男子と男子
放課後の教室。日直の仕事が残っている俺は、ただひたすらにシャープペンシルを動かして悪筆を生み出していく。対して、そんな俺を待ってくれている親友は、穏やかな表情で文庫本のページを捲っていた。
日が傾いてきているようで、窓から差し込む色は白から橙へと移り変わっていた。眩しいな、そう思って目を細めた。
唯のいたずら心。どうせすぐにバレるだろうと思って、くだらない嘘を口にした。
「彼女ができた」
対して、突然その言葉を投げられた時雨はきょとんと目を丸くして、それからどんな感情であるのか、間の抜けた表情で「へー」とだけ漏らした。
アホみたいに口をぽっかり開いているその顔は、きっと普通の人であればなんとも不細工なものになってしまうであろう。だけれども、神に祝福された造詣をしているこの男はそんな表情をしていてもそんな印象は抱かせない。
世の中不公平である。お綺麗な間抜けヅラを見てそう思った。顔が良ければキャーキャー言われて、毎日のように可愛らしい文字で綴られた愛の手紙が届く。呼び出しもされる。なんなら、俺と一緒にいる時に告白されているのを見たことだってある。
時雨は俺の一番の親友であるけれども、だけれども一番に嫉ましい存在でもあった。そう、モテない男の僻みである。
醜いと言うだろうか。なんとでも言うがいい。俺の感情はこの立場にならなければわからない。一番の親友がどんな芸能人にも負けない綺麗な顔立ちをしている文武両道な完璧人間。対して全てにおいて平々凡々な人間。なお、幼い頃から仲が良くて、ずっと隣にいて、比べられて、笑われる。そんな経験を経てからもう一度考えてみてほしいものだ。
まあ、そんな己であるから、当たり前にして彼女などできたことなどない。隣にいる時雨に全員の視線が奪われるから。
やはり世の中は不公平である。天は二物を与えないのではなかったか。そんなことを心の中でぶちぶちと考える。
さて、では何故、今、時雨にこんなくだらない法螺話を切り出したのか。
実際のところ、周りの人間が時雨に惹かれていくのと同じように、俺も時雨のことが好きであった。僻んだ感情の裏には、真逆の感情が張り付いていると言うわけだ。
ああ、違う。訂正させてほしい。周囲と同じようにと言ったけれど、俺は時雨の顔だけが好きなのではなくて、その中身も併せて好んでいるのだ。端正と呼ばれる容姿であったり、表面的な人の良さばかりで惹かれてはいない。それだけは信じてほしい。いや、普通に顔も好きなのだけれど。
じゃあどんなところが好きなのか。例えば、そう、人当たりがよく友達が多い時雨は、色んな人によくよく声をかけられたりしているけれど、先約があるからと言って俺との約束を蔑ろにしたことはなかった。更に言えば、こちらが声をかけた場合は、他者とどんな約束があったとしても、そちらを断って俺の方を優先してくれる。
俗に言う特別扱い。それを絶世のイケメンがしてくれるとなっては、そりゃあ同性であったとしても、例え比べられる対象にされたとしても、絆されたとしてもまあ仕方のないことであろう。
意識されたいわけではない。ただ、なんとなく、癪に触っただけだ。俺は時雨だけを見ているのに、そのことに時雨は気づいていないだろう。時雨は周囲の視線をいっぺんに集めていて、俺の視線などそのうちの一部でしかない。この男は俺の中で大半の要素を占めていると言うのに、対してこの男の中で俺の要素などほんの僅かに過ぎないだろう。周囲から与えられるものも、見ている世界も、何もかもが違いすぎる。
だから、揶揄ってみようと思った。どうせ冗談であることはバレている。ただ、どんな反応をするのか気になった。
お前に彼女がいるわけないだろうなんて笑われるか、もしくはいつから付き合い始めたんだと信じるか。笑われても、もし仮に祝福されたとしても、それはそれで構わなかった。そろそろこの不毛な感情を処理しなければと思っていたのだ。どんな反応であったとしても、綺麗さっぱり諦めて、今度こそ彼女を作ることができるように、時雨だけに向けていた視線を別の人に配ってみようと、そう思った。
