主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

狂愛の檻と、光の揺り籠㉒


レオが遠征へと旅立った、お留守番の一日目。
主を失った広々とした私室で、ルミとリリィの二人は、まずはお互いを知るための自己紹介から始めることにした。

「それじゃあ、まずは俺から行くね!俺はルミ。さっきも言ったけど、レオの従兄ちゃん。アルヴィーノのことが、大好きなんだ! あ、えっとね、この服はねアルヴィーノがかわいいって言ってくれる服だから着てるんだ。よろしくね」

腰まである水色の長い髪を揺らし、白いロリータ服の裾をちょこんと持ち上げて、ルミは女の子のように愛らしく微笑んだ。
無邪気で、きらきらとしたその笑顔は、見ているだけでこちらの心まで温かくなるような魅力に満ちている。

リリィはベッドの上で、少しだけ緊張を和らげながら、赤い瞳を揺らして言葉を返した。

「私は……リリィ、です。……白亜の塔というところに、ずっと、閉じ込められていました。お名前以外のことは、あまり……よく、分からなくて……。でも、レオ様が、助けてくれました……」
「リリィちゃん、よろしくね! レオ、リリィちゃんに一目惚れしちゃったんだね。レオってね普段はすっごく真面目なんだよー」

ルミは持ってきたお泊まりセットの鞄から、お城の厨房特製のクッキーやマカロンを次々と取り出し、テーブルの上に並べていく。

「ほらほら、これ、アルフレッド様が『リリィさんと一緒に食べなさい』って持たせてくれたんだよぉ。すっごく美味しいから、一緒に食べよ?」
「あ……ありがとうございます……。……美味しい、です……」

サクサクとした甘いクッキーを口に運ぶたび、リリィの表情がほんのりと綻んでいく。
白亜の塔では家畜のような食事しか与えられてこなかった彼女にとって、それは生まれて初めて知る「お菓子の味」であり、「誰かと笑い合いながら過ごす温かい時間」だった。
ルミの可愛い話し方と無邪気な優しさは、リリィの閉ざされた心を少しずつ、けれど確実に溶かしていった。



同じ頃、遥か北方。吹き荒ぶ冷たい風が肌を刺す、荒涼とした演習場。
レオは、人生で最も過酷な「遠征一日目」を迎えていた。

「――陣形が乱れています。そんな鈍い動きでは、敵の伏兵に一瞬で首を刈られますよ」

軍馬の上から、冷酷な声が響く。
漆黒の軍服を微塵も乱さず、冷徹に戦況を見下ろしているのは、軍師アルヴィーノだ。
彼の指揮のもとで行われる演習は、常軌を逸していた。
容赦なく浴びせられる模擬魔術の嵐、ぬかるんだ泥の中での全力疾走、そして息つく暇もない実戦形式の模擬戦。
レオの身体はすでに悲鳴を上げ、皮膚の下の筋肉が爆発しそうなほどの激痛に支配されていた。

「ハァ、ハァ……っ、く……っ」

ガクン、とレオの膝が折れそうになる。
泥の中に手をつき、視界がチカチカと明滅する。
あまりの疲労と重圧に、精神が削り取られていく。
そんな甥の姿を一瞥し、アルヴィーノは冷たく言い放った。

「そこまでのようですね。膝をつくなら、今すぐやめて王宮へ帰りなさい。貴方がここで無様に泥を舐めている間にも、隣国はあの少女を奪い返す算段を立てているかもしれませんがね。覚悟がないのなら、大人しく陛下の元で書類仕事でもしていればいい」

「少女を奪い返す」――その言葉が、レオの脳髄に火をつけた。
自分がここで倒れれば、あのふかふかのベッドで幸せそうに眠るリリィを、再びあの暗黒の地下へと突き落とすことになる。
そんなことは、万に一つも、絶対に、あってはならない。

