主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

狂愛の檻と、光の揺り籠㉓


数週間に及ぶ地獄のような北方遠征が、ついに幕を閉じた。
過酷な実戦演習を生き抜いたレオの身体には、無数の擦り傷と、それを遥かに上回る圧倒的な戦術眼、そして冷徹な武人が纏うような鋭い気配が刻み込まれていた。

蹄の音が規則正しく響く、帰城の途。
夕陽の光が差し込む街道を、アルヴィーノとレオは馬を並べて進んでいた。
周囲には一定の距離を保って暗部が護衛についており、二人の会話を遮る者はいない。

ふと、レオは手綱を握る叔父の横顔を見つめ、ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問を口にした。

「……叔父上。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何ですか、レオ。戦術の復習なら、城に着いてからいくらでも付き合いますが」
「いえ、そうではなく……ルミにぃのことです」

アルヴィーノの紫の瞳が、微かに動いた。
レオは真っ直ぐに前を見据えたまま、淡々と、けれどどこか探るような声音で言葉を続ける。

「ルミにぃとの馴れ初め――いえ、どういう経緯で彼を研究所から救い出し、今のような深い関係に至ったのかを、お聞きしたいのです」

アルヴィーノは馬を進めたまま、ふっと鼻で笑った。

「なぜ、貴方がそんなことを気にするのです。私とあの少年の過去など、貴方の帝王学には一の得にもなりませんが」
「ただの……参考です」

レオは昏く、濁った執着を孕んだ瞳を叔父へと向けた。

「ルミにぃもリリィと同じく、暗い場所に閉じ込められ、心を閉ざしていた。それを叔父上が救い出し、今では彼は貴方を『世界で一番大好きな王子様』として、そのすべてを捧げている。……心を壊された壊れ物を、どのようにして自分だけの従順な小鳥へと飼い慣らしたのか。それを、私の参考書にしたいのです」

「飼い慣らした」という傲慢な表現。
リリィを自分の檻(へや)の中で永遠に幸福に狂わせたいという、レオの歪みきった独占欲が透けて見える問いだった。

アルヴィーノは少しの間、沈黙した。
馬の足音だけが響く中、彼は甥の「魔王」としての順調な歪み振りを値踏みするように見つめ、やがて小さく息を吐いた。

「……参考にできるような、大層な話ではありませんよ。私があの少年を拾ったのは、単なる興味の一環。非合法研究所を発見したとの密偵からの情報を得たことがきっかけです」

アルヴィーノは、当時の冷徹な記憶をなぞるように、淡々と語り始める。

「地下の最奥、魔力を絞り取られて死にかけていた彼を見つけた時、確かにその瞳は完全に死んでいました。私は彼に手を差し伸べた。それはもう優しく。彼はその手を取った……それだけのことです」
「それだけで、ルミにぃはあそこまで叔父上を盲信するようになったのですか?」

レオの言葉を聞いたアルヴィーノは、街道の先を見つめたまま、ふっとその薄い唇を歪めた。
その紫の瞳の奥に、いつもの冷徹な軍師とは違う、どこか酷く甘やかで、同時に底の知れない支配的な光が宿る。

「いいですか、レオ。絶望の底にいる人間に、これ以上冷たい現実を突きつけても意味はありません。必要なのは、その傷口をこれでもかと甘い蜜で満たしてあげることです」

アルヴィーノは馬の歩みを緩めることなく、当時の記憶を愛おしむように、けれど酷く昏い声音で語り始めた。

「私はね、彼をあの悍ましい研究所から連れ出したその日から、ありとあらゆる優しい言葉を彼に与え続けました。彼の耳元で、毎日、毎日、彼が欲する甘い言葉を囁き、溺れさせ、私のことしか考えられないように依存させたのです」

それは、優しさという名の完璧な檻。
アルヴィーノはルミを甘やかし、慈しみ、彼にとっての唯一絶対の「王子様」になることで、その心を内側から完全に侵食していったのだ。

