主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

氷の魔王と虚飾の箱庭⑧

ヴァルカニア帝国の瓦解という未曾有の激動から、数日が経過した。
あの日、馬車の中で新王アルフレッドから約束された通り、アルヴィーノとルミには纏まった休暇が与えられていた。
王城の喧騒から隔絶された私室という名の聖域で、二人は血を流し合った魂を互いの体温で埋めるように、貪り合うような濃密な時間を過ごした。
その結果、少年の心身からは、あの灰色の要塞で負ったすべての呪縛が完全に消え去っていた。

「アルヴィーノ!」

カチャリ、と静かに扉が開いた瞬間、室内に弾むような鈴の音が響く。
お茶の用意を調えて戻ってきたルミは、紺色の従者服を身に纏ってはいるものの、その佇まいに「人形」の冷酷さは微塵もなかった。
水色の長い髪を軽やかに揺らし、端正な顔には、かつてアルヴィーノが私室のなかだけで独占していた、あの無邪気で眩いばかりの微笑みが完全に咲き戻っている。

「新しく手に入った茶葉を、早速淹れてみた! 帝国のものとは違って、とっても良い香りがするんだよー。ほら、早く飲んでー!」
「……ああ」

ソファに腰を下ろしていたアルヴィーノの深い紫の瞳が、至近距離まで近づいてきた愛しい伴侶を捉える。
ルミが差し出してきた白磁の杯を受け取る際、アルヴィーノはその長い指先を、わざとルミの紺色の手袋に包まれた手に絡めるようにして触れあわせた。
かつてのように、その肌が傷ついていないか、震えてはいないかを怯えながら確かめるような不穏さはもうない。
ただ、自らの腕の中に確かに存在する温もりを、いつものように当然の権利として甘受していた。

「良い香りですね。貴方が淹れてくれたというだけで、旨味も増すというものです」
「もう、アルヴィーノったら……」

ルミは嬉しそうに、けれど少しだけ気恥ずかしそうに頬を染め、ふふ、と喉を鳴らして笑う。
あの地獄のような欺瞞の劇を経て、二人の絆は、もはや言葉を介さずとも通じ合うほどに深く、濃く、そして揺るぎないものへと昇華していた。
国際社会におけるレイストール王国の立場も、今や盤石だった。
「魔王」アルヴィーノは、自らの手で唯一の『弱点』と噂された従者を打ちのめし、さらに帝国を単身で文字通り地図から消し去ってみせた。
各国に潜む密偵たちは、レイストールの軍師にはいかなる「私情」も通じず、弱点など存在しないのだと、恐怖と共にその身に刻み込んだ。
結果として、彼らに主従以上の歪な関係性など存在しないという欺瞞は、完璧に証明されたのだ。
血の滲むような覚悟の末に勝ち取った、何者にも脅かされない、穏やかで平和な毎日。
しかし、その「完璧すぎる欺瞞」が、思いもよらない、新たなる不条理を二人に引き寄せることとなった。

「……はあ」

王城の執務室。
山積みにされた書類を前に、アルフレッドが胃を痛めるような、深く、重い溜息を吐き出していた。その碧眼には、連日の戦後処理とはまた異なる、底無しの疲弊の影が色濃く刻まれている。

「……アルヴィーノ。君が帝国を滅ぼし、あの従者を単なる『使い捨ての道具』として完璧に扱い切ってみせたせいで、話が大変なことになっているんだ」

アルフレッドが、机の上にどん、と置かれた一際きらびやかな箱を指差す。
その中に収められていたのは、国内外の高貴な貴族、あるいは周辺国の王族から、アルヴィーノ宛てに文字通り『山』のように届けられた、美しき令嬢たちの釣書の数々だった。

「……まったく。すべて叩き返せと言ったはずですよ、陛下」

傍らに立つアルヴィーノは、その釣書の山を一瞥することすらなく、氷のような声音で言い捨てた。

「いや、そうもいかないんだよ」

アルフレッドは頭を抱え、さらに深く俯いた。

「これまでは、君に『妙な噂』があったから、周囲の貴族たちも警戒して遠巻きにしていた。だが、今回の件で、君がその噂を完璧に実力で叩き潰してしまった。君は名実ともに、この大陸で最も強大で、最も冷徹で、そして『いかなる女色や弱点にも惑わされない、完璧な王族の男』だと証明されてしまったんだ」

王としてのアルフレッドの言葉は、冷酷なまでに事実を突いていた。
隙のない魔王。
いかなる甘えも許さぬ、孤高の天才軍師。
そんな男の正室の座を射止めれば、その一族の繁栄は約束されたも同然である。
国内外の野心的な貴族たちが、この機を逃すまいと、我先にと至上の令嬢たちを推薦してくるのは、政治の理数として当然の結末だった。

「特に、我が国の保守派の公爵家や、今回の件で我が国に臣従を誓ってきた周辺国の王族からの打診は、無下に断れば、せっかく安定したばかりの内政や外交に、また不穏な火種を残すことになる。……本当に、頭が痛いよ」
「私には、生涯を誓った唯一の伴侶がいます。それ以外の者を娶るなど、天地が覆ろうともありありえない」

アルヴィーノの紫の瞳が、限界まで昏く濁る。
彼の身体から漏れ出た魔圧が、執務室の空気をピキピキと凍らせていく。
もしこれ以上の婚姻を強要されるのであれば、自らの国であっても、その因果ごと魔法で捻じ曲げてやると言わんばかりの、悍ましい殺意だった。

「分かっている! 分かっているから、その物騒な魔力を引っ込めておくれ、アルヴィーノ!」

アルフレッドは慌てて両手を振り、弟の暴走を宥める。

「君たちがどれほど深く愛し合っているか、僕は誰よりも知っている。だからこそ、君の戸籍を『生涯独身』のまま通すための、公に納得のいく『大義名分』を、僕と君の二人で早急にでっち上げなければならないんだ。……はあ、国を一つ滅ぼすより、君の婚姻を拒絶する言い訳を考える方が、よっぽど難題だよ」

新王が机に突っ伏し、本気で泣き言を漏らす。
その背後で、アルヴィーノはなおも、世界を滅ぼさんばかりの冷徹な眼差しで、令嬢たちの華美な釣書を睨みつけていた。
平和の代償として訪れた、あまりにも世俗的で、けれど二人にとっては致命的に厄介な、新たなる盤面。
主従という欺瞞を突き通したからこそ始まった、このお見合いの嵐をどう切り抜けるべきか。
魔王と、その背後でこっそり首を傾げる愛しい人形の、次なる静かな戦いが、レイストールの光のなかで幕を開けようとしていた。

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