まあ、次の恋を探すのはなかなか難しいであろうけれども。何せ時雨は顔も性格も何もかも俺好みだから、これ以上の人間を見つけることなんて難しそうだ。でも、まあ、それなりに前を向いて生きていこうと思う。
しかし、まあ、この反応は予想していなかった。相変わらず目を丸くしてこちらを凝視している時雨を見ながらそう思った。予想していたよりも反応が薄すぎる。
もっと何がないのか。俺はお前の親友なんだが。ほら、笑うなり、泣くなり、眉を顰めるなり、なんとか反応しろよ。
そう思っていたら、不意に時雨が「理玖」と俺の名前を読んだ。
「な、ッ」
何。そう問おうと口を開いた瞬間、指を突っ込まれて舌を掴まれた。そのまま引っ張られて、机に身を乗り出すような格好になる。
突然のことに目を白黒させていると、不意に時雨と視線がかち合って、その瞬間に総毛立つ。いつも穏やかに笑っている紅茶みたいな色の瞳が、今は氷のような冷たさを孕んでいる。
「理玖、さぁ。嘘はつかない方がいーと思うんだけど」
瞬きをする。眼球に擦れる瞼が僅かに痛む。
「嘘ついたら閻魔様に舌引っこ抜かれるんだろ?」
そう言う時雨の口元はいつもと変わらない笑みを浮かべていて、その対比が無性に恐ろしく感じられた。
「ほら、なぁ。彼女なんていないだろ?なぁ?」
「あ、ェ……」
「ああ、舌掴んでっから喋れないのか。じゃあ首振るか頷くかで答えてくれればいーよ。で、彼女なんていないだろ?」
段々と口の中に唾液が溜まっていく。口の端から垂らすこともできないから、徐々に呼吸が苦しくなってくる。堪らずに細かく頭を前後に動かせば、時雨は満足したように舌から指を離した。
舌先と指の間が唾液の糸で繋がって、撓んでプツンと切れる。時雨は楽しげにその様子を眺めて、それから俺の唾液に塗れた指を、赤い舌でべろりと舐める。
それは一見官能的なその仕草であるけれど、どうにも手についた餌の残りをなめ取っているようにしか見えなかった。
「なぁ、理玖。これからも彼女は作らないよな?」
「……えっと」
「これからも彼女なんてもんは作らねえよな?」
「や、あ、はい……」
「ん。ならよし!」
いつのまにかその目は穏やかな色を取り戻していて、「なあ、早く終わらせようぜ。帰りコンビニ寄って肉まん買いたい」と言って、机の上に置いていた文庫本をカバンの中にしまっていく。
俺の日直の仕事もあともう少しで終わるところであった。跳ね上がる鼓動を押さえつけながら、いつの間にか指先から離れていたシャープペンシルを手に取ってラストスパートをかけていく。
白い紙を染めていく鉛の色。それに集中しようとしても、どうしても先ほどのことを思い出してしまう。
さっきのは一体何であったのだろう。時雨は何を思ってあの行動に出たのだろうか。わからない。もしかして、万が一の可能性の中に、時雨が俺を好きになってくれていたという結論があるのかもしれないと思って、自分に対して都合の良すぎる甘い話に鼻で笑った。
嗚呼、そんな、あり得ない。だって、男だし。いや、俺も同性の時雨のことが好きであるけれども、俺が時雨のことを好きになる話と、時雨が俺のことを好きになる話には大きな隔たりがある。だから、きっと、さっきのことも、己の妄想の中の出来事なのだろう。そう思った。
そうしているうちに日直の仕事も終わった。息を吐いて、筆記用具をペンケースに仕舞っていく。
「終わった?」
時雨が問うた。
「終わった」
俺が答えた。
カバンを持って立ち上がる。時雨はもうすでに立ち上がってこちらを待っている様子で、その顔はいつものとおりの表情を浮かべていた。
舌の付け根の痛みがジクジクと存在を主張している。妄想の出来事であるのだと片付けようとする己の思考に抗議を入れるように。
