主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

狂愛の檻と、光の揺り籠②

王宮の一角にある国王の執務室は、うず高く積まれた書類と、重厚な革椅子の匂いに満ちていた。
新王として即位したアルフレッド・レイストールは、羽ペンを動かす手を止め、目の前に立つ小さな息子を見つめていた。
プラチナブロンドの髪に、新緑の緑の瞳。
自分と妻の面影を色濃く残す我が子が、珍しく真剣な、けれどどこか思い詰めたような顔をして自分を見上げている。

「父上。……かっこいい男になるためには、どうしたらいいのでしょうか」

小さな拳をぎゅっと握りしめ、レオは真っ直ぐな声を響かせた。
その瞳の奥には、幼子らしからぬ強い決意の光が宿っている。

「私は、もっと強くて、賢い男になりたいのです。ルミにぃに……ルミにぃに、ちゃんと『かっこいい』と言ってもらえるような、そんな男に」

庭園で、叔父であるアルヴィーノから突きつけられた、あの冷徹な言葉。
「ルミは私のものですから」という絶対的な拒絶。
それがレオの幼い心に深く突き刺さり、彼を突き動かしていた。
大好きなルミにぃの隣に並ぶためには、お兄ちゃんとして甘えているだけでは駄目なのだと、子供ながらに察したのだ。
息子のあまりにも純粋で、けれどどこか切実な動機を聞いたアルフレッドは、一瞬だけ驚いたように碧眼を見開いた。
それから、全てを察したように、ふっと優しく、けれどどこか遠い目をして苦笑した。
アルフレッドには分かっていた。
実の弟であるアルヴィーノが、どれほどルミを激しく溺愛しているか。
そして、あの「慈悲なき軍師」が、たとえ幼い甥相手であっても、自分の獲物を前にしたら容赦なく威圧したであろうことも、容易に想像がついた。

(ああ、アルヴィーノのやつ……絶対にこの子に大人気ない洗礼を与えたな……)

アルフレッドは心の中でそっと胃を押さえ、深くため息をつきそうになるのを堪えた。
そして、椅子から立ち上がると、レオの前に歩み寄り、その小さな肩にそっと手を置いた。
その眼差しは、一国の王としての威厳と、父親としての深い慈愛に満ちている。

「レオ。君がルミくんのために格好いい男になりたいと思う気持ちは、とても素敵だ。男が誰かを守るために強くなりたいと願うのは、素晴らしいことだからね」

アルフレッドは一度言葉を切り、レオの目線に合わせるようにゆっくりと屈み込んだ。

「だけどね、レオ。……『かっこいい』というのは、ただ力が強いことや、誰かを力ずくで従わせることだけを言うんじゃないんだよ。本当にかっこいい男というのはね、大切な人の幸せを一番に考えられる、広くて優しい心を持っている人のことなんだ」

それは、かつて「優しさだけでは解決できない」と知りながらも、それでも「対話と善性」を重んじて威厳ある王へと成長した、アルフレッドだからこその言葉だった。

「ルミくんが笑ってくれるために、自分に何ができるか。それを考え、周りの人々をも包み込めるような光になれる男こそが、本当にかっこいい王子様だと僕は思うよ。君には、そんな風に真っ直ぐ育ってほしいな」

父の言葉は、どこまでも温かく、正しかった。
「光の王子」として生きるアルフレッドの、善性100%の素晴らしい教え。

「……はい、父上。よく分かりました」

レオは素直に頷き、深く一礼した。
その顔には、父の教えに納得したような、静かな微笑みが浮かんでいる。
しかし。
アルフレッドの温かい手を離れ、執務室をあとにしたレオの緑の瞳から、またたく間にその「光」が消え失せていった。
長い回廊を一人歩きながら、レオは父の言葉を頭の中で冷徹に反芻し、全く違う答えを導き出していた。

(大切な人の幸せを、一番に考える……。ルミにぃの幸せは、叔父上と一緒にいること。……そんなの、私は絶対に嫌です)

レオの小さな胸の中で、何かが歪な音を立てて 狂い始めていく。

(真っ直ぐな光の王子様では、あの魔王からルミにぃを奪うことはできない。父上のように優しく諭すだけでは、外側の世界は変えられない……。必要なのは、叔父上のような圧倒的な『力』と、確実に外堀を埋めていく『策謀』だ)

父親から「アルヴィーノのようになるな」と、暗に優しさを諭された結果。
レオの才能は、逆に最悪な方向へと覚醒した。
叔父の冷酷さと独占欲を模倣し、さらにそれを「光の王子」の仮面で覆い隠すという、恐るべき策士への道。
まだ誰も気づかない王宮の暗がりの一角で、幼き王子の新緑の瞳が、じっと深く昏い光を放ち始めていた。



