主と従者の檻に、世界で一番甘い誓いを

魔王の夜、天使の朝 〜最愛のために世界を壊す王族たちと、毛布を掛ける愛しき人〜④

王宮の遥か上空、北の夜空が不自然に爆ぜた。
漆黒の闇を切り裂く純白の閃光と、大気を紫黒に染める禍々しい魔力の奔流。
それは、城外へと転移した二人の王子が、己の全霊を賭して殺し合っている何よりの証左だった。
本宮のテラスからその破滅的な光景を見つめていたのは、水色の長い髪を夜風に揺らすルミと、その隣に佇むプラチナブロンドの美しい女性――アルフレッドの婚約者であり、新王妃となるエルザ・ローゼンタールだった。
新緑のように優しい黄緑の瞳に、エルザは確かな戦慄と、それ以上の深い憂いを宿していた。白百合のように儚げな容姿を持つ彼女だったが、その芯には、北国ローゼンタールの王女としての強い覚悟が刻まれている。

「……あれは、アルフレッド様と、アルヴィーノ様ですね」

エルザの落ち着いた、しかし緊迫した声が静寂に響いた。
ルミは自らの胸元を強く握りしめていた。
手紙を書いたばかりだった。
紫色の毛糸を編みながら、主の帰りを健気に待っていたのだ。
それなのに、あの二人はまたしても、互いの譲れないもののために世界を壊しかねない闘争を始めている。

「アルヴィーノ……、アルフレッド様……」

ルミの水色の瞳から、一滴の涙が零れ落ちる。
けれど、その瞳に宿る光は絶望のそれではない。
ルミはエルザを見上げ、確固たる決意を込めて頷いた。

「エルザ様。……俺たちが、行かなきゃ」
「ええ。あの狂気を止められるのは、この世界に私たちしかいません」

二人は翻り、テラスから回廊へと急いだ。
そこには、王宮の崩壊こそ免れたものの、遠くから伝わってくる凄まじい地鳴りと魔圧の余波に、完全に戦慄いている近衛兵たちが立ち尽くしていた。
常人であれば息をすることすら困難な恐怖の空間。兵士たちの顔からは血の気が引き、槍を握る手は小刻みに震えている。

「皆の者、聞きなさい」

エルザの凛とした声が、怯える兵士たちを射抜いた。
お淑やかで礼儀正しい彼女が、王妃としての威厳を以て彼らに命じる。

「今すぐ、私たちをあの二人の元へ連れて行きなさい。これ以上の闘争は、レイストール王国の破滅を意味します」
「な、新王妃殿下……! 滅相もない!」

一人の兵士が、恐怖に顔を歪めて首を振った。

「あそこはもはや地獄です! 『魔王』の極大魔法と、陛下の神聖なる魔力が正面から衝突しているのです! 我々のような者が近付けば、その余波だけで塵一つ残さず消滅いたします! お二方を行かせるわけには……!」
「――ならば、私が御供いたします」

その恐怖の連鎖を断ち切るように、一歩前に踏み出した男がいた。
数日前から執務室の門番を続け、あの二人の狂気を誰よりも間近で感じていた近衛兵長だった。
彼の顔にも深い疲弊と恐怖が刻まれていたが、その瞳には忠義の火が灯っていた。

「兵長、正気か!?」
「静かにしろ。……新王妃殿下のおっしゃる通りだ。あの二人が本気で殺し合えば、この国は終わる。そして、あれを止められる首輪を持っているのは、ここにいるお二方だけだ。命に代えても、お送りいたします」

近衛兵長は即座に、手元に残された数少ない転移の魔導具を起動した。
エルザはルミの小さな手を強く握りしめ、ルミもまた、その手を握り返す。

「行きましょう、ルミさん」
「うん……!」

大気が歪み、三人の姿は王宮から掻き消えた。

---

北方の荒涼たる演習広場は、文字通りの焦熱地獄と化していた。
切り裂かれた大地、天を衝く氷の槍、そして全てを焼き尽くさんとする光と闇の奔流。
その中心で、アルヴィーノとアルフレッドは、互いに血を流し、衣服をボロ切れのように裂きながら、なおも次なる破滅の術式を構築しようとしていた。

「終わりだ、アルフレッド……! 貴様を肉体ごと圧殺し、その署名をもぎ取ってくれる!」
「黙れ、アルヴィーノ! お前の独善に、この国を、ルミくんを渡すわけにはいかない!!」