どうしたらいいんだろうな。わかんないや。とりあえず、まあ、こいつに嘘をつくことだけはやめておこう。そう思った。
日が傾いてきているようで、窓から差し込む色は白から橙へと移り変わっていた。眩しいな、そう思って目を細めた。
唯のいたずら心。どうせすぐにバレるだろうと思って、くだらない嘘を口にした。
「彼女ができた」
対して、突然その言葉を投げられた時雨はきょとんと目を丸くして、それからどんな感情であるのか、間の抜けた表情で「へー」とだけ漏らした。
アホみたいに口をぽっかり開いているその顔は、きっと普通の人であればなんとも不細工なものになってしまうであろう。だけれども、神に祝福された造詣をしているこの男はそんな表情をしていてもそんな印象は抱かせない。
世の中不公平である。お綺麗な間抜けヅラを見てそう思った。顔が良ければキャーキャー言われて、毎日のように可愛らしい文字で綴られた愛の手紙が届く。呼び出しもされる。なんなら、俺と一緒にいる時に告白されているのを見たことだってある。
時雨は俺の一番の親友であるけれども、だけれども一番に嫉ましい存在でもあった。そう、モテない男の僻みである。
醜いと言うだろうか。なんとでも言うがいい。俺の感情はこの立場にならなければわからない。一番の親友がどんな芸能人にも負けない綺麗な顔立ちをしている文武両道な完璧人間。対して全てにおいて平々凡々な人間。なお、幼い頃から仲が良くて、ずっと隣にいて、比べられて、笑われる。そんな経験を経てからもう一度考えてみてほしいものだ。
まあ、そんな己であるから、当たり前にして彼女などできたことなどない。隣にいる時雨に全員の視線が奪われるから。
やはり世の中は不公平である。天は二物を与えないのではなかったか。そんなことを心の中でぶちぶちと考える。
さて、では何故、今、時雨にこんなくだらない法螺話を切り出したのか。
実際のところ、周りの人間が時雨に惹かれていくのと同じように、俺も時雨のことが好きであった。僻んだ感情の裏には、真逆の感情が張り付いていると言うわけだ。
ああ、違う。訂正させてほしい。周囲と同じようにと言ったけれど、俺は時雨の顔だけが好きなのではなくて、その中身も併せて好んでいるのだ。端正と呼ばれる容姿であったり、表面的な人の良さばかりで惹かれてはいない。それだけは信じてほしい。いや、普通に顔も好きなのだけれど。
じゃあどんなところが好きなのか。例えば、そう、人当たりがよく友達が多い時雨は、色んな人によくよく声をかけられたりしているけれど、先約があるからと言って俺との約束を蔑ろにしたことはなかった。更に言えば、こちらが声をかけた場合は、他者とどんな約束があったとしても、そちらを断って俺の方を優先してくれる。
俗に言う特別扱い。それを絶世のイケメンがしてくれるとなっては、そりゃあ同性であったとしても、例え比べられる対象にされたとしても、絆されたとしてもまあ仕方のないことであろう。
意識されたいわけではない。ただ、なんとなく、癪に触っただけだ。俺は時雨だけを見ているのに、そのことに時雨は気づいていないだろう。時雨は周囲の視線をいっぺんに集めていて、俺の視線などそのうちの一部でしかない。この男は俺の中で大半の要素を占めていると言うのに、対してこの男の中で俺の要素などほんの僅かに過ぎないだろう。周囲から与えられるものも、見ている世界も、何もかもが違いすぎる。
だから、揶揄ってみようと思った。どうせ冗談であることはバレている。ただ、どんな反応をするのか気になった。
お前に彼女がいるわけないだろうなんて笑われるか、もしくはいつから付き合い始めたんだと信じるか。笑われても、もし仮に祝福されたとしても、それはそれで構わなかった。そろそろこの不毛な感情を処理しなければと思っていたのだ。どんな反応であったとしても、綺麗さっぱり諦めて、今度こそ彼女を作ることができるように、時雨だけに向けていた視線を別の人に配ってみようと、そう思った。
