主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

氷の魔王と虚飾の箱庭⑥

極北の灰色の空が、血の赤と魔力の紫に染まっていく。

ヴァルカニア帝国の本拠地たる黒鉄の要塞は、一瞬にして凄絶な阿鼻叫喚の坩堝と化していた。
急襲したレイストール王国の魔導騎士団と、迎撃する帝国軍の重装甲兵団。
両軍が激突する戦線の中心で、アルヴィーノ・レイストールは漆黒の軍服を翻し、峻烈なる統治者として盤面を支配していた。

「左翼、前進。敵の装甲を『魔導穿孔陣』にて破砕せよ。歩調の狂う者はその場に置いていく」

アルヴィーノの声は、地底の氷河のように冷徹だった。
彼は一切の感情を排し、自軍の兵すら勝利のための『駒』として冷酷に動かしていく。
かつて謁見の間で最愛の伴侶を痛めつけねばならなかった懊悩は、いまや全てを徹底的に蹂躙する冷徹な戦術眼へと昇華されていた。
ヴァルカニア帝国側も、軍国主義の意地を見せる。
宰相バルツァーの指揮のもと、帝国が誇る「黒鉄の魔導巨兵」を戦線へ投入。数メートルに及ぶ巨躯が、レイストールの兵たちを容赦なく踏みつぶさんと迫る。

だが、その巨兵の前に、一人の少年が静かに立ちはだかった。

深い紺色の従者服。
その細い身体に宿る魔力は、数日間の地獄を経て、ついに完全なる覚悟と共に目覚めていた。
ルミの水色の瞳には、もう一片の迷いもない。
かつて研究所で非人道的な実験をされ、心を閉ざしていた頃の『闇』の力――それの本当の使い方が、最愛の主を守りたいという強烈な意志によって、いま明確に脳裏へ呼び起こされていた。

「……アルヴィーノ様の影を汚すものは、俺が、全部消す」

ルミはもらった黄金の杖を前方に掲げ、静かに、けれど世界を凍らせるほどの明瞭さで詠唱を紡ぐ。

「――深淵の底、光届かぬ拒絶の檻。一切の命を等しく闇へ還せ。――『オブリヴィオン・ノヴァ』――!」

ルミの周囲の空間が、歪むように反転した。
光を完全に吸収する絶対的な漆黒の球体が出現し、爆発的な速度で膨張していく。
それは爆発というよりも、世界を『削り取る』かのような無音の消失だった。
迫り来る魔導巨兵の巨躯が、その闇に触れた瞬間、装甲も、核となる魔力結晶も、悲鳴を上げる暇すらなく消滅し、ただの虚無へと還っていく。
無邪気だった少年の面影はどこにもない。
そこにあるのは、魔王の隣に立つに相応しい、絶対的な闇の使い手の姿だった。

「見事だ、ルミ」

アルヴィーノは振り返ることなく、その深い紫の瞳を敵の本陣――皇帝とバルツァーのいる玉座の奥へと向けた。

「では、私も相応の駒として動こう」

アルヴィーノが右手を天へと掲げる。
全てを掌握する魔王の魔圧が、要塞全体の空間を軋ませた。
禁術たる極大魔法の構築が、ほぼ無詠唱の刹那で行われる。

「――万象を統べる理よ、我が凍てつく憤怒を以て、天の火を氷の刃と化せ。――『アブソリュート・エクスティンクション』――!」

刹那、極北の雲が割れ、天から降り注いだのは純白の光――いや、全てを絶対零度で凍結させながら粉砕する、氷の極大彗星群だった。
凄まじい質量と冷気の嵐が、ヴァルカニアの防衛陣地を直撃する。
激しい地響きと共に、帝国の重装甲兵も、要塞の黒鉄の壁も、一瞬にして分子レベルで凍りつき、硝子細工のように粉々に砕け散っていった。
辺り一面が一瞬で死の世界へと変貌する、まさに『魔王』の所業だった。

