも朗らかで、それでいて不可侵の威厳に満ちている。
対する円卓の向こう側には、リリィの故国であるアイゼンハルト帝国の外交官たちが、剥き出しの敵意と焦燥を孕んだ目を光らせて座していた。
「――レイストール、アルフレッド陛下。端的に申し上げよう。我が国から不当に脱走した、あるいは貴国が拉致したとされる白髪赤目の少女――リリィを、即刻我が国へ返還していただきたい」
挨拶もそこそこに、相手国の代表が尊大に言い放つ。
彼らはリリィという希少な「駒」の価値を知っている。
だからこそ、大国の威を借りて一気にねじ伏せる構えだった。
だが、アルフレッドは常に絶やさない穏やかな微笑を浮かべたまま、静かに席に着いた。
新緑の如き碧眼が、相手の焦りを見透かすように真っ直ぐに向けられる。
その声音には、かつての甘さは微塵もなかった。
「アイゼンハルト帝国使節団の皆様、遠路はるばる我が国へお越しいただいたこと、歓迎いたします。ですが、先ほどの御発言にはいくつか、看過できぬ事実誤認がございますね」
「事実誤認だと?」
「ええ」
アルフレッドは手元に用意された一連の法理書類へ、美しく手入れされた指先を添えた。
「まず、我が国が彼女を拉致したという事実はありません。彼女は衰弱し、命の危機に瀕しているところを、我が国の領内にて偶然保護されたに過ぎない。これは大陸人道法、第一条に定められた『戦時平時を問わず、生命の危機にある避難民は発見した国家が一次的に保護義務を負う』という規定に完全に則った正当な行為です」
「不当な言い換えだ! 彼女は我が国の国家資産、いや、国事犯としての側面を持つ! 他国が勝手に匿ってよい存在ではない!」
色をなして机を叩く相手に対し、アルフレッドは眉一つ動かさない。
理路整然とした、しかし冷徹なまでの正論の刃を、言葉の端々に乗せて紡いでいく。
「国家資産、あるいは国事犯ですか。では、それを証明する公式な記録、並びに国際手配の書類を今この場で御提示いただけますか? ――事前の通告では、我が国には一切そのような書類は届いておりません。公式な罪状も、資産としての登録原簿もない者を、ただ『我が国のものだ』と言い張る。失礼ながら、それは国家としての正当な要求ではなく、単なる『人攫い』の詭弁と変わりありませんよ」
「なっ……!」
「さらに言えば」
アルフレッドは書類を一枚、めくった。
その碧眼に、王としての鋭い光が宿る。
「彼女の身体には、非人道的な監禁、および虐待の痕跡が多数見受けられました。我が国の宮廷医師による正式な診断書がここにあります。もし、貴国が彼女の所有権をあくまで主張されるのであれば、我が国は周辺諸国に対し、貴国が国際人道協定に著しく違反している『虐待国家』であると、この証拠を以て正式に提訴せねばならなくなります。……貴国は、近隣の同盟国からの信用を全て失ってまで、彼女一人に固執されるおつもりですか?」
「……、っ……」
相手の外交官たちの顔が、屈辱と驚愕で歪んでいく。
かつての「優しい第一王子」であれば、相手の怒号に気圧され、憐れみだけで交渉を破綻させていたかもしれない。
だが、今のアルフレッドは違う。優しさだけでは解決できない現実を知り、王としての冷徹さを身に付けた彼は、リリィを守るという「大義」の盾を完璧に掲げながら、法と言葉の網で相手の逃げ道をじわじわと塞いでいく。
牙を隠し、自陣を完璧に整えるための外交の武器。
息子であるレオが「檻」として利用しようとしたその対話の技術を、アルフレッドは今、まさに王の王道として体現していた。
「私は何も、貴国と戦おうと言っているのではありません。ただ、法に基づいた対話を求めているだけです。……さあ、アイゼンハルト帝国の皆様。次の議題へ進みましょう。貴国が犯した数々の不手際、どのように弁明されるおつもりですか?」
朗らかな笑みの裏にある、逃れることの許されない絶対的な圧迫感。
アルフレッドの理路整然とした攻勢により、交渉の盤面は完全にレイストール王国の支配下へと傾き始めていた。
◆
レイストール大軍議室。
天を突くような高い天井と、冷たい石壁に囲まれたその部屋は、数百人の精鋭騎士や将軍たちの放つ、張り詰めた熱気と鉄錆の匂いに満ちていた。
しかし、その中央に据えられた巨大な戦術地図の前に「彼ら」が現れた瞬間、喧騒は文字通り氷結した。
「――静粛に」
響いたのは、どこまでも低く、そして美しく統制された声音。
漆黒の豪華な軍服を纏い、この国の「影」を統治する軍師――アルヴィーノ一同を見渡した。
そして、集められた兵士たちが何よりも息を呑んだのは、そのアルヴィーノの僅か一歩後ろ、影のように付き従う小柄な人物の姿だった。
(……あれは、ルミ様、か……?)
