主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを
狂愛の檻と、光の揺り籠㉕
それから数週間の時が流れた。
新王アルフレッドの元で、レオが「牙を隠すための対話」を驚異的な速度で吸収していく裏で、平穏に見えた状況は静かに、しかし致命的な悪い方へと動き出していた。
きっかけは、リリィが城の庭園へと頻繁に足を運ぶようになったことだった。
レオの部屋にある植物の図譜を読んだ影響だろうか。
おどおどとした手つきではあるものの咲き誇る花々を愛おしげに見つめるのが、いつしか彼女のささやかな日課になっていたのだ。
だが、その無垢な行動が仇となった。
城外からの視線が完全に遮断されているわけではないその庭園で、花を見つめるリリィの白い髪と赤い瞳を、彼女がかつていた国、すなわち彼女を虐げ、あるいは利用しようとしていた追手の者が、偶然にも目撃してしまったのだ。
この緊急事態に、いち早く報告を受けたアルフレッドは、即座に身内だけの極秘の会議を招集した。
重苦しい沈黙が支配する王の執務室。
そこには、新王アルフレッド、冷酷な軍師アルヴィーノ、そして呼び出されたレオと、怯えに身体を震わせるリリィの姿があった。
「……リリィさん、急に呼び出して驚かせてしまってすまないね」
アルフレッドが努めて穏やかな声で語りかけるが、その碧眼には隠しきれない憂慮の色が浮かんでいる。
「私……あの、私、なにか悪いことを……してしまったでしょうか……」
リリィは細い指先で服の裾をきゅっと握り締め、消え入りそうな声で、レオの背中に隠れるようにおどおどと周囲を見回した。
赤い瞳には涙が浮かんでいる。
「君が悪いわけじゃない。ただね君が庭園にいるところを、君の故国の人間に見られてしまったようなんだ」
アルフレッドのその言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が一変した。
レオの瞳から一瞬にして光が消え、底知れぬ暗黒の独占欲と殺気が、その若き身躯から膨れ上がる。
リリィの幸福を永遠に囲い込もうと、この数週間必死に外堀を埋めていた最中での、最悪の綻び。
レオの胸の奥で、有象無象への激しい蹂躙の衝動が狂い咲こうとしていた。
「――それで、陛下。どうなさるおつもりですか」
レオの声は、実父に対しても冷徹極まりないものに変わっていた。
その目は、隣に佇むアルヴィーノのそれと完全に酷似している。
アルヴィーノは髪を指先で弄りながら、チェスの盤面を見るような冷淡な視線で、リリィとレオ、そして兄であるアルフレッドを交互に見た。
「見つかった、か。であれば選択肢は少ないでしょう。相手がリリィという『駒』の所有権を主張し、こちらに外交的な圧力をかけてくる前に、芽を摘まなくてはならない……。兄上、貴方はどう動くのですか?」
アルヴィーノの「慈悲なき軍師」としての問いに、新王アルフレッドは深く息を吐き出し、机の上で手を組んだ。
かつてのようにただ優しく狼狽えるだけの王子ではない。今の彼は、これからの泥沼の外交戦を見据える、一国の王だった。
「力任せに相手をねじ伏せれば、我が国が『他国の少女を不当に拉致し、匿っている』という大義名分を相手に与えてしまう。そうなれば周辺各国を巻き込んだ国際問題になりかねない。……レオ、これこそが、僕が君に言っていた『対話』と『環境の構築』が必要になる局面だ」
アルフレッドの碧眼が、激しい怒りと狂気を必死に抑え込んでいる息子を、真っ直ぐに見据える。
「リリィさんを未来永劫、合法的に君の側に置き続けるための『盾』を、これから構築する。……そのために、まずは相手の出方を伺い、こちらの自陣を法と外交で完璧に固めるんだ。レオ、君のその知力を、今こそ使いなさい」
王としての、あまりにも合理的で冷徹な「正論」。
