主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

狂愛の檻と、光の揺り籠㉗

翌日。
重厚なオークの扉を押し開け、レオは新王アルフレッドの執務室へと足を踏み入れた。

室内には、まるで彼の来訪をあらかじめ予期していたかのような、張り詰めた沈黙が流れていた。
机の後ろには威厳を纏った実父アルフレッドが座し、その傍らには、漆黒の軍服に身を包んだ叔父アルヴィーノが壁に背を預けて立っている。
二人の視線が、一斉に室内の中心へと歩み出るレオに注がれた。
レオの顔には、昨日までの狂乱じみた焦燥はもうなかった。
ただ、冷徹なまでに静まり返った瞳だけが、二人を真っ直ぐに見据えている。

「……父上、叔父上」

レオは二人の前で足を止めると、掠れた、しかし一切の揺らぎのない声で切り出した。

「昨夜、リリィが泣きました。己の無力を呪い、私を追い詰めたのは自分だと……自責の念に駆られ、ボロボロと涙を流して私に謝り続けたのです」

その言葉を発するレオの拳が、一瞬だけ白くなるほど強く握り締められる。

「それを見て、理解いたしました。机の上で綺麗にチェスを指そうと、私が不完全な策を弄し、時間を無駄にしている間にも……彼女の心は削られ、傷ついていくのだと」

アルフレッドは何も言わず、ただ痛ましげに息子を見つめた。
アルヴィーノは細く切れ長の瞳を僅かに細め、甥の言葉の先を促すように沈黙を守っている。

「悔しいですが、今の私の知力も交渉術も、ここが限界です。このままでは、彼女を救う前にその心を壊してしまう」

レオは一度深く息を吸い、そして、これまでの傲慢なプライドを全て捨てるように、実父と叔父の前で深く、深く頭を下げた。

「ですから……お願いです。この件の全てを、お二人に委ねさせてください」
「レオ……」

アルフレッドの口から、漏れ出るような声が伝う。
あれほど頑なに自分の力で檻を完成させると息巻いていた息子が、己の限界を認め、頭を下げて助けを求めてきた。
それは一見、若き王子が正気に戻り、大人の庇護を受け入れたかのような姿に見えた。
だが、傍観していたアルヴィーノだけは、その頭を下げる甥の姿に、真逆の「狂気」を敏感に察知していた。
レオが全てを委ねたのは、諦めたからではない。
父の「対話(環境の構築)」と、叔父の「暴力(脅威の圧殺)」。
その二つの巨大な力を同時に、最も確実に発動させるための、これがレオの『一手』なのだ。
自分の不完全な手駒で戦うのをやめ、王国の最高峰である「王」と「軍師」という最強の駒を、リリィを守るためだけに強制的に盤上へと引っ張り出す。
己の手を汚すことすら厭わず、他者の力をも貪欲に利用して外堀を埋める。
それこそが、かつてアルヴィーノ自身がルミを救うために選んだ、冷徹極まりない魔王の思考そのものだった。

「貴方の父上の交渉で大義名分を得て、私の戦略で有象無象を文字通り塵に還す。……それでよろしいいのですね、レオ」

アルヴィーノの問いに、レオは頭を下げたまま、低く、冷酷な声音で答えた。

「はい、叔父上。お二人の力で、彼女を脅かす全てを圧殺してください。……その間に私は、二度と彼女が涙を流さぬよう、私だけの『檻』をより強固に作り替えておきます」

頭を上げるレオの瞳には、実父の善性も、叔父の模索をも呑み込むような、底知れぬ暗黒の決意が宿っていた。
大人たちの力を利用し、世界を敵に回してでも少女を囲い込む。
レイストール王国を揺るがす地獄の外交戦が、若き魔王の「志願」によって、ついに完全な形で動き出そうとしていた。

「……分かった。彼女の未来も、君の覚悟も、全て僕が預かろう」

アルフレッドは重々しく首を縦に振り、机上の印章を強く握り締めた。
新王としての冷徹な大義、そして父親としての悲痛な決意をその碧眼に宿し、彼は静かに立ち上がる。

「我が国の法と、私が築き上げてきた全ての外交網を以て、彼女を合法的に我が国の庇護下に置く。相手がどれほど不当な要求を突きつけてこようとも、一歩も引くつもりはない。……これより、私は交渉の席へ向かう」

王が放つ絶対的な守護の光。
だが、その光が届かぬ闇の領域を引き受けるように、背後の壁からアルヴィーノがゆっくりと離れた。
漆黒の軍服の襟元を整え、細く切れ長の深い紫色の瞳に冷酷な愉悦を浮かべ、その顔は戦場を統治する軍師の冷徹なものへと変わる。

「兄上の交渉がどのような結末を迎えようとも、私のやるべきことは変わりません。リリィという『駒』に手を伸ばそうとしたその愚行、命を以て償ってもらいましょう。……これより、全てを塵へと還すための軍議を始めます。一人として、生きては帰しませんよ」

対話という名の包囲網を敷く王と、暴力という名の死神を解き放つ軍師。
二人の偉大な大人がレオの願いを容れ、リリィを脅かす全てを圧殺するために、ついにその圧倒的な力を起動させた。

「――お二人に、すべてを捧げます」

レオはもう一度だけ深く頭を下げると、その場に長居することはせず、すぐに執務室を後にした。
父と叔父が世界を相手に地獄の戦いを繰り広げるというのに、レオの心にあるのは、ただ一つの質量だけだった。

(早く、彼女の元へ……。私の、リリィの元へ)

廊下を早足で駆け抜け、己の私室の扉を開ける。
部屋の奥では、昨夜から一睡もできぬまま、今もなお小さな身体を丸めて泣きじゃくるリリィの姿があった。
白く長い髪が涙で張り付き、赤い瞳は真っ赤に腫れ上がっている。

「レオ様……っ、うぐっ、ごめんなさい、私……私の、せいで……」

戻ってきた主の姿を見るなり、怯えと自責に引き裂かれそうな声で再び謝罪を口にするリリィ。
その姿は、周囲から傷つけられ、泥沼の中で互いだけを信じるしかなかった、かつてのルミの姿にも重なる。
レオは音もなく彼女の前に膝を突くと、その痛々しいほど震える身体を、今度は躊躇いなく強く、深く抱き締めた。

「もう大丈夫です、リリィ。何も怯える必要はありません。貴方を脅かす羽虫どもは、父上と叔父上が、今この瞬間にも地上から完全に消し去ってくださいます」
「え……?」
「ですから、もう泣かないでください。これからは、この部屋が貴方の世界のすべてです。私の腕の中だけが、貴方の唯一の安全な場所なのですから」

叔父直伝の、圧倒的に優しい言葉の雨。
レオはリリィの涙を細い指先で丁寧に拭い、彼女の耳元で、甘く、そして逃れられぬ依存の呪いを囁き続ける。
外の世界でどれほど血が流れようとも、どれほどの国が滅びようとも関係ない。
大人たちの力を利用し、世界という名の巨大な外堀を埋め尽くしたレオは、ついに手に入れた完璧な静寂の中で、最愛の少女を自分だけの檻へと、深く、深く溺れさせていくのだった。
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