騎士たちの間に、声にならない動揺が走る。
かつて城内で見かけることのあった、あの水色の長い髪を揺らし、白く愛らしいロリータ服を纏って無邪気に笑っていた少年。
王族たちに愛され、この冷酷な軍師が唯一、甘い声を向けて溺愛していたはずの存在。
だが、今そこに立つ彼は違っていた。
身に纏っているのは、色褪せた紺色の不穏な従者服。
その透き通るような水色の瞳からは、一切の喜怒哀楽、生気、そして「人間としての感情」が完全に殺し尽くされていた。
主の命令を待つためだけの無機質な肉塊。
ただの「道具」へと自らを貶めたその姿は、かつてヴァルカニア帝国の研究所で心を壊されていた頃の、凄惨な経緯を雄弁に物語っている。
アルヴィーノは隣のルミに一度も視線を向けることなく、長い指先で戦術地図の一点を冷酷に指し示した。
「これより、我が国に仇なさんとするヴァルカニア帝国先遣隊の、完全消滅作戦を開始します」
その声音には、一片の慈悲も存在しない。
「アルフレッド陛下が表舞台で『対話』の席に着かれている間、私たちはその足元で、奴らの退路を完璧に断ちます。作戦は至って単純です。我が精鋭が敵の左右を包囲し、渓谷へと追い込む。……そして、袋の鼠となった有象無象を、後方から一網打尽にする」
アルヴィーノはそこで言葉を区切り、初めて背後の従者へと冷徹な右手をかざした。
「今回の作戦の主砲は、このルミです。私が敵の防壁を粉砕した直後、ルミの闇魔法を、私の指示のままに、最大出力で戦場へと解き放ちます。使い方の分からぬ強大な魔力も、私の統制下にあれば、敵を骨ごと腐らせる完璧な禁忌の兵器となる」
「っ……!」
居並ぶ将軍たちが、そのあまりにも冷酷な作戦に、そして最愛の伴侶であったはずの少年を「兵器」と言い切る軍師の狂気に、背筋を凍らせて息を呑んだ。
しかし、当のルミは、その非人道的な扱いに対して眉一つ動かさない。
ただ人形のように視線を落としたまま、静かに、鈴の鳴るような、しかし感情の剥ぎ取られた声で応じる。
「……はい。我が身も魔力も、全てはアルヴィーノ様の命のままに」
かつてルミを救った際にアルヴィーノが伝授した、「圧倒的な優しさで溺れさせ、依存させる」という愛の檻。
その呪いが完成しているからこそ、ルミはレオへの贖罪のため、そしてアルヴィーノのために、自ら進んで冷たい道具へと戻ってみせたのだ。
「よろしい。我が冷たき刃の前に、大義も、命乞いも無意味です」
アルヴィーノの深い紫色の瞳に、一切の容赦のない「魔王」の光が宿る。
「一人たりとも生かして帰すな。レイストールを脅かす羽虫どもを――文字通り、塵へと還しに行きましょう」
道具として伴侶を従える軍師と、感情を殺して付き従う最強の闇の道具。
その二人の圧倒的な威圧感の前に、大軍議室の騎士たちはただ平伏し、これから始まる凄惨な虐殺の予感に、深く身震いするしかなかった。
重厚な扉が開かれ、アルフレッドは各国の使節が行き交う中央会談場へと足を踏み入れた。
白を基調とした新王の正装は一点の汚れもなく、その佇まいはどこまでも朗らかで、それでいて不可侵の威厳に満ちている。
対する円卓の向こう側には、リリィの故国であるアイゼンハルト帝国の外交官たちが、剥き出しの敵意と焦燥を孕んだ目を光らせて座していた。
「――レイストール、アルフレッド陛下。端的に申し上げよう。我が国から不当に脱走した、あるいは貴国が拉致したとされる白髪赤目の少女――リリィを、即刻我が国へ返還していただきたい」
挨拶もそこそこに、相手国の代表が尊大に言い放つ。
彼らはリリィという希少な「駒」の価値を知っている。
だからこそ、大国の威を借りて一気にねじ伏せる構えだった。
だが、アルフレッドは常に絶やさない穏やかな微笑を浮かべたまま、静かに席に着いた。
新緑の如き碧眼が、相手の焦りを見透かすように真っ直ぐに向けられる。
