燃えない夏に恋をしていた
翌日の夕方。いつものように希美のベッドでオンライン麻雀をプレイしていると、蓮児が「結局は二の腕のむちむちした女がいいんよな」と言い出した。
「あー? 胸大きいのが好きなだけだろ。お前は」
「そういう大牙はどうなんよ。太ももか?」
画面の牌を切りながら、彩目ちゃんのことを思い出す。希美があれから「明日は夏祭りに行こうよ。大通りであるから」と連絡したら、「行けたらね。バイトがあるかもしれないけど」と返されたらしい。
そのやりとりからしても、距離を置くんだろうなとは思う。
「そんで希美はなにしとんけ。もう祭りあるのに」
「知らねえよ。準備してくるとは言われたけどな」
ベッドに体を預けたまま、画面内でリーチをかける。そのまま待ち続けていると、扉がバタンと勢いよく開いた。
「お待たせえ。彩目も連れてきたよ!」
明るい声が響くと同時に顔を上げる。そこには浴衣姿の彩目ちゃんがいた。希美に背中を押されながらも、彩目ちゃんは俺たちに会釈してくる。昨日と変わらぬ振る舞いに、蓮児がぴくりと眉を持ち上げた。
「は……? なんでまた来たん。こんなところに」
「みんなと遊びたくて。バイト交代してもらえたんだ」
そう答えた彩目ちゃんは、くるりと辺りを見渡して、
「どうしよう、私だけ浴衣だ。気合い入れてるみたいかな」
と、浴衣の袖を握りしめた。
浴衣について評価するどころではない俺たちを無視して、希美が彩目ちゃんに抱き着きながら頬を膨らませる。
「似合うからいいの! というか蓮児は彩目をはぶらないでよ」
「いーや、違うわ。なんで来たんか聞いただけだろ!」
二人に挟まれた彩目ちゃんは「それよりもさ。これから夏祭りに行くんだよね?」と首を傾げる。手のひらの中で震えるスマホに視線を落とすと、画面の中では待ち牌を引き当てていた。
***
大通りに出ると人混みが目に飛び込んできた。
歩行者天国にされた道路の両脇には屋台が並び、焼きそばのソースやりんご飴の匂いが混ざり合う。夕焼けに染められた空には明るさがわずかに残り、花火の時間になるまではまだ余裕がありそうだ。
「思ったよりも人多いねえ。迷子にならないかなあ」
「グループトーク作ればいいだろ。スマホあるんだし」
「うわ、天才! 落ち着いたところで作るねえ」
人波を避けるように歩道の端に寄ると、浴衣姿の女子集団が横を通り過ぎた。彩目ちゃんも似たような格好なのに目立つのは、結い上げられた黒髪から覗くうなじのせいでも、大きな牡丹が描かれた赤い浴衣のせいでもない。
小股で下駄をカラコロと鳴らすとか、袖口を押さえながら手を伸ばすとか。そういう仕草がいちいち綺麗なことに本人は気付いてないのか、「もしかして金魚すくいは消えたのかな」と呟いている。
「よし! グループトークできたよ。なにかあれば連絡してねえ」
希美は満足そうにスマホを掲げた。適当な返事をした俺は、屋台のほうを覗き込む。近場にはフライドポテトとベビーカステラ、イカ焼きにチョコバナナが並んでおり、どこの店にも五組ほどの列ができていた。
「ねえ。うちポテトとイカ焼き食べたいなあ」
「いいな。わしも腹空いとるけえ屋台並ぼうや」
「それなら私はポテトに並んでくるよ。蓮児くんと大牙くんもいる?」
彩目ちゃんが列の方を見ながら首を傾げる。俺が返事をするよりも先に、蓮児の方が手を挙げた。
「頼むわ。わしらはイカ焼きのところに並んどくけえ」
「あー……、俺はポテト。彩目ちゃん一人にすんのもあれだろ」
「決まり! 買えたらまたここで待ち合わせようねえ」
ぶんぶんと手を振る希美を背に、彩目ちゃんと二人で屋台まで向かう。フライドポテトの屋台には既に十人ほどが並んでおり、作業場ではおばさんがフライヤーで揚げ物をしていた。
「あのさ。昨日のことなんだけど、蓮児からなに聞かされたん?」
「へ? えと、その。大牙くんのことが知りたくて略奪させてみたとか……」
「はあ? あー、いや。そんな話まで聞いたのに、また遊びに来たんだな」
「最初は驚いたけどね、希美もいないからさ。それでもみんなに興味があるの」