その圧倒的な破壊劇のさらに後方。

新王アルフレッドは、白を基調とした王族服を血に染めることなく、堂々と佇んでいた。
彼の背後からは、光属性の清廉な魔力が絶え間なく溢れ出し、傷ついたレイストールの兵たちを癒していく。
対話の限界を知り、優しさだけでは守れぬものがあると悟った新王の碧眼には、今やレイストール全土を統べる圧倒的な威厳が満ちていた。

「我が『隠し刃』が道を拓く。レイストールの兵たちよ、恐れるな。王の光は常に君たちの背にある。……ヴァルカニアの皇帝よ、これが君たちの求めた『力』の答えだ」

アルフレッドの覇気が、戦場の兵たちの士気を限界まで引き上げる。
光の新王が背後で国を支え、影の魔王が前線で全てを屠る。
その完璧な二対の連動の前に、ヴァルカニア帝国の軍隊は、文字通り形を保つことすらできずに崩壊していった。

飛び散る氷屑と、全てを呑み込む闇の奔流のなか。
ルミは再び、アルヴィーノの数歩後ろ――その漆黒の背中の影へと滑り込む。
傷だらけの顎の血を拭うこともせず、ルミはただ、己を救ってくれた王子様の、冷徹な軍師としての横顔を見つめていた。

二人の視線は、まだ交わらない。
けれど、戦火のなかで重なり合う二人の魔力は、どんな言葉よりも深く、濃く、お互いの愛を、そして永遠の伴侶としての誓いを確かめ合っていた。
帝国の瓦解は、もう目の前だった。

ヴァルカニア帝国の防衛線が紙細工のように瓦解していくなかで、黒鉄の要塞は断末魔の叫びを上げていた。
天から降り注ぐ『アブソリュート・エクスティンクション』の氷彗星群が、帝国の誇る幾重もの城壁を爆砕し、戦況はもはや一方的な屠殺場と化している。
だが、その破滅の煙が立ち込めるなかで、老獪なる怪物、宰相バルツァーだけは、まだ死に体を晒してはいなかった。

「……まだだ。まだ、あの魔王の首を掴む糸はある」

瓦礫の影、血を流し煤に汚れたバルツァーの眼光が、異様な執念を孕んでぎらついた。
目の前で展開される圧倒的なレイストールの武力。
それを一手に担うアルヴィーノは、終始一貫して冷徹な機械のごとく、自軍の兵をも無慈悲に駒として動かし続けている。
だが、バルツァーは忘れていなかった。
あの謁見の間で、自らの手で最愛の玩具を打ちのめした男の、氷の底に隠された、今にも世界を焼き尽くさんばかりの狂おしい「眼」を。

(あの従者――あの水色の髪の小倅さえ確実に仕留めれば、アルヴィーノは必ず発狂する)

公の場で、アルヴィーノが隠し持つ『弱点』を完膚なきまでに暴き立てる。
ルミがただの道具ではなく、魔王の魂を呪縛する唯一の伴侶であると証明されれば、国際社会におけるレイストールの『慈悲なき絶対性』の神話は崩壊する。
弱点を握られた軍師など、他国にとっても格好の標的だ。
それは、滅びゆくヴァルカニアがレイストール王国へ遺す、最も呪わしい毒棘となるはずだった。
バルツァーの合図と共に、影から躍り出たのは、帝国の最精鋭たる暗殺魔導兵の一団だった。
彼らは自らの命を顧みず、アルヴィーノが放った氷の嵐の僅かな隙間を縫い、空間を跳躍した。

狙いは、魔王の影に控えるルミ、ただ一人。

「死ね、魔王の愛玩物が!」

漆黒の衣を纏った暗殺兵たちが、魔力を乗せた黒鉄の鎖と、肉体を内側から腐食させる忌むべき呪詛の刃を手に、一斉にルミへと襲いかかった。
キィィン、と空間を切り裂く金属音が響く。
無数の黒鉄の鎖が、ルミの細い手首、足首、そしてその華奢な首元へと容赦なく巻き付き、冷たい石床へと激しく引き摺り下ろした。
呪詛の刃が、紺色の従者服を切り裂き、その白い肌に、どす黒い死の魔力を帯びた傷口を刻み込んでいく。