――それからのレオの変貌ぶりは、目を見張るものがあった。
まだ幼い身でありながら、日の出とともに起き出しては剣を執り、泥にまみれ、汗を流して騎士たちの訓練に食らいついた。
小さな手のひらに何度もマメを作り、それが潰れて血がにじんでも、レオが音を上げることは一度としてなかった。
座学においても同様だった。
帝王学、歴史、語学、そして魔術の基礎にいたるまで、家庭教師たちが驚嘆するほどの凄まじい集中力で知識を文字通り貪り尽くしていった。
周囲の大人たちは、その姿を「次期国王としての凄まじい自覚」だと称賛した。
父アルフレッドは我が子の急成長を誇らしく思い、母エルザもまた、我が子ながら畏怖を覚えるほどの聡明さに目を細めていた。
けれど、レオを突き動かしているのは、国家への忠誠でも、王族としての誇りでもない。
ただ、ひとつの目的のためだけだった。

(もっと、強く。もっと、賢く……。あの魔王から、ルミにぃを私のものにするために)

剣を振るう瞬間も、難解な書物を紐解く瞬間も、レオの脳裏に焼き付いて離れないのは、あの蜂蜜色の昼下がりに見たルミの笑顔。
そして、自分を冷徹に見下ろしたアルヴィーノの紫の瞳だった。
真っ直ぐな光の王子では届かない。
ならば、叔父の持つあの冷酷なまでの強さと、すべてを支配する策謀を、この身に宿すまで。
そんなレオの、胸の奥底でじわじわと黒く育っていく歪な執念など、ルミは知る由もなかった。

「レオ! お疲れ様!」

ある日の夕暮れ。
長時間の過酷な勉学を終え、執務机に一人座っていたレオのもとに、パタパタと小気味よい足音が近づいてきた。
扉が開くと同時に現れたのは、いつものように白くてふわふわなロリータ服を纏った、水色の髪の「お兄ちゃん」だった。
ルミは両手に、王宮の厨房で特別に分けてもらったという、出来立ての焼き菓子が載った皿を大事そうに抱えている。

「ルミにぃ……」

それまで冷徹に書類を見つめていたレオの表情が、ルミの姿を認めた瞬間に、一変して年相応の愛らしい少年のものへと戻った。
緑の瞳にぱっと輝かしい光が灯る。

「今日もいっぱーいお勉強頑張ったんだってね。侍女の人から聞いたよ。ほら、レオの大好きなクッキー、持ってきてあげた!」

ルミは皿を机に置くと、少し息を弾ませながら、レオの隣にしゃがみ込んだ。
そして、自分のことのように嬉しそうな笑顔を浮かべ、小さな手のひらでレオのプラチナブロンドの髪をくしゃくしゃと 撫で回した。

「本当にレオはすごいなぁ。まだこんなに小さいのに、俺なんかよりずーっとお利口さんで、一生懸命で……。うん、すっごく格好いい!」

ルミにとっては、何の裏もない、頑張る可愛い弟への最大級の褒め言葉だった。
あの日、エルザと交わした約束通り、レオを立派な男の子へと導けているという、純粋なお兄ちゃんとしての誇らしさ。
けれど、そのルミの口から零れた「格好いい」という言葉は、レオの胸を激しく、 甘美に突き刺した。

「……本当ですか?」

レオは髪を撫でてくれるルミの手の上に、自分の小さな手をそっと重ねた。
ルミに撫でられている心地よさに目を細めながらも、その新緑の瞳は、ルミの水色の瞳をじっと真っ直ぐに見つめている。

「ルミにぃ。私は、もっともっと強くなります。ルミにぃが驚くくらい、誰よりも賢くて、誰よりも頼りになる、特別な男になりますから」
「あはは、うん! 楽しみにしてるね」

ルミはレオの言葉の裏にある、底知れない独占欲や執着には全く気づかず、ただただ無邪気に笑ってレオの手を握り返した。
ルミの手は温かく、どこまでも無防備で、優しい。
ルミにぃは、まだ何も気づいていない。
自分がただの「可愛い弟」としてルミの隣にいる間に、その足元から、じわじわと逃げられないように外堀を埋めようとしている、この猟犬の存在に。
夕暮れの茜色の光が室内に差し込み、二人の影を長く床に落としていた。
ルミの純粋な光に照らされながら、レオは握られた手の温もりを噛み締め、心の奥底で静かに、 けれど確実に、その牙を研ぎ澄ませていくのだった。