小学生時代のエピソードといい、好奇心旺盛なんだなと納得する。
しばらくして会計を済ませた俺たちは、フライドポテトを手に屋台から離れた。
***
彩目ちゃんと元の場所まで戻ると、やたらと大きなうちわが出迎えた。赤地に黒文字で『祭』と書かれたそれの持ち主が希美だと気付いたのは、蓮児が当然のようにその巨大なうちわに話しかけていたからだ。
「あ? なんだそのうちわ、なんかの景品か?」
「これ? 射的で蓮児がくれたんだけどねえ」
うちわを下げた希美はうんざりと肩を落とした。どう考えても大人の女が喜ぶようなプレゼントではない。そんなんだから略奪されたんだろとまでは言わないけれど、蓮児はもう少しうまくやれないのかと思う。
「そんなデカいの持ちながら歩くのだるいだろ。貸せよ」
希美のうちわを預かる俺を見て、彩目ちゃんがくすくすと笑う。そうしてまた人混みの中を四人で歩きだした。
「なあ、蓮児。彩目ちゃんから聞いたんだけど」
前を行く女子二人を追いかけながら、イカ焼きを頬張る蓮児に話しかける。イカ焼きを飲み込んだ蓮児は「なんの話しとんけ」と興味なさそうに返してきた。
「俺のことを知りたいとかで、希美とのキス見せつけたん?」
期待してないとか吐き捨てたくせに。
蓮児は少しだけ眉をひそめると、頬を掻きむしりながら言葉を濁した。
「まあ……。気になるけえな。大牙がほんまに略奪しかできんのんか」
そんなことで見せつけんなよ、と言いかけたのを飲み込んだ。
——なんでだろう。傷つきたくないのかな?
傷つきたくないからなんて、そんなのは考えたこともない。希美と手を繋いだ時も、泣いているのを見かけた時も。後戻りできないまま落として、あいつに告白された時も——。
「傷つかないために略奪するとかありえねえよな?」
「ないわ。彼氏持ち相手にするとか、傷つくしかないけえな」
「だよなあ。傷つくしかないのに、傷つきたくないとか」
それから言葉が続くでもなく、うちわの持ち手が滑りかけた。もう一度うちわを握り直すと、女子二人がこちらを振り返る。希美は彩目ちゃんになにかを耳打ちすると、俺たちのところにバタバタと駆け込んできた。
「大牙、蓮児! これから花火が見える場所探そうよ。二組に分かれてさあ」
「はあ……、いいけど。どういうチームで組むわけ?」
「それがねえ。彩目と蓮児に仲良くしてほしいんだ!」
間抜けな声を漏らしたのは蓮児と同時で、一拍遅れて彩目ちゃんの声が飛んできた。希美はフライドポテトを抱えながら「うちと大牙、彩目と蓮児。これでいいよね?」と笑いかけてくる。
蓮児はこめかみを押さえると、わざとらしいため息をついた。
「まあいいわ。彩目ちゃんに勝手されるのは怖いけえな」
「わあ、酷い。蓮児くんのほうがよほどだと思うけど」
彩目ちゃんが言い返すと、蓮児が肩をすくめる。不仲みたいな顔しているくせに、変なところで気が合うらしい。そのやりとりに割り込もうとしたら、希美が背中をバシバシと叩いてきた。
「うちらは二人よりもいい場所見つけようねえ」
希美に押されるがまま人混みから外れると、歩行者天国の賑わいも少しずつ遠ざかり、祭囃子の太鼓の音もどんどんぼやけていく。そのまま路地を右に曲がると、希美が「そういえば」と口を開いた。
「彩目はうちのことなにか話してた? あれから」
「お前なあ……。昨日遅れたのわざとだろ。彩目ちゃん驚いてたからな?」
「仕方ないもん。あれでも離れないなら安心できるんだから」
あんまりな理論に呆れながら考える。どうして彼女にしたんだろうとか、希美のどこが好きなんだろうとか。どうでもいいことが浮かんできては、結局いつもの問題にたどり着いた。
蓮児の彼女でなければ、どうしていたのかなんて。
「そんなことで迷惑かけんなよ。露骨すぎてバレバレ」
希美は唇を噛みしめると目を潤ませた。いつもみたいに不満をぶつければいいのに、子供のようにポテトの箱を潰している。
「知らないよ。蓮児がしてること、真似しただけだし」
