主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

狂愛の檻と、光の揺り籠④

賑やかな喧騒に包まれた城下町を、柔らかな昼下がりの陽光が黄金色に染め上げていた。
行き交う人々の活気ある声や馬車の轍の音が響く中、その一角だけを切り取ったかのように、絵画のように美しい二人の姿が人目を引いていた。
仕立ての良い上質な衣服を纏い、周囲を魅了するほどの苛烈な美少年に育った第一王子レオ。
その一歩先を、雪のように白くふわふわとしたロリータ服の裾を軽快に翻しながら歩くのは、水色の長い髪を揺らすルミだ。

「ええと、あとは小麦粉と……新鮮な卵だね! よし、これで材料は全部揃うね!」

腕に抱えた小さな買い物籠を覗き込みながら、ルミは弾んだ声をあげた。その水色の瞳は、まるで星を散りばめたようにきらきらと輝いている。

「今日はね、アルヴィーノ様にブルーベリータルトを作ってあげるんだ。この間、俺が作ったお菓子を美味しいって食べてくれたから……今度は、もっと上手に作って驚かせちゃおうと思って!」

ルミはそう言って、胸の前でぎゅっと拳を握りしめ、無邪気な笑顔を弾けさせた。
元研究所の実験体だった彼が、今では大切な人のために料理を作る喜びを知っている。
その純粋な幸福感が、ルミの全身から溢れ出ていた。

その少し斜め後ろを、レオは静かに並んで歩いていた。
現在のレオの身長は、すでにルミを完全に追い越している。
一見すれば、歳の離れた美しい兄が、年のいかない可憐な妹をエスコートしているかのような体格差だった。

「それは素敵な試みですね、ルミにぃ。叔父上もきっと、貴方の手作りなら大層喜ばれるでしょう」

レオはふっと、完璧に無害な、どこまでも優しい「弟」としての微笑みを浮かべた。
その声音には一点の濁りもなく、叔父への敵意も、ルミへの歪んだ独占欲も、すべては厚い仮面の裏側に完璧に推し隠されている。
父アルフレッドから「外側からじっくりと信頼を築くべきだ」と諭されて以来、レオは完璧なる「理想の弟」を徹底して演じ続けていた。
ルミの警戒心を解き、その退路をじわじわと塞ぐために。

「うん! アルヴィーノ様、普段はあんまり甘いもの食べないから、ちょっと甘さを控えめにして……あ、でもブルーベリーはたくさん乗せた方がいいよね?」

楽しそうにレシピを語るルミの横顔を見つめながら、レオの胸の奥に、ひとつの小さな疑問が浮かんだ。
ルミがブルーベリータルトを好むのは、以前から知っていた。
王宮の料理番にわざわざ作り方を教わり、熱心に練習するほど、ルミにとっては特別なお菓子だ。

「ルミにぃ。ふと思ったのですが……貴方はどうして、それほどブルーベリータルトがお好きなのですか?」

レオは歩調を緩めることなく、穏やかな声で尋ねた。

「えっ?」

不意の問いかけに、ルミはぴたりと足を止めた。
賑やかな市場の真ん中で、水色の髪を揺らして振り返ったルミは、レオの問いの意味を反芻するように瞬きをする。
それから、腕の買い物籠をきゅっと抱きしめるようにして、頬をぽっと薔薇色に染めた。
はにかむように視線を伏せ、けれど隠しきれない情愛を声に滲ませて、ルミは小さな声を零した。

「それはね……あの、大好きな人の、色だから……だよ」
「え……?」
「アルヴィーノ様の、綺麗な髪とか、瞳の……あの深い紫色に、すっごく似てるでしょ? だからね、ブルーベリーを見てると……なんだかアルヴィーノ様と一緒にいるみたいで、胸がすっごく温かくなるんだ。お菓子を作る時も、ずっとあの人のことを考えていられるから……だから、大好きなの」

ルミはそう言って、 自身の胸元に手を当て、世界で一番愛おしい宝物を語るように優しく笑った。
その顔は、レオがどれほど望んでも自分には決して向けてくれない、一人の男を狂おしいほどに愛する「伴侶」の顔そのものだった。
その瞬間、レオの胸の奥を、冷酷な刃で抉られるような激しい痛みが貫いた。

(――大好きな人の、色)