その声音には、かつての甘さは微塵もなかった。
「アイゼンハルト帝国使節団の皆様、遠路はるばる我が国へお越しいただいたこと、歓迎いたします。ですが、先ほどの御発言にはいくつか、看過できぬ事実誤認がございますね」
「事実誤認だと?」
「ええ」
アルフレッドは手元に用意された一連の法理書類へ、美しく手入れされた指先を添えた。
「まず、我が国が彼女を拉致したという事実はありません。彼女は衰弱し、命の危機に瀕しているところを、我が国の領内にて偶然保護されたに過ぎない。これは大陸人道法、第一条に定められた『戦時平時を問わず、生命の危機にある避難民は発見した国家が一次的に保護義務を負う』という規定に完全に則った正当な行為です」
「不当な言い換えだ! 彼女は我が国の国家資産、いや、国事犯としての側面を持つ! 他国が勝手に匿ってよい存在ではない!」
色をなして机を叩く相手に対し、アルフレッドは眉一つ動かさない。
理路整然とした、しかし冷徹なまでの正論の刃を、言葉の端々に乗せて紡いでいく。
「国家資産、あるいは国事犯ですか。では、それを証明する公式な記録、並びに国際手配の書類を今この場で御提示いただけますか? ――事前の通告では、我が国には一切そのような書類は届いておりません。公式な罪状も、資産としての登録原簿もない者を、ただ『我が国のものだ』と言い張る。失礼ながら、それは国家としての正当な要求ではなく、単なる『人攫い』の詭弁と変わりありませんよ」
「なっ……!」
「さらに言えば」
アルフレッドは書類を一枚、めくった。
その碧眼に、王としての鋭い光が宿る。
「彼女の身体には、非人道的な監禁、および虐待の痕跡が多数見受けられました。我が国の宮廷医師による正式な診断書がここにあります。もし、貴国が彼女の所有権をあくまで主張されるのであれば、我が国は周辺諸国に対し、貴国が国際人道協定に著しく違反している『虐待国家』であると、この証拠を以て正式に提訴せねばならなくなります。……貴国は、近隣の同盟国からの信用を全て失ってまで、彼女一人に固執されるおつもりですか?」
「……、っ……」
相手の外交官たちの顔が、屈辱と驚愕で歪んでいく。
かつての「優しい第一王子」であれば、相手の怒号に気圧され、憐れみだけで交渉を破綻させていたかもしれない。
だが、今のアルフレッドは違う。優しさだけでは解決できない現実を知り、王としての冷徹さを身に付けた彼は、リリィを守るという「大義」の盾を完璧に掲げながら、法と言葉の網で相手の逃げ道をじわじわと塞いでいく。
牙を隠し、自陣を完璧に整えるための外交の武器。
息子であるレオが「檻」として利用しようとしたその対話の技術を、アルフレッドは今、まさに王の王道として体現していた。
「私は何も、貴国と戦おうと言っているのではありません。ただ、法に基づいた対話を求めているだけです。……さあ、アイゼンハルト帝国の皆様。次の議題へ進みましょう。貴国が犯した数々の不手際、どのように弁明されるおつもりですか?」
朗らかな笑みの裏にある、逃れることの許されない絶対的な圧迫感。
アルフレッドの理路整然とした攻勢により、交渉の盤面は完全にレイストール王国の支配下へと傾き始めていた。
◆
レイストール大軍議室。
天を突くような高い天井と、冷たい石壁に囲まれたその部屋は、数百人の精鋭騎士や将軍たちの放つ、張り詰めた熱気と鉄錆の匂いに満ちていた。
しかし、その中央に据えられた巨大な戦術地図の前に「彼ら」が現れた瞬間、喧騒は文字通り氷結した。
「――静粛に」
響いたのは、どこまでも低く、そして美しく統制された声音。
漆黒の豪華な軍服を纏い、この国の「影」を統治する軍師――アルヴィーノ一同を見渡した。
そして、集められた兵士たちが何よりも息を呑んだのは、そのアルヴィーノの僅か一歩後ろ、影のように付き従う小柄な人物の姿だった。
(……あれは、ルミ様、か……?)