二人の魔力が最高潮に達し、荒野のすべてが光と影に呑まれようとしたその瞬間。
空間の歪みと共に、三人の影がその戦場の中央へと滑り込んだ。

「止めなさいッ!!」

轟々たる風の音を突き破り、響き渡ったのは、エルザの、これまでにないほどに烈しい叱責の声だった。

「エルザ……!?」
「ルミ……!?」

激突する直前だった二人の王子の動きが、完全に凍りついた。
アルフレッドの碧眼が驚愕に開かれ、アルヴィーノの紫色の瞳が、最愛の子の姿を捉えて激しく揺れる。
近衛兵長は二人を守るように盾を構えたが、放たれる凄まじい魔圧の前に、吐血してその場に膝を突いた。

「何をしているのです、アルフレッド様……!」

エルザは白百合のような佇まいのまま、しかし新緑の瞳に怒りと深い悲しみを湛えて、満身創痍の新王へ歩み寄った。
彼女の放つ絶対的な淑女の威厳が、アルフレッドの狂気を冷徹に削ぎ落としていく。

「貴方は一国の王です。優しさだけでは解決できないと知り、強さを身につけたはず。ですが、その力をこのような私闘で、実の弟に対して振るうことが、貴方の目指した『王の姿』なのですか! 私は、そのような思慮を欠いた殿下をお慕いしたわけではありません!」
「エルザ……私は、国を……お前を護るために……」

アルフレッドの聖剣が、カタカタと音を立てて消滅していく。
最愛の婚約者からの、魂を射抜くような叱責。
誰にでも優しい彼女が、自分のためにこれほどまでに怒り、悲しんでいる。
新王の頑なだった心が、その言葉によって急速に解かされ、罪悪感へと変わっていった。

そして、アルヴィーノの前には、小柄な少年が立ちはだかっていた。
ルミは、涙で濡れた水色の瞳で、漆黒の軍服を血に染めた魔王を真っ直ぐに見つめていた。

「アルヴィーノ……」
「ルミ、なぜここに……。危険だ、下がりなさい。私は、貴方を恒久的に私のものにするために、この男を――」
「アルフレッド様と喧嘩しないでって、お手紙に書いたじゃん!!」

ルミの叫びが、荒野に響き渡った。
無邪気な彼の口から放たれた、悲痛な拒絶。

「俺、アルヴィーノが頑張ってくれてるの、嬉しかった。だから、かっこよくお出迎えしたくて、お菓子も作って、手紙も書いて、マフラーも編んで待ってたんだよ……! なのに、どうしてこんなところで殺し合いなんかしてるの……!?」

ルミはアルヴィーノの胸に飛び込み、その破れた軍服を小さな手で強く 強く掴んだ。

「アルヴィーノの馬鹿……! 俺は、アルヴィーノが無事でお部屋に帰ってきてくれれば、それだけでいいんだよ……! 他にはなんにもいらないの!」

感情を剥き出しの涙と共にぶつけるルミ。
その瞬間、アルヴィーノを支配していた昏い執着と狂気は、跡形もなく霧散した。
全属性の魔法を操る魔王が、ただ一人の少年の涙と抱擁によって、完全に無力化されたのだ。

「……ルミ」

アルヴィーノの長い腕が、崩れ落ちるようにルミの小柄な身体を抱きしめた。
手編みのマフラーの温もりを思い出す。
自分がどれほど愚かな暴走をしていたかを、その小さな温もりが教えていた。

「すみません……。ルミ……」

荒野を満たしていた理不尽な魔圧が、完全に消失した。
残されたのは、静かな夜風と、満身創痍の兄弟、そして彼らをそれぞれの愛で繋ぎ止めた、二人の大切な存在の気配だけだった。
エルザは深く息を吐き、アルフレッドの元へ歩み寄ってその傷ついた身体を優しく支えた。
ルミはアルヴィーノの腕の中で、まだしゃくり上げている。
最後の一枚の書類を巡る、国をも揺るがした壮大な兄弟喧嘩は、最も手強い「首輪」たちの登場によって、唐突に、そして絶対的な終焉を迎えたのだった。

