燃えない夏に恋をしていた

 あれから一夜が明けた。自宅のアパートに着いた頃には日付も変わり、シャワーを浴びてすぐ眠りに落ちたせいか、寝ぐせがあちこちに跳ねている。枕元のスマホを確認すると十二時半を指していた。

 夏休みとはいえ寝すぎたなと反省しながらトークアプリを開く。中学時代の仲間からの旅行写真、大学の女子からの中身がない挨拶。適当なスタンプで返事をしていると、一心くんからのメッセージに気付いた。

『ウチにイヤホン忘れてたぞ。俺がなくすからバイト先まで取りに来いよ』

 添付された地図が示すのは、商店街にあるドラッグストア。

 ワイヤレスイヤホンくらい今度でいいのに、一心くんなら本当になくしてしまいそうで、ベッドを離れた俺は仕方なく準備を始める。寝ぐせだらけの金髪は直らないままでいた。

 ***
 
「おー、大牙! 二日酔いとかしてないだろうな?」

 ドラッグストアの自動ドアをくぐると、医薬品レジに白衣姿の一心くんがいた。登録販売者の名札を付けているのに仕事中とは思えない気楽さで、棚の商品を補充していた店員もこちらを見ながら苦笑いしている。

「それよりも眠いんだわ。一心くんが帰してくんねえから」

「栄養ドリンクの試飲でもするか? カフェイン入り」

「いいわ。試飲だけ目覚めるなら苦労ねえだろ」

 一心くんから差し出されたイヤホンを受け取りポケットに放り込む。どうせなら買い物でもしようかと悩んでいると、意地悪な笑顔を浮かべた一心くんが声を上げた。

「なあ、大牙。あれから彩目の顔見た? ブサイクなんよ」

「は? 彩目ちゃんがブサイクとか、そんなわけ……」

 言い終えるよりも先に、一心くんがこちらを指差した。

 意味が分からず振り返ると、そこにいたのは彩目ちゃんで、視線がバチリとぶつかり合う。胸元まで伸びた髪はひとつに束ねられ、白いシャツにスキニーパンツという、いかにも仕事終わりの格好をしていた。

「う、あ。あー……。大牙くん、昨日ぶり」

 よく見ると彩目ちゃんのまぶたが腫れている。二重がぼやけているし、いつもより眠そうだし。それでも恥ずかしそうにしているから、ブサイクなんていじれるはずもなく、とりあえず笑いかけておくことにした。

「そういえば一心くんと一緒にバイトしてんのか」

「うん。今日はこれから帰りなの。大牙くんは買い物?」

「いや、その。忘れ物してたから取りに来ただけで……」

 イヤホンを返すのにバイト先を指定したのは、彩目ちゃんもいるからなのか。そんな疑いの目を一心くんに向けると、

「用事済んだろ? 俺はまだ仕事あるからさ。二人ともまたな」

 と言いながらレジから抜け出した。そのまま店の奥に消えていく一心くんに、残された俺たちは二人で顔を見合わせる。

「彩目ちゃん、これから帰り? 俺もなんだけどさ」

「そうだけど……。よければ一緒に帰る?」

「そうするか。やることも特にねえしな」

 言いながらドラッグストアを出ると、嫌になるほどの暑さが一斉に襲いかかる。商店街を覆うアーケードが直射日光を防いでくれているのがせめてもの救いで、シャツをばたつかせて汗を飛ばしていると彩目ちゃんが口を開いた。

「あのさ。昨日はありがとう。私のこと気にしてくれたみたいで」

「いや。余計なことしただろ。言いにくいことまで話させたし」

「あははっ、過保護だ。あれのおかげで希美と仲直りできたのに」

 くすくすと笑う彩目ちゃんに、顔を背けながら頬を掻く。

「そらどうも。つーかさ、彩目ちゃん。昼飯これからなん?」

「うん。ラーメンかカレーにするつもり。大牙くんは?」

「俺もまだ。ラーメン行くけど、彩目ちゃんも来る?」

 こういうのは慣れてるし、誘い方も忘れていない。これまでの自分を確かめるように口にすると、彩目ちゃんは「いいの? すぐそこのラーメン屋が好きなんだよね」と商店街の角にあるラーメン屋を指差した。

