主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

狂愛の檻と、光の揺り籠⑲


それから、さらに数週間の時が流れた。

徹底的な医療班の手当てと、何より張り詰めていた緊張からの解放によって、レオの身体はかつての健やかさを完全に取り戻していた。
回復した彼の隣には、いつも白い髪を揺らす少女の姿があった。
リリィは未だに人目を恐れ、おどおどとした素振りを見せることはあったものの、レオが傍らにいる時だけは、まるで磁石が引き合うようにその隣へと寄り添うようになっていた。

そして現在。重厚な空気の満ちる、新王アルフレッドの執務室。

レオはリリィを連れ、机を挟んで父親であるアルフレッドと対峙していた。
 
「――以上が、私が隣国よりリリィを連れ出すに至った、一連の事顛末(じてんまつ)でございます。父上……いえ、陛下。私の個人的な執着のせいで、国家の外交を揺るがす多大なご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます」

レオは居住まいを正し、王族としての完璧な一礼とともに、自らの行いを報告し、深々と謝罪した。
その毅然とした態度には、かつての「甘さ」を削ぎ落とした、一種の冷徹な覚悟すら滲んでいる。

その報告をじっと聞き届けていたアルフレッドは、机の上に山積みにされた、隣国との辻褄合わせの外交書類に視線を落とした。
そして、こめかみを指先で押さえながら、ひどく遠い目をして深い溜息をつく。

「……いや、いいんだよ、レオ。気にするな、とは言えない状況だけれど……謝罪は受け取ろう」

アルフレッドはふっと自嘲気味に微笑み、どこか諦念の混じった口調で言葉を続けた。

「何より、アルヴィーノが、これまで内政でも外交でも散々にやらかしてくれているからね。代理国王の時の暴挙、南方のバカンスでの天災、そしてあの終わりのない兄弟喧嘩……。あそこに比べれば、今回は『事前に書類が回ってこなかっただけマシ』だとさえ思えてしまうよ。悲しいことに、僕はもう、あの魔王のせいでとっくに鍛え上げられているんだ」

かつて善性だけで乗り切ろうとした新王の、どこか達観したその言葉に、レオは一瞬だけ苦笑を浮かべそうになった。
叔父がこれまで重ねてきた「前科」の重さが、図らずも今回の自分の窮地を和らげてくれたのだから、皮肉なものである。

「さて、レオ」

アルフレッドの表情から、父親としての労いが消え、一国の王としての真剣な眼差しへと変わった。
彼はその碧眼を、レオの背後で怯えるように身を縮めている、白い髪の少女へと向ける。

「謝罪と状況報告はここまでだ。ここからは、今後の我が国における、リリィさんの処遇についての議題に入ろうか」

王の言葉に、リリィの赤い瞳が微かに揺れた。
レオはそれを察し、彼女を庇うようにそっと一歩前に出ると、昏く鋭い光を宿した瞳で、父の次の言葉を待った。
アルフレッドは机の上の書類を静かに脇へ退けると、レオの背後に隠れるようにしている少女へ、酷く穏やかな、包み込むような視線を向けた。

「リリィさん。君のこれまでの境遇については、僕の弟――アルヴィーノからも一通りの報告は受けている。けれど、僕は他人の書いた文字ではなく、君の口から直接、君自身のことを聞かせてほしいんだ」

それは、決して彼女を追及するためのものではなかった。
アルヴィーノが提出した冷徹な事実(データ)と、当事者である彼女の記憶に差異がないか。
そして何より、彼女がこの国で生きていくために、どれほどの傷を心に抱えているのかを、王として正しく見極めたいが故の言葉だった。

リリィの赤い瞳が、不安げに揺れる。
レオはリリィの小さな手をそっと握り、安心させるように微かに力を込めた。
その温もりに背中を押されるようにして、リリィはゆっくりと、ベッドの影ではない場所へ一歩を踏み出した。

「……私の、お話を……します……」

鈴の鳴るような、けれど今にも消えてしまいそうな細い声。
リリィは溢れそうになる涙を堪えながら、途切れ途切れに、自身の忌むべき過去を紡ぎ始めた。

「私は……物心ついたときから、ずっと、あの白亜の塔の中にいました。毎日、冷たい床の上で、お城の人たちが残したようなご飯を食べて、生きていました……」

ドレスの袖を握り締める指先が、小刻みに震える。

「でも、お部屋に用意されているのは、いつも綺麗で、きらきらした、豪華なドレスだけでした。それを着ていないと、見張りの人たちに……すごく、怒られるんです。『王の不義の子であっても、我が国の虚栄を飾る人形としては美しくあれ』って……」

リリィは一度言葉を詰まらせ、俯いた。
白い髪が、彼女の痛々しい表情を隠すように揺れる。

「私の……お母様は……私がまだ、もっと小さかった頃に……処刑、されました。国王様の奥様……王妃様の逆鱗に触れたからだと、見張りの人たちが嘲笑っていました。お母様が死刑台に連れて行かれるとき、私に『生き延びて』って、泣きながら言ったんです。だから私は……どんなに惨めでも、人形のふりをして、生きていなきゃいけなくて……」