レオは背に隠れておどおどと震えるリリィの気配を感じながら、低く、獣のような声音で言葉を絞り出した。
「……承知いたしました。我が物を害しようとする羽虫どもを、二度とこちらを見上げられぬよう、完璧に法と策略の檻で圧殺してみせましょう」
対話という名の牙。
外交という名の包囲網。
実父の提示した「王の戦い方」を、レオはやはり、リリィを永遠に独占するための暗黒の技術として完璧に咀嚼した。
怯えるリリィを、世界のすべてから完璧に隔離するための、地獄の外交戦の幕が上がろうとしていた。
◆
それから数日。
「――なるほど。相手の請求を不当とする根拠に、こちらの古い戦時特例法を持ち出すわけですね。悪くない手ですが、それでは詰めが甘い」
アルヴィーノは机上の地図から視線を上げ、細く切れ長の深い紫色の瞳でレオを見据えた。
その声音は平坦でありながら、冷酷な軍師としての容赦のない響きを孕んでいる。
「交渉の場において、相手に『撤退の余地』を残してはなりません。特例法を突きつけると同時に、我が国の港湾使用権の制限という無言の脅迫を混ぜなさい。相手が引き下がればよし、もし決裂を選べば――私が連れて行く兵の、格好の演習相手になってもらうだけです」
「……御助言、感謝いたします、叔父上。その布石、私の戦略に組み込ませていただきます」
レオは表情を一切崩さず、漆黒の軍服を纏う叔父に向かって深く頭を下げた。
それからの数週間、レオの忙しさは火を見るよりも明らかだった。
朝はアルフレッドの傍らで王族としての法理と、相手の面子を潰さずに引き下がらせる外交の『対話』を学び、夜はアルヴィーノの私室で、交渉が決裂した際、相手国を肉体的・精神的に合法の枠内で蹂躙するための『戦略』を練り上げる。
全てを自身の手で組み立てねばならない。
知略と剣術に優れているとはいえ、経験では父や叔父に到底及ばないのだ。
睡眠時間を削り、机に齧り付くレオの瞳は、日に日に鋭く、昏い執念を帯びていった。
これほどの負荷がかかっても、彼の心が折れることはない。
むしろ、リリィを未来永劫、誰の目にも触れさせぬ完璧な『檻』として、国そのものを法と暴力で作り替える作業は、レオの歪んだ独占欲を激しく歓喜させていた。
だが、その狂気じみた熱量の中心にいる少女は、ただ一人、暗い部屋の片隅で膝を抱えていた。
「……私の、せいです……。私が、お外に、出てしまったから……」
リリィは白く長い髪に顔を埋め、おどおどとした手つきで己の服の裾をきゅっと握り締めた。
赤い瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっている。
レオの部屋にある本を読み、彼が生きる世界を少しでも知りたくて、図譜で見た花を見に庭園へ行っただけだった。それがまさか、このような事態を招くとは思ってもみなかった。
廊下を慌ただしく行き交う兵たちの足音、遠くから聞こえる重々しい会議の声。
そして何より、自分を匿うために、狂ったように書類と戦略に追われているレオの姿。
リリィにも、状況が悪い方へ動き出していることくらいは分かった。
自分のせいで、大好きなレオ様が傷ついてしまうかもしれない。
かつて自分を虐げた故国の恐ろしい影が、この優しい場所まで迫ってきている。
「私、どうしたら……。何をすれば、レオ様をお助けできるでしょうか……」
ぽつりと溢れた細い声は、主のいない広い部屋にただ虚しく吸い込まれていく。
どれだけ本を読んでも、どうしていいか分からない。
何か力になりたくても、自分には奪いに来る者たちを退ける術も、レオのように冷徹に立ち回る知恵もないのだ。
怯え、自責の念に押し潰されそうになりながら、リリィはただ、部屋の扉が激しく開かれるその瞬間を待つことしかできなかった。
守るために「国」という名の巨大な檻を設計する少年と、その檻の中で己の無力を呪いながら、より深く彼への依存を強めていく少女。