 断る理由もなく暖簾をくぐり抜けると、冷たい風と豚骨の匂いが押し寄せる。昼時を過ぎているおかげか、店内には空席がちらほらあり、窓際のテーブル席に案内された。彩目ちゃんがおすすめしてくれた豚骨味玉を注文して、お冷のグラスに口をつける。

「彩目ちゃん、ラーメン好きなんだな。ここの常連?」

「バイト終わりに来るんだ。一心くんともたまにね」

 彩目ちゃんはグラスの水滴をなぞり「職場には同年代があまりいなくてさ。話しやすいんだよね」とお冷を飲んだ。含みがあるわけでもないのに、どうでもいい想像をしてしまう。

「でもまあ、面倒だけど。今日もいじられたしさ。そんなに目、酷いかな?」

「いや、まあ。驚きはしたけどな。別人みたいだから」

「うわあ、そんな。大牙くんにも言われるなんて」

 彩目ちゃんは照れ隠しをするようにおしぼりを丸めると、「大牙くんこそ寝ぐせが目立つよ」なんて指差してきた。後頭部を手のひらで押さえても毛先は跳ねたままで、彩目ちゃんが楽しそうにするから俺までつられていく。

「そうだ。希美に連絡しなくて大丈夫? 二人で食事すること」

 思い出したように彩目ちゃんが首を傾げる。その意味を一瞬遅れて理解した俺は、おしぼりに伸ばしかけた手を止めた。そういうところまで気にしていられないのは、最初からまともな付き合いではないからだ。

「そういうの気にしねえんだわ。あいつも勝手に遊んでるからな」

 希美が誰と食事していようが気にならない。蓮児でも、仲間でも。あいつは好きにしているし、俺もまた好きに行動する。それなのに、彩目ちゃんが一心くんとここに来る話をしたら違うことを考えた。

 いつもの自分を確かめるはずが、どんどんズレていくのが分かる。誰のものでもないか確認したのも、こうしてラーメンに誘うのも。そのまま終わらないどころか、終わらせたくない自分がいた。

「そうなんだ。希美とはどれくらいの付き合いなの?」

「高校卒業する前だから……一年半くらいになるか」

「へえ……。なんだか不思議な関係だね」

 それだけ返した彩目ちゃんは、注文したラーメンが揃うと、いただきますと手を合わせた。白いレンゲでスープをすくうと、ふうふう息を吹きかける。その仕草を眺めながら、俺もラーメンに箸をつけた。

 ***

 食事を終えた俺たちは、二人でラーメン屋を出た。

 商店街をぶらぶら歩いているうちに、冷えていた体が熱気に戻されていく。遠くから聞こえてくる蝉の鳴き声、八百屋の店先に並んだスイカ。そのどれもが夏休みらしいなと思う。

「大牙くん、ありがとう。ごちそうまでしてくれて」

「俺から言い出したからさ。うまいラーメン屋も知れたしな」

 そんな話をしながら商店街を抜けると、彩目ちゃんは大通りの信号前で立ち止まり、「私はここ右なんだけど、大牙くんはどこ方面?」と首を傾げた。

「俺は左だわ。駅方面のアパートに住んでんの」

「そうなんだ。それならここでお別れだね」

 このまま家に送る理由もなさそうだしなと、ポケットのワイヤレスイヤホンをいじりながら、彩目ちゃんに八重歯を見せて笑いかける。

 日傘をくるくると回した彩目ちゃんは、視線を逸らしながらはにかんだ。

「今日はこんなだけどさ。次はちゃんとした顔、見てもらいたいな」

 彩目ちゃんの言葉に、間抜けな声が漏れた。やがて信号が青に変わり、彩目ちゃんが歩きだす。

 なにか言わなければ。そう考える暇もなく呼び止めた。

「あのさ! 彩目ちゃん」

 横断歩道の途中で振り返る彩目ちゃんは、不思議そうに瞬きを繰り返していた。

「また遊ぼうな。俺も寝ぐせ、直しとくから」

 日傘の影に隠れながらも、満足そうに口角が上げられた。それから彩目ちゃんは小さく頷き、横断歩道の向こう側に進んでいく。イヤホンを耳につけた俺は、お気に入りの音楽を流した。
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