――さらに数年の歳月が流れ、レイストール王国の王宮はひとりの少年の成長に沸き立っていた。

第一王子レオ・レイストールは、かつてのあどけなさを完全に脱ぎ捨て、誰もが足を止めて見惚れるほどの苛烈な美少年にへと成長を遂げていた。
父親譲りのプラチナブロンドの髪は陽光を浴びて絹のようにきらめき、母親譲りの新緑の瞳は、時にすべてを見透かすような冷徹な知性を覗かせる。
剣術においても座学においても群を抜き、王族としての気品と威厳はすでに次期国王として非の打ち所がないレベルに達していた。
そして何より、その容姿の成長は著しかった。
レオの背丈はいつの間にか、かつて見上げていたはずのルミを完全に追い越していたのだ。
今や二人が並んで歩けば、白くてふわふわなロリータ服を纏った可憐なルミの方が、まるで年下の弟であるかのように見えてしまうほど。
周囲の者たちも、そのあまりの体格差とレオの醸し出す大人の色気に、「どちらがお兄様か分かりませんね」と影で囁き合うようになっていた。
けれど、どれほど背が伸びようとも、どれほど周囲から称賛されようとも、レオの胸の内にある「ただひとつの目的」は、幼いあの日から一歩もブレてはいなかった。

「ルミにぃ、お待たせしました。今日の騎士団との合同演習は、すべて私の勝利で終わりましたよ」

訓練場から戻ったレオは、出迎えたルミの前で、ふっと形に嵌めたような完璧な王子様の笑みを浮かべた。
その瞳は、ルミにだけ向けられる極上の甘さを湛えている。
すべては、この水色の瞳に自分を「男」として焼き付けるため。
叔父であるアルヴィーノに負けない、完璧で格好いい伴侶の器になるためだった。
ルミはレオの姿を見るなり、我がことのように水色の瞳をきらきらと輝かせ、その胸元へと駆け寄った。

「わあ……っ! すごいよレオ、本当に格好いい! もう騎士団の人たちを負かしちゃうなんて、俺、びっくりしちゃった。背もこんなに大きくなって……うん、自慢の格好いい弟だね!」

ルミはそう言って、眩しいほどの無邪気な笑顔でレオを大絶賛した。
背が追い抜かれても、ルミの中での役割は変わらない。
レオの頭に触れようと、ルミが少しだけ爪先立ちになって、愛おしそうにそのプラチナブロンドの髪を撫でる。

「……ありがとうございます、ルミにぃ」

レオは目を細め、大人しくその愛撫を受け入れた。
ルミの口から「格好いい」という言葉を引き出すたびに、胸の奥が狂おしいほどの歓喜で満たされるのは間違いなかった。
しかし、同時にレオの胸の奥には、冷たい泥のような焦燥感がじわじわと広がっていく。

(――『弟』、ですか)

ルミが自分を褒める時、その瞳にあるのは、どこまでも純粋で、濁りのない「家族への愛情」だ。
あの日、母エルザと交わした約束の通り、ルミにとってレオは、いつまでも守るべき、導くべき、可愛い「弟」の枠から一歩も出てはいなかった。

どんなに剣を極めても、どんなに知略を巡らせても、ルミの心の最奥には、いつも冷徹な「魔王」アルヴィーノ様が鎮座している。
ルミが恋をする少年の顔を見せるのは、あの漆黒の軍服を纏う叔父だけなのだ。
レオを「格好いい」と絶賛するルミの、その無防備で優しい水色の瞳。
それが自分を「ひとりの男」として見ていないという残酷な現実が、レオの心の中で、じりじりと音を立てて嫉妬の炎を燃え上がらせていく。

(ルミにぃ。貴方は私のことを、ずっと『可愛い弟』だと思っているのですね。……いいでしょう。今は、まだそのままで)

レオは髪を撫でるルミの、白く細い手首をそっと優しく握りしめた。
壊さないように、けれど決して逃がさないように、静かな圧力を込めて。

(外堀は、もう十分に埋まりつつあります。貴方が私を『男』として見なさざるを得なくなるその日まで……私はいくらでも、完璧な弟を演じてみせますよ)