「……まだ、終わって……いません……っ!」

レオは泥を握り締め、折れかけた膝を無理やり押し戻して立ち上がった。
その瞳には、かつての光の王子の輝きではなく、獲物を絶対に離さないと誓う、魔王のような昏く鋭い執念がギラギラと宿っている。

「ほう……」

アルヴィーノの薄い唇が、微かに愉悦に歪んだ。

「全軍、突撃――! レオ様に遅れをとるな! 続けぇ!」

レオの凄まじい執念に触発されるように、周囲の屈強な兵士たちの士気が爆発的に跳ね上がる。
泥に塗れ、血を吐くような過酷な訓練の中、レオは兵士たちと声を張り上げ、己の限界を打ち破るために剣を振るい続けた。
すべては、愛おしい彼女をこの腕に完璧に独占する、その瞬間のために。



お留守番の二日目。
お城の厨房からルミが新しく調達してきたのは、色とりどりのマカロンと、ふんわり甘い香りのベリーティーだった。
レオの広いベッドの上に二人でちょこんと座り、お菓子を突つきながら、話題は自然とそれぞれの「大好きな人」のことへと移っていく。

「ねえねえ、リリィちゃん! レオってさ、あなたの前だとどんな感じなの?」

ルミは水色の瞳をきらきらと輝かせ、マカロンを片手に身を乗り出した。
ロリータ服のフリルを揺らしながら、無邪気な笑みをリリィに向ける。

「レオ様、ですか……? えっと……とっても、優しいです。私の手をずっと握ってくれて、温かくて……。ここにいる時も、『今日はずっとそばにいる』って、私が眠るまで一緒にいてくれました」

リリィは白い髪の隙間から、ほんのりと頬を赤く染めて呟いた。
小さな手でカップを包み込み、愛おしそうに赤い瞳を伏せる。

「そうなんだ! そっかそっか。ベタ惚れなんだねぇ」

ルミは自分のことのように嬉しそうにキャッキャと笑うと、今度は胸に手を当てて、うっとりとした表情を浮かべた。

「でもね、俺のアルヴィーノも、もっともっと素敵なんだからぁ! 俺が昔、暗くて怖い研究所に閉じ込められてた時、真っ白な服を着て、王子様みたいに助けに来てくれたの。今はもうアルヴィーノ様って呼んでるけど、俺にとっては一生、世界で一番かっこいい王子様なんだぁ」
「ルミにぃは……その、アルヴィーノ様という方が、本当に大好きなのですね」
「うん! 好き! 大好き!」

ルミの突き抜けた明るさと、まっすぐな恋バナに、リリィの口元からも自然と柔らかな笑みがこぼれる。
大好きな人を想う二人の温かい時間が、静かに流れていた。



その頃、北方の吹き荒ぶ戦場――遠征二日目。
前日の過酷な演習による筋肉痛と疲労で、レオの身体は悲鳴を上げていた。
ベッドから起き上がるだけで激痛が走り、関節が軋む。しかし、軍師アルヴィーノに「身体を癒やす時間」などという生ぬるい概念は存在しなかった。

「夜が明けた瞬間から、次の戦いは始まっています。遅いですよ、レオ」

朝日が昇ると同時に、昨日を上回る過酷な演習メニューがレオに叩きつけられた。
容赦のない実戦形式の強行軍。
容赦なく降り注ぐ模擬魔術の爆撃。
重い鎧を纏った身体は泥にまみれ、肺は焼けるように熱い。

「ハァ……ッ、ガハッ……!」

ついにレオの視界がぐにゃりと歪み、剣を杖代わりに泥の上へ突き倒れた。
頭の奥がガンガンと痛み、意識が朦朧とする。

(――もう、無理だ。これ以上は、身体が動かない……)

限界だった。
王子として過保護に育てられたわけではないが、アルヴィーノの地獄のようなシゴキは、人間の精神の限界を容易に削り切る。
心が折れかけ、このまま泥の中に沈んでしまいたいという誘惑が頭をもたげた、その時。

