主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

狂愛の檻と、光の揺り籠⑫


「待っていた、ずっと」

レオのその一言に、白髪の少女は真っ赤な瞳を丸くして驚いたように小さく息を呑んだ。
まさか、他国の高貴な王子が、ただの偶然で出会った自分のような存在を待ち続けていたなど、思いもよらなかったのだろう。
少女はやはり城の者たちの目を恐れるように、きょろきょろと何度も辺りを気にしていたが、意を決したようにトトト、と小さな歩幅でレオのもとへと歩み寄ってきた。
そして、昨日と同じように、今にも消え入りそうなか細い声で、そっと語りかける。

「あの……本当に、だいじょーぶ……ですか……? 昨日も、おとといも……すっごく、悲しそうな、お顔をしていたから……」

近くで見つめるその姿は、あまりにも儚かった。
陽の光に透けてしまいそうなほど白い肌に、細い腕。
その一挙手一投足は、強く触れればそれだけで木っ端微塵に壊れてしまいそうなほど、繊細で危うい硝子細工のようだった。

「――っ」

レオは思わず、息を呑んだ。
数日前まで、ルミを自分の『光の檻』に閉じ込めようと、そればかりを考えていた。
けれど、目の前にいるこの少女は違う。
檻に入れるまでもなく、今この瞬間に自分がその細い手首を掴んで、この歪んだ城から連れ去ってしまわなければ、そのまま世界の理不尽に押しつぶされて消えてしまいそうな――そんな強烈な庇護欲を、レオの細胞のすべてに直接訴えかけてくるのだ。

「私は大丈夫です。君が……君が私の心配をしてくれたから」

レオは自身の新緑の瞳に、かつてないほど優しく、しかし確実に獲物をロックオンした「光」を灯し、少女の目線に合わせて少しだけ腰を落とした。

「君は、一体……。 なぜそんなに怯えているのですか? 昨日の侍女も、君の特長を伝えただけで怯えて口を噤んでしまった。君はこの城で、どんな目に遭って……?」

矢継ぎ早に投げかけられる問いに、少女はまた少し身を縮めた。けれど、レオの瞳の奥にある、自分をただ純粋に見つめてくれる強い光に毒気を抜かれたのか、小さな唇を震わせながら、ポツリ、ポツリと名乗り始めた。

「わたし、は……」

それは、城の奥深く、誰もその存在を語ることを許されない、この国の『歪んだ秘密』の扉が開く瞬間だった。

「わたし、は……。……『リリィ』、っていいます」
「――リリィ」

レオはその可憐な名前を、まるで壊れ物を扱うように、口の中で小さく、優しく繰り返した。
白く、儚く、触れれば散ってしまいそうな鈴蘭の花。
まさに彼女の持つ硝子細工のような雰囲気にぴったりの名だった。
その名前を胸に刻み、さらに彼女の境遇を問い詰めようとした、まさにその時。

「――レオ! やっと見つけた、こんなところにいたのかい!」

静かな庭園に、聞き馴染んだ父親の声が響き渡った。
息子の体調を心配して城中を捜し回っていたアルフレッドが、息を切らせながら回廊から姿を現したのだ。

「っ……!」

リリィは弾かれたようにビクッと身体を震わせ、真っ赤な瞳に怯えの色を浮かべた。

「待って、リリィ、行かないでくれ――」

レオが手を伸ばすが、彼女の行動の方が早かった。
リリィはアルフレッドに姿を見られる前に、純白のドレスの裾を翻し、初雪のような長い髪をなびかせながら、薔薇の生垣の向こうへと、あっという間に逃げ出すように去っていってしまった。

「あ……」

またしても、差し出された手のひらには初夏の風が吹き抜けるだけ。
だが、レオの新緑の瞳には、すでに絶望の陰はなかった。

「レオ、大丈夫かい? 急にいなくなるから心配したよ。……おや? 今、誰かいたのかい?」

アルフレッドが不思議そうに薔薇の生垣を見やる。

「……いえ。何でもありません、父上」

レオはすっと冷徹な表情に戻り、伸ばした手を静かに下ろした。
その新緑の瞳の奥で、かつてルミに向けられていたものとは違う、しかし同等かそれ以上にドロリとした「救済」と「独占」のシステムが、凄まじい速度で構築されていく。