二人の歪な愛の歯車は、迫り来る有象無象の足音と共に、確実な噛み合いを見せ始めていた。
それから数週間の時が流れた。
新王アルフレッドの元で、レオが「牙を隠すための対話」を驚異的な速度で吸収していく裏で、平穏に見えた状況は静かに、しかし致命的な悪い方へと動き出していた。
きっかけは、リリィが城の庭園へと頻繁に足を運ぶようになったことだった。
レオの部屋にある植物の図譜を読んだ影響だろうか。
おどおどとした手つきではあるものの咲き誇る花々を愛おしげに見つめるのが、いつしか彼女のささやかな日課になっていたのだ。
だが、その無垢な行動が仇となった。
城外からの視線が完全に遮断されているわけではないその庭園で、花を見つめるリリィの白い髪と赤い瞳を、彼女がかつていた国、すなわち彼女を虐げ、あるいは利用しようとしていた追手の者が、偶然にも目撃してしまったのだ。
この緊急事態に、いち早く報告を受けたアルフレッドは、即座に身内だけの極秘の会議を招集した。
重苦しい沈黙が支配する王の執務室。
そこには、新王アルフレッド、冷酷な軍師アルヴィーノ、そして呼び出されたレオと、怯えに身体を震わせるリリィの姿があった。
「……リリィさん、急に呼び出して驚かせてしまってすまないね」
アルフレッドが努めて穏やかな声で語りかけるが、その碧眼には隠しきれない憂慮の色が浮かんでいる。
「私……あの、私、なにか悪いことを……してしまったでしょうか……」
リリィは細い指先で服の裾をきゅっと握り締め、消え入りそうな声で、レオの背中に隠れるようにおどおどと周囲を見回した。
赤い瞳には涙が浮かんでいる。
「君が悪いわけじゃない。ただね君が庭園にいるところを、君の故国の人間に見られてしまったようなんだ」
アルフレッドのその言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が一変した。
レオの瞳から一瞬にして光が消え、底知れぬ暗黒の独占欲と殺気が、その若き身躯から膨れ上がる。
リリィの幸福を永遠に囲い込もうと、この数週間必死に外堀を埋めていた最中での、最悪の綻び。
レオの胸の奥で、有象無象への激しい蹂躙の衝動が狂い咲こうとしていた。
「――それで、陛下。どうなさるおつもりですか」
レオの声は、実父に対しても冷徹極まりないものに変わっていた。
その目は、隣に佇むアルヴィーノのそれと完全に酷似している。
アルヴィーノは髪を指先で弄りながら、チェスの盤面を見るような冷淡な視線で、リリィとレオ、そして兄であるアルフレッドを交互に見た。
「見つかった、か。であれば選択肢は少ないでしょう。相手がリリィという『駒』の所有権を主張し、こちらに外交的な圧力をかけてくる前に、芽を摘まなくてはならない……。兄上、貴方はどう動くのですか?」
アルヴィーノの「慈悲なき軍師」としての問いに、新王アルフレッドは深く息を吐き出し、机の上で手を組んだ。
かつてのようにただ優しく狼狽えるだけの王子ではない。今の彼は、これからの泥沼の外交戦を見据える、一国の王だった。
「力任せに相手をねじ伏せれば、我が国が『他国の少女を不当に拉致し、匿っている』という大義名分を相手に与えてしまう。そうなれば周辺各国を巻き込んだ国際問題になりかねない。……レオ、これこそが、僕が君に言っていた『対話』と『環境の構築』が必要になる局面だ」
アルフレッドの碧眼が、激しい怒りと狂気を必死に抑え込んでいる息子を、真っ直ぐに見据える。
「リリィさんを未来永劫、合法的に君の側に置き続けるための『盾』を、これから構築する。……そのために、まずは相手の出方を伺い、こちらの自陣を法と外交で完璧に固めるんだ。レオ、君のその知力を、今こそ使いなさい」
王としての、あまりにも合理的で冷徹な「正論」。
レオは背に隠れておどおどと震えるリリィの気配を感じながら、低く、獣のような声音で言葉を絞り出した。