凍てつく北方の夜風が、静まり返った荒野を吹き抜けていく。
天を衝くようにそそり立っていた氷の槍は、主たるアルヴィーノの魔力の霧散と共に、カサカサと虚しい音を立てて細かい塵へと崩壊し始めていた。
抉り取られ、焦土と化した赤茶けた大地だけが、先ほどまでここで繰り広げられていた神話さながらの激闘の凄まじさを物語っている。

「……帰りましょう、皆様」

満身創痍の身体を引きずり、血を拭った近衛兵長が、静かに、しかし重々しく告げた。
その手には、王宮へと繋がる最後の転移魔導具が握られている。
アルフレッドはエルザの柔らかな肩に身を預け、痛む脇腹を押さえながら、深く、深く息を吐き出した。
白い王族服は破れ、随所に血痕が滲んでいる。王としての、そして兄としての意地を通しきったその碧眼には、激しい闘争の終わりによる、深い虚脱感が漂っていた。

一方のアルヴィーノもまた、漆黒の軍服を無残に引き裂かれ、その美しい顔にいくつもの擦過傷を刻んでいた。
しかし、その長い腕の中には、今や安堵の涙を流し尽くして小さく丸まっているルミの身体が、確かに存在している。

「……あぁ。戻ろう」

アルヴィーノの低く掠れた声には、先ほどまでの魔王の狂気は微塵もなかった。
最愛の子をこれ以上寒空の下に晒しておくわけにはいかない。その一心のみが、彼の身体を動かしていた。

兵長が魔導具を発動させると、空間が再び歪み、五人の姿を光の粒子が包み込む。
轟音の轟く荒野から、一瞬にして、あの見慣れた――そして、数多の破壊の痕跡が残る――新王の執務室へと、彼らは帰還を果たした。

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室内の光景は、凄惨の一言に尽きた。
二人が最後に放った魔力の衝突により、高級な調度品は木屑と化して散らばり、頑強なはずの黒檀の机は中央から無残に叩き割れている。
だが、そんな破壊の嵐の中でさえ、二人の天才が十数日間にわたって処理し続けた「三分の二の書類」だけは、アルフレッドが展開した保護魔法の残滓によって、奇跡的に無傷のまま床へ整然と積み重なっていた。

そして、すべての大喧嘩の発端となった、あの一枚の羊皮紙。
ルミの処遇と独立治外法権を巡る「最後の一枚」は二人が放った極大魔法の余波をまともに受け、床の上で、一片の未練も残さず黒い灰へと変わり果てていた。
アルフレッドは、その灰の山を見つめ、力なく首を振った。

「……灰、か。文字通り、無効だな」
「フン……。あの子が望まないというのであれば、あのような紙切れ、最初から無価値です」

アルヴィーノはルミを抱きすくめたまま、冷ややかに、しかしどこか諦念を孕んだ口調で言い放った。
ルミは彼の胸に顔を埋めたまま、「もう喧嘩しちゃダメだからね」と蚊の鳴くような声で呟き、アルヴィーノの服の裾をぎゅっと握り直す。
その健気な姿に、魔王はただ静かに目を細めるだけだった。
エルザは乱れたプラチナブロンドの髪をそっと整え、未だ緊張の解けない兵長へ、淑女としての深い感謝の礼を捧げた。

「兵長、お見事でした。貴方の勇気がなければ、私たちは今頃、崩壊した国の瓦礫の下にいたことでしょう。心から感謝いたします」
「勿体なきお言葉にございます、新王妃殿下……」

兵長は深く頭を垂れた。その顔には、ようやく悪夢から目覚めたという安堵が広がっていた。

終わったのだ。
十数日間に及ぶ、あの底なしの無限地獄。
互いの精神を削り合い、言葉を刃にして刺し合い、最終的には力で殴り合った、あの忌まわしい書類整理が、ついに終わったのだ。
残された三分の二の書類は、すでに決済が済んでいる。
これを明日、役人たちに引き渡せば、この王宮に、そして二人の私室に、待ち望んだ平穏が戻るはずだった。
誰もがそう確信し、重苦しい沈黙の中に、確かな安息の気配が満ちようとした、その時だった。

コンコン、と。
不自然なほど静かに、しかし冷酷な明確さを持って、修復されかけた二重扉が叩かれた。

室内が、一瞬にして凍りつく。
兵長が緊張した面持ちで扉を開けると、そこには、真っ青な顔をした内政官の長が、何十枚もの「真新しい」羊皮紙の束を抱えて立っていた。
内政官は室内の破壊状況に一瞬だけ目を剥いたが、すぐに震える声で、絶望の伝令を口にした。

