燃えない夏に恋をしていた
花火を終えたばかりの公園からは子供たちが消えていた。夜風が木々を通り過ぎては葉擦れの音を鳴らし、夏祭りの熱気を落ち着かせていく。砂場には誰かのスコップが転がり、誰もいないブランコがわずかに揺れている。
「そういえば花火、全然見てないねえ。気付いたら涙で滲んでたもん」
泣いていたのは彩目ちゃんなのに、希美が鼻をすすりながら肩をすくめた。蓮児はビール缶をベンチに置いて、食べかけの焼きそばをかき込んでいる。ベンチの背に体を預けると、彩目ちゃんが浴衣の帯を整えた。
「それなら今度は手持ち花火しようよ。今日はもう遅いからできないけどね」
「いいねえ。真夜中の神社で遊んで、宮司さんに怒られようかなあ」
「さすがに懲りたよ。境内の掃除までさせられるんだからね?」
彩目ちゃんは肩を揺らしながら笑った。化粧は崩れているものの柔らかい表情に戻り、希美も「そういうところが彩目だよねえ」と茶化している。
そうして公園を出た俺たちは、大通りまでの道のりを歩いた。
***
「なあ、大牙。なんでいきなりあんなにキレたんけ」
大通りに出る直前で、蓮児が尋ねてきた。希美と彩目ちゃんが先を歩いているのを確認した俺は、二人に聞こえないようにと声量を落として返す。
「希美のせいにできたら楽だろ。彩目ちゃんのこと」
希美の好きなところが、彩目ちゃんなんて馬鹿げている。蓮児の彼女だからこそ高校時代は惹かれたわけで、ましてや当時は彩目ちゃんの存在を知らない。ありもしないことで言い訳したなと思う。
「ふうん。分からんでもないけどな。希美だけ得してからに」
「得してるわけではねえだろ。すれ違いに気づいただけで」
それでも希美のことが羨ましいのは、彩目ちゃんに嫌われてないせいなのか、和解しているからなのかは分からない。俺にはこんなに滅茶苦茶な紹介をしておいて。
「そもそも蓮児のせいらしいけどな。希美が試したの」
「そう言いんさんなや。わしらはこれでいいだろ」
「よくねえわ。そういうところが無責任なんだよ」
最後に蓮児と派手な喧嘩をしたのはいつだろう。お好み焼きに入れる麺は中華そばかうどんのどちらかで口論した中学時代なら、拳骨のひとつでもされたら確実にやり返していたのに——。
「大牙と蓮児? 先輩に挨拶もせずになにしてんだよ」
からりとした声に顔を上げ、目を凝らすように細める。
毛先を遊ばせた黒髪に、上下とも白のジャージ。見覚えしかないそのスタイルに、蓮児がわざとらしく顔を歪ませた。
「一心 くんのこと見つけてまだ三秒だけんな。また祭りにきてたんか」
一心くん。中学時代に所属していたグループの仲間で、なにかと俺のことを気にかけてくれた先輩だ。
そんな一心くんは道端の空き缶をスニーカーで潰しながら、
「地域のイベントには参加しねえと。つか、なに? 彩目も仲間なん」
と、どういうわけか彩目ちゃんに体を向けた。
「昨日からなんだけどね。一心くんはみんなの友達?」
「男二人とは中学からな。彩目の後ろにいるやつは初見だわ」
不思議そうにする希美を見た一心くんは、
「このヒトは誰よ? よく知らねえんだけど」
と首を傾げる。
面倒なことになるよりも先に、俺から話題を変えることにした。
「一心くん変わんねえな。彩目ちゃんと知り合いなん?」
「あー? 二年前くらいになるか。彩目との出会いは」
「誰もそんなこと聞いてないからね。バイト仲間だよ」
呆れたように付け加えた彩目ちゃんに、一心くんが「事実だし。嘘はついてねえだろ?」と笑いかける。遠慮がないくらいには親しいのかと納得していると、視線に気づいた一心くんが肩を組んできた。
「男二人は俺のところで飲んでいけよ。祭りの日ならいくらでも騒いでいいからな」