(リリィ。この城の誰もが口を噤む、可憐な私の白い花。……待っていてください。私が必ず、あなたをその暗闇から引き摺り出し、私の『光の檻』で永遠に守って差し上げます)

ルミに完璧に振られた王子。
その凍りついていた物語が、リリィという新たな少女の存在によって、より深く、より歪な方向へと、本格的に狂い始めていくのだった。


隣国からの帰路、馬車の車内に満ちていたのは、息が詰まるほどの沈黙だった。

対面に座る父アルフレッドは、窓外へと流れる景色を眺めながら、時折、痛ましげな視線を息子へと向けていた。
ルミを失ったショックからようやく立ち直り、新たな思索に耽っているのだろう――父は、レオの沈黙をそのように解釈し、そっとしておいているのだ。
だが、馬車の小刻みな揺れに身を委ねるレオの脳裏を占拠していたのは、ルミのことではなかった。

(リリィ……)

目を閉じれば、今も鮮明に浮かび上がる。
初雪のように白い髪、血のように鮮烈な赤い瞳。
そして、強く触れればそれだけで粉々に砕けてしまいそうだった、あの華奢な身体。

自国へ戻り、見慣れた王宮の私室に帰ってきてからも、レオの思考は彼女のことで完全に飽和していた。
義務づけられた政務の書類に目を通し、ペンを動かしていても、意識は瞬時にあの薔薇の庭園へと引き戻される。
一体、彼女は何者なのか。
王宮の最高位の仕立てと思われる上質なドレスを纏いながら、なぜ誰もいない庭園の奥に、あのように潜むようにして現れたのか。

「……だいじょーぶ……ですか……?」

耳の奥にこびりついて離れない、あのか細い声。
ルミに振られ、世界のすべてから拒絶され、深い奈落の底に落ちていた自分を、ただ純粋な心配の目で見つめてくれた唯一の少女。
だが、彼女を取り巻く環境は、あまりにも不自然で、歪んでいた。
他国の次期国王たる自分が尋ねただけで、顔を青ざめさせ、震えながら口を噤んだあの初老の侍女。
そして、人の気配を察した瞬間に、怯えた小動物のように逃げ出してしまったリリィ自身のあの態度。

(あの城の人間は、総出であの子の存在を隠蔽しようとしている。いや、存在そのものを『無かったこと』にしているのだ)

かつて、最愛のルミにぃが、あのどす黒い研究所の闇の奥で、実験体として囚われていたように。
リリィもまた、あの隣国の城の、人目に触れさせてはならない醜悪な「闇」の犠牲になっているのではないか。
そう結論付けた瞬間、レオの胸の奥底で、しばらく鳴りを潜めていた冷徹な『システム』が、音を立てて冷たく狂い咲いた。
ルミの隣には、アルヴィーノという絶対的な魔王がいた。
どれほど足掻いても、自分の光が届かないほどの、圧倒的な歴史と絆の闇がそこにはあった。
だが、リリィの周囲にあるのは、権力と保身のために一人の少女を縛り付ける、脆く、汚らわしい城の歪みに過ぎない。

(私が……引き摺り出して、この手に……)

じわり、と机の上に置かれたレオの細い指先から、眩いばかりの、しかし底の知れない執着を孕んだ「光」の魔力が漏れ出し、ペンを白く焦がしていく。
あの子が怯え、震えているというのなら。
その足枷をすべて叩き潰し、私のこの完璧な光の檻(ゆりかご)の中で、二度と怯えなくていいように、永遠に独占して守り続けてあげる。

新緑の瞳の奥に、かつてないほど昏く、そして純粋な救済の狂気が宿る。
完全なる失恋の果てに自壊した王子は、今、その歪んだ牙のすべてを、まだ見ぬ少女の闇へと向け、静かに研ぎ澄ませ始めていた。
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