騎士たちの間に、声にならない動揺が走る。
かつて城内で見かけることのあった、あの水色の長い髪を揺らし、白く愛らしいロリータ服を纏って無邪気に笑っていた少年。
王族たちに愛され、この冷酷な軍師が唯一、甘い声を向けて溺愛していたはずの存在。
だが、今そこに立つ彼は違っていた。
身に纏っているのは、色褪せた紺色の不穏な従者服。
その透き通るような水色の瞳からは、一切の喜怒哀楽、生気、そして「人間としての感情」が完全に殺し尽くされていた。
主の命令を待つためだけの無機質な肉塊。
ただの「道具」へと自らを貶めたその姿は、かつてヴァルカニア帝国の研究所で心を壊されていた頃の、凄惨な経緯を雄弁に物語っている。
アルヴィーノは隣のルミに一度も視線を向けることなく、長い指先で戦術地図の一点を冷酷に指し示した。
「これより、我が国に仇なさんとするヴァルカニア帝国先遣隊の、完全消滅作戦を開始します」
その声音には、一片の慈悲も存在しない。
「アルフレッド陛下が表舞台で『対話』の席に着かれている間、私たちはその足元で、奴らの退路を完璧に断ちます。作戦は至って単純です。我が精鋭が敵の左右を包囲し、渓谷へと追い込む。……そして、袋の鼠となった有象無象を、後方から一網打尽にする」
アルヴィーノはそこで言葉を区切り、初めて背後の従者へと冷徹な右手をかざした。
「今回の作戦の主砲は、このルミです。私が敵の防壁を粉砕した直後、ルミの闇魔法を、私の指示のままに、最大出力で戦場へと解き放ちます。使い方の分からぬ強大な魔力も、私の統制下にあれば、敵を骨ごと腐らせる完璧な禁忌の兵器となる」
「っ……!」
居並ぶ将軍たちが、そのあまりにも冷酷な作戦に、そして最愛の伴侶であったはずの少年を「兵器」と言い切る軍師の狂気に、背筋を凍らせて息を呑んだ。
しかし、当のルミは、その非人道的な扱いに対して眉一つ動かさない。
ただ人形のように視線を落としたまま、静かに、鈴の鳴るような、しかし感情の剥ぎ取られた声で応じる。
「……はい。我が身も魔力も、全てはアルヴィーノ様の命のままに」
かつてルミを救った際にアルヴィーノが伝授した、「圧倒的な優しさで溺れさせ、依存させる」という愛の檻。
その呪いが完成しているからこそ、ルミはレオへの贖罪のため、そしてアルヴィーノのために、自ら進んで冷たい道具へと戻ってみせたのだ。
「よろしい。我が冷たき刃の前に、大義も、命乞いも無意味です」
アルヴィーノの深い紫色の瞳に、一切の容赦のない「魔王」の光が宿る。
「一人たりとも生かして帰すな。レイストールを脅かす羽虫どもを――文字通り、塵へと還しに行きましょう」
道具として伴侶を従える軍師と、感情を殺して付き従う最強の闇の道具。
その二人の圧倒的な威圧感の前に、大軍議室の騎士たちはただ平伏し、これから始まる凄惨な虐殺の予感に、深く身震いするしかなかった。