「――っ、……!」

ルミの口から、短い、押し殺した苦悶の喘ぎが漏れた。
凄まじい衝撃と、呪詛が血管を駆け巡る激痛。
だが、ルミはその身体を縛り上げる鎖を振り払おうとはしなかった。
かつて研究所の闇を彷彿とさせる、死の軍勢による暴力。
すっかり魔法の使い方を思い出したルミの魔力をもってすれば、至近距離から『オブリヴィオン・ノヴァ』を展開し、自らを襲う暗殺兵ごと周囲を虚無に還すことは容易だったはずだ。
だが、ルミはあえて、一切の抵抗をしなかった。
衣服を引き裂かれ、刃を突き立てられるがままに、その身体を冷たい硝子の床へと横たえていた。

(……俺は、動かない。何があっても、アルヴィーノ様の盤面を乱さない)

ルミの水色の瞳は、血と硝子の粉が舞うなかで、真っ直ぐにアルヴィーノの漆黒の背中だけを見つめていた。
その瞳の奥には、恐怖など微塵も存在しなかった。あるのは、狂おしいほどの、純粋な『信頼』だけだった。
あの謁見の間で、主の拳を受け入れた時に、ルミは全てを理解していた。
アルヴィーノが自分を傷つけたのは、決して見放したからではない。
生き残るため、そしてこの欺瞞の帝国を内側から完全に叩き潰すための、血の滲むような『最適解』だったのだと。

(アルヴィーノ様が、俺をこの地獄から必ず救い出してくれる。どんなに痛くても、どんなに死が近くても……俺の王子様は、絶対に俺を見捨てない)

だから、ここで自分が無駄に暴れて、アルヴィーノの敷いた完璧な戦術の網に綻びを作るわけにはいかない。
されるがままに、傷ついた『無能な道具』を演じきること。
それが、ルミの選んだ、愛する伴侶への最期の、そして最大の献身だった。

「ハハハハ! 見ろ、アルヴィーノ殿下! 貴殿の自慢の人形が、我が軍の刃の前で鳴いているぞ!」

バルツァーが、狂気的な歓喜の声を上げて、アルヴィーノを煽り立てる。

「この場でこの小倅の首を落としてやろう! 貴殿がどれほど冷酷を気取ろうとも、その玩具が死ねば、各国の密偵がその揺らぎを見逃しはせん! 貴様は、その手で自らの弱点を殺させ、生涯その呪いに苛まれるのだ!」

暗殺兵の放った呪詛の刃が、ルミの細い首筋へと、ゆっくりと、確実に肉を裂きながら喰い込んでいく。
溢れ出た鮮血が、水色の長い髪を赤く染めていく。
だが、バルツァーは、そして帝国は、決定的な『破滅の真実』を履き違えていた。
アルヴィーノがルミを連れてこの帝国へ乗り込んできたのは、ルミが弱点だからではない。
ルミという、世界で唯一の『心の枷』があるからこそ、彼は人間の形を保ち、理性を以て軍師として振る舞うことができていたのだ。
ルミが傷つき、抵抗を止め、己への絶対の信頼を以てその命を盤上に差し出したその瞬間。
アルヴィーノのなかで、これまで彼を『人間』の側に繋ぎ止めていた、最後の一本の鎖が、静かに、音を立てて完全に弾け飛んだ。

「……バルツァー」

アルヴィーノの口から漏れたのは、声ではなかった。
それは、この世の全ての生者を死へと誘う、絶対的な神格の『神託』に等しかった。
アルヴィーノの切れ長の深い紫の瞳から、人間らしい一切の色彩が消滅し、ただドス黒い虚無の深淵だけが底無しに広がっていく。
彼の周囲の空間が、自重に耐えかねるようにミシミシと音を立てて歪み始めた。
魔力の解放などという生易しいものではない。
かつて世界を滅ぼしかけ、歴史の闇に封印されたはずの、あらゆる因果を捻じ曲げる禁忌の魔導――その真の奔流が、一介の従者を救うため、そして彼を傷つけた全ての命を呪い殺すために、いま現世へと完全に顕現しようとしていた。