母親が処刑されたときの光景。
引き裂かれるような悲鳴。
それが、リリィが持つ最古の、そして最も残酷な記憶だった。

「あの足首の枷は……私が大きくなって、魔力を持つようになってから、嵌められました。『絶対に逃げ出さないように、この国に一生縛り付ける呪いだ』って。……もう、誰も私を助けてくれないと思っていました。このまま、あの暗い地下で、死んでいくんだって……」

 そこまで話すと、リリィは顔を上げ、涙に濡れた赤い瞳で、隣に立つレオを真っ直ぐに見つめた。

「でも、レオ様が……私のために、命を懸けて、あの恐ろしい枷を壊してくれたんです。処刑台から……助けてくれて……暗闇から、引っ張り出してくれたんです……」

リリィの話が終わると、執務室には、ただ重苦しい静寂だけが残された。

アルヴィーノの報告書にあった「冷徹な事実」の裏側にあった、一人の少女が味わってきた本物の地獄。
アルフレッドは深く痛ましげに表情を歪め、我が子の歪んだ執着の理由を、そして彼がなぜそこまでして「魔王」の力を欲したのかを、本当の意味で理解した。
リリィの口から語られた言葉は、事前にアルヴィーノから受け取っていた冷徹な記録と、何一つとして差異はなかった。
だからこそ、目の前の少女が背負わされてきた現実の悲惨さが、生々しい質量を持ってアルフレッドの胸を締め付ける。
アルフレッドは机の上で両手を組み、痛ましさを堪えるように一度だけ瞳を閉じた。
そして、ゆっくりと目を開けると、我が息子の端正な顔を見つめる。

「……分かった。辛い話をさせてすまなかったね、リリィさん」

少女へ向けた声音には、いつもの彼らしい善性と慈愛が満ちていた。
しかし、視線をレオへと戻した瞬間、その碧眼には一国の王としての、冷徹なまでの現実主義が宿る。

「レオ。アルヴィーノの情報に間違いはなかった。……だがね、だからこそ問題は根深い。彼女のその容姿を見てごらん」

アルフレッドの視線に促され、レオは隣に立つリリィを見た。
陽光を浴びてきらめく、穢れのない純白の髪。
そして、他国の王族の血筋を証明する、深く鮮烈な赤の瞳。

「白髪に赤眼。あまりにも特徴的で、そして美しい。このような少女を、レイストール王宮の奥に永遠に隠し通すことなど、不可能なんだ。どれほど完璧な欺瞞作戦を立てようとも、いつか必ず、どこからか綻びが生まれ、他国に彼女と我が国の関与が露見する日が来る」

アルフレッドは椅子から立ち上がり、重厚な執務机を回り込んでレオの正面へと歩み出た。
王族服の白が、息子の纏う、どこか叔父に似てきた昏い気配と対比するように揺れる。

「そうなれば、隣国は間違いなく『不義の子』の返還を求めてくる。あるいは、我が国を『他国の王族を拉致した卑劣な侵略者』として糾弾し、大義名分を掲げて剣を抜くかもしれない。一歩間違えれば、多くの自国民の血が流れることになるんだ」

アルフレッドはレオの目の前で立ち止まり、その強い眼差しで息子の心の奥底を覗き込むように、低く、重い声を響かせた。

「レオ。君に問う。……それでもなお、あらゆるリスクを背負い、我が国の平穏を賭してでも、彼女をここに匿い続けるつもりかい? 国を敵に回してでも、彼女をその腕の中に縛り付け、独占し続ける……君には、それだけの覚悟があるのか」

父親としての、そして王としての、最大級の詰問。
ルミの件を温かく見守ってきたアルフレッドだからこそ、愛という名の感情がどれほど人を狂わせるかを知っている。
だからこそ、息子の「本気度」を、その魂の限界を試すような問いだった。

しかし。
レオの瞳に、揺らぎは微塵も存在しなかった。

数日前まで、寝る間を惜しんで脳髄を削り、アルヴィーノから罵倒され、泥を舐め続けてきたのだ。
今更、国家の法や国際情勢ごときに怯むような生温い精神は、あの地獄のような戦略会議の中でとっくに焼き尽くされている。

「――ございます」

レオは溢れんばかりの執念を、極限まで冷徹に研ぎ澄ました声で言い切った。

「隣国が剣を抜くというのなら、その防衛網ごと叩き潰すまでのこと。私は、そのための智力を叔父上から叩き込まれました。何が起きようと、リリィをあの暗がりに返すつもりはありません。彼女の存在が世界を揺るがすというのなら……私は喜んで、その世界の敵になりましょう」

毅然として、どこまでも傲慢なその返答。
かつての「光の王子」の面影を残しながらも、その内側に完全なる「魔王の闇」を宿した息子の姿に、アルフレッドは再び、胃のあたりにズシリと重い痛みを覚えるのだった。
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