燃えない夏に恋をしていた

 玄関を出ると夏の日差しが肌を刺してきた。

 雲ひとつない青空のせいで逃げ場がなく、地面からの照り返しまで加勢するものだから、健気に羽根を回していた扇風機が恋しくなる。木陰のある神社に行けばマシになるとはいえ、勘弁してほしい。

 希美は先頭を歩きながら「今日は散歩日和だねえ」とか呑気なことを抜かしている。日差しを受けて明るくなる茶髪を見ていると、数メートル先を行く背中がやけに遠く感じられ、俺の歩くスピードがどんどん落ちていく。

 流れるように彩目ちゃんの隣を確保した蓮児と、それを後ろから眺めながらアスファルトを蹴る俺。この配置が正しいのか考えたところで無駄だ。Tシャツの襟ぐりを掴んでパタパタと風を送り込んでいると、前を歩いていた彩目ちゃんがくるりと振り返る。

「大牙くん、大丈夫? 折り畳みの日傘あるよ」

 鞄から取り出された薄ピンクの傘にはフリルが施されていた。どう考えても成人男性には似合わないものを向けてくる彩目ちゃんに、「そんなの持たせてどうするつもりなん」と笑いながら断る。そんなやりとりに蓮児が吹き出した。

「大牙に似合わんだろ。変なことしよるわ」

「それでも暑さはしのげるから。余計なことしたかな」

 恥ずかしがるでもない彩目ちゃんに、蓮児は「あー……」とバツの悪そうな顔をして、

「なあ。彩目ちゃんは希美と長い付き合いなんけ」

 と、話題を変えた。

「小学生からだよ。昔とはかなり印象が違うんだけどね」

 彩目ちゃんは苦笑して希美を見た。当の本人は電柱の向こうに黒い野良猫を発見して走りだす。そのままの勢いで近づくから、野良猫もびくりと尻尾を揺らし、路地の奥へと消えていく。気づけば俺たちは横並びで歩いていた。

「そんなら昔から仲良いんだな。幼馴染同士で」

「どうかなあ……。成人式まで離れてたから。それに紹介もこれだしね」

 彩目ちゃんは曖昧に笑いながら歩くスピードを緩めた。希美のことでなにか思うところがあるのか、言葉を詰まらせながら俺たちのことを窺う。容赦なく降り注いでくる太陽に照らされて額に汗が滲んだ。

「あのね。希美のことなんだけど。二人はその、なんというか。大事にしてると思う?」

「はあ……? いきなりなんの話しよるん。関係あるんか、彩目ちゃんに」

 眉をしかめた蓮児が、早足で進んでいく。取り残された俺は彩目ちゃんの言葉を反芻した。

 大事にしているか。

 俺が希美のことをなのか、希美が俺のことをなのか。

 その場で立ち止まる俺に、彩目ちゃんが首を傾げた。

「蓮児くんどうしたんだろう? 怒らせたかな」

 ここで希美と交際した経緯を教えたらどうなるんだろうか。嫌われるなら早いうちがいいし、残るならそれでもいいと思う。なによりも気になるのは、彩目ちゃんみたいな人間が、俺たちの関係をどう受け取るかだ。

「俺のせいもあるんだわ。蓮児から希美のこと略奪してんの」

 どんな顔をしているのか確認したいのに、その瞬間が近づくと視線が道路に逃げて、耳鳴りみたいに蝉の鳴き声がまとわりつく。それさえも振り払えないまま、肩をすくめて言葉を続けた。

「なんか彼氏持ちしか好きになれねえんだよな。昔から」

 そんなことまで話したのは、彩目ちゃんの表情が変わらないから。どういう感情なのか分かりにくいその反応を見ていられずに神社までの坂道に意識を向ける。希美と蓮児の後ろ姿はもう小さい。しばらくしてから、彩目ちゃんが呟いた。

「なんでだろう。傷つきたくないのかな?」

「は? ああ、いや。どういう意味のやつなん」

「えーと、そのね。彼氏を理由に断られるなら楽なのかも」

 どうしてそんなことを気にしているのか。三人の関係はどこに消えたんだ。なんで俺のことだけ——。

 それまで乾いていた口内に唾液がぶわりと広がる。煩わしい蝉の鳴き声が止まらない中で唾をごくりと飲み込んだ。

「彼氏以外の理由で断るやつもいるだろ。普通に考えて」

「え? あははっ、たしかに。勘違いしてごめんね」

 彩目ちゃんは誤魔化すように笑い、日傘を差して坂道を上りだす。離されないようにと歩幅を合わせても足音が噛み合わない。なんとも言えない気持ち悪さに顔を歪めている俺を、彩目ちゃんは知らないふりをするように歩いていた。