声を震わせた希美が踵を返した。遠のいていく背中を追いかけるのも馬鹿らしくて冗談みたいなうちわを握りしめる。誰もいない路地に舌打ちだけが響いた。
「あー? 胸大きいのが好きなだけだろ。お前は」
「そういう大牙はどうなんよ。太ももか?」
画面の牌を切りながら、彩目ちゃんのことを思い出す。希美があれから「明日は夏祭りに行こうよ。大通りであるから」と連絡したら、「行けたらね。バイトがあるかもしれないけど」と返されたらしい。
そのやりとりからしても、距離を置くんだろうなとは思う。
「そんで希美はなにしとんけ。もう祭りあるのに」
「知らねえよ。準備してくるとは言われたけどな」
ベッドに体を預けたまま、画面内でリーチをかける。そのまま待ち続けていると、扉がバタンと勢いよく開いた。
「お待たせえ。彩目も連れてきたよ!」
明るい声が響くと同時に顔を上げる。そこには浴衣姿の彩目ちゃんがいた。希美に背中を押されながらも、彩目ちゃんは俺たちに会釈してくる。昨日と変わらぬ振る舞いに、蓮児がぴくりと眉を持ち上げた。
「は……? なんでまた来たん。こんなところに」
「みんなと遊びたくて。バイト交代してもらえたんだ」
そう答えた彩目ちゃんは、くるりと辺りを見渡して、
「どうしよう、私だけ浴衣だ。気合い入れてるみたいかな」
と、浴衣の袖を握りしめた。
浴衣について評価するどころではない俺たちを無視して、希美が彩目ちゃんに抱き着きながら頬を膨らませる。
「似合うからいいの! というか蓮児は彩目をはぶらないでよ」
「いーや、違うわ。なんで来たんか聞いただけだろ!」
二人に挟まれた彩目ちゃんは「それよりもさ。これから夏祭りに行くんだよね?」と首を傾げる。手のひらの中で震えるスマホに視線を落とすと、画面の中では待ち牌を引き当てていた。
***
大通りに出ると人混みが目に飛び込んできた。
歩行者天国にされた道路の両脇には屋台が並び、焼きそばのソースやりんご飴の匂いが混ざり合う。夕焼けに染められた空には明るさがわずかに残り、花火の時間になるまではまだ余裕がありそうだ。
「思ったよりも人多いねえ。迷子にならないかなあ」
「グループトーク作ればいいだろ。スマホあるんだし」
「うわ、天才! 落ち着いたところで作るねえ」
人波を避けるように歩道の端に寄ると、浴衣姿の女子集団が横を通り過ぎた。彩目ちゃんも似たような格好なのに目立つのは、結い上げられた黒髪から覗くうなじのせいでも、大きな牡丹が描かれた赤い浴衣のせいでもない。
小股で下駄をカラコロと鳴らすとか、袖口を押さえながら手を伸ばすとか。そういう仕草がいちいち綺麗なことに本人は気付いてないのか、「もしかして金魚すくいは消えたのかな」と呟いている。
「よし! グループトークできたよ。なにかあれば連絡してねえ」
希美は満足そうにスマホを掲げた。適当な返事をした俺は、屋台のほうを覗き込む。近場にはフライドポテトとベビーカステラ、イカ焼きにチョコバナナが並んでおり、どこの店にも五組ほどの列ができていた。
「ねえ。うちポテトとイカ焼き食べたいなあ」
「いいな。わしも腹空いとるけえ屋台並ぼうや」
「それなら私はポテトに並んでくるよ。蓮児くんと大牙くんもいる?」
彩目ちゃんが列の方を見ながら首を傾げる。俺が返事をするよりも先に、蓮児の方が手を挙げた。
「頼むわ。わしらはイカ焼きのところに並んどくけえ」
「あー……、俺はポテト。彩目ちゃん一人にすんのもあれだろ」
「決まり! 買えたらまたここで待ち合わせようねえ」
ぶんぶんと手を振る希美を背に、彩目ちゃんと二人で屋台まで向かう。フライドポテトの屋台には既に十人ほどが並んでおり、作業場ではおばさんがフライヤーで揚げ物をしていた。
「あのさ。昨日のことなんだけど、蓮児からなに聞かされたん?」
「へ? えと、その。大牙くんのことが知りたくて略奪させてみたとか……」
「はあ? あー、いや。そんな話まで聞いたのに、また遊びに来たんだな」
「最初は驚いたけどね、希美もいないからさ。それでもみんなに興味があるの」
小学生時代のエピソードといい、好奇心旺盛なんだなと納得する。