ほわほわとした平穏な日常の裏側で、レオの策謀はすでに、ルミの退路を完全に断つための巨大な檻を完成させつつあった。

「――ルミ」

低く、 地響きのように鼓鳴を響かせる声音が、二人の間に割り込んだ。
ルミに手首を握られながらも、完璧な「弟」の仮面を被って佇んでいたレオの緑の瞳が、一瞬で冷徹な鋭さを帯びる。
そこに立っていたのは、数年前と変わらず、圧倒的な闇の覇気を纏ったアルヴィーノだった。
漆黒の軍服に身を包み、全属性の魔法を操る「慈悲なき軍師」の紫の瞳は、目の前の美少年に育った甥を、まっすぐに、 そして冷酷に見据えていた。
アルヴィーノは気づいていた。
レオがどれほど異常な速度で力をつけ、完璧な王子を演じながら、その裏でルミの周囲の「外堀」をじわじわと埋めようとしているか。
その新緑の瞳の奥に潜む、かつての自分をも凌駕しかねない、狂気的な執着と策謀の匂いを。
だからこそ、分からせなければならなかった。
どれほど知略を巡らせようと、背丈が伸びようと、ルミの心も身体も、世界の誰のものでもないこの私だけのものなのだと。

「あっ、アルヴィーノ様……!」

アルヴィーノの姿を認めた瞬間、それまでレオの髪を撫でていたルミの手が離れた。
水色の瞳が弾けたように輝き、頬がぽっと薔薇色に染まる。
レオに向けられていた「お兄ちゃん」としての優しい光は、またたく間に、一人の男にすべてを捧げた「伴侶」の熱い熱へと変貌していく。
ルミはレオの手首からすっと自分の手を引き抜くと、吸い寄せられるようにアルヴィーノの元へと駆け寄った。
アルヴィーノは、戻ってきた愛しい獲物を迎えるように、その逞しい片腕をルミの細い腰へと回した。
そして、後ろに佇むレオにこれ以上ないほどはっきりと見せつけるように、ルミの身体を自身の胸へと強く抱き寄せる。
漆黒の軍服と、白いふわふわなロリータ服が、完璧なコントラストを描いて重なり合う。

「アルヴィーノ様、お仕事終わったの?」
「ええ。貴方に寂しい思いをさせてしまいましたね」

アルヴィーノは、腕の中のルミを愛おしそうに見つめながら、その水色の長い髪にそっと唇を寄せた。
そして、そのままルミの腰を抱いた手つきに、所有権を誇示するような絶対的な重さを込めながら、低い声で囁く。

「……これから、二人で城下町へ行きましょうか。貴方の好きな、あの甘い菓子でも買いに」
「本当……!? やったぁ!」

ルミは歓喜の声をあげ、アルヴィーノの首に嬉しそうに抱きついた。
自分の最愛の人が、今、背後にいる甥に対してどれほど冷酷で容赦のない「敗北」を突きつけているかなど、純粋なルミはこれっぽっちも気づいていない。
アルヴィーノはルミを抱きしめたまま、その肩越しに、 視線だけをレオへと向けた。
切れ長の紫の瞳が、侮蔑と、圧倒的な格の違いを乗せて、美少年の甥を見下ろす。

(どれほど牙を研ごうと、この男は私のものだ。手出しは許さん)

言葉にせずとも伝わる、魔王としての苛烈な警告。
レオは、その光景を真っ正面から受け止めていた。
生唾をごくりと飲み込み、新緑の瞳が激しく揺れる。
ルミにぃの手の温もりが消えた自分の手のひらを、 破れるほどに強く握りしめ、レオは必死で「完璧な弟」の笑みを張り付かせ続けた。
胸の奥で、ドス黒い嫉妬と、叔父への激しい殺意が、 爆発しそうなほどの渦を巻いている。

「レオ、お勉強も演習も頑張ってね! またね!」

ルミはアルヴィーノの腕に抱かれ、幸せいっぱいの笑顔でレオに手を振った。

「……はい。いってらっしゃいませ、ルミにぃ。叔父上」

レオは声を震わせることなく、完璧な礼を持って二人を見送った。

去っていく、黒と白の二人の後ろ姿。
ルミの楽しげな笑い声が遠ざかるにつれ、回廊に佇むレオの周囲から、完全に「光」が消え去った。

(――ああ、やはり。優しく『かっこいい弟』のままでは、あの人は手に入らない)

アルヴィーノが見せつけた絶対的な格差。
それが、レオの胸の中の策士のスイッチを、完全に「次なる段階」へと押し進めた。

(待っていなさい、ルミにぃ。私が必ず、あの魔王の腕から、貴方を引き剥がして見せますから……)

夕暮れの影がレオの顔を半分に割り、その新緑の瞳は、底なしの暗闇のように深く、 昏く沈み込んでいた。
110/152ページ