「……ほ、報告いたします。新王陛下、ならびに第二王子殿下」

内政官は、抱えた書類の束を、壊れた机の辛うじて平らな部分へと、恐る恐る置いた。

「先ほど、我が国の天候観測魔導具、ならびに北方領の守備隊より、緊急の魔導通信が入りました。……北方演習広場において、原因不明の大規模な『超常天候災害』および『局地的大地陥没』が発生。広範囲にわたる軍事施設の損壊、並びに魔力の異常奔流による周辺結界の崩壊が確認された、とのことです」

内政官の声が、壊滅的な静寂の中に響き渡る。

「つきましては、被害状況の精査、周辺領民への避難誘導の法的決裁、国境守備隊の緊急再編成、および――この未曾有の事態における、莫大な『復興予算の財政出動承認手続き』のため、大至急、両殿下の裁可が必要となります。……ここに、その初期報告書と決裁書類をお持ちいたしました」
「な……」

アルフレッドの碧眼が、点。と見開かれた。
スープの温もりで回復したばかりの彼の精神が、今、確実な音を立てて崩壊していくのが分かった。

原因不明の大規模災害。
そんなものは存在しない。
今さっき、自分と弟が、己の意地とストレスのすべてをぶつけて暴れまわった「大喧嘩の爪痕」そのものである。
自分たちが犯した破壊の代償が、今、新たな『書類の山』という姿に変えて、自分たちの元へ返ってきたのだ。

アルヴィーノの顔からも、完全に血の気が引いていた。
懐にあるルミの手紙の温もりも、今度ばかりは彼を救いきれなかった。
終わったはずの地獄の、第二階層の扉が、今、目の前で轟音を立てて開かれたのだ。
この新たな書類を片付けない限り、彼はルミと共に、あの甘やかで濃密な私室のベッドへと戻ることは決して許されない。

「……アルヴィーノ」

アルフレッドが、地獄の底から響くような声で、弟の名を呼んだ。
その碧眼には、先ほどの戦闘時以上の、狂気的な絶望が宿っている。

「……あぁ、分かっています、陛下」

アルヴィーノの紫色の瞳もまた、昏い虚無に染まっていた。
二人は言葉を失ったまま、新しく積み上げられた書類の山を見つめた。
それは、自分たちが撒いた種が産み落とした、新たなる無限地獄の始まりだった。

エルザはそっと目元を押さえ、深い、深い溜息を一つ吐き出した。
ルミは主の腕の中で、「……また、お仕事なの?」と悲しそうに首を傾げている。

壊れた部屋の中、夜明け前の冷たい静寂が再び戻ってくる。
二人の王子は、震える手でそれぞれ羽ペンを拾い上げた。
終わることのない苦痛、自業自得という名の鎖に縛られながら、彼らはまた、カリカリと羊皮紙を引っ掻く、あの不快な音を、静かに響かせ始めるのだった。

――自業自得という名の第二の地獄が幕を開けてから、さらに数日。

新王の執務室を支配していた、あの呪わしい羽ペンの音は、今や完全に途絶えていた。
窓外からは、うっすらと白み始めた夜明けの光が差し込み、荒れ果てた室内の輪郭を静かに描き出している。
机の破片、散らばった調度品の残骸、そして――そのすべてを埋め尽くすように床へ、棚へと整然と積み上げられた、何千、何万枚もの決裁済みの羊皮紙。

文字通り、すべての戦いが終わった。
王宮の崩壊に等しい大粛清の戦後処理から、自ら引き起こした北方演習広場の崩壊による緊急復興手続きまで、二人の天才はその超常的な頭脳と、残された僅かな生命力のすべてを動員して、その凶悪な質量を完全にねじ伏せたのだ。

だが、その偉業の代償として、二人の王子から「生」の気配は完全に削ぎ落とされていた。

「……ハァ」

黒檀の割れた机に、崩れ落ちるように突っ伏したのは新王アルフレッドだった。
白を基調とした王族服は汚れ、袖口はインクで黒く染まっている。
常に朗らかな笑みを絶やさず、自国民に愛されてきた「王子様」の面影はそこにはない。
碧眼の瞼は重く閉じられ、浅く、疲れ切った呼吸だけがその胸元を微かに動かしていた。