どうせ拒否権はないようなものだし、最終的にはタダ酒が飲めるからと頷いた。そうして女子二人組と解散した俺たちは、一心くんの自宅までお邪魔することになる。心の準備なんてものはできないままでいた。
***
一心くんのアパートは商店街から外れた住宅街にあり、カードキーをドアにかざして俺たちを部屋に招いてくれた。
冷房が効いているのは付けっぱなしで外出していたからなんだろう。ソファに体を沈めると首筋にひんやりとした風が当たる。
「大牙たち聞いてくんね? ついこないだ眼科検診受けたんだわ。それで視力がいいもんだから、小さい文字からスタートされんの。俺はそれが普通なんだけど、視力悪いやつは違うらしいな」
一心くんはテキトーな会話を続けながら、祭りで購入したという唐揚げや枝豆を座卓に並べていく。手伝おうとしても断られてしまうから、蓮児とソファでだらだらするしかない。
「二人はどうなんよ。裸眼なのか、コンタクト?」
「わしは裸眼。大牙は視力落ちとるだろ。スマホするけえ」
「でもコンタクトにはしねえわ。乾燥が酷いし、目薬も面倒だし」
一心くんは冷蔵庫の扉を閉めながら「目薬垂らしたらキモい味するよな。苦いやつ」と頷いた。
なんとなく分かるような、そうとも言い切れないような。どうでもいい話題を広げていくところは昔から変わらない。
「それで大牙と蓮児に聞いとくんだけど。彩目が充血して見えたのは、俺の視力が落ちたせい?」
一心くんは吟醸酒の瓶を握りしめ、ローテーブルに叩きつけた。
静かな部屋に重たい音を響かせたのは一瞬のことで、透明なグラスにとぷとぷと酒が注がれていく。そうしてグラスを差し出された俺は、それを受け取りながら答えた。
「俺の彼女なんだけどさ。説明なしで彩目ちゃんと俺たちを会わせたわけ。それはあんまりだから話し合いして、とりあえず解決はしたんだけど」
一心くんは力が抜けるような相づちを返すと、少しだけ考えるように視線を空中に泳がせた。こんな説明でも聞いてくれるのは助かるけど、どうなるのかは返事が来るまで分からない。
グラスに注がれた酒を口に含むと、ほんのりとした甘みが鼻を抜けた。
「彩目はあれですげえ頑固だからさ、聞いてもどうせはぐらかされるの。そこがまたウケるんだけどな」
彩目ちゃんのことを思い出す。いきなりあんな状況に放り込まれたのに、俺たちの関係を聞いても逃げないどころか、これからもまだ遊ぶつもりでいるらしい。そういうところは譲らないし、見逃してくれるほど優しくない。
「だから現場は見てないけど、あんまりなのは事実なんだろ? 解決したならそれでいいけどな」
「え……。一心くんはいいん? いや、その。泣いてたのに」
「大牙なりに行動したんだろ。泣いてたとか、どうこうより」
一心くんは唐揚げを皿に取り分けると、こちらに差し出してきた。仕方ないやつだと言わんばかりのそれを見ていると、これまでの感情が少しだけ落ち着いていく。自分のためだけにしたことでもないのかもしれない。
しばらくして蓮児が唐揚げに箸を伸ばすと、一心くんが容赦なくレモンを絞りかけた。蓮児は「嫌がらせやめてくれんかな。わしがレモン苦手なこと覚えとるくせに」と肩を落とす。
その光景をぼんやりと眺めていた俺は、レモン汁まみれの唐揚げに箸をつけた。
「あのさ、一心くん。俺からも聞いときたいんだけど」
「ん? いきなりどしたん、昔話でもさせんのか?」
「彩目ちゃんはその、誰のものでもないん?」
蓮児が目を白黒させる中、一心くんが勢いよく吹きだした。
「ぶはっ、恋バナ? なんだよ大牙、そういうことか?」
「いや、その。バイト先ではどんな感じなんかなとか……」
「そういう話はあんまりしねえからなあ。ま、彩目は彩目だろ」