 ***

 神社の石段を上ると、鳥居が出迎えた。境内にいるのは地元民くらいで、手水舎の脇を通り過ぎると、ひんやりとした空気が頬を撫でていく。石灯籠の前にはスマホを触る蓮児と、そのすぐ横で座り込む希美がいた。

「二人とも遅いねえ。待ちくたびれたよ」

 遅刻してきたやつの態度とは思えないそれも、彩目ちゃんが仕方ないと言わんばかりに受け流す。そうして彩目ちゃんは希美のもとに歩み寄り「いつぶりかなあ。この場所」と辺りを見渡した。蓮児はふてくされているのか顔を上げないままだ。

「彩目はここで宮司さんに怒られたんだよねえ」

「なにやらかしたわけ。鈴でも鳴らしすぎたか?」

「真夜中の神社で花火したのがバレたんだよ」

 希美の返事に呆れた俺はため息をつく。

「希美が唆したんだろ。そんなことに巻き込んで」

「彩目だよ! すごいわんぱくなんだから」

 希美は勢いよく立ち上がると小学生時代の彩目ちゃんについて語りはじめた。綺麗だからという理由で線香花火に触れて火傷していたとか、標本作りのために虫取り大会を主催して昆虫を回収したとか。

 彩目ちゃんが「みんなには交換条件出してたから!」とあたふたしているあたり本当らしい。

「だからねえ。彩目がみんなを巻き込んでたの。うちのことも」

 懐かしんでいたはずの希美が、寂しそうに石畳の地面に視線を落とす。お前でも感傷に浸ることがあるんだな、なんて意地悪な言葉は飲み込むことにした。

「ねえ、大牙。昔話してたら喉乾いた。自販機行こ?」

「あー。ハイハイ。奢られてえわけね」

 蓮児と彩目ちゃんを二人にして大丈夫だろうか。そんな心配をしても希美が腕を組みながら歩きだすから、仕方なく境内の端に置かれた自販機まで進んでいく。希美は自販機の前でピタリと立ち止まると、キャミソールの紐を落ち着きなくねじり続けた。

「どしたん希美、元気なくねえ?」

「んーん。嫌なこと思い出しただけ」

 希美は自販機に体を向け、

「彩目が転校したせいで、うちがいじめられたの」

 と、小さな声で呟いた。

「なに? 大事なところ飛ばされても分かんねえよ。それで彩目ちゃん巻き込んでんのか?」

「違うもん。彩目みたいにしてたら、うちもみんなに好かれるから」

「は? お前なんのこと話して……」

 その言葉にふと彩目ちゃんの言葉を思い出す。

『小学生からだよ。昔とはかなり印象が違うんだけどね』

 昔とは希美の印象が違う。小学生の彩目ちゃんのエピソードも、今の彩目ちゃんとはイメージが違う。子供らしく無邪気で、子供らしく遠慮がない。これまで見ていたのは、もしかしたらなんて——。

「そんなわけねえだろ。さすがに冗談きついわ」

 ズボンから財布を取り出して小銭を渡す。希美は唇を尖らせながら自販機にお金を入れた。

「彩目はなんとかしてくれるんだよ! うちらのことも」

「ただの幼馴染がそんなことまでしてくれるかよ」

「なんで? あんな状況でも帰ろうとしないのに?」

 ガコンと落ちてきたコーラを、希美は大事そうに抱え込む。

 彩目ちゃんが何とかしてくれる。そんな都合のいいことを本当に信じているのか、それとも信じないといけないくらいおかしいのか。どちらにしても、まともではない。 

「そういう考えだから蓮児にも嫌われたんだろうな」

「大牙までいじめるの? うちのせいにしないでよ」

 希美がペットボトルのキャップを勢いよく開けると、ぱちぱちと炭酸の弾ける音が蝉の鳴き声に混じる。俺もサイダーを買おうと自販機に小銭を入れると、「たいがー! のぞみー!」とよく通る蓮児の声が聞こえてきた。

「なに、蓮児。彩目ちゃんは?」

「もう消えたで。バイトがあるらしいわ」

 蓮児はこちらに歩きながら、にやついた笑みを浮かべる。彩目ちゃんに質問されて不機嫌そうにしていたのに、どうせまた適当なことをしたんだろう。そんな疑いの目を向けても、蓮児は短髪を掻き上げるだけだ。

「安心しんさい。彩目ちゃんは、もう来んけえ。わしらのことも話しといた」

 それはもう説明しておいたと言いかけて止めた。俺たちは彩目ちゃんになにをしたいのか。希美は期待しているし、蓮児まで警戒している。それならもう関わらせないほうがいいのかもしれない。

「好きにしろよ。どうせそのうち離れるだろ」

 自販機からサイダーを取り出した俺は、キャップを開けて喉に流し込んだ。冷たい炭酸が喉を通るたびに、熱くなりすぎた体を落ち着かせる。そうしてまた彩目ちゃんのことが浮かんでくるのを振り払うように青空を仰いだ。
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