(二度と……二度と、あいつに代理国王など任せるものか……。二度と、あの魔王を怒らせるような真似は……)

脳裏を過る最後の思考は、あまりにも深い後悔に塗れていた。
王としての威厳も、兄としての意地も、すべてを燃やし尽くした果ての、泥のような眠りだった。

一方、室内の豪奢な長ソファには、第二王子アルヴィーノが倒れ込んでいた。
漆黒の軍服は裂け、細く切れ長の深い紫色の瞳は完全に閉じられている。
普段の傲然とした佇まいは消え失せ、長い腕を力なく投げ出したその姿は、まるで戦場で力尽きた彫像のようだった。

(あの子との時間を……これほどまでに奪われるくらいなら、最初から無能どもなど、生かすも殺すも放置しておけばよかったのだ……。何が治外法権だ。何が独立権だ……)

狂気的な執着の果てに得たものは、最愛の伴侶と引き離され、実の兄と殺し合い、さらにはその瓦礫を自ら片付けるという、極限の不条理だった。
深い、深い眠りの底へと沈みながら、魔王は人生で最も深い不服と後悔を、その胸の内に刻み込んでいた。

二人の最高位の魔術師が、完全に無防備な死体のように眠り続ける部屋。
その静寂を破らぬよう、重厚な扉が数寸だけ、音もなく開かれた。

室内に足を踏み入れたのは、プラチナブロンドの長い髪を美しく編み込んだエルザと、水色の長い髪を揺らす小柄なルミだった。

二人は息を呑み、そして互いに視線を交わして、静かに、しかし深く慈しむように目を細めた。
そこには、国の破滅を瀬戸際で食い止め、自らの不手際のすべてを肉体一つで清算しきった、愚かで、愛おしい男たちの姿があった。

エルザは音を立てぬよう細心の注意を払いながら、アルフレッドの元へと歩み寄った。
新緑のように優しい黄緑の瞳に、夫への深い慈愛と、労いの光を宿す。
彼女の腕には、北国ローゼンタールの上質なウールで織られた、厚手の暖かな毛布が抱えられていた。

「お疲れ様でした、アルフレッド様……」

心の内でそう呟きながら、エルザはアルフレッドの傷ついた背中へ、そっと毛布を掛けた。
彼女の丁寧な手付きは、白百合のような優しさに満ちていた。
毛布の温もりに包まれた新王は、微かに眉の緊張を解き、より深い安息の眠りへと沈んでいく。
エルザはその寝顔を愛おしそうに見つめた後、そっとその場から数歩退いた。

同じころ、ルミもまた、ソファの傍らで膝を突いていた。
透き通るような水色の瞳で、アルヴィーノの疲れ切った横顔を見つめる。
頬に刻まれた戦いの傷跡、乱れた紫の髪。
自分のために「魔王」となり、自分のためにすべてを滅ぼそうとした、激しくも不器用な恋人。

ルミは、この数日間の幽閉中にマルタと共に必死で編み上げた、深い紫色のマフラーを、主の首元へと優しく巻いた。
そして、その上から、彼を優しく包み込むように大きな毛布を重ねる。

「アルヴィーノ……頑張ってくれて、ありがとう。もう、どこにも行かないからね」

その呟きは、誰の耳にも届かないほどの囁きだった。
けれど、その温もりと、ルミの手編みのマフラーから漂う愛しい子の香りは、眠れる魔王の魂を確実に癒やしていった。
アルヴィーノの指先が、無意識に毛布の端を強く握り締める。
彼を縛る唯一の首輪は、今、彼に最高の平穏を与えていた。

エルザとルミは、再び視線を合わせ、静かに頷き合った。
これ以上の言葉は不要だった。
ここから先は、二人が目覚めるまで、誰一人としてこの聖域を侵させはしない。
新王妃となる淑女と、その陰で生きる伴侶の少年は、それぞれの最愛の者に確かな守護を残し、足音一つ立てずに執務室を後にした。

パタン、と微かな音を立てて扉が閉まる。

朝の光が、壊れた部屋と積み上げられた書類を白く照らし出していく。
すべてを終わらせた兄弟は、互いへの憎しみも、これまでの怒りもすべて忘却の彼方へと置き去りにしたまま、ただ泥のような静寂の中で、深い、深い眠りを貪り続けるのだった。

fin
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