主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

治療が終わった夜から、一日、また一日と、残酷なほどに均等な時間が過ぎていく。
医療室の空気は、時間が経つほどに重く、冷たく、張り詰めていった。
アルヴィーノは、ルミのベッドの脇から一歩も動かなかった。

「殿下……せめてお休みを……」

医官が恐る恐る声をかける。
アルヴィーノは、ルミの手を握ったまま、ゆっくりと顔だけを向けた。
その瞳は、底なしの闇のように冷たかった。

「……私が眠っている間に、この子が死んだらどうするつもりですか? あなたの命で彼を喚び戻せますか? それともあなたの家族全員の命を犠牲に喚び戻せますか? ねぇ?」

医官は息を呑んだ。
暗く沈み、光を失いかけている彼の瞳は如実に語る。
お前のその指示でルミが死んだらわかっているだろうな?と。
それでも医官はこの城の医官の一人として再度彼に休むようにと告げる。

「い、いえ……ですが、殿下の体調も――」
「黙れ」

その一言で、医官の背筋が凍りついた。
アルヴィーノは、ルミの手を胸に抱き寄せるようにして言った。

「私は……この子の傍を離れません。離れた瞬間に……この子が消えてしまう気がする。だめなんです。この子だけは……この子だけは、だめなんです……」

その声は震えていたが頑なにここを動かないという意思だけはあって。
その場にいた医官たちは何も言えずただその場を去ることしかできなかった。

数日が経つ。
アルヴィーノは、ほとんど眠らず、ほとんど食べず、ただルミの手を握り続けた。
医官たちは何度も説得を試みたが、そのたびにアルヴィーノは冷たく言い放つ。

「この子の治療に必要なものだけを持ってこい。それ以外は近づくな」
「殿下、魔力安定のために、触れすぎるのは――」
「触れていなければ……この子の魔力が私から離れてしまうでしょう? それにこうしていれば、この子の微弱な魔力の増減も確認できる。万が一、この子の魔力が足りないのであれば私から与えることもできる。そうでしょう?」

医官たちは理解できなかった。
そこまでして目の前の少年を助けたいと願う彼の心境が。
いつもなら使えない駒を切り捨てる彼が目の前の少年にだけこれだけ執着し、助けようとしているその行為が。
だが医官たちは何も言えない。
なぜならアルヴィーノの目に宿る“狂気”を前に、誰も逆らえなかったから。

――そして、そこからさらに、二週間という果てしない時間が過ぎた。
窓の外の世界が何度夜の闇に塗り潰され、再び白々とした朝を連れてこようとも、ベッドの上の少年はピクリとも動かない。
かつて非の打ち所がないほど優雅だった第二王子の姿は、そこにはなかった。
衣服はあの夜のルミの血に汚れたままで皺が寄り、完璧に整えられていた艶やかな髪は乱れ、生気を失って額に張り付いている。
ほとんど食事を口にせず、眠ることさえ拒絶し続けたせいで、美しい頬は痛々しいほどに痩せこけ、切れ長の瞳のしたには漆黒の死相のような深い隈が刻まれていた。
だが、その狂おしい停滞の果てに、ようやく「その時」が訪れた。

「魔力炉の暴走、完全に沈静化しました……!」
「バイタル、安定値に入ります。……殿下、峠は越えました。あとはこの子自身の目覚めを待つばかりです」

医官たちのその言葉に、医療室を満たしていた張り詰めた糸が、何週間ぶりかに微かに緩む。
アルヴィーノはルミの手を握ったまま、ただじっとその青白い寝顔を見つめていた。
彼の脳内には、ようやく「最悪の事態は免れた」という安堵の計算が成り立ちかけていた。
張り詰めていた緊張が解け、少し休憩をとアルヴィーノの指先から、ほんの少しだけ力が抜けた――まさに、その一瞬の隙だった。
突如として、医療室に鼓膜を刺すような単調な警告音が鳴り響いた。

「な……っ!?」
「バイタル急降下!? 術式、すべて弾かれています!」
「血圧低下、心拍停止……魔力循環が、完全に『ゼロ』になりました……っ!!どうして!? さっきまで安定してたはずなのに……!」

一瞬にして、安堵は地獄の怒号へと変貌した。
安定に入ったと思われたルミの身体が、嘘のように冷たくなっていく。
さっきまでアルヴィーノの胸に抱き寄せられていた微かな脈動が、彼の指先から、文字通り「消えた」。

「ルミ……?」

アルヴィーノの声は、あまりにも小さかった。
理解が追いつかない。
術式は完璧だったはずだ。
数値は安定していたはずだ。
なぜ、今になって、唐突に命の灯が消える?

「殿下、離れてください!! 蘇生術式を組み直します!!」
「心臓マッサージを! 魔力炉に直接刺激を送れ!!」

医官たちが群がり、アルヴィーノをベッドから引き剥がそうとする。
だが、アルヴィーノの身体はまるで床に縫い付けられたかのように微動だにしなかった。
ルミの手を握る両手には、骨が白く浮き出るほどの力がこもっている。
目の前で、医官たちがルミの胸元に次々と再生魔術の光を打ち込んでいく。
だが、少年の身体はその衝撃で人形のようにピクピクと跳ねるだけで、一向に心臓が動く気配はない。
真っ白な顔は、またたく間に死者のそれに近づいていく。

「だめだ……」

アルヴィーノの喉から、掠れた、獣のような呻きが漏れた。

「やめろ……私の元から、勝手に去るな……!!」

どん底の絶望が、アルヴィーノの残された理性を、今度こそ完全に消し飛ばした。
彼は医官たちをその狂気的な魔力で力任せに弾き飛ばすと、ベッドの上のルミの身体に覆い被さるようにして、その胸ぐらを引き寄せた。

「目を開けなさい、ルミ!!! 私を見ろ!!! 道具のくせに、主を置いて先に逝くことなど、絶対に許さない……!!」

髪を振り乱し、狂ったように叫ぶ。
自分の手がガタガタと震えている。
心臓が、自分のものとは思えないほど激しく、痛いほどに脈打っている。

(お前が死んだら、私はどうすればいい……!? 誰が私を肯定してくれる!? 誰が私を呼んでくれるんだ……!!)

「頼むから……頼むから目を開けてくれ、ルミ……!!」

冷徹な軍師のプライドも、第二王子の高慢さも、すべてが塵となって消え去った。
アルヴィーノは、ルミの動かない胸に顔を埋め、まるで駄々をこねる子供のように、ただ狂おしく、涙を流しながら少年の名前を叫び続けることしかできなかった。
医療室の魔術光の点滅が、狂いかけた王子の絶叫を、ただ冷酷に照らし続けていた。
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