「そうして過ごしているうちに彼は私なしでは生きられなくなった。……もちろん、私自身も。それからは彼も傷つき、私も多くのものを敵に回した。けれど、そうやって周囲から傷つけられ、泥沼の中で互いだけを信じて足掻き続けたからこそ、私たちをつなぐ絆は誰にも引き裂けないものになった。そうして、私たちはようやく結ばれたのですよ」

アルヴィーノはそこで一度言葉を区切り、隣を歩く甥へと、ぞっとするほど艶然とした視線を向けた。

「綺麗事だけの優しさでは誰も救えませんが、狂気的なまでの『本物の優しさ』は、人間を簡単に壊し、己に縛り付ける最高の呪い(くすり)になる。……どうですか、レオ。少しは参考になりましたか?」
「……っ」

叔父の口から語られた、あまりにも深い愛と執着の在り方。
それはレオの想像を遥かに超える、甘美で、凄絶な「依存」の形だった。

「……ええ。本当に、深く、参考になりました」

レオは拳をきゅっと握り締め、その胸の奥に叔父の教えを刻み込んだ。
ただ力で縛るのではない。
リリィが自分なしでは生きていけなくなるほど、誰よりも優しい言葉で、底なしの愛で彼女を溺れさせてあげればいいのだと。

進むべき歪んだ道を見定めたレオは、愛おしい少女と、彼女を守ってくれている大切な兄が待つ城へと、馬の速度をさらに速めるのだった。


パカパカと蹄の音を響かせ、夕暮れのレイストール城へと帰還した遠征組。
馬を預けるや否や、レオはもどかしさを隠せない足取りで、リリィとルミが待つ自身の部屋へと急いだ。
背後からは、いつものように足音も立てず、涼しい顔をしたアルヴィーノが歩いてくる。
重厚な扉の前に立ち、レオがそのノックももどかしく扉を押し開けた、その瞬間。

「アルヴィーノ様ぁーーっ!! おかえりなさーーーい!!」

部屋の奥から、白いフリルをひらひらと揺らした水色の塊が、もの凄い勢いで飛び出してきた。
ルミはレオの横を風のようにすり抜けると、その勢いのままアルヴィーノの胸へと飛び込み、思い切りその首に抱きついた。

「寂しかった! ちゃんとご飯食べてた!? 怪我してない!?」
「おやおや、ただいま戻りましたよ、俺の可愛い小鳥(ルミ)。そんなに勢いよく飛びついたら危ないでしょう?」

普段の冷徹な軍師の仮面はどこへやら、アルヴィーノはひょいとルミの身体を抱きとめると、その水色の長い髪をこの上なく愛おしそうに撫でまわし、とろけるような甘い声を出す。
ルミもその胸に顔をすり寄せ、完全に自分の「王子様」に溺れきった無邪気な笑顔を浮かべていた。

そんな、一瞬でピンク色の空間と化した入り口を通り抜け、レオは真っ直ぐに部屋の奥――自身のベッドへと視線を走らせた。
そこには、ルミの賑やかな声に驚いたように起き上がり、ベッドの縁にちょこんと腰掛けているリリィの姿があった。
数日間の留守中、ルミにぃの手厚いお世話のおかげだろう、その白い頬は健康的な赤みを帯び、怯えの色の代わりに、切ないほどの切望がその赤い瞳に宿っている。
リリィはレオの姿をその目に映した瞬間、じわっと大粒の涙を瞳に溜め、小さな手を胸の前できゅっと握り締めた。

「……れ、レオ様……っ」

おどおどとした、けれど、これ以上ないほどに愛おしさを孕んだ鈴を転がすような声。

「おかえりなさい、です……。……ずっと、待っていました……っ」

その声を聞いた瞬間、レオの胸の奥で、北方遠征の地獄を耐え抜いた狂気的な独占欲が、歓喜の悲鳴を上げて爆発した。
叔父から学んだ、彼女を自分なしでは生きていけなくするための「本当の優しさ」。
その甘い呪いを今すぐ彼女に注ぎ込みたくて、レオは泥にまみれた衣服のことも忘れ、愛おしい少女のもとへと歩み寄るのだった。
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