背後で静かに構えるアルフレッドの碧眼が、弟の背中に宿る、真なる『魔王』の覚醒を捉え、痛烈な戦慄に震える。
だが、王は止めなかった。
止められるはずがなかった。
これほどの地獄を耐え抜き、それでもなお、互いを信じて血の海を歩み続ける二人の絆を。
その絆を踏みにじった帝国へ、いま、世界が経験したことのない本当の終焉が、牙を剥いて襲いかかろうとしていた。

空間が、悲鳴を上げていた。

大気が軋み、黒鉄の要塞を支える巨大な礎石が、アルヴィーノを中心として同心円状に激しく爆砕していく。
全てを統べる「魔王」の魔圧は、いまや物理的な質量となって戦場を蹂長していた。
彼を人間に繋ぎ止めていた最期の枷――ルミを傷つけさせないという、欺瞞の芝居のための理性の鎖は、完全に引き千切られた。
あとに残されたのは、ただ、最愛の伴侶を害した全ての存在を、因果の彼方へ消滅させるという純粋な破滅の意志だけだった。

「……愚者どもが」

アルヴィーノが静かに一歩を踏み出す。
その瞬間、彼の周囲に展開していた空間そのものが、鏡が割れるように粉々に砕け散った。

「ヒッ、あ、悪魔め……! 殺せ! 構わん、あの従者の首を跳ねろッ!」

バルツァーが狂乱の声を上げる。ルミの首元に呪詛の刃を突き立てていた暗殺兵が、己の恐怖を振り払うように刃を振り下ろした。
だが、その刃がルミの肌に触れることは、永遠になかった。
アルヴィーノの紫の瞳が、深淵の如き昏さを湛えてギラリと光る。
彼の手は微動だにせず、ただ視線を向けた、その刹那。

「――『クロノス・ディストーション』――」

神の領域に属する時空属性の禁忌魔導が、詠唱すらなく、ただの思考の速度で発動した。
ルミの周囲数メートルだけの時間が、完全に逆行を始める。
彼の身体を縛り上げていた黒鉄の鎖は、錆びた砂となって崩れ去り、首筋の傷から溢れた鮮血は、時間を巻き戻すようにしてその白い肌の内側へと吸い込まれ、傷口ごと消滅した。
衣服の裂け目すら元通りに修復されていく。

「な、に……っ!?」

驚愕に目を見開く暗殺兵たちの時間は、逆に、極限まで加速させられた。
肉体が数百年分の時間を一瞬で駆け抜ける。
彼らは悲鳴を上げる暇すら与えられず、その場で急速に老い、干からび、ただの灰となって硝子の床へ崩れ落ちた。
触れることすら許されぬ、絶対的な神の拒絶だった。

「ルミ、そこを動くな」

アルヴィーノの声は、世界を拒絶するほどに低く、そして優しかった。
床に横たわったまま、すっかり元通りになった身体を起こしたルミは、その水色の瞳に熱い涙を湛えながら、静かに頷いた。

(分かってる。アルヴィーノ様の邪魔は、もう誰もできない)

ルミの絶対的な信頼の眼差しを受け、魔王はついに、その無尽蔵の破壊の権能を全方位へと解放した。
ここからは、戦争ですらなかった。
ただの、一方的な神罰だった。

「総員、盾を構えろ! 防御障壁、最大――」

帝国軍の魔導騎士団、数千の重装甲兵が死に物狂いで巨大な魔力障壁を展開する。
だが、アルヴィーノはただ、冷酷に右手を横に一閃した。

「――『ヴォルカニック・ディザスター』――」

地を這う詠唱と共に、要塞の底から、漆黒の炎を纏った極大の溶岩流が爆発的に噴出した。
それは通常の火属性魔法などではない。万物を分子レベルで融解させる、冥府の業火。
帝国の兵たちが誇る最硬度の盾も、展開された最高位の防御障壁も、その黒炎に触れた瞬間、バターのように容易く溶け、蒸発していった。
悲鳴すら、熱量によって空気ごと焼き尽くされる。