まあ、次の恋を探すのはなかなか難しいであろうけれども。何せ時雨は顔も性格も何もかも俺好みだから、これ以上の人間を見つけることなんて難しそうだ。でも、まあ、それなりに前を向いて生きていこうと思う。
しかし、まあ、この反応は予想していなかった。相変わらず目を丸くしてこちらを凝視している時雨を見ながらそう思った。予想していたよりも反応が薄すぎる。
もっと何がないのか。俺はお前の親友なんだが。ほら、笑うなり、泣くなり、眉を顰めるなり、なんとか反応しろよ。
そう思っていたら、不意に時雨が「理玖」と俺の名前を読んだ。
「な、ッ」
何。そう問おうと口を開いた瞬間、指を突っ込まれて舌を掴まれた。そのまま引っ張られて、机に身を乗り出すような格好になる。
突然のことに目を白黒させていると、不意に時雨と視線がかち合って、その瞬間に総毛立つ。いつも穏やかに笑っている紅茶みたいな色の瞳が、今は氷のような冷たさを孕んでいる。
「理玖、さぁ。嘘はつかない方がいーと思うんだけど」
瞬きをする。眼球に擦れる瞼が僅かに痛む。
「嘘ついたら閻魔様に舌引っこ抜かれるんだろ?」
そう言う時雨の口元はいつもと変わらない笑みを浮かべていて、その対比が無性に恐ろしく感じられた。
「ほら、なぁ。彼女なんていないだろ?なぁ?」
「あ、ェ……」
「ああ、舌掴んでっから喋れないのか。じゃあ首振るか頷くかで答えてくれればいーよ。で、彼女なんていないだろ?」
段々と口の中に唾液が溜まっていく。口の端から垂らすこともできないから、徐々に呼吸が苦しくなってくる。堪らずに細かく頭を前後に動かせば、時雨は満足したように舌から指を離した。
舌先と指の間が唾液の糸で繋がって、撓んでプツンと切れる。時雨は楽しげにその様子を眺めて、それから俺の唾液に塗れた指を、赤い舌でべろりと舐める。
それは一見官能的なその仕草であるけれど、どうにも手についた餌の残りをなめ取っているようにしか見えなかった。
「なぁ、理玖。これからも彼女は作らないよな?」
「……えっと」
「これからも彼女なんてもんは作らねえよな?」
「や、あ、はい……」
「ん。ならよし!」
いつのまにかその目は穏やかな色を取り戻していて、「なあ、早く終わらせようぜ。帰りコンビニ寄って肉まん買いたい」と言って、机の上に置いていた文庫本をカバンの中にしまっていく。
俺の日直の仕事もあともう少しで終わるところであった。跳ね上がる鼓動を押さえつけながら、いつの間にか指先から離れていたシャープペンシルを手に取ってラストスパートをかけていく。
白い紙を染めていく鉛の色。それに集中しようとしても、どうしても先ほどのことを思い出してしまう。
さっきのは一体何であったのだろう。時雨は何を思ってあの行動に出たのだろうか。わからない。もしかして、万が一の可能性の中に、時雨が俺を好きになってくれていたという結論があるのかもしれないと思って、自分に対して都合の良すぎる甘い話に鼻で笑った。
嗚呼、そんな、あり得ない。だって、男だし。いや、俺も同性の時雨のことが好きであるけれども、俺が時雨のことを好きになる話と、時雨が俺のことを好きになる話には大きな隔たりがある。だから、きっと、さっきのことも、己の妄想の中の出来事なのだろう。そう思った。
そうしているうちに日直の仕事も終わった。息を吐いて、筆記用具をペンケースに仕舞っていく。
「終わった?」
時雨が問うた。
「終わった」
俺が答えた。
カバンを持って立ち上がる。時雨はもうすでに立ち上がってこちらを待っている様子で、その顔はいつものとおりの表情を浮かべていた。
舌の付け根の痛みがジクジクと存在を主張している。妄想の出来事であるのだと片付けようとする己の思考に抗議を入れるように。
どうしたらいいんだろうな。わかんないや。とりあえず、まあ、こいつに嘘をつくことだけはやめておこう。そう思った。