彼氏がいないことは初対面でも確認した。それでも誰かのものでいてくれたら、こんな気持ち知らないでいられたのに。
グラスに口を付けながら傾けると、喉を通る酒がじわりと熱を残した。
「そういえば花火、全然見てないねえ。気付いたら涙で滲んでたもん」
泣いていたのは彩目ちゃんなのに、希美が鼻をすすりながら肩をすくめた。蓮児はビール缶をベンチに置いて、食べかけの焼きそばをかき込んでいる。ベンチの背に体を預けると、彩目ちゃんが浴衣の帯を整えた。
「それなら今度は手持ち花火しようよ。今日はもう遅いからできないけどね」
「いいねえ。真夜中の神社で遊んで、宮司さんに怒られようかなあ」
「さすがに懲りたよ。境内の掃除までさせられるんだからね?」
彩目ちゃんは肩を揺らしながら笑った。化粧は崩れているものの柔らかい表情に戻り、希美も「そういうところが彩目だよねえ」と茶化している。
そうして公園を出た俺たちは、大通りまでの道のりを歩いた。
***
「なあ、大牙。なんでいきなりあんなにキレたんけ」
大通りに出る直前で、蓮児が尋ねてきた。希美と彩目ちゃんが先を歩いているのを確認した俺は、二人に聞こえないようにと声量を落として返す。
「希美のせいにできたら楽だろ。彩目ちゃんのこと」
希美の好きなところが、彩目ちゃんなんて馬鹿げている。蓮児の彼女だからこそ高校時代は惹かれたわけで、ましてや当時は彩目ちゃんの存在を知らない。ありもしないことで言い訳したなと思う。
「ふうん。分からんでもないけどな。希美だけ得してからに」
「得してるわけではねえだろ。すれ違いに気づいただけで」
それでも希美のことが羨ましいのは、彩目ちゃんに嫌われてないせいなのか、和解しているからなのかは分からない。俺にはこんなに滅茶苦茶な紹介をしておいて。
「そもそも蓮児のせいらしいけどな。希美が試したの」
「そう言いんさんなや。わしらはこれでいいだろ」
「よくねえわ。そういうところが無責任なんだよ」
最後に蓮児と派手な喧嘩をしたのはいつだろう。お好み焼きに入れる麺は中華そばかうどんのどちらかで口論した中学時代なら、拳骨のひとつでもされたら確実にやり返していたのに——。
「大牙と蓮児? 先輩に挨拶もせずになにしてんだよ」
からりとした声に顔を上げ、目を凝らすように細める。
毛先を遊ばせた黒髪に、上下とも白のジャージ。見覚えしかないそのスタイルに、蓮児がわざとらしく顔を歪ませた。
「
一心くん。中学時代に所属していたグループの仲間で、なにかと俺のことを気にかけてくれた先輩だ。
そんな一心くんは道端の空き缶をスニーカーで潰しながら、
「地域のイベントには参加しねえと。つか、なに? 彩目も仲間なん」
と、どういうわけか彩目ちゃんに体を向けた。
「昨日からなんだけどね。一心くんはみんなの友達?」
「男二人とは中学からな。彩目の後ろにいるやつは初見だわ」
不思議そうにする希美を見た一心くんは、
「このヒトは誰よ? よく知らねえんだけど」
と首を傾げる。
面倒なことになるよりも先に、俺から話題を変えることにした。
「一心くん変わんねえな。彩目ちゃんと知り合いなん?」
「あー? 二年前くらいになるか。彩目との出会いは」
「誰もそんなこと聞いてないからね。バイト仲間だよ」
呆れたように付け加えた彩目ちゃんに、一心くんが「事実だし。嘘はついてねえだろ?」と笑いかける。遠慮がないくらいには親しいのかと納得していると、視線に気づいた一心くんが肩を組んできた。
「男二人は俺のところで飲んでいけよ。祭りの日ならいくらでも騒いでいいからな」
どうせ拒否権はないようなものだし、最終的にはタダ酒が飲めるからと頷いた。そうして女子二人組と解散した俺たちは、一心くんの自宅までお邪魔することになる。心の準備なんてものはできないままでいた。