しばらくして会計を済ませた俺たちは、フライドポテトを手に屋台から離れた。
***
彩目ちゃんと元の場所まで戻ると、やたらと大きなうちわが出迎えた。赤地に黒文字で『祭』と書かれたそれの持ち主が希美だと気付いたのは、蓮児が当然のようにその巨大なうちわに話しかけていたからだ。
「あ? なんだそのうちわ、なんかの景品か?」
「これ? 射的で蓮児がくれたんだけどねえ」
うちわを下げた希美はうんざりと肩を落とした。どう考えても大人の女が喜ぶようなプレゼントではない。そんなんだから略奪されたんだろとまでは言わないけれど、蓮児はもう少しうまくやれないのかと思う。
「そんなデカいの持ちながら歩くのだるいだろ。貸せよ」
希美のうちわを預かる俺を見て、彩目ちゃんがくすくすと笑う。そうしてまた人混みの中を四人で歩きだした。
「なあ、蓮児。彩目ちゃんから聞いたんだけど」
前を行く女子二人を追いかけながら、イカ焼きを頬張る蓮児に話しかける。イカ焼きを飲み込んだ蓮児は「なんの話しとんけ」と興味なさそうに返してきた。
「俺のことを知りたいとかで、希美とのキス見せつけたん?」
期待してないとか吐き捨てたくせに。
蓮児は少しだけ眉をひそめると、頬を掻きむしりながら言葉を濁した。
「まあ……。気になるけえな。大牙がほんまに略奪しかできんのんか」
そんなことで見せつけんなよ、と言いかけたのを飲み込んだ。
——なんでだろう。傷つきたくないのかな?
傷つきたくないからなんて、そんなのは考えたこともない。希美と手を繋いだ時も、泣いているのを見かけた時も。後戻りできないまま落として、あいつに告白された時も——。
「傷つかないために略奪するとかありえねえよな?」
「ないわ。彼氏持ち相手にするとか、傷つくしかないけえな」
「だよなあ。傷つくしかないのに、傷つきたくないとか」
それから言葉が続くでもなく、うちわの持ち手が滑りかけた。もう一度うちわを握り直すと、女子二人がこちらを振り返る。希美は彩目ちゃんになにかを耳打ちすると、俺たちのところにバタバタと駆け込んできた。
「大牙、蓮児! これから花火が見える場所探そうよ。二組に分かれてさあ」
「はあ……、いいけど。どういうチームで組むわけ?」
「それがねえ。彩目と蓮児に仲良くしてほしいんだ!」
間抜けな声を漏らしたのは蓮児と同時で、一拍遅れて彩目ちゃんの声が飛んできた。希美はフライドポテトを抱えながら「うちと大牙、彩目と蓮児。これでいいよね?」と笑いかけてくる。
蓮児はこめかみを押さえると、わざとらしいため息をついた。
「まあいいわ。彩目ちゃんに勝手されるのは怖いけえな」
「わあ、酷い。蓮児くんのほうがよほどだと思うけど」
彩目ちゃんが言い返すと、蓮児が肩をすくめる。不仲みたいな顔しているくせに、変なところで気が合うらしい。そのやりとりに割り込もうとしたら、希美が背中をバシバシと叩いてきた。
「うちらは二人よりもいい場所見つけようねえ」
希美に押されるがまま人混みから外れると、歩行者天国の賑わいも少しずつ遠ざかり、祭囃子の太鼓の音もどんどんぼやけていく。そのまま路地を右に曲がると、希美が「そういえば」と口を開いた。
「彩目はうちのことなにか話してた? あれから」
「お前なあ……。昨日遅れたのわざとだろ。彩目ちゃん驚いてたからな?」
「仕方ないもん。あれでも離れないなら安心できるんだから」
あんまりな理論に呆れながら考える。どうして彼女にしたんだろうとか、希美のどこが好きなんだろうとか。どうでもいいことが浮かんできては、結局いつもの問題にたどり着いた。
蓮児の彼女でなければ、どうしていたのかなんて。
「そんなことで迷惑かけんなよ。露骨すぎてバレバレ」
希美は唇を噛みしめると目を潤ませた。いつもみたいに不満をぶつければいいのに、子供のようにポテトの箱を潰している。
「知らないよ。蓮児がしてること、真似しただけだし」
声を震わせた希美が踵を返した。遠のいていく背中を追いかけるのも馬鹿らしくて冗談みたいなうちわを握りしめる。誰もいない路地に舌打ちだけが響いた。