「……承知いたしました。我が物を害しようとする羽虫どもを、二度とこちらを見上げられぬよう、完璧に法と策略の檻で圧殺してみせましょう」
対話という名の牙。
外交という名の包囲網。
実父の提示した「王の戦い方」を、レオはやはり、リリィを永遠に独占するための暗黒の技術として完璧に咀嚼した。
怯えるリリィを、世界のすべてから完璧に隔離するための、地獄の外交戦の幕が上がろうとしていた。
◆
それから数日。
「――なるほど。相手の請求を不当とする根拠に、こちらの古い戦時特例法を持ち出すわけですね。悪くない手ですが、それでは詰めが甘い」
アルヴィーノは机上の地図から視線を上げ、細く切れ長の深い紫色の瞳でレオを見据えた。
その声音は平坦でありながら、冷酷な軍師としての容赦のない響きを孕んでいる。
「交渉の場において、相手に『撤退の余地』を残してはなりません。特例法を突きつけると同時に、我が国の港湾使用権の制限という無言の脅迫を混ぜなさい。相手が引き下がればよし、もし決裂を選べば――私が連れて行く兵の、格好の演習相手になってもらうだけです」
「……御助言、感謝いたします、叔父上。その布石、私の戦略に組み込ませていただきます」
レオは表情を一切崩さず、漆黒の軍服を纏う叔父に向かって深く頭を下げた。
それからの数週間、レオの忙しさは火を見るよりも明らかだった。
朝はアルフレッドの傍らで王族としての法理と、相手の面子を潰さずに引き下がらせる外交の『対話』を学び、夜はアルヴィーノの私室で、交渉が決裂した際、相手国を肉体的・精神的に合法の枠内で蹂躙するための『戦略』を練り上げる。
全てを自身の手で組み立てねばならない。
知略と剣術に優れているとはいえ、経験では父や叔父に到底及ばないのだ。
睡眠時間を削り、机に齧り付くレオの瞳は、日に日に鋭く、昏い執念を帯びていった。
これほどの負荷がかかっても、彼の心が折れることはない。
むしろ、リリィを未来永劫、誰の目にも触れさせぬ完璧な『檻』として、国そのものを法と暴力で作り替える作業は、レオの歪んだ独占欲を激しく歓喜させていた。
だが、その狂気じみた熱量の中心にいる少女は、ただ一人、暗い部屋の片隅で膝を抱えていた。
「……私の、せいです……。私が、お外に、出てしまったから……」
リリィは白く長い髪に顔を埋め、おどおどとした手つきで己の服の裾をきゅっと握り締めた。
赤い瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっている。
レオの部屋にある本を読み、彼が生きる世界を少しでも知りたくて、図譜で見た花を見に庭園へ行っただけだった。それがまさか、このような事態を招くとは思ってもみなかった。
廊下を慌ただしく行き交う兵たちの足音、遠くから聞こえる重々しい会議の声。
そして何より、自分を匿うために、狂ったように書類と戦略に追われているレオの姿。
リリィにも、状況が悪い方へ動き出していることくらいは分かった。
自分のせいで、大好きなレオ様が傷ついてしまうかもしれない。
かつて自分を虐げた故国の恐ろしい影が、この優しい場所まで迫ってきている。
「私、どうしたら……。何をすれば、レオ様をお助けできるでしょうか……」
ぽつりと溢れた細い声は、主のいない広い部屋にただ虚しく吸い込まれていく。
どれだけ本を読んでも、どうしていいか分からない。
何か力になりたくても、自分には奪いに来る者たちを退ける術も、レオのように冷徹に立ち回る知恵もないのだ。
怯え、自責の念に押し潰されそうになりながら、リリィはただ、部屋の扉が激しく開かれるその瞬間を待つことしかできなかった。
守るために「国」という名の巨大な檻を設計する少年と、その檻の中で己の無力を呪いながら、より深く彼への依存を強めていく少女。
二人の歪な愛の歯車は、迫り来る有象無象の足音と共に、確実な噛み合いを見せ始めていた。