ごくり、と喉の奥で生唾を飲み込む。
脳裏が真っ白に染まり、次いでドス黒い「悔しさ」と「嫉妬」が、津波のように押し寄せて心の壁を内側から激しく叩き割ろうとする。
ルミがそのお菓子を好きな理由。
それは味や見た目の可愛らしさなどではなく、その根底にあるすべてが、叔父アルヴィーノへの絶対的な愛で満たされていたからだ。
お菓子を作る指先も、選ぶ果実の一粒さえも、すべてはあの漆黒の軍服を纏う男のために捧げられている。
どれほど自分が背を伸ばそうと、どれほど完璧な弟として隣を歩こうと、ルミの世界の中心には、いつもあの深い紫色の影が鎮座しているのだ。

「……そうですか。本当に、叔父上への愛に溢れた、素敵な理由ですね」

レオは、引き攣りそうになる唇を必死に抑え込み、 完璧な王子様の笑みを維持した。
新緑の瞳の奥に燃え盛る暗い焔を、 長い睫毛の影に隠しながら、そっと自分の手のひらを、 爪が皮膚に食い込むほどに強く、 強く握りしめる。

悔しくて、 狂ってしまいそうだった。
だが、今のレオは、 以前のように感情に任せて壁を殴るような子供ではなかった。
叔父の冷酷さを学び、 牙を隠すことを覚えた策士。

(叔父上の色、ですか……。いいでしょう。ならば私は、いつかその深い紫色を、私の新緑の色で完全に塗り潰して見せますよ。ルミにぃ)

「あ、レオ! 早く行かないと、お店が混んじゃうよ! ほら、急ごう!」

何も知らないルミは、赤くなった顔を誤魔化すように笑うと、再び楽しげに石畳を駆け出していった。

「ええ、今行きます、ルミにぃ」

レオは再び、完璧な「弟」の仮面を被り直し、その白い背中を追って歩みを進めた。
昼下がりの明るい陽光に照らされながらも、レオの落とす影は、底なしの深淵のように濃く、 どこまでも昏く伸びていた。


――それは、狂気とも呼べる執念の加速だった。

城下町でルミの口から告げられた「大好きな人の色」という残酷な真実。
それが最後の一滴となり、レオの胸中で燻っていた焔は、すべてを焼き尽くす苛烈な業火へと化していた。

それからのレオは、これまでの努力すら生温いと思わせるほどの、凄まじいまでの自己研鑽に身を投じた。
夜明け前の静寂の中、まだ誰もいない訓練場には、鋭く空を切り裂く剣鳴が途切れることなく響き渡った。
手のひらの皮膚が裂け、剣の柄が血に染まろうとも、レオの緑の瞳が光を失うことはない。
座学においては、王国の法や帝王学に留まらず、かつて叔父アルヴィーノが戦場で用いたという高度な戦術書のすべてを暗記し、その思考回路さえも我が物としようとした。

さらに、魔術の訓練は凄絶を極めた。
光の王子としての資質を持ちながらも、レオが求めたのは叔父に対抗し得る、より強大で絶対的な「力」だった。
全ての魔法、さらには宮廷魔術師すら戦慄するような高位の攻撃魔法の制御を、まだ十代前半の身体で完全に掌握せんとしたのだ。
膨大な魔力を練り上げるたび、全身の血管が焼き切れるような激痛が走る。
だが、レオはその苦痛すらも、ルミへ至るための心地よい代償として、冷徹に受け入れていた。

周囲の大人たちは、その常軌を逸した精進ぶりに目を見張り、同時に底知れぬ恐ろしさを抱き始めていた。
父アルフレッドの胃痛は日を追うごとに悪化し、レオから漂う「慈悲なき軍師(魔王)」の影は、もはや隠しきれないほどに濃くなっていた。

すべては、ルミを手に入れるため。
搦め手で、 緻密に、 完璧に、 誰も介入できない巨大な檻を外側から構築し、あの人を完全に閉じ込めるために。

だが、そんなレオの身を削るような血にまみれた努力の理由を、ルミだけは、本当の意味で知らなかった。

「――レオ、もうおしまい!これ以上は絶対に駄目!」

ある日の深い夜。
激しい魔術の鍛錬を終え、自身の私室で息を整えていたレオのもとに、 扉を強く押し開けてルミが飛び込んできた。
いつもならパタパタと楽しげに響く足音は、今夜はひどく焦燥に駆られて乱れている。
水色の長い髪を振り乱し、白いロリータ服の裾を揺らして駆け寄ってきたルミの顔は、見たこともないほどに青ざめていた。