***
一心くんのアパートは商店街から外れた住宅街にあり、カードキーをドアにかざして俺たちを部屋に招いてくれた。
冷房が効いているのは付けっぱなしで外出していたからなんだろう。ソファに体を沈めると首筋にひんやりとした風が当たる。
「大牙たち聞いてくんね? ついこないだ眼科検診受けたんだわ。それで視力がいいもんだから、小さい文字からスタートされんの。俺はそれが普通なんだけど、視力悪いやつは違うらしいな」
一心くんはテキトーな会話を続けながら、祭りで購入したという唐揚げや枝豆を座卓に並べていく。手伝おうとしても断られてしまうから、蓮児とソファでだらだらするしかない。
「二人はどうなんよ。裸眼なのか、コンタクト?」
「わしは裸眼。大牙は視力落ちとるだろ。スマホするけえ」
「でもコンタクトにはしねえわ。乾燥が酷いし、目薬も面倒だし」
一心くんは冷蔵庫の扉を閉めながら「目薬垂らしたらキモい味するよな。苦いやつ」と頷いた。
なんとなく分かるような、そうとも言い切れないような。どうでもいい話題を広げていくところは昔から変わらない。
「それで大牙と蓮児に聞いとくんだけど。彩目が充血して見えたのは、俺の視力が落ちたせい?」
一心くんは吟醸酒の瓶を握りしめ、ローテーブルに叩きつけた。
静かな部屋に重たい音を響かせたのは一瞬のことで、透明なグラスにとぷとぷと酒が注がれていく。そうしてグラスを差し出された俺は、それを受け取りながら答えた。
「俺の彼女なんだけどさ。説明なしで彩目ちゃんと俺たちを会わせたわけ。それはあんまりだから話し合いして、とりあえず解決はしたんだけど」
一心くんは力が抜けるような相づちを返すと、少しだけ考えるように視線を空中に泳がせた。こんな説明でも聞いてくれるのは助かるけど、どうなるのかは返事が来るまで分からない。
グラスに注がれた酒を口に含むと、ほんのりとした甘みが鼻を抜けた。
「彩目はあれですげえ頑固だからさ、聞いてもどうせはぐらかされるの。そこがまたウケるんだけどな」
彩目ちゃんのことを思い出す。いきなりあんな状況に放り込まれたのに、俺たちの関係を聞いても逃げないどころか、これからもまだ遊ぶつもりでいるらしい。そういうところは譲らないし、見逃してくれるほど優しくない。
「だから現場は見てないけど、あんまりなのは事実なんだろ? 解決したならそれでいいけどな」
「え……。一心くんはいいん? いや、その。泣いてたのに」
「大牙なりに行動したんだろ。泣いてたとか、どうこうより」
一心くんは唐揚げを皿に取り分けると、こちらに差し出してきた。仕方ないやつだと言わんばかりのそれを見ていると、これまでの感情が少しだけ落ち着いていく。自分のためだけにしたことでもないのかもしれない。
しばらくして蓮児が唐揚げに箸を伸ばすと、一心くんが容赦なくレモンを絞りかけた。蓮児は「嫌がらせやめてくれんかな。わしがレモン苦手なこと覚えとるくせに」と肩を落とす。
その光景をぼんやりと眺めていた俺は、レモン汁まみれの唐揚げに箸をつけた。
「あのさ、一心くん。俺からも聞いときたいんだけど」
「ん? いきなりどしたん、昔話でもさせんのか?」
「彩目ちゃんはその、誰のものでもないん?」
蓮児が目を白黒させる中、一心くんが勢いよく吹きだした。
「ぶはっ、恋バナ? なんだよ大牙、そういうことか?」
「いや、その。バイト先ではどんな感じなんかなとか……」
「そういう話はあんまりしねえからなあ。ま、彩目は彩目だろ」
彼氏がいないことは初対面でも確認した。それでも誰かのものでいてくれたら、こんな気持ち知らないでいられたのに。
グラスに口を付けながら傾けると、喉を通る酒がじわりと熱を残した。