悪あがきのように放たれた、帝国側の無数の矢や、魔導砲の光条。
それらはアルヴィーノの身体に届く遥か手前で、彼の周囲に展開された重力結界『グラビティ・コラプス』によって完全に押し潰され、歪んだ鉄屑となって床へ落下した。
向かうところ敵なし。
彼に届く刃など、この世界には存在しなかった。

アルヴィーノは、ただ淡々と、血の海と化した戦場を歩んでいく。
彼の足が、怯え、腰を抜かしたバルツァーの前で止まった。

「ひ、拒魔(レイストール)の化け物め……! 皇帝陛下、お救い、お救いくだ……」

バルツァーが這いつくばりながら玉座を振り返る。しかし、その玉座に鎮座していたはずの皇帝は、アルヴィーノが放った冷気の余波によって、すでに座ったまま、美しい氷の彫像と化して凍りついていた。

「我が伴侶を道具と呼び、その身体に傷をつけた罪」

アルヴィーノはバルツァーを見下ろし、その細い指先を宰相の額へと向けた。
手袋に包まれたその指先から、ドス黒い、呪いの魔力が立ち上る。

「貴様の魂を、生きたまま肉体という檻の中で永遠に焼き続ける。死すら、貴様には与えない」
「あ、ぎゃ、あアアアアアアアアアアッッ!!」

バルツァーの口から、人間とも思えぬ絶叫が響き渡った。
彼の肉体は傷一つついていない。
だが、その魂はアルヴィーノの禁術によって、終わりのない地獄の業火へと直接叩き落とされていた。
狂い、白目を剥いて床にのたうち回る怪物の成れの果てを、魔王は一瞥もせず、ただ静かに翻った。

黒鉄の要塞は、いまや完全に沈黙していた。
数万を誇った帝国の軍勢は、灰と氷、そして黒炎のなかに消え去り、ヴァルカニアという国家の心臓部は、たった一人の男の手によって完全に停止させられたのだ。

立ち込める煙の向こうから、新王アルフレッドがゆっくりと歩み寄ってくる。
その碧眼には、すべてを終わらせた弟への、深い労いと、王としての冷徹な覚悟が宿っていた。

「……終わったね、アルヴィーノ。これで、我が国を脅かす牙は消えた」
「ああ、陛下」

アルヴィーノの瞳から、ようやく禍々しい虚無の光が引き、元の深い紫の色が戻っていく。
彼はじっと、自らの手を見つめた。最愛の者を傷つけ、そしてそのために世界を滅ぼすほどの力を振るった、血塗られた魔王の手。
その手を、小さな、温かい両手がそっと包み込んだ。

「アルヴィーノ様」

いつの間にか歩み寄っていたルミが、主の手を、自らの胸元へと抱きしめていた。
水色の長い髪を優しく揺らし、その瞳には、かつて私室のなかだけで見せてくれていた、あの溢れるほどの愛おしさと、無邪気な光が完全に灯っていた。
顎の鬱血も、引き千切られた髪も、時空の逆行によって何一つ残っていない。
彼は完璧に、アルヴィーノの愛するルミの姿のまま、そこにいた。

「おかえりなさい、俺の、王子様」

ルミの細い身体が、アルヴィーノの胸へとそっと預けられる。
アルヴィーノは、しばらくの間、言葉を失っていた。
だが、次の瞬間には、周囲にいる騎士たちの目も、王である兄の視線すらも無視して、ルミの華奢な身体を、壊れ物を扱うかのように強く、狂おしいほどの執着を込めて抱きしめ返していた。

「……すみませんでした、ルミ。本当に、すみません」
「ううん。信じてたよ。アルヴィーノ様が、俺を絶対に助けてくれるって」

壊滅した帝国の玉座の前で、静かに抱き合う二人。
過酷な欺瞞の夜は明け、血と硝煙のなかで、二人の絆は誰にも引き裂けぬほどに深く、濃く、結び直されていた。
魔王とその刃たる人形の物語は、帝国の瓦解という凄絶な幕引きを以て、新たなる夜明けへと歩み始めていた。
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