メビウス

 和華との出会いは二ヶ月前。元カノの真凛まりんから「ねえ、京平。生意気な新入生がいるんだけど。ビビらせてくれない?」と言われ、どんなやつなのか確かめてやろうと廃部室で煙草をふかしていたときのこと。

 元カノが連れてきた女は、やけにくつろいでいた。黒目の下に白目が覗いているせいか、なんとなく睨まれているようにも、見つめているだけのようにも思う。それでも第一印象は、変化球のストライク。

「お前が和華? へえ……。ムチムチしてんなあ」

 わざとらしく全身を見つめてやると、元カノが肩を揺らしながらくすくす笑う。和華は目を凝らすように細め、こちらの耳元に視線を止めると、

「京平くんはピアスしてるんだね。それなんのブランド?」

 なんてタメ口で返してきた。

 怒るわけでもなければ、媚びるわけでもない。そのうえ離れようともしない。これまでの女とは、どこかズレている。それなら手に入れたらどうなるのか。そんなことばかり考えた。

 昼休みになれば空き教室に顔を出し、放課後になれば校門前で和華を待つ。元カノから「まだストーカーしてるの? 京平が追いかけるとかダサいよ」と呆れられても、「は? 彼女でもねえやつが口出しすんなよ。縁切られてえのか?」と返した。

「なあ、和華。元カノがウザいんだけど」

 放課後の帰り道。いつものように和華と二人で歩きながら口にすると、「真凛先輩のことだよね? どうしたの」と首を傾げられた。

「あいつ周りのこと気にしてんの。うるせえだろ? 和華にもさあ」

「どうかな。上下関係は厳しいけど、悪口まで言わないからね。私は」

「ホントかわすよな。味方とかしてくれねえんだ」

「誘導なんてしなくてもいいのになあ。京平くんは」

 それだけ答えた和華は、鞄紐を肩にかけ直す。予定通りにはいかないんだよなと、にんまりしていると和華の手が目についた。

「そんなら手繋いでくんねえ? 左手が寂しいんだわ」

 横断歩道の前でピタリと立ち止まる。和華はそのまま自分の指先をくるくる撫でると赤信号に視線を逸らした。

「どうしよう。手汗が出るかもしれないんだけど」

「ハハ、なに。そんな可愛いこと気にしてんだ」

 恥ずかしいだけだろう。笑いながら手を差し出すと、和華もこちらの手を包んできた。温かくて、柔らかい。ほんの少しだけ、汗ばんでいた。

「あのね。こういうのは、慣れなくてさ」

「モテるだろ。そんなに男選んでんの?」

「最初はいいんだけどね。長続きしなくて」

 曖昧に口角を上げ、和華は目を伏せた。こうして二人でやりとりをしても、嫌われてないことは分かるのに、こいつからはなにもしてこない。そのくせ鈍感でもないから、耐えられないやつには、耐えられないんだろう。

「だから初めてだよ。こんなにしつこい人は」

 和華は幸せそうに頬を緩めると、繋いだ手に力を込めてきた。

 こんなことでなにを喜んでいるのか。どうしてそんなに——。

 ぞわりと胸が震えて、手のひらに熱がこもる。

 目の前にある信号はもう青に変化しているのに、気づけば胸ポケットのメビウスに手を伸ばしていた。

 帰宅してすぐに元カノを部屋に呼んだ。

 和華の手のひらの温もりをなぞるように、それでいて押し付けるように触れていく。元カノは「優しくしないでいいのに」と唇を尖らせていた。
 和華のことがちらついて仕方ない。

 そんな俺を見た元カノは、つまらなさそうに体を離した。

「もういい、やめよう。こんなの京平らしくないもん」

「なに、お前。捨てる側とか勘違いしてるわけ?」

 いつもの調子で吐き捨てると、元カノは満足そうに首を振る。

 それでも左手の温もりは、消えないままでいた。

「なんなんだよ。マジで」

 咥えていた煙草を外して、火種をぼんやりと眺める。

 この熱なら、あるいは——。

 慣れない温度に、眉をひそめる。

 どうしようもないこの手を、和華は幸せそうに掴んでいた。

「クソ…………」

 こんなところを見せたら、さすがに嫌われるだろう。それでいい。それならいいはずなのに、あいつのことだから、触れてくるかもしれない。

「ハハ。ありえねえだろ」

 それでも、本当なら。

 壊したくないだけで、俺はあいつのことが——。

「好きだよ、京平くん。もう逃げないでね」

 聞き慣れた声が俺を今に戻す。目の前では和華が微笑んでいた。

 俺のことも興味ないとか冷めていたくせに、なんなんだそのバカみたいに可愛い表情は。上唇は薄いとか、下唇は厚いとか。口元を見つめていたはずが、気づいたら目を合わせていた。

「本当にいいのかよ。和華はそれで……」

「京平くんの弱いところ、私だけに教えてくれるなら」

 視線を落とすと青い箱が目についた。

 それでも手を伸ばしたのは和華の頬。指先からじわりと体温が伝わり、おそるおそる顔を寄せると、制服から自分の匂いがしてくる。

 こんなものを和華は嗅いでいたのか。

 満たされるその感覚は、いつものメビウスよりも、少しだけ呼吸を楽にした。
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