「ルミにぃ……?」

レオは瞬時に、荒い呼吸を完璧に統制した。
新緑の瞳から昏い狂気を綺麗に消し去り、いつもの優しく従順な「弟」の顔でルミを見つめる。
ルミはレオの前にしゃがみ込むと、躊躇うことなくその白く細い両手で、レオの大きく逞しくなった両手を包み込んだ。
手のひらから伝わってくるのは、剣術で擦り切れ、魔力の酷使で微かに震えるレオの痛々しい熱だ。

「……無理しちゃだめ! お願いだから、もうこれ以上無理はしないで、レオ!」

ルミの声は、 泣き出しそうなほどに震えていた。
瑞々しい水色の瞳に、 ぽろぽろと大粒の涙が溜まっていく。

「最近のレオは、なんだか遠くに行っちゃいそうで、見ていてすごく怖いの。お勉強も、剣も、魔法も、そんなに一度に頑張ったら、レオの身体が壊れちゃうよ……。俺、レオに倒れてほしくない。だって、俺の、世界で一番可愛くて大切な弟なんだもん……」

ルミはきゅっと、レオの手を胸元で抱きしめるように強く握り直した。
そこに宿っているのは、かつてエルザのお腹を撫でながら「お兄ちゃんになる」と誓ったあの昼下がりから、一歩もブレていない、純粋で無垢な家族への愛情だった。
血は繋がっていなくとも、自分を「お兄ちゃん」と呼んで慕ってくれたこのプラチナブロンドの少年を、傷つけたくない、守りたいという、あまりにも優しい光。

ルミの涙。
自分を心から案じる、 震える声。
その瞬間、レオの胸の奥底に、気が遠くなるほどの甘美な衝撃が走った。

(ああ、 ルミにぃ……)

ルミに触れられている手のひらから、極上の熱が全身へと駆け巡る。
ルミの世界の中心には、まだあの深い紫色の男がいる。
自分に向けられているのは、相変わらず「弟」へ対する歪みのない親愛だ。

けれど――それでも、 構わなかった。
自分のために、 この純粋な人が涙を流してくれている。
自分の身体を心配し、 その細い手で必死に繋ぎ止めようとしてくれている。

その事実だけで、 レオの歪んだ心は、 狂おしいほどの歓喜で満たされた。

「……すみません、 ルミにぃ。貴方を、 そんなに不安にさせてしまうなんて、 弟失格ですね」

レオはふっと、 世界で最も美しい聖者のような、 完璧な「光の王子」の微笑みを浮かべた。
そして、 自分を包むルミの小さな両手を、 逆にそっと、 壊れ物を扱うような優しさで包み込み、 その甲にそっと額を押し当てた。 長い睫毛の影に、 底なしの執念を隠しながら。

「貴方のその優しいお言葉だけで……私は、 どこまでも強くなれる。 どんな試練も、 容易く乗り越えられます」

(ええ、 もっと頑張れますとも。 貴方が泣いて止めるというのなら、 私は貴方の前では、 完璧に無害な弟であり続けましょう。 ……ですが、 貴方の見えない外側では、 決して手を緩めない。 貴方の退路を、 その優しい心を搦め捕るための蜘蛛の糸を、 私はもっと強固に、 密密と張り巡らせてみせます)

「本当に……? 約束、 してくれる?」

涙を浮かべたまま、 どこまでも無防備に顔を上げるルミ。

「はい、 お約束します。 ルミにぃ」

レオは新緑の瞳を細め、 慈愛に満ちた声で囁いた。
ルミにぃ、 貴方はまだ知らない。
その無垢な優しさと、 私を繋ぎ止めようとするその温かな両手こそが、 私という怪物の牙を、 最も鋭く研ぎ澄ます最高の蜜であるということを。

深夜の静寂の中、 互いの手を握り合う二人の姿は、 どこまでも美しく、 ほわほわとした絆に結ばれているように見えた。
しかし、 ルミの背後に広がる暗闇の中、 レオの落とす影は、 すでにルミの白い足元を完全に侵食し、 逃れられぬ深淵へと引きずり込もうと、 じっと息を潜めていた。
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