主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

その夜、城の医療室は生き地獄と化した。
​普段は静かで清潔なその部屋が、今は血と薬品の匂いで満ち、医官たちの怒号と魔術の光が飛び交っていた。
ベッドの上には、全身を焼かれ、骨が露出し、呼吸すらままならないルミが横たわっている。
天空から墜ち、アルヴィーノの盾となったルミの肉体は、文字通り形を保つのが奇跡というほどの有様だった。

​「止血が追いつかない! 魔力が暴走しているぞ!」
「心拍が落ちてる! 魔力循環が……っ、崩壊寸前だ!!」
「魔力炉が破損している……!? このままでは……!」

​医官たちの声は焦りと絶望に満ちていた。
彼らがこれまで扱ってきた「人間」の治療術式が、研究所で改造されたルミの特異な肉体には適合しきれず、治療は遅々として進まない。
​アルヴィーノは、その混乱の中心で、ただひとり、ルミの手を握りしめていた。
​その手は、かつて悪夢から覚めた自分を包み込んでくれたあの温かさが嘘のように、氷のように冷たかった。
自分の指の隙間から、ルミの体温が、命が、絶え間なく溢れ出し、消えていく。

​(……なぜ? なぜ私は、こんなに怯えている?)

これは​ただの便利な駒だ。
代わりならいくらでも作れるはずだ。
いなくなるなら研究所のデータを手繰り寄せ、また同じような調整体を一から造り直せばいいだけの話だ。
自分の頭脳があれば、そんなことは容易なはずだった。
​なのに――

​(ルミが……死ぬ……? そんなの……許されるはずがない……!)

もし、目の前のこの肉体から完全に光が消え失せたら?
もう二度と、あの瞳が自分を見上げてくれなくなったら?
それを想像した瞬間、アルヴィーノの思考シートは真っ黒に塗り潰され、処理落ちを起こした。
彼の喉が、自分でも信じられないほどに惨めに震えた。

​「殿下、下がってください! 治療の邪魔です!」

​緊迫した面持ちの医官が叫ぶ。
だがアルヴィーノは、ルミの冷え切った手を頑なに離さなかった。

​「……離れません」

​その声は低く、冷たく、だが、隠しきれない恐怖でガタガタと震えていた。

​「この子の手を離したら……どこかへ行ってしまう気がする……。だから、離しません……。絶対に、離しません……」

​いつもなら絶対に他者に見せない、剥き出しの弱音。
医官たちは驚愕して顔を見合わせた。
今のアルヴィーノは、普段の冷徹で傲慢な王子ではなかった。
優雅に整えられていた髪は乱れ、上質な服はルミのドス黒い血で濡れ、その鋭い瞳は拠り所を失った子供のように激しく揺れている。

「殿下、魔力安定のために手を離していただかないと、術式が干渉して――」
「黙れ」

​その一言は、天幕での怒号よりもなお不気味な刃物のような鋭さを持っていた。
ルミの手を握る指先に、みしり、と不穏な力がこもる。

​「この子が死んだら……お前たち全員わかっているだろうな……?御託はいいからさっさと直せ」

​それは脅しではなかった。
もしこの少年が逝くならば、この国の医療技術ごと、この部屋にいる全員を道連れにしてやるという、本物の狂気がそこにあった。
医官たちはその底冷えする殺意に震え上がり、それ以上何も言えなくなった。
​治療は続く。
焼けただれた皮膚を再生魔術で無理やり繋ぎ、砕けた骨を魔力で固定し、暴走する魔力炉を鎮静化させるために何度も複雑な魔術式を組み直す。
ルミの身体は、その苛烈な術式の負荷がかかるたびにビクッと跳ね、苦しげな声を漏らした。

​「う……、あ……っ……」

​その、今にも消え入りそうな小さな悲鳴が上がるたび、アルヴィーノの心臓が物理的に締め付けられた。

​(やめろ……苦しむな……私の前で……そんな顔をするな……!)

​いつもなら、他人の苦痛など作戦のコストとしてしか見ない男が彼の吐息一つに狂わされそうになっている。
​だが同時に胸の奥で、さらに別のどろりとした感情が渦巻く。

​(……私のために、ここまで……。私を守るために、この子は……空から墜ちてきた……。なぜ……?)

​あの日、冷酷に突き放し、「道具」であることを強いたというのに。
ルミは人形でいることを選んだはずなのに。
それでもなお私の命のために、その身を粉にして差し出した。
それがルミがその身を挺して示したアルヴィーノに対しての“打算の一切ない愛情”。
どんなに拒絶されようとまっすぐに自分にだけに向けられた“純愛”。
兄のアルフレッドが、両親が、決して自分に与えてくれなかったもの。
それを、このボロボロの少年だけが、今も自分のために証明し続けている。
​その強烈すぎる事実が、毒のように、あるいは甘美な蜜のように、アルヴィーノの傲慢な理性をじわじわと、確実に侵食していく。

(お前は私のものだ。ならば、勝手に壊れることも、私の元から去ることも、絶対に許さない――)

​これが世間でいう「愛」だとわかっていた。
けれど彼はまだ自分の中にあふれてくるこの感情が彼に向けた“愛”だとは絶対に認めない。
これは最高傑作への執着だ、と脳内で必死に言い訳を繰り返す。
しかし、その言い訳を重ねれば重ねるほど、アルヴィーノはルミという名の底なしの沼へと深く深く引きずり込まれていくのだった。
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