脳裏に、あの部屋の光景が鮮明に蘇った。

自分のふかふかのベッドの真ん中で、小さく丸くなって、幸せそうに眠るリリィの姿。
旅立つ前、俺の服の裾を震える手で握り締めながら、「置いていかないで」と涙を流した、あの愛おしい少女の赤い瞳。

(……ここで、私が倒れてどうする)

自分が弱ければ、彼女のあの幸せな寝顔は一瞬で奪われる。
他国に引きずり戻され、またあの冷たい白亜の塔で、死んだような人形に戻されてしまうのだ。

(そんなことは――我が命に代えても、絶対に許さない!!)

折れかけていたレオの魂に、昏く、凄まじい独占欲の炎が再点火した。
レオは泥を吐き捨て、獣のような咆哮とともに立ち上がった。
その瞳には、肉体の限界を超越した狂気的な執念がギラギラと宿っている。

「ほう。まだその眼ができるのなら、少しは楽しめそうですね」

馬上で冷たく微笑むアルヴィーノの視線を受け止めながら、レオは再び剣を強く握り締め、兵士たちの先頭に立って、地獄の演習の渦中へと突き進んでいくのだった。


遠征が始まってから数日後。
王宮の一室では、お留守番の二人がすっかり打ち解けた様子で過ごしていた。

「ねえねえリリィちゃん、二人が帰ってきたら何しよっかー? 俺ね、アルヴィーノが帰ってきたら、ぜーったい美味しいお菓子作って食べてもらうんだ! あなたは何したい?」

ルミは水色の長い髪を揺らしながら、ベッドの上でゴロゴロと寝転がり、無邪気に笑いかけた。
白いロリータ服のフリルが、彼の動きに合わせて軽やかに跳ねる。

リリィは膝を抱えて座りながら、少し考えてから、ぽつりと、けれど嬉しそうに呟いた。

「私は……レオ様と、またあのふかふかのベッドで、一緒に……お昼寝が、したいです。レオ様が隣にいてくれると、すごく温かくて、安心するから……」
「そっかそっかー。早く帰ってくるといいねー!」

ルミがあなたの手を引いて無邪気に はしゃぐと、リリィの赤い瞳にも、未来へのささやかな希望の光が宿るのだった。


一方、その頃の北方演征組。
地獄の特訓を数日間生き延びたレオは、初日に比べれば、泥にまみれながらも随分と機敏に動けるようになっていた。
限界を超えた肉体は急速に戦場の空気に適応し、兵士たちの陣形を素早く見極めるだけの余裕が、微かに生まれつつあった。

しかし、目の前の「魔王」がそれを生温く見逃すはずがない。

「動きが鈍いですよ、レオ。初日よりマシになった程度で、満足しているのですか?」

軍馬の上から、アルヴィーノの容赦のない叱責が、冷たい風に乗って突き刺さる。
細く切れ長な紫の瞳は、甥の僅かな隙も見逃さず、冷酷に言葉の刃を重ねていく。

「そんな腑抜けた太刀筋では、隣国の精鋭に一瞬で首を刎ねられ、その死体の前であの少女が連れ去られるのをただ眺めることになりますね。まさか、自分が『光の王子』だからと、戦場でも世界が優しく甘やかしてくれるとでも思っているのですか? 片腹痛い。貴方がここで無様に時間を浪費している間にも、彼女の首にかかった見えない縄は、一刻一刻と引き締まっているというのに」
「く……っ、まだ……です……!」

叔父の容赦ない煽りと冷徹な言葉は、レオの脳髄を確実に抉った。
だが、今のレオはその煽りすらも己の狂気的な独占欲の糧へと変換する。

「私は――絶対に、彼女を誰にも渡しはしない!!」

冷酷な軍師からの怒号と煽りをその身に浴びながら、レオはさらに昏く、鋭い執念を瞳に宿し、再び泥を蹴って実戦演習の渦中へと突